殺してやりたい、と思った。
 ただ一瞥で、ただの一瞬で私を支配したあの男を。
 いや、それは願望ではなく―――明確な、殺意。

 

 そう、ただ一瞬あの男と見交わした視線それだけで、私の心も身体も私自身の制御を受け付けず、私の制止も聞かずに暴走を始めた。
 止まらない、止められない。
 全てがあの男に引き寄せられる。
 名前すら知らないあの男、ただ雑踏の中偶然視線が合っただけのあの男、周りに派手な女達を引き連れて、それでも瞳は乾いて空虚な空気を纏っていたあの男に。
 引き寄せられる。
 如何し様もなく。


 ―――知らなければ良かったのに。
 あの男の存在を、あの男の姿を。
 ―――知りたくなかった。
 あの男の名前を、あの男の背負ったものを。



 私が向けた視線の先、意思に反して引き寄せらるその視線の行方を知った、兄様の部下は私に言った。
 吐き捨てるように、憎しみを込めて。
「ルキア様が目に入れる価値などない男ですよ」
 あの男を知っているのか、私は尋ねた。
 聞かなければ良かったのに。
 知らなければ良かったのに。
 そうすれば私はただ、名も知らぬ男に自らの心を奪われたと、自らの自尊心と戦う事だけですんだのに。
 あの男は、と兄様の側近、その信頼の厚さから私の傍仕えを命じられた彼は言った。

「あの男は、阿散井の所の嫡男ですよ―――白哉さまに逆らう、莫迦で愚かで野蛮な新興勢力、成り上がりの野卑な、あの阿散井の家の―――恋次、とかいう名前の」


 ――― 阿 散 井 。

 
 その名前は勿論知っている―――焼き付いている。
 父様を襲った、父様の命を奪った賊が所属していた―――『阿散井』。
 跡を継いだ白哉兄様の生命を狙う―――『阿散井』。


 その、御曹司。


 出逢いは偶然。
 それは間違いない。
 心を奪われたのは?
 それは―――?


 父様の仇、兄様の敵。
 私の身体を流れる朽木の血、それがある限り裏切る事など出来るはずもない。
 けれど身体が、思考が、心が、視線が、全てがあの男を求めて猛り狂う。


 ああ、いっそ……狂ってしまえば楽なのだろう。


 行き場のない想い。
 開放される事のない想い。


 狂ってしまえ。
 何も考えられなくなって、
 あの男を、
 傷つけて、
 苦しめて、
 血を流して、
 殺して―――……!


 そうすればこの苦しみも終わる。
 私の存在すら知らぬであろうあの男、それでも私を支配するあの男の生命を奪ったのならば。
 私はあの男の支配から解き放たれる。


 この手で、あの男の血を流し、その生命を、私の手で、そうすればあの男は―――




 『私の物だ』




 自分が微笑んでいる事に愕然とした。
 ああ―――私は。
 ようやく気付く。
 私はあの男の生命が欲しい訳ではなく、
 私はあの男の支配から解かれたいのではなく、
 あの男の全てが欲しいのだ。
 それでは、生命を奪う事さえ無意味。
 私はあの男を殺しても、
 私はあの男に囚われたままだろう。
 永遠に―――あの視線から逃げられない。
 心も身体も魅了されたまま、呪縛されたまま、あの男の作る檻から逃れられない―――永遠に、永劫に、永久に。



 ならば――――。



 お前のその手で、私の身体を引き裂いて。
 何も考えられなくなる程、
 傷つけて、
 苦しめて、
 堕落させて、
 血を流して、何もかもを破壊して、私の全てを消滅させて。

 どうか、貴方のその手で――――

 



          私  ヲ  殺  シ  テ  。





 なんと甘美で、なんと狂おしい誘惑。
 お前のその手が私の身体を引き千切り、
 お前のその手が私の血で塗れ染まり、
 お前のその手が私の呼吸を止める。
 私は最後の瞬間まで、お前の瞳を見つめていよう。
 想う事は許されない、存在する事等許されないこの想いを、お前への想いを―――永遠にしよう。 
 






 
 
「容易く罠に堕ちるものだな、阿散井恋次」



 身体に残る熱。
 自ら生命を絶つ前に、どうしても手に入れたかったお前の熱。
 名前を隠しお前に近づき、素性を隠してお前に抱かれた。
 私の身体からお前の余韻が消える前に、私は此処から消え果る。
 ―――お前の手で。
 鞄の中に隠した黒い銃。兄様が護身用にと持たせてくれた小振りの、狂気に支配された私の黒い凶器。
 それをゆっくりと突きつける。
 微笑みながら。
 私は告げる。


「では、死んでもらう」



 どうか、貴方のその手で、私を殺して―――。









2005年6月18日、日記にアップしたもの。STAY初書き。
この時は設定は知らず、亞兎の「STAY WITH ME」1(STAY部屋に展示中)を見て、そのルキアサイドで書いたものです。
この2ヵ月後から連載スタート。
今書いてるものと設定変えた部分がありますけど、はやくここに辿りつきたいです。