腹を殴られ意識を失った恋次は、荷物のように車のトランクに押し込まれた。
車の発進する振動で意識を取り戻した恋次は、暗い闇の中で自分の身体を動かしてみる。
殴られた腹部は鈍い痛みを恋次に伝えているが、内臓にダメージはないようだった、捻り上げられた腕も、骨に以上は無いようできちんと動く。
一筋の明かりすら入らない完全な闇の中、恋次は先程聞いた、檜佐木の話を思い出す。
―――記憶が……無い、だと?
過去の記憶が何もかも。
二人で過ごした時間の全てを。
やっと逢えた、見つけた、という想い。
抱き合って眠った互いの体温も、
毎夜歌ったあの歌も、
夜明けのあの静謐な光も。
金の光に包まれて、初めて交わした口づけも。
ずっと一緒にいると誓った言葉も。
迎えに行く、と言った約束も。
―――恋次、大好き。
そう言って笑った自分の全てを。
ルキアは―――消されてしまったのか。
車は静かにスピードを落とし、恋次のいるトランクに突然光が入り込んだ。漆黒から光の中へ突然世界が変わった所為で、眩しさに目が見えなくなっている恋次の腕を誰かが掴んで、あっさりと持ち上げると乱暴に放り投げた。受身を取る余裕も無く、全身をコンクリートに打ち付けて、恋次は思わず声を漏らした。
瞼を開けた恋次の目は、ようやく辺りの光に慣れて、周囲の景色が見て取れる。
そこは、薄汚れた場所だった。
恋次には馴染み深い、ルキアに出逢うまで自分が暮らしていた世界と同じ、日の当たらない場所。犯罪者たちが集まる、裏の世界。
「頼んだぞ」
感情の篭らない、聞き覚えのない声がする。視線を後ろに向けると、黒服の男が一人、札束を地面に投げた所だった。
「確実に殺せ」
その背後には誰もいない。檜佐木はどうやら、次の仕事とやらに向かったらしい。多忙なこったな、と恋次は笑う。
まだ、全てを諦めてはいなかった。
恋次はルキアに約束したのだ。
必ず迎えに行くと。
車の遠ざかる音と共に、恋次の身体は再び乱暴に起こされた。
「なーにしたんだよ、小僧?」
年の頃は18歳くらいだろう、一見してその少年は他人に暴力を振るう事を是として生きている生活をしている者の目だった。そして、それと同じ目を持った同じ位の歳の男が、3人。
4人の男が、恋次を見下ろしている。
「森本さんを怒らせるなんてな、馬鹿な餓鬼だぜ全く」
自分の頭上で交わされる会話のその一文で、恋次の頭は冷静にこの状況を判断する。
―――あのSP個人の名前がでたという事は、こいつらは朽木に直接繋がる奴らじゃない。
確かに、朽木は表向きは大企業なのだ、高々子供一人の生命を奪う為に、朽木の傘下の者が直接手を下す必要もないだろう。万が一でも、朽木という名前が表に出てはいけないのだ。故に、自分のように取るに足らない生命を奪うには、金で適当なチンピラに殺させるのが手っ取り早い上に後腐れもない。成程、全く理にかなっている、と恋次は笑う。
「さっさとやっちまおうぜ」
「ああ、久しぶりに豪遊だ」
森本の投げつけた札束を手にして男達は笑う。その凶暴な笑みを、恋次は乾いた瞳で見つめていた。
4人の男達の手に、ナイフが光る。
―――なってねえな、全く。
持ち方も構え方も、恋次にしてみれば全く無駄だらけ、非効率的なナイフの扱い方としてしか映らない。
随分俺も舐められたもんだな、と恋次は苦笑した。
けれど、相手は4人。簡単にこの場から逃れられるとは、さすがに恋次も思えなかった。
それでも、生き残る。
約束したのだから。
必ず迎えに行くと。
男の一人が、恋次に向かってナイフを突き出した―――走ってくる。その動きは、恋次には緩慢なものにしか見えない。
狙いは、肩―――男達はどうやら、一息に殺すよりも嬲り殺しにする方を選んだらしい。
それが自分達の寿命を縮めるとも思わずに。
狙う場所を相手に悟られたら意味はないと、誰かに教わらなかったのだろうか、と冷めた思いで切先を見つめながら、逆に恋次は自ら男の懐に飛び込んだ。
獲物が自ら向かってくる事など今までになかったのだろう、一瞬戸惑うように男の動きが止まる。
恋次は躊躇なく男の両目に指を突き立てた。
人間のものとは思えない絶叫が、ビルの裏手の薄暗い路地に反響する。
そう、こんな狭い場所で一人を襲うとしたのもこいつらの頭の悪さを露呈している。4人という圧倒的な数の優位を、この狭い場所では全く使えないのが、何故わからないのか。
両目を潰されて倒れる直前に、恋次の手は男の手の中のナイフを掬い上げた。そのまま、地面で痛みにのた打ち回る男を無視して、残る三人に相対する。
忘れていた感覚が甦る。
ルキアと逢って、もう二度と犯さないと誓った己の罪。
誓いを破る。
新たな誓いの為に。
―――お前を迎えに行く。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
向かってくる男の、隙だらけのその首に、銀の光を一閃させた。
同時に後ろに飛び退る。
男は、自分の首から吹き出る赤いものが、最初何なのかわからないようだった。不思議そうにその赤い噴水を眺め、次いで、必死に、正に文字通り止めなければ必ず死に至るその赤い奔流を、両手で押さえてとめようとし―――そのまま絶命した。
恋次の目の前を彩る赤い色。
あの、冬の夜明け、ルキアと共に見つめた美しい色とは違う、赤い色。
『綺麗な赤』
ルキアの声が聞こえる。
もう一人、奇声を発しながら恋次に向かってくる男の首に、再びナイフを振るう。
ナイフは刺すよりも切り裂く方が向いているのだ。刺してしまえば、筋肉の収縮でナイフが身体から抜けなくなってしまう。故に、切り裂け。一撃で仕留めるならば、首を狙え。頚動脈を掻き切れば、大の男でも直ぐに事切れる。その時は噴出する血に気をつけろ―――手に吹きかかれば、血で滑ってナイフを握れなくなるぞ。
闇の知識、闇の技能。
それを存分に使い、恋次はその目に冷酷な光を宿し、感情もなく、無造作に人の生命を、人生をその手で絶っていく。
夥しい血が、薄汚れた路地を赤く紅く装飾していく。
『キレイな赤もあるでしょ?まだたくさんあるよ、キレイな赤』
その声は―――遠く、遠く。
果てしなく遠く、手の届かない場所へ。
一瞬にして三人を戦闘不能にした恋次に恐怖を感じ、最後の一人は何かを喚きながら、背中を向けて逃げ出した。縺れる足を必死に動かして、路地の奥、出口に向かって走っていく。
男は必死で走った。ここから逃げなければ殺される。ただの子供じゃない、あれは。
―――悪魔だ。血の色の。赤い悪魔。人間じゃない。
混乱した思考の中で、男は背後に人の気配を感じて反射的に振り向いた。
瞳も赤い。
その赤い目が、何かを映している。
それが恐怖に強張った自分の姿だと気付いた瞬間、男は自分の視界が赤く染まっていくのに気付いた。
絶叫―――したつもりだったが、ぱっくりと開いた喉は、ひゅうひゅうと空気の音を漏らしただけだった。
『ルキアね、恋次の髪の赤色、好きだよ。―――恋次の瞳の赤い色が好き』
三人の男の赤い血にその身を染め、恋次は振り返った。背後にもう一人、両目を押さえて泣き叫んでいる男がいる。
ゆっくりと近付き、恋次は真直ぐに心臓の上にその刃を埋め込んだ。
男の声は直ぐに聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれる。
『恋次が好きだよ』
必ずお前を迎えに行く。
その為ならば、お前に辿り着けるのならば、自分がどんなに汚れても構わない。
ぱんぱん、と乾いた音が恋次の耳に響いた。
ばっとその方向に恋次は向き直る。
今の今まで、全く人の気配は感じなかったのだ。
人の気配を探る技術に長けた自分が、全くそこに人がいるとは気付かなかった。
足元に転がる男の胸に足をかけ、その胸に突き刺さったままのナイフを、恋次は力任せに引き抜いた。そのまま、現れた男に向かってナイフを構える。
男は相変わらず、ぱんぱん、と両手を叩いて恋次に近付いてきた。そのまま、三人の男達の死体を通り過ぎ、恋次の足元に転がる死体に動じる事無く、恋次の目の前3メートルでその足を止めた。
「……殺し合いを隠れて見物か。随分素敵な性格してるじゃねーか、おっさん」
男は50台半ばだろうか、背は高く、仕立てのいいスーツを着ていた。一見、柔和と言っていい顔をしている。穏やかに恋次を見つめる瞳には紛れもない知性と、力強さが同時に宿っていた。
「隠れていたのは確かだが、笑ってはいなかったのだがね。今笑っているのは、君をこうして見出す事ができた私の幸運にだよ」
男の言葉に恋次は何も答えず、僅かに眉を跳ね上げただけだった。睨みつける視線の強さは変わらない。
「あんた、この後どうするつもりだ?もし人を呼ぶような気があるんなら、あんたもそこで倒れている男と同じ運命を辿る事になるんだけどな」
ちらりと足元の死体に目を落として、恋次は再び男の表情を見守った。この凄惨な状況の中、男はどういった神経か、いまだに笑みを浮かべている。
「君こそこの後どうする気だね?君がこの場にいる全員を殺したのは―――両目を潰されて抵抗できないそこの可愛そうな少年の止めを刺したのは、君が生きている事を誰にも知られたくない所為だろう?それが、この場にあるのは4人の死体、そして君の死体はこの場になかったら―――檜佐木修兵は、君が生きていると知るんじゃないかな?」
男の口から檜佐木の名前が出て、恋次は途端に身構えた。その身から発する殺気が強くなる。
「私を殺す気かね?そうしたら君は、檜佐木修兵―――朽木白哉との唯一の繋がりを自らの手で絶つことになるが、構わんかね?」
「……何者だ、あんた」
「挨拶が送れて申し訳ない。私の名は阿散井武流という」
「阿散井……」
ぴくっと恋次の体が反応した。
檜佐木の情報を手にした時、あの情報屋の男は何と言っていたか。
『今、朽木白哉も檜佐木修兵も、どちらのガードも強くなっている。』
檜佐木の情報を手にし、恋次が踵を返し檜佐木の元へと向かおうとした時に、最後教えられたその情報。
『最近、西日本を纏めた男が居るのを知っているか―――今まで、朽木に逆らうなど考える奴などいなかったこの世界で、初めて楯突こうと考えた男。そして驚いた事に、それが出来るだけの力を付けた男。金も、表の顔も、朽木と匹敵するだけの力を付けた男が居るのを知っているか?』
知らねえ、と首を振る恋次に、男が告げた名は。
―――阿散井武流。
『そいつがいよいよ、東―――朽木の勢力圏に手を伸ばし始めた。本気で争うつもりらしい。だから今、朽木と檜佐木の周りには厳重なガードが付いてるんだ。お前なんかがどうこうできる相手じゃねえ、やめておけ』
確かにそう言っていた。
恋次の様子に、阿散井は己の名前の持つ意味を恋次が知っていると見て取り、もう一度「どうする気だね?」と肩をすくめた。
「―――何で、俺が朽木白哉との繋がりが欲しいと考えてると思ったんだ」
「駐車場で見ていたんだよ。君が檜佐木を襲うところ、健闘空しく捕まるところをね。私の今日の予定は、かの有名な朽木白哉の右腕、檜佐木修兵を直に見るだけだったから、そのまま帰っても良かったんだがね……君が気になったので、後をつけてきた」
自分どころか、檜佐木にすら気配を感じさせなかった、目の前の飄々とした男の底知れぬ力に、恋次は我知らず冷たい汗が背中に流れ落ちるのを感じた。
「ひとつ、提案があるのだが」
にこやかに、阿散井武流は言う。
「私のところに来ないかね?」
恋次は答えない。
それを気にする様子もなく、穏やかに阿散井は話し続ける。
「私はまあ、かなり大きな財力と力とを持つようになってね―――そう、朽木という存在に喧嘩を売れるほどね。けれど哀しいかな、私は朽木の当主ほど若くはない。そして残念な事に、私には子を作る能力がないのだよ―――だから、私は私の作り上げたこの『阿散井』というコンツェルン、それ自体が私の子供だと思っている。そしてそれを任せる、私の最愛の娘を娶ってもらう有能な男を捜している。つまり―――私の跡を継ぐべき男を」
恋次は黙り込んだままだ。
「かといって勘違いしないで欲しいのだが、君をすぐに後継者にするつもりはない。私は、君と同じような、素質があると見込んだ子供達を何十人も見つけ、私の元で教育させている。その何十人の候補の内の一人として、君に声をかけただけだ。君が私の跡を継げるかどうかはわからない。それが何時になるかもね。ただ、もし後継者と認められれば―――君は上流階級の一員だ、表向きはね。裏の世界にもその名と顔は知れ渡る。社交界にも出入りできるだろう。そしてそこには朽木一族の者も出入りするだろうね、間違いなく」
恋次の顔が上げられた。
―――もう、答えは決まっているのだ、最初から。
「どうすればあんたの跡を継げる?」
「自分の力で、他の候補者を捻じ伏せろ」
そこは、力の世界―――その場で命を落としても、私は何の関知もしない。お前にその力がなかっただけのことだ。
それでも構わないか、と尋ねる阿散井に、恋次は「構わねえよ」と返した。
「交渉成立だな」
では早速、お前と同じ年頃の、お前と同じ背格好の、同じ髪の色、同じ瞳の色の子供の死体を調達しよう、と事も無げに話す阿散井の言葉を、恋次は聞いていなかった。
―――どんな苦労も構わない。
いや、それは苦労ではないのだ。
お前に辿り着く経過の全てのもの、それは紛れもなく俺にとっての幸福。
ひとつ進むたび毎に、お前への距離が一歩縮まる。
俺の唯一、お前の側に。
必ずお前を取り戻す。
第T章 「恋次」 終
はい、STAY 第T章「恋次」、終了しましたー!
うー、書いてて楽しいです。話を繋げていくのが面白い。ちょっとずつ「BLEACH」にかぶっている所とか作るのが楽しいです。
第T章は物語のプロローグ的なものなので(にしては長い)、U章「ルキア」から話が進みますー。大人になってるからね、二人とも。恋次はちゃんと「阿散井恋次」だし。
因みに年齢設定は、T章ではルキア6歳、恋次9歳、白哉21歳、修兵23歳です。白哉は19歳で檜佐木の言う「あの方」を亡くしています。で、U章は10年後、ルキア16歳、恋次19歳、白哉31歳(!)修兵33歳(!!)です。うわあ(笑)
阿散井武流さんのモデルは宝塚家の旦那様(笑)コンチの相克。
そしていよいよU章、裏に置いた本領発揮、ようやくえっちシーンが書けるー。
そして「STAY」の原作者の亞兎さまが、BLEACHサイトを諸事情で閉鎖されましたので、亞兎さまの許可を頂いて、「STAY」の亞兎さまバージョンを置かせて頂くことになりましたv
この先の展開もわかりますよー。
ぜひ一緒にお楽しみください!イラストも素敵だっ!!
では、次は―――U章の前の「幕間」でお会いいたしましょうv
2006.6.17 司城さくら