殺してやりたい、と思った。
 ただ一瞥で、ただの一瞬で私を支配したあの男を。
 私を無視し私の存在を認めることのないあの男を。
 殺してやりたい、と。
 強く強く、心からそう―――思った。
 否。
 それは願望ではなく―――



 明確な、殺意。





 


 
 時は戻らない。
 記憶は消すことが出来ない。
 それはあまりにも紅く赤く鮮烈に私の心に焼き付いて離れない。
 一目見ただけで惹かれたのは、一目見ただけで私を支配したあの男の所為。

 何をしても、
 何処にいても、
 私の心はあの男に支配されている。
 
 冷たい瞳に傷付き、
 冷たい仕打ちに傷付き、
 冷たい心に傷付き、
 冷たい言葉に傷付き、
 それでも私の心はあの男に支配されている。
 如何しようもなく。
 引き寄せられる。
 

 如何して出逢ってしまったのだろう。
 あの日、あの時出逢わなければ、こんなにも苦しい想いはしないですんだのに。
 けれど、私は出逢ってしまった。
 そして、私は惹かれてしまった。
 だから、私は自分が許せない。


 私の名前、私の血、私の両親、私の自尊心、私の過去、私の未来、そして―――私の兄。
 この想いはその全てを裏切る禁忌の想い。
『阿散井』―――その名は忌むべきもの。
 


 私の目の前で他の女を抱いていたあの男。
 私を無視し、その上私に見せ付ける為に行われたあの行為。
 私に触れた唇が他の女の唇を塞ぎ、私の名前を囁いた声が他の女の名前を呼び、私を見つめた紅い瞳が他の女を熱く見つめ―――
 私は嫉妬の焔に身を焦がす。
 何よりも許すことの出来なかったのは、その行為。
 私以外の女を抱く、その行為が―――何よりも、許せなかった。




 他の誰をも見つめることが出来ぬよう、あの紅い瞳を潰してしまいたい。
 他の誰にも愛を囁くことができぬよう、あの舌を切り取ってしまいたい。 
 他の誰にも触れることが出来ないよう、あの両腕を切り落としてやろう。
 他の誰にも心奪われることのないよう、あの男の生命を絶ってしまおう。




 それは、明確な、殺意。




 私のものにならないというのなら、あの男の全てを消してしまおう。そう、あの男に出逢う前に時を戻そう、あの男を殺してしまえばきっと昔に戻れるはず。兄様だけを愛し世界には兄様しか存在しない、兄様のことだけを考えていたあの時に戻ろう、そのためにはあの男を殺してしまうしかない。そうすればきっと戻れるはず。私の心も解放される。そしてあの男を殺してあの男の全ては私一人のもの。あの赤い瞳は私だけを見つめて。あの男の生命の失った身体を私は抱こう。光の失ったあの赤い瞳に愛を囁こう。初めて見た時からお前を愛していた。如何しようもなく心惹かれた。愛してるよ、阿散井恋次。名前なんて如何でもいいこと。朽木の名前も如何でもいい。他の何も関係ない。兄様さえもう如何でもいい。何故なら私はお前に出逢ってしまったから。好きだよ、恋次。愛してる。お前の紅い色、紅い瞳、紅い髪、紅い血を愛してる。お前の血はきっと暖かい。冷え切った私の心を暖めてくれるだろう。その血を啜って、お前は私の身体の中に新たな生を受ける。そうして私たちはずっと永遠に一緒に。お前は私の中でいつまでも私を抱きしめてくれるだろう。お前は永遠に私だけのもの。他の誰にも渡さない。生命の無いお前の身体を抱きしめて口付けてもう二度と離さない。終わらない夢、永遠の悪夢、覚めない夢、至福の世界。二人きりの世界、私はお前だけのもの。お前は私だけのもの。


















「では行ってらっしゃいませ、ルキアさま」
「お前もな、花太郎。怪我はせぬように気をつけろよ」
 花太郎に頷くと、それを合図に車は緩やかにスタートした。
 いつまでも車を見送る花太郎にそれ以上視線を向けることなく、ルキアは車のシートにゆったりと身を預ける。
 いつもならば花太郎のいる助手席に、今日は代わりのSPが座っていた。その男に向かって、ルキアは感情の籠らない、常から命令しなれた者だけが出せる声音で命じる。
「本日は委員会がある故普段よりも帰宅が遅くなる。迎えの車は6時に寄越せ」
「はい、畏まりました」
「会議は少し長引くかもしれん。6時を過ぎるかも知れぬが、お前達は校門の外で待機。決して校内に入ってくるなよ。目立つのは私の本意ではない」
「はい、承知いたしました」
「以上だ」
「はい、ルキアさま」
 ルキアは腕にはめた時計に視線を走らせる。
 午前7時55分。
 今日という日が始まる。
 ―――邪魔な花太郎は排除した。
 センターへ行きたいという願い、校内で感じる恐怖感。
 それを兄に伝えれば、必ず花太郎は兄の命令でセンターへ行くことになるだろうとわかっていた。
 私の盾、幼いときから私を護る為に存在する花太郎。
 ―――すまぬな、花太郎。
 唇に薄く笑みを浮かべ、ルキアは軽く目を閉じた。
  






 六時間目の授業が終わり、生徒達がざわざわと帰宅の用意をする中、ルキアは鞄をロッカーへと放り込み鍵を掛けた。
 壁の時計へ視線を走らせる―――午後3時20分。
 ルキアは真直ぐに校門へ向かうと、外に出たところでタクシーを拾った。







「―――ルキアさま?」
 掛けられた声に、ゆっくりとルキアは振り返った。その視線の先に、黒い服を手にした店員が立っている。
「如何致しましたか。何かとても―――楽しそうですが」
「ああ。とても楽しい。この後のことを考えると―――楽しみだな」
 くすくすと無邪気に笑うルキアに店員は微笑み、「それはこの服を着て逢いに行く人と関係あるのですか?」と手にした服を広げて見せた。
「如何でしょう。ルキアさまのご希望に沿っていると思うのですが」
『私を一番綺麗に見せる服を選んでくれ』
 制服のまま、そして珍しく一人で店に現れたルキアは、そう店員に注文した。それは初めて店員がルキアに会った時の状況に良く似ている。
 そしてその時と同じ、店員が完全にルキアの希望に沿う服を持ってきたことも、数ヶ月前の状況とよく似ていた。
「申し分ない。ああ、それとこの服に合う鞄と靴も持って来てくれ。このまま此処で着替えていく」  
 服を身体に当て、楽しそうにルキアは一回転して見せた。黒いスカートがひらりと舞う。
「楽しみだ―――あの男に逢えるのが」
 時刻は午後4時48分。







 気に入りの店で気に入りの店員が見立てた服を着て、ルキアはタクシーでその店に乗りつけた。
 六本木の『…………』。蔦の絡まる意匠の小さな看板。煉瓦造りの重厚な雰囲気。
 タクシーを降りてから店に行くまでの間に見つけた塵捨て場に、制服の入った邪魔な袋を放り投げた。
 開店したばかりのその店の、重い扉をルキアは躊躇い無く開けて足を踏み入れる。
 必ずいるとは限らない。
 けれどルキアは確信していた。
 そして、その確信に過たず、奥のボックス席に座る紅い影。
 ルキアの顔に笑みが浮かぶ。
 奥へと進む。
 男の横には、先日とは別の女がふたり、先日の女と同じように男に絡み付いている。
 その女を無視し、ルキアは男の前に立つ。
 誰もが振り返る美しい姿、ルキアは大人びた仕種で髪をかき上げ―――「久しぶりだな」と笑った。


「取引だ、阿散井恋次」


 挑むように言い放つルキアに、恋次が顔を上げた。
 恋次の視線がルキアの視線に重ね合わされる。
 二人の視線が絡み合う―――熱く、激しく―――想いを込めて。
 憎悪、という名の激しい感情。
「―――は」
 面白そうに笑う恋次に、ルキアも笑顔を返した。
「面白え、聞いてやるよ」
 縋る女たちを邪険に振り払い、恋次は席を立つ―――車のキーを手にし、先に立って歩き出す。
 その背中をみながら、ルキアはゆっくりと歩き出した。
 ―――今日でこの男の支配は終わる。
 私はこれで自由になれる。
 この狂った世界に終止符を。
 楽し気にルキアは笑う。
  その笑みは何処か―――狂気に彩られ。


―――時刻は午後6時5分。












第U章 「ルキア」   終






第U章、「ルキア」終了ですー。
この次からは第V章になりますですよ。
「恋次」「ルキア」とそれぞれの章が来て、今度は「ふたり」の章です。いよいよ裏シーン突入ですよ。
なるべく早くアップしたいと思いますですよ。うふ。

今のところ予定では、X章で終わるのではないかと思います。
まだ半分も行って無いのか!(笑)
このペースで更新できたらいいな。
STAYは私の頭の中で細部まで展開が出来上がってますので、他の話に比べて書くスピードは早いです。

日記にも書きましたが、ここ最近のSTAY更新で頂く感想は「恋次切ない」と「恋次のバカ」の二種に分かれております(笑)まあそれが狙いだったのですけど。恋次を酷い男に書きたかったんですが、よくよく考えると、「自分のもの」のルキアがいなくなって「他人のもの」のルキアがいる事に耐えられないんですね。いわば振られた男の八つ当たりみたいな?(笑)

ヘ、ヘタレだ……!!!(爆笑)

そのヘタレ具合をヘタレに感じさせないようカッコよく恋次を書きたいと思います。


本当はこの続き(裏シーン)も完成させてからアップしようと思ったのですが、丁度U章が終わってきりがいいのでとりあえずアップしました。
近いうちにV章スタートいたしますので、また見に来てくださると嬉しいです!

それではまた数日後にv(多分)


2007.5.19  司城さくら