開け放した中央救護詰所の窓から爽やかな風が入り込み、その風は白哉の髪を柔らかく撫でて行った。
窓の外は眩しいほどの陽の光で満ち溢れ、穏やかな空気が満ちている。
つい数日前の混乱を思い出し、その時とは比べ物にならない程の平和なその風景を、白哉はベッドの上に上体を起こして見つめている。
混沌から穏やかな凪へ……それは外の空気だけではなく、白哉の心の内も同じなのかもしれない。
想いに耽る白哉の耳に、控えめに扉を叩く音がする。次いで開けられた扉の向こうに、
「ルキア」
「起こしてしまいましたか」
心配気に問いかけるルキアへ白哉は「いや」と答えると、ルキアはほっとしたように笑みを浮かべた。
「もう、起きて大丈夫なのですね」
嬉しそうに言うルキアへ、白哉はただ頷いただけだった。
以前ならばその言葉の少ない白哉に、それだけで萎縮し緊張し視線を足元に落としてしまうルキアだったが、今では気にする様子もなく、笑みを浮かべて白哉の病室の整理を始めた。
あの時、あの双極の丘で、市丸ギンがその斬魄刀で破壊したものは、この兄妹の心の壁なのかもしれない。
「お前はもう大丈夫なのか」
「はい、私は……何処も怪我しておりませぬ故」
白哉の横の椅子に腰を下ろし、ルキアは兄を見つめた。
この怪我は自分を庇い負った傷なのだ。
「ありがとうございます……兄様」
白哉はその言葉には何も答えない。
元々返事を期待していたわけでもないのだろう、ルキアも特に気にした様子はなかった。
そうして、二人は静かな時の中、時々言葉を交わし、穏やかに同じ時を共有する。
暫く後、白哉は「十三番隊へは行ったのか」とルキアに尋ねた。
「はい、浮竹隊長が当分は兄様についているようにと仰ってくださいました」
お前もゆっくり休めよ、とにこりと笑って浮竹はルキアの頭を撫でた。よく頑張ったな、と最後にそう言って、13人居た隊長が3人抜けたこの混乱を収めるために動き回っている。
「六番隊は、恋……阿散井副隊長が纏めているようです。六番隊は混乱も少なく、被害も比較的少ないと聞いております」
「そうか」
恋次も重症だったはずだが、元々体力がある所為か、どうやら重傷者の中で真先に回復し、現場に復帰しているらしい。白哉の意識が戻ったのはつい二日前の事なので、その間、恋次は自分ひとりの手腕で六番隊を修復したのだろう。
白哉の口元に、微かに笑みが浮かんだ。
「……昨日頼んだものだが……」
「あ、はい。……これでよろしいでしょうか」
ルキアは自分の鞄から、昨日白哉に屋敷から持って来るように言われた、小さな5センチ四方の薄い入れ物を取り出した。それを白哉へ差し出すと、白哉は頷いて受け取った。
「手数をかけた」
「いえ。他に何か入用のものはございますか」
「そうだな……では、花を」
何色の、と聞かなくても勿論ルキアにはわかった。頷いて「では今お持ちいたします」と立ち上がる。
「いや、明日で良い。今日はそのまま帰れ」
「ですが……」
「お前もまだ霊力が戻っていないだろう。あまり無理をするな」
その白哉の言葉に、ルキアは素直に「はい」と頷くと、礼をして静かに部屋を出て行った。
再び病室は静寂に包まれる。
白哉は手の中の薄い入れ物に目を落とした。
その蓋に指で触れる。
「―――そろそろ、あれを護る役目を、あ奴に譲ろうと思う」
白哉はまるで傍らに誰か居るように話しかける。
その声は穏やかで、優しく。
「私が望む以上に―――あ奴は証明して見せたのだから」
相手を忘れても尚、惹かれあう。
何度でもめぐりあい恋に落ちる。
「お前との約束も果たした―――私は、これでようやくお前との想い出だけに生きられる」
白い指先が蓋を開けると、その中に、薄紅色の金属片が二つ並んでいる。
白哉はその二つを取り出し、同時にぱきりと折り曲げた。
その瞬間、薄紅の光は二度三度明滅し―――やがて静かにその輝きを失った。
『ありがとうございます―――白哉さま』
微かに、けれど確かに聞こえた懐かしいその声に、白哉の顔に笑みが浮かび―――そして、万感の想いを込めて、愛しさを言葉に代えて、白哉は宙へ手を差し伸べ、その名を呼ぶ。
「緋真」
優しい風が、白哉の身体を包み込んだ。
白哉の病室を出て、朽木邸へと帰る道を歩いていたルキアの足が不意に止まった。
雷に打たれたように、その身体は硬直し立ち竦む。
一気に流れ込むその記憶の奔流に呆然と虚空を見つめ、
そして次の瞬間、ルキアは走り出した。
何処。
何処にいる。
脇目も振らずに走るルキアの姿を、すれ違う者たちは驚いたように振り返る。
そんな周りの景色も目に入らず、ルキアはただその姿を求めて走り続けた。
荒い息を無視して、痛む身体を無視して、縺れる足を無視して、ただひたすら走り続ける。
微かに感じた霊圧を頼りに、隊舎を抜け、住宅地を走り、流魂街に近いその場所へ向かって走る。
勢い良く流れていく景色は、建物が消え緑の色を濃くしていく。
風が流れる。
その風に柔らかな下草が揺れ、樹々の梢は枝を揺らし、その枝に咲いた白い花の花弁を振り撒いていく。
誰もいない。
ただひとりを除いて。
その霊圧が近付く。
懐かしい、愛しい気配。
お前の腕に抱かれ逃げていたあの時、この胸に感じた既視感は、思い違いではなく……私は。
―――ずっと昔から、ただひとり、お前だけを愛していた。
「――――恋次!――――」
泣きながら叫んだその声は、恋次のルキアを呼ぶ声に重なった。
まだその姿は遠い―――けれど確かに二人の視線が、全てを思い出した二人の瞳が相手の姿を捉えていた。
刹那の永遠―――永久の一瞬。
そのまま飛び込んだルキアの身体を、恋次の腕がしっかりと受け止めた。
名前を呼ぶことしか出来ず、あとの想いは声にならず、ルキアはただ恋次の腕の中で泣き続け、恋次は何も言わずにただルキアの身体を抱きしめる。
その二人の上に、風が舞い散らせた白い花弁が、まるで雪のようにいつまでもいつまでも降りそそいでいた。
fin
……という訳で。
奥様劇場、完結です。
このシリーズ(とおこがましくも言ってみる)を書き始める時に、話の流れとこのラストは考えていました。原作でのあの二人の距離は、如何見ても疎遠でしたから。
けれど想いが通じ合った二人が書きたい。昼ドラ並みに(笑)色々あった後、無事想いが通じ合い、愛し合う二人が書きたい。けれど原作はそんな雰囲気ではない。
で、思い出したアイテムが「記憶置換」。ルキアが現世で織姫とたつきに使ってた奴ですね。うわー便利なものがあるじゃん!と(笑)
問題は記憶「置換」であって「消去」じゃないのですが、兄様の財力ならより高度な商品の開発を個人的に依頼も出来るでしょう、ということで。兄様はマユリ様に開発を依頼して、マユリ様は見事に完成させてくださいました。
余談ですが、この記憶消去装置は、雨竜ネムパラレルの「 In intense rain 」の後書きにある「この話はある話と僅かにリンクする部分があるので」という記述の部分なんです。「ある話」とはこの奥様劇場最終話の事なんですねー。この「In intense rain」の冒頭、ネムは記憶を失ってますが、それは同じ装置でマユリ様に雨竜の記憶を消されちゃってるんですね。とネタばれ。続き書けよ自分(笑)
記憶喪失は少女マンガの王道なのです。記憶がなくても惹かれあう、という所に燃えます。ベタなんですが。乙女展開ですよね!(と同意を求める)
最初考えていたのは、記憶を消して終了、でした。だからこの「奥様劇場」自体のラストは「問答無用のハッピーエンド」ではなかったんです。「微妙なハッピーエンド」といった感じで。最後から2ページ目の、ルキアが指輪を見つけて「これはなんだろう」と不思議がるところでお仕舞いのはずでした。(余談その2:この指輪は奥様劇場番外編「Secret Love」に出てきたリングです。皆さん覚えていてくださいましたでしょうか…)
だから拍手やメールやBBSで「最後はハッピーエンドですよね?」と聞かれて困りました(笑)「心から君を愛す」をアップした後も感想で「二人が幸せになって嬉しい!」とたくさん頂いて、「うわあこの後の展開に怒られるかもなあ」と内心びびってました(笑)
まあ、この「記憶を失って終了」を考えたのは、まだ本誌が尸魂界の真最中、どう決着がつくのかわからない状態だった時なのでそうするしかなかったのですが、無事尸魂界編が終わった今ではその先の事を考えることも出来るようになりましたので、記憶が戻るところも足しました。これで完全なハッピーエンドですね!
この話を書いて、いろんな方にこの話の絵を頂いて、とても嬉しかったです。私の書いたものからイメージしてイラストを描いていただけるなんて、こんなに嬉しいことはありません。
そして感想もたくさん頂きました。このサイトで一番多いのがこの奥様劇場の感想です。私の勝手な妄想話なんですが、楽しんでいただけたようでとても嬉しいです!
これで奥様劇場本編はお仕舞いです。第一話「mind forest」は2004年9月17日UP。第9話「心から君を愛す」が2005年6月2日。奥様劇場自体は6ヶ月間の間だけの短い話だったのですが(番外編のデートが全部冬の間だけだということに気付いていらっしゃったでしょうか。作中には必ず「冬」という単語が出てきてます)連載はこんなに長くなってしまいました。
その間、応援してくださった皆様、読んでくださった皆様には心から感謝しております。
長い間、本当にありがとうございました。
2006.5.31 司城さくら
…次は奥様劇場外伝で白哉と緋真ですー(笑)