―――雪は嫌いだ。
 今にも降りだしそうな曇天を見上げてルキアは無意識に胸を押さえた。
 雪を見ると、何故だかとても胸が苦しくなる。ざわざわと揺れて震えて、心の平安が保てない。
 だから、ルキアは雪が嫌いだった。
 じっと空を見上げるルキアを不審に思ったのだろう、従者が「ルキア様?」と声をかける。それに向かって何でもないと頷き、ルキアは止めていた足を再び動かした。
 ルキアが歩を進める度、髪に挿した薄紫の花簪が、透き通った音を奏でる。
 その花簪は、ルキアの着物と対になる特注品だ。ルキアの瞳の色に合わせて仕立てられたその着物の、肌に触れる極上の絹、滑らかなその肌触りに、ルキアは頭上の空のような溜息をつく。
 元々華美なものには興味が無い。実用的なものを好むので、仕事着である死覇装を身に着けている方が気楽だった。しかし朽木家と並び賞される四楓院家程ではないが、それなりの格式のある貴族の家に、しかも仕事で忙しい兄である朽木家当主の名代として招待を受けたというのであれば、それに相応しい格好をしなければならない事は勿論承知している。
 貴族のしきたり。
 貴族のたしなみ。
 貴族の心得。
 貴族の、貴族の、貴族の―――
「―――今更言っても詮無い事だな」
 自嘲気味に呟いた言葉は、従者の耳に入ってしまったようだ。それが人の多さに輿が入れず、招待先の貴族の家まで徒歩で行くという事への不満と受け取ったのだろう、従者である青年はルキアの前に頭を垂れる。
「申し訳ございません、これ以上輿が入れず―――」
「構わぬ、私は元々輿というものは嫌いだ。歩いた方が余程いい」
 背筋を伸ばし、ルキアは前を見据えて歩く。
 優雅な足の運びに、花簪がしゃらりと揺れる。
 すれ違う人々が、一様にルキアを見るために視線を止める―――それはいつもの事なので、ルキアも気には留めなかった。
 「朽木」という名は、それ程ここ瀞霊廷では特別なのだ。
 そこの養女―――しかも流魂街出、それも戌吊出身の、という枕詞が付けば、人々の興味は嫌が応にも増す。それは養女に入ったその時から思い知った事だった。
 『朽木家の名に恥じぬ様』
 『朽木家の名に相応しく』
 何度も何度も繰り返される呪文。
 その呪文に雁字搦めにされている、自分。
 けれど、その道を選んだのは紛れもない、自分自身なのだ。
 他の誰でもなく。
 故にこれは、間違いなく自分への―――咎。
 もう一度空を見上げ、如何してか泣きそうになり、せり上がる想いに唇を噛み締め視線を前に戻したその時に―――
 ルキアは、自分を見詰める二対の瞳に気が付いた。




 どくん、と鼓動が大きく響いた。
 自分の瞳に、一瞬怯えに似たものが横切ったであろう事は解っていた。
 こんなに間近で会うのは、―――あの時以来だ。

 


『あの時の言葉は―――本気じゃなかった』
『私にはもう、近付かぬが良い。それが互いの為だ―――あまりにお前と私では住む世界が違う』
『最早こうして二人で逢うこともないだろう』
『―――では、息災でな』
『―――阿散井殿』


 
 恐らく恋次の脳裏にも、その最後に対峙した数年前の、ルキアの言葉が甦っているだろう。 
 あの、微笑みながら冷たく恋次を拒絶した自分の言葉を。 



「―――ルキア様?」
 再びの従者の訝る呼びかけに、ルキアは我に返った。
 従者も、恋次たちの視線には気付いているのだろう、ルキアと見比べて不審気な表情を浮かべている。
「お知り合いですか?十三番隊の方―――では、ないですね」
 探るようなその視線に、ルキアはいつもの、貴族の仮面を被る。表情だけで微笑みながら、鷹揚に頷いた。
「ああ、真央霊術院時代の―――学友だ」
 さらりと口にした言葉には、身体の震えは影響されていなかった。