初めてその人を見た印象は「紅」だった。
ただその人の髪の色が鮮やかな紅い色だったという理由ならば、誰もがそう印象を持つだろう。何の特異性もない。
ただ僕がその人を「紅」だと思ったのは、その髪の色ではなく―――
その、強さだった。
力。
意思。
想い。
まるで燃え盛る焔のように、激しく強く、何かを欲して荒れ狂う圧倒的な想い。
行く手を遮る邪魔なもの全てを、その焔で焼き尽くしていく程の圧倒的な想い。
―――僕のいる場所には子供が多い。
年の頃は6歳から18歳。
全て身寄りのない子供たちばかりだ―――そして、全て何かしらの能力を持っている子供たちばかりだ。
そういった子供たちが集められ、日夜叩き込まれる様々な事象―――それは全てひとつの事柄に向かっている。
つまり。
「阿散井家の時期当主」―――それを決めるため。
僕らは各地から集められた、「阿散井の嫡男候補」だった。
「阿散井」―――その名は、ここ数十年で大きくなった男の名前だ。
そこそこの力と知名度で続いてきた「阿散井」の名を一気に高めたのが―――現当主の「阿散井武流」。
穏やかな笑顔に隠された果断な実行力、苛烈な気性、容赦ない性質、そして強烈なカリスマ性。
一代で阿散井の名前を世界へ名だたるものへと成長させた稀有な、現在55歳になるその男には、―――生殖能力がなかった。
自分の力で育て上げた「阿散井」という存在を娘のように思っていた武流は、この娘に見合う男の育成を決める。
「阿散井」に相応しい男を。
何のしがらみもない孤児たち、様々な能力の片鱗を見せる孤児たちを全国から集めさせ、彼は徹底的に「教育」した。
この国には孤児など有り余っている。
そして孤児たちは、大抵不幸な環境に身を置いていた―――いつか必ずここから出て行く、と強く思う子供たちに、この阿散井の申し出は魅力だっただろう。
その先にある更なる苛烈な状況を想像せずに。
そう、この施設は―――「阿散井」私設の教育機関は、衣食住、全て完全に整えられていた。孤児院などとは比べ物にならない程。豪華ではないが実用的な、季節に合ったたくさんの衣類。量も栄養も充分にある食事。金をかけた住居。孤児院に比べれば天国ともいえるその施設には、だが―――決定的に違う点がひとつあった。
周り全ての人間が、自分の敵だということだ。
阿散井の後継者の椅子はたった一つ―――そこに座るためには、他の者達全てを蹴落とさなければならない。
そしてここでは、それが黙認されていた。
自分にとって目障りな存在を、実力で排除する―――そう、その手で生命を絶つことさえ、黙認されていた。
それが、周到な計画で実行されたものだったのならば。
完璧に計画し、完全に実行しえたのならば、それは実行者にとって「ポイント」になる。
逆に粗末な計画や、発作的に犯した襲撃は、逆に「ペナルティ」となった。
管理者が求めているのは、「君臨者」。
完璧な頭脳、実行力、行動力、思考力、統率性、カリスマ性、知識才能技術……全て「ポイント」が割り振られている。
日々の生活の中で、それらは加算若しくは減算されていく。
そしてポイントが零になった者たちの運命は―――
はっきりと知っているものはいない。ただ、彼らが二度と姿を見せなくなったのは確かだ。そして誰もが、彼らの行く末を身を持って知ることのないよう、日々自分を高め、他人を蹴落とすことに必死だった。
そんな、いわば選ばれた子供たちの集団の中、僕はいつも下位にいる。
元々僕がこの施設に入ったのは、兄がこの施設に迎い入れられたからだった。兄がこの施設に入る際、弟の僕も一緒に入ることを条件としたのだ。
兄は―――弟の僕から見ても、とても優秀な人だった。知識も豊富で、実行力もあり、統率性もあった。
ただひとつだけ―――
兄は、優しすぎた。
この、周りの人間は全て敵、という環境にあってさえ―――兄は優しすぎたのだ。
人を疑う事無く、何度もその点を注意した僕をたしなめ、そして兄は―――死んだ。
研修中の事故、と表向きにはなっている。
けれど―――本当は、兄の資質を恐れた仲間の誰かの仕業だという事を、僕は確信している。
そして僕は一人、兄の能力などには足元にも及ばない些細な特技だけを頼りに、僕は極力目立つことのないよう―――息を潜めて生きている。
ここで目立つことは、即ち死へと近付くということだ。
そんなこの世界に―――その人は現れた。
歳は僕より少し上のようだ。その日、経営学の授業の前に教師に連れられてやってきた紅い髪のその人は名前を、という教師の声に「……恋次」とだけ応えた。
僕らには皆、姓はない。姓はここに入るときに捨てることになっている。僕らの中で今後姓を持てるのはたった一人だ。……阿散井、という姓を。
恋次、と名乗ったその人の声を聞くことは殆どなかった。授業は途中から入った彼にはまだ理解できなかっただろう。それほど高度な勉強を僕たちはしていたし、それについてこられるか、それに追いつけるかも自身の努力になっていた。質問をすれば教師達は答えてくれる。が、教師たちは自ら動こうとはしない。遅れて入ってきた子供に、率先して過去の授業内容を教えることはない。
子供自らの力で、生き残るしかない世界なのだ。
最初、「恋次」は全く内容についてこられなかった。特殊な授業内容―――何処の世界に「経営学」や「帝王学」を子供に教える学校があるだろう―――に、教師の言う単語ひとつ理解していなかっただろう。それが―――僅か一ヵ月後には、明らかに授業の内容を把握し、それ以上の知識をつけ、半年後には、毎月行われる実力テストの上位成績者に名前を連ねるようになっていた。
「恋次」はいつも何かを読んでいる。僅かな時間さえ惜しんでいるように、彼はひたすら勉学に集中していた。そして聞くところによると―――阿散井武流、僕たちは会うことすら殆どないこの世界の神に直訴して―――格闘技能の授業も個人的に受けているらしい。
僕たちの目指す場所は「阿散井」の頂点だ。
その頂点に、言葉通りの「力」、腕力など必要はない。
僕たちに必要なのは、その「力」を従えるだけの能力知力統率力だけだ。
キング自ら戦場の前線で剣を振るう必要などない。それは兵士に「闘え」と、そう命じればいいことだ。
けれど―――「恋次」はそれをしない。
自分の身を護るためなのだろうか。
夜の間に受けているらしいその特別授業の所為で、身体のいたるところに傷を作り痣を作り、そして昼間はひたすら本を読んでいる。
そんな彼が、目の敵にされるのは―――そう時間はかからなかった。
けれど彼は、影で仕掛けられるあらゆる攻撃を、全て撃退して行った。
何があったかも、彼の口から語られる事はない。ただ、前日まで彼を忌々しげに睨み付けていた瞳が、次の日には一転して恐怖を宿した視線で見つめるようになった者たちを僕は何度も、数え切れぬほどの回数を見て、きた。
「紙に、誰か一人の名前を書きなさい。君にとって大事な人の名前を一人だけ」
幾分緊張をはらんだ教師の声は、恐らく一番後ろでこの授業を見守っている阿散井武流の所為だろう。
珍しく僕たちの「成果」を見に来た僕たちの主は、後ろで穏やかな顔で、興味深そうに授業を見守っている。
僕たちは異を唱える事無く、目の前の紙に名前を書く。さらさらと紙の上を走る鉛筆の音だけが、静かな教室に響いた。
僕は少し考えて、兄の名前を書いた。それ以外に、大事な人などいない人生だったから。
「―――では。君の目の前に、二つの部屋がある。ひとつの部屋に、今君が紙に書いた大事な人、一人だけが居る。そしてもうひとつの部屋には、君の部下が十人、閉じ込められている。どちらの部屋にも爆弾が仕掛けられており、解除する方法はひとつ、君の目の前にあるスイッチだけだ。そう、解除出来るのはどちらかひとつ。―――ここで質問だ。君は、どちらのスイッチを解除する?―――部下の方を解除するものは、手を」
僕は手を上げた。
この問題は、自分の私欲を抑えることができるかの問題だろう。自分の大切な者ひとりと、自分の仕事に役立つ者十人。自分の感情を置き、「阿散井」の役に立つ人間を残すのが、この施設の者たちが求める、頂点に立つものの行動だろう。
周りを見れば、全員が手を上げていた―――いや、たった一人。
紅い髪の―――
「恋次くんは―――紙に書いた人を、助けるのですか」
返事はなく、その人はただ頷いただけだった。周りから失笑が漏れる―――こいつは質問の本質をわかっていない、と。
「何故君は、そちらを選んだのかな?」
教師の声が、忌々しさを帯びる―――彼一人の所為で、自分の指導が行き届いていないと、阿散井武流に思われるのが不本意だったのだろう。
「他の奴等は如何でもいい」
初めて―――彼の声を聞いた気がした。
「だが―――君の部下ですよ。君の仕事を助ける……」
「そんな状況に陥った能無しの部下なんざ死んでもかまわねーよ」
絶句する教師を無視して、彼は言う。
「大事なものはたったひとつ。それ以外のものに―――価値はねえよ」
拍手が―――背後から。
皆が、そちらを見る―――教師さえ、驚愕の色を浮かべて。
阿散井武流が―――笑っていた。
拍手と笑顔。
そして僕たちは―――それこそが、「阿散井武流」の欲していた答えだったのだと、知った。
そして、あの日。
僕の運命を変えた、あの日。
僕は、目の前に倒れ付した兄の敵―――事故を装い兄をこの世から消したと哂いながら僕に告げたその男を容赦なく叩き潰した、目の前に立つ紅い髪のこの人に―――付いて行くことに決めた。
その日からずっと―――僕は恋次さんに付き従っている。
「―――如何でしたか」
「ああ―――一目だけだけどな」
「もう少し居ればよかったのに」
「あれ以上居れば、後々面倒になるからな。まだ―――公にはできねえだろう」
「そうですね、まだ色々動かねばならないことがありますから」
僕は既に僕の一部となっているパソコンのキーボードを叩く。画面の文字をスクロールして、次の予定を表示した。
「このまま向かいます。着替えは、向こうについてから」
「ああ。―――次に俺が行けそうなのはいつだ?」
「そうですね―――三月後、ですか」
「……そうか」
「申し訳ございません」
「お前が謝ることはねえだろ。今日だってお前が無理矢理時間作ってくれたんだしな。それに招待状も―――どうやって手に入れた?」
「それぐらい出来なければ、あなたの右腕と言ってもらえる資格はないですよ。―――・・様の招待状を譲り受けました。ただ、その見返りとして明後日、会談と恐らく―――要求があると思います。そちらは既に内々に承諾すると私から伝え、招待状を手にしたのですが。事後承諾で申し訳ございません」
「ああ、かまわねーよ。・・?どーせ欲しがってるのはあの入札権だろ?別にその程度のこと、影響はねえ」
「はい、ではそのように」
「悪ぃな、理吉」
「謝る必要はありません。私は貴方の部下なんですから。―――ところで、『光』様のご様子は?」
「お前も―――いつまでも覚えてんなよ、それ」
憮然とする主を見て、僕は笑う。
あの時、主が紙に書いた「たった一つの大切なもの」。
―――そこには『光』と書かれていた。
ひかり、ひかる―――それが男か女かもわからないけれど。
「―――すぐにわかった」
何処か遠くを眺めるような瞳で、主は言う。
「ようやく―――ここまで来た」
胸の中の『光』に向けて、主は呟く。
「約束を―――果たす。待っていろ―――もう直ぐだ」
初めて会ったときと変わらない強さで―――変わらない強さの、意思、想い、力で。
たった一つの大切なもの、それに向かって主は囁く。
僕は主の想いを妨げることのないよう、パソコンの電源を落とす。
暗い車内の中、主の目は行き交う車の光をただじっと―――静かに、見つめていた。
突発(笑)
うちの恋次の側近は理吉です。
U章はルキアサイドなので、恋次サイドの補足は外伝で書いて行きますー。
U-4.5は、U章の4話の間に入る話という意味でございます。
そのまんまですみません(笑)
2007.4.17 司城 さくら