どんなことも厭わなかった。
 辛いことなど何もなかった―――そう、あの過酷な状況の中でさえ。
 一瞬も気の休まる事が無かったこの十年、
 何度も生命を堕としかけたこの十年間を、
 それでも俺は笑って幸せだったと断言できるだろう。


 何故ならその時間全てが、

 お前に近づいているその証だったのだから。





STAY WITH ME 外伝 U-8.5




 









 お前の約束を果たす、そのためにする苦労は決して苦労ではなく
 お前に近づく、そのために必要な罪悪は罪悪ではなく
 例えこの身が傷付いても、例え誰かを傷付けても、
 己の血を流しても他人の血を流しても、心が揺らぐことは決してなかった。


 この世に大切なのはお前だけ。
 この手で護るべきはお前だけ。

 
 お前との約束を叶えるため。
 お前の笑顔を取り戻すため。
 血を吐き。
 地を這い。
 それでも笑って立ち上がる。
 何度も、何度も。
 何度でも。




 『きっと迎えに来てね―――ずっと、待ってる……』



 それが約束―――それが誓い。
 それだけがこの狂った世界で自分を支える。










 お前を迎えに行く。


















 キット迎エニ来テ。


 キット迎エニ行ク。


 
 












 『 き っ と 迎 え に ―――』

























 けれど、それは既に遅く―――その約束を果たすことは永遠になく。
 あの時、手を放してしまったあの時に―――全ては手遅れだったのだ、と。
 今更気付いても―――もう遅い。
 お前は居ない。
 約束を果たすべきお前は、十年前のあの時に、既にこの世から―――消えていた。




 『記憶を消した。―――“ルキア”の記憶は、何も無い』




 けれど、と。
 だけど、と。
 信じていた。
 記憶が失われても、決して自分たちの絆が切れることは無いと。
 初めて出逢ったときのあの感覚、
 初めて出逢ったときのあの歓喜を、
 『見つけた』というあの想いを忘れることは無いだろう、と。
 一度失ったとしても、もう一度出逢えば必ず俺たちは惹かれあう―――そう、確信していた。





 それが、単なる思い込みだと―――自分に都合のいい夢だと、現実を―――突きつけられる。







 二度目に目にした『光』は、―――他の男のためにその身を輝かせていた。
 目映い照明の中、それ以上の美しさで光り輝き、その紫の瞳は目の前の男だけを見つめ―――
 その男にごく自然な仕草で甘え、頼り、その身を預け、崇拝と憧れと愛情を込めてその男だけを見つめていた、その姿。
 見ていることが出来なかった。
 蒼褪め直ぐにその会場を後にした―――平静で居られるはずもなかった。
 何故、あんな潤んだ瞳であの男を見つめるのか。
 何故、全てを委ねるように身を任せていたのか。
 何故、―――僅かも俺に気付くことがないのか―――。


 身を焦がすほどの灼熱。
 心が凍るほどの焦燥。
 ルキアは―――俺のルキアではないのか―――と。




 何度も自問し、何度も自答した。
 そんな筈は無い。
 ルキアが他の男を愛することなど、
 ルキアが自分を忘れてしまうことなど、
 ルキアがルキアでなくなってしまったなど、
 そんな筈は無い、と。 
 己に言い聞かせるように、
 何度も、何度も、何度も、何度も……




 
 もう一度、その紫色の瞳を見つめ、
 もう一度、その体温を確かめ、
 もう一度、その名前を呼んで―――
 もう一度、お前を取り戻すために。
 そして、二度とお前を離さないように。




 
 
 

 見つめ合った暁の色の瞳も、
 抱きしめた華奢な身体から伝わる温度も、
 珊瑚色の唇から零れる音色も、
 触れた唇の甘さも、
 全て、昔のまま―――
 
 ただひとつ。
 心を除いて。




 『私の兄様を。あの美しい人を。私の―――愛する人を、私の存在する意味の全てを』




 心は―――想いは、遠く。
 自分の知る「ルキア」は、今は、もう…… 





『兄様を傷つけようとする者は―――私の敵だ』






 ―――ルキア。
 ずっと一緒にいると誓った。
 いつまでも傍にいると誓った。
 離れないと誓った。
 そのお前が、
 ―――お前が、見えない。



 姿は同じ。
 声も、仕草も。
 けれど、心が、想いが違う。
 正視―――出来ない。
 同じ姿と声、それなのに
 「ルキア」とは違う―――自分の「ルキア」とは。
 その存在を受け入れられない―――正視できない。
 















 
 『迎えに行く―――必ず』


 
 その言葉を支えに―――生きてきた。
 けれど。
 今。
 迎えに来た、今。
 お前は、もう、ここには―――どこにも。
 

 







 存在しない。

 





  
 










 ずっと一緒にいる。
 その誓いを護る。
 お前が居る場所がこの世界では無いというのなら、
 お前の居る場所まで必ず行くから。
 現世にお前がいないというのなら、
 このうつし世に意味は無い。




 

 恐れるものは何も無い。 
 失うものも何も無い。
 其処が何処でも構わない。
 其処が果てでも構わない。
 


 ―――お前の世界へ俺を連れて行ってくれ。
      

 

 



2007.5.4