目的地に辿り着いて、オレは目の前の一軒家を見上げた。
結構デカイ。
ここに二人で住むというのはかなり贅沢な事だろう。まあ俺には関係ナイが。
オレは一つ大きく息を吸い込むと、ポケットの中にあった鍵を取り出して鍵穴に差し込みゆっくりと回した。鍵はカチャリと音を立て、扉は開く。
いよいよだ。
時間はあまりない。
スムーズに事を進めなくてはならない。
後ろ手に鍵をかけ、靴を脱ぎ、綺麗に磨き上げられた廊下に足を踏み出す。
数m歩いた目の前に、ガラス戸がある。もう一度深呼吸をするとオレはノブを回し、部屋へと入った。
「た……ただいま」
「ん?ああ、お帰り。随分と速かったのだな」
ソファに座って本を読んでいた小柄な身体の持ち主が、オレを見てそう言った。
「何か飲むか?茶ぐらいは私も用意できるが」
「あ、じゃあ……頂きます」
「……何だ?」
「はい?」
「変な言葉使いをしおって」
「え?あ、な、何でもねえよ」
「?……まあ良い、さっさと手を洗ってこい」
キッチンへと向かう後姿を確認して、オレは慌てて廊下へ戻る。確かこの部屋に入る前に、洗面所らしいものがあったような……適当に開けてみると感は当たっていて、目の前に洗面台があった。
ふう、と息をついて蛇口を捻り水を出す。石鹸で手を洗いながら、目の前の鏡の中の自分を覗き込んだ。
いつもと違う赤い髪。
眼つきの悪さは同程度。
「オレは阿散井恋次、阿散井恋次……」
ぶつぶつと呟き、自覚させる。言葉使いも気をつけなければならない。ばれてしまったらオレの計画は水の泡だ。
コップで口をゆすいで、先程の感触を消すために唇をぐっと拭う。
「よっしゃ、行くぜ!」
きゅっ、と蛇口を閉めて気合を入れた。
自然に、且つスムーズに。
そして撤退。
「それにしても変な眉毛だぜ」
オレは鏡に映る自分を見て呟いた。
オレの名前は「コン」と言う。っつーか、「コン」と呼ばれている。
改造魂魄がオレの本当の姿だ。死神化した一護の身体を護るためにルキア姐さんが浦原の野郎から手に入れた魂魄。普段は愛らしいヌイグルミのボディに収まっているが、本来のオレはもっとワイルド&セクシーだ。なのでこのヌイグルミのボディも「コン」という名前も本当は不本意なのだが仕方ない。
そのオレが何故この馬鹿デカイ野郎の身体に入っているかというと、……まあいいじゃねえか。時間がねえんだよ。もたもたしてると一護の奴が来ちまう。……あ?ちっ、仕方ねえな、ちゃちゃっと言うからな。質問は無しだ。時間がねえって言ってんだろ?
……一護の野郎んちにこの「阿散井恋次」が来ててよ、その時に虚出現の連絡が来たんだわ。そんでこの男が死神化して虚を追って行っちまったんだ。この男はこの辺りの担当死神をやってるらしくてな、虚が現れると退治しに行かなくちゃならねえ。それにしても、追いかけながら「ルキアとヤる為に俺は稼ぐぜっ!」と叫んでいたのはなんなんだ。
で、一護の家には義骸のこいつの身体がぐでっとしていた訳だ。それを邪魔に思った一護が俺に言った訳よ。
『コン、こいつを家に戻してきてくれ。こんなデカイ身体が部屋にあると邪魔くせえ』
『何でオレが、んな面倒臭ぇ事しなくちゃなんねえんだよ!大体このオレのラブリーボディでこんなデカイ奴運べるわけねえだろうがっ!手前ェで運べ、手前で!』
『簡単じゃねえか、こいつは義骸、お前は魂魄』
『……ま、まさか……』
青ざめ逃げ出そうとしたオレの腕をがっつりと掴むと、一護は『じゃ、頼むわ』と俺の身体を赤い髪の野郎に近づけた。勿論オレは抵抗したさ、けどこんな軟らかい身体のオレが、一体どんな抵抗できるって言うんだ?
『ぎゃ―――っ!やめろやめろ、やーめーろぉぉぉぉっ!!』
『ほい』
……思い出しただけで涙が出るぜ。これって一種のレイプじゃねえか?無理矢理野郎とキ……キスさせられてよ、オレは、オレは……っ!!
おっと、涙で前が見えなくなっちまった。そう、時間がねえんだよ。急がねえと。
……で、俺は思ったわけよ。唇に残るこの不気味な感触を消すためには、口直しをするしかねえと。
この男は誰と住んでいる?
そう、オレが魂を捧げたあの人……ルキア姐さんだ。
この心の傷を癒す為に、ルキア姐さんのキスを貰っても罰は当たらないと思う訳よ。そうだろ?
というのが、オレが今阿散井恋次の身体にいる理由と、何をしようとしているかの説明だ。
じゃあな!成功を祈って見守っててくれっ!
居間に戻ると、ルキア姐さんはキッチンに立って紅茶を淹れていた。ティーパックではなく、ちゃんとティーポットで茶葉から淹れている。F&Mのダージリン……姐さんの好みだ。
「もうすぐ出来る。座って待っていろ」
オレの気配に気付いたのか、姐さんは振り向かずにそう言った。
「……何だ?」
何も言わず姐さんの後ろに立ったオレに、姐さんは訝しげに振り返った。完全に振り向く前に、オレは姐さんを抱きしめる。
「……恋次?」
腕の中の姐さんの身体は本当に小さい。オレの、というか阿散井恋次の胸の辺りに頭がある。
オレは抱きしめた腕を少し緩めて、姐さんの頬に触れた。オレを見上げる姐さんの、不思議そうな顔に俺は顔を近づける。
唇に、触れた。
軟らかい、暖かい感触。さっきの、阿散井恋次とさせられたキスとはもう比べ物にならないほどの(当たり前だ)とろける様なテイスティ。
甘い、味。
しばらくオレは時間を忘れて姐さんの唇を味わっていたが、ふと気がついた。
……何で姐さんは嫌がらないんだ?
姐さんの性格からして、抱きしめた途端張り手の一発でも飛んでくるかと思っていたが、想像していたような抵抗は一切なく、驚いた事に逆に姐さんの腕が俺の背中に回りきゅっとオレを抱きしめていた。
あれ?
何で怒らないんスか?姐さん。
「……驚いておるのか?」
胸の辺りで声がする。姐さんはオレの胸に顔を埋めているので表情は見えない。ただ小さく笑ったような声がした。
「……待っていたんだよ、ずっと」
「ま……待って?」
「お前は私に遠慮をしているのか、いつまでたっても触れてこない。私はとうに総てを知っているというのに……。何年私があの本匠の友人をしていると思うのだ?……まあ、ネム殿はまだ何も知らないようだが」
石田も苦労する、と姐さんは笑った。
「そう、私は待っていたんだ、恋次。お前が私に触れる時を。お前が私の総てを欲しいと思ってくれる時を」
「姐……ル、ルキア」
「……恋次」
姐さんがオレを見上げた。そっと目を閉じる。姐さんに請われるままにオレはその唇にもう一度唇を重ね、(どうするかなあ…)と考えた。いいんだろうか、このまま流れに任せても。いやオレ的にはオールオッケーなんだが。
そのオレの戸惑いをどう受取ったのか、姐さんは俺の身体を抱きしめる。その背中に回された腕から、姐さんの身体が小さく震えているのが解った。
「震えて……」
「少しだけ、怖い。でも、いいんだ。私はお前なら……いや、お前がいい」
真剣な、優しい瞳で、姐さんは俺を見つめて、言った。
「……お前が好きなんだ」
決めた。
ここで突き放したら姐さんが傷つくだけだし。
大体こんな姐さんに気付かずに、何もしなかった阿散井恋次の奴が間抜けなんだ。うん。
それに身体は阿散井恋次の物なんだし、まあいっか。問題はない。多分。いや絶対。
「姐……ルキア」
そっと抱きかかえて、はたと困った。
寝室の場所がわからん。
まあいいか、ここで。
ソファの上にそっと姐さんの身体を置くと、姐さんは目をつぶってやっぱり震えている。頬に触れると、首に手を回してオレにしがみついた。まるで恐怖感を自ら振り払うように。
オレは姐さんの耳を甘く噛む。びくん、と姐さんの身体が小さく跳ねたその時、
……インターホンの音が鳴り響いた。
「あ……」
やばい。
上体を起こそうとする姐さんを慌てて押し留める。
「ほっとこうぜ」
「しかし……」
「新聞の勧誘だって」
姐さんの唇を塞いで気を逸らす。姐さんは「あっ……」と可愛い声を上げた。
が。
チャイムの音は激しく鳴り響く。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!!!
「……出てくる」
「いや、出ない方がいいと……」
「出ないといつまでも帰りそうにない」
溜息をついて姐さんは立ち上がった。玄関に向かっていく姐さんの後姿に、オレはなす術もなく立ち竦む。
「……何だ?」
「俺」
「一護?」
……最悪だ……
かちゃり、とドアの開く音がする。「どうした?」という姐さんの声が聞こえた。
「コン、来てるだろ?」
「コン?」
「恋次が虚退治に行っちまってよ、恋次の身体が俺の部屋にあって邪魔だからコンに入って恋次の身体運んでもらったんだ。そしたらよ、あいつ自分の身体忘れて行きやがって、どう帰って来るつもりなんだっつーの」
一護の手がオレのラブリーボディーを振り回している姿が見えた。
「……ちょっと待っていろ」
姐さんの、声が。
恐らく総てを知った姐さんの声が。
低い。
明らかに。
青白い焔を吹き上げながら、姐さん……否、怒りの具現、憤怒の存在と化した人外のモノが俺に近づいてくる。
声も出ない。
逃げられない。
蛇に睨まれた蛙だ。
「……コン?」
「は、はいぃぃっっ!!」
直立不動のオレの真下までやってくると、姐さんはオレの胸倉を掴んで引き寄せた。
「いいか、お前、今の件を恋次に……いや、誰かに欠片でも話したら……」
いつの間に手にしたのか、姐さんの手には大きな鋏が握られていた。
シャキーン、という不吉な甲高い音が、その鋏から発せられる。
「生まれてきた事を後悔する事になるぞ?」
ひいいいいいいいいいいっ!!!!!
「す、すいませんでしたああっ!!決して、決して誰にも申しませんっ!!って言うより、何も覚えていません!!この数十分の記憶がありませんっ!僕は一体何をしていたんでしょうっ!?」
「……貴様の仕置きは後できっちりしてやる」
「ヒイイイ!!」
「ん?どうしたんだよ、ルキア、コン?」
「何でもない。気にするな、一護」
必要以上の力を込められて、オレの魂魄は阿散井恋次の身体から叩き出され、ヌイグルミの中へと収まった。その途端、俺の身体は姐さんの手に掴まれ、不吉な「シャキーン」という音が耳元で何度もこだまする。
「……バラバラに引き裂く程度ではこの怒りは治まらぬ。……覚悟しておけよ」
「さ、さようなら、姐さんッ!一護が待ってるから行きますっ!」
オレは必死にもがいて姐さんの手から抜け出すと、一護の待つ玄関へと脱兎の如く逃げ出した。
「こら、外走ったら誰かに見られんだろーがっ!」
一護の声を背中に受けながら、オレは必死に姐さんの家から逃げ出していた。
耳元には「シャキーン」というあの音がこびりついて離れなかった……。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ルキアはソファの上に横たわる恋次の身体を見下ろすと、どかっとその頭を殴りつけた。
「大体貴様がいつまでたっても何もしないからこういう事になるのだ、莫迦者ッ!!」
しばらく「甲斐性無し、鈍感、阿呆、莫迦、間抜、不能っ!!」と有らん限りの悪態をつきながらルキアは恋次の頬を引張り、叩き、どつき回し、10分ほど虐待を続けたルキアは流石に疲れて抱えていた恋次の頭をソファに放り出した。
恋次の義骸はただ静かに横たわっている。
「……全く、いつまで待たせるのだ、この莫迦……」
小さく溜息と共に呟いて。
ルキアはそっと恋次の唇に唇を重ねた。
「ルキアー、帰ったぜっ!」
虚を退治し、それがまた追加給金のいい虚で、恋次はほくほくと家に入ると、「一護が身体持って来てくれたんだってな?」と能天気に尋ねた。
「……そこにあるぞ」
ルキアの示す先にある自分の義骸が、何となく傷ついているような気がしたが、まさかと思いするっと中へと戻る。
「いてててててっ!!」
「如何した?」
「なんだか体中が痛ぇ!!なんだ、俺の身体に一体何が?!」
「……私が憂さ晴らしに使わせてもらったのだ」
「な、何だとぉ!?」
叫んだ恋次はルキアのギロッという視線に思わずたじろぎ、「な、何でもない」と首を振った。
怒りのオーラに身を包んだルキアに、「俺、何かしたっけ?」と慌てて自らを省みつつ、「俺、実は物凄くルキアに嫌われてんのか、こんなボコボコにされるぐれぇに」と地の底まで気分が沈んでいく恋次だった。
……ルキアの待機は当分続く。
恋次受難(笑)
何もしてないのに……いや何もしないから怒られてるのか!
この話は空座高校3年在籍くらいと思ってください。
流石に2年あればルキアも知識はついてるだろう、と言う事で!
2005.3.5 司城 さくら