樹々の葉に遮られた日の光がちらちらと揺れる。
 その下を通り過ぎる風は涼やかに、緑の季節を謳っていた。生命に満ち溢れた世界は、すべてを美しく輝かせている。
 十三番隊、雨乾堂近くの林の中―――輝く世界の中、ひとり蒼褪めたルキアは、よろめく足を踏みしめ歩いていた。
 心許ないその足の運びが、大きく張り出た木の根にかかり、ぐらりと小さな身体が傾いだ。咄嗟に前へと出した手が樹の幹に触れ、ルキアは転倒を免れる。―――けれどそのまま動くことはなく、ルキアはぐったりとその背中を樹の幹に預ける。
 仰ぎ見る空は、緑の葉の向こう、透き通るような青さが拡がっている。遠く広く、突き抜ける清廉さでルキアの目に映っている美しい空。
 その空から視線を逸らし、ルキアは足元に目を落とした。
 視界に入る自分の手に気付き、そのまま目の高さまで上げ―――その両手で顔を覆う。
 嗚咽は零れなかった。
 身体が震えることもなかった。
 けれど、その全身から―――ルキアの苦悩が感じ取れる。
 苦悩、絶望、恐怖、後悔―――両手で顔を覆い、まるでその行為が悪夢のような現実から逃れられる術だと信じ、ルキアは必死に目を閉じる。
 けれど、どんなに現実から目を背けても―――どんなに耳を塞いでも。

『―――ルキア』

 嘲るような低い声―――全てを縛り付ける呪縛の声。
 自分を支配する男の声が、消えることはない。
 身体中に刻まれた所有の証―――隷属の証、その紅い花が消えることはない。
 独りになれる場所を探してさ迷い歩いた林の中で、ルキアはそれでも雁字搦めに縛られている。
 耳に残る声、身体に残る刻印、目に焼きついた自分を見下ろす顔、抑え付けられる重み、引き裂かれる痛み―――心に刻まれた、疵。
「う―――」
 何度も繰り返された―――その、行為。
 何度も繰り返される………その、痛み。
 涙は出ない。
 想い出す必要さえない、身体中に刻まれた記憶。瞬時に甦る悪夢。一度ではない、何度も繰り返される目覚めない夢。もがき苦しみ、悲鳴を上げ、許しを請い、涙を流し懇願し―――
 それでも許されず、残酷に笑いながら見下ろす紅い瞳。
「―――ルキアさん?」
 はっと顔を上げた目の前に、自分を心配そうに見つめる姿に気付き、ルキアは息を呑んだ。咄嗟に言葉が出ない。今の自分は誰にも見られたくなかった―――こんな、弱さを剥き出しにしている自分の姿は。
 案の定、ルキアの蒼褪めた顔を見てしまったのだろう、相手の表情が動揺したものへと変わる―――駆け寄ってくる足音。身体に吊り合う軽い足音―――自分を所有する男とは正反対の少年。
「……花、太郎」
「如何したんですか―――真青ですよ?」
 花太郎の手がルキアへと伸びる。少女のように細い手―――柔らかなその手が身体に触れて、反射的にルキアはその手から逃れようと身を捻る。
 けれどふらついた身体は逃れることも出来ずに、花太郎の手に支えられ―――その、あまりにも自分を組み伏せた男の手とは違う感覚に、逆にルキアの脳裏に男の手の感触を強く思い起こさせる。
「気分が悪いんですか―――直ぐ四番隊へ、いや、僕が治癒の術を……」
「大丈夫……だ。ただの貧血……休めば治る、から」
 あまりにも近い花太郎の身体をさり気なく遠ざけながら、ルキアは切れ切れにそう言った。声が震えることを隠す事は出来ない。その様子を如何取ったのか、花太郎はゆっくりとルキアを背後の樹に寄りかからせ、ルキアの前から一歩身を遠ざける。
「……大丈夫には、見えませんよ」
 花太郎の声に、微かに責める響きを感じ取りながら、それでもルキアは何も言わない。言える筈もないのだ―――欠片さえも。
 無言のルキアに、花太郎は諦めたように首を振る。せめてルキアの顔色が戻るまで傍に居ると決めたのだろう、立ち去る様子も見せずにルキアから僅かに離れ、小さく溜息を吐くのが見て取れた。
「浮竹隊長に……お会いするのだろう。私はいいから、浮竹隊長の処へ……」
「浮竹隊長にはお薬をお渡しするだけです。こんな真青な朽木さんを置いて行けませんよ」
 薬だってそう切羽詰ったものじゃないんです、と続けた後、花太郎は暫く躊躇う様子を見せ、やがて思い切ったように「ルキアさん」とルキアを呼んだ。
「何が―――あったんですか」
 瞬間、びくりと身を震わせるルキアに、花太郎は表情を変える―――ルキアがこんな様子を見せるとは、口にした花太郎さえ予想出来なかった。
「貴女がこんな風になるなんて―――一体何があったんですか、ルキアさん」
「何が?―――何も、何も……何も」
「僕はそんなに頼り無いですか―――僕は、僕だって、貴女を護―――」
 不意にルキアの耳から花太郎の言葉が消えた。
 顔を上げたルキアの顔から、更に血の気が引く―――愕然と見開いたルキアの表情を、自分の言葉に興奮した花太郎は気付かない。 
 ルキアの真正面、離れた場所に―――
 恋次が居た。
 口元に笑みを浮かべ……その背を樹の幹に預け、真直ぐにルキアを見つめている。
 息が止まる……冷たい汗が背中を伝い落ちる。
 細かく震える身体を必死に隠し、ルキアは恋次の視線に射竦められ動けない。
 ふ、と恋次が哂った。
 その目がゆっくりと細められる。モノを見るように、酷薄な光を浮かべたその視線をルキアは知っている―――何度も見ている。
 自分の頭上で、何度も見て……いた。
 自分を押さえつけ、犯しながら見下ろす恋次の瞳―――それと同じ紅い瞳。
 細めた瞳―――笑みを浮かべた唇を、紅い舌が濡らした。
 

 




 自分の耳に入る細い声が自分の悲鳴だとも気付かない。
 強制的に濡らされたその場所は、既に何度も男を迎い入れて、猥褻な水音を響かせている。
『―――もう、やめ……』
 矜持も理性も自尊心も、全てを破壊されたルキアは、ただ懇願するしか術はなく―――そして恋次はその懇願こそを引き出す為にルキアを突き上げる。
 獣の姿勢で恋次を受け入れる、その姿が目の前の大きな姿見に映る。蹂躙される自分の姿……屈服する己の姿。
 目を背けるルキアの耳元に唇を寄せ、恋次は『見ろ』と低く短くルキアに命じた。
『お前が誰に抱かれているか―――お前を支配しているのが誰か、手前のその目で確かめろ』
 そしてルキアは―――逆らえない。
 涙をこぼしながら、突き入れられる刺激に喘ぎ声を洩らし、苦痛と快感に歪む自分の顔を見せつけられる。
『は……ぁっ!』
 荒々しく掴まれる胸に、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声をあげ―――気絶するまで繰り返される夜毎の悪夢。





 恋次の舌がゆっくりと腕を舐める。
 視線はルキアに固定したまま、その口元には笑みを浮かべたまま―――ルキアに見えるように掲げられた自分の腕を、恋次はゆっくりと舐め上げる。
 息を呑むルキアの表情が、離れた恋次の目にもはっきりと映っただろう。更に笑みを深くして、恋次は腕から舌を離した。
 く、と人差し指と中指を立て、その指にねっとりと舌を絡ませる。
 

『 ル キ ア 』

 耳元に囁く恋次の声が聞こえる―――甘く低く、冷たい……滴る毒を含んだ声。
 紅い視線に絡み取られる。
 身体中が震え出す……恐怖に、若しくは……躾けられた身体の条件反射か。
 恋次の舌が、指を舐める。視線をルキアに固定したまま、嘲るように微笑みながら。
 その視線は、ルキアの身体を透かし見ているのだろう。
 夜毎犯すルキアの身体を思い浮かべているのだろう。
 ルキアの身体を隅々まで蹂躙したその舌で、その瞳で……恋次はルキアを支配する。
 絡みつく視線に身体が震える……吐く息も荒く熱くなる。熱に浮かされたように何も考えられなくなっていき……
 ルキアはよろめいた。


 視 線 に ……犯さ、れる。

 








「ルキアさ―――」
 突然倒れそうになったルキアを抱きとめようと伸ばした花太郎の手よりも早く―――ルキアの身体を支えるその手に、花太郎は目を見開いた。
「大丈夫か、ルキア」
 声をかけるその低い声に、花太郎は胸の痛みを隠すように目を伏せる。
「阿散井、さん……」
「悪かったな、山田。こいつ見ててくれたんだな?」
 感謝の表情を浮かべる恋次を真正面から見ることが出来なくて、花太郎は視線を彷徨わせる。ルキアの傍にいつも居る幼馴染―――否、恐らくそれ以上の存在。瀞霊廷の誰もが、この二人の特別な絆を知っている。
 その事実を知りながら、それでも花太郎はルキアに想いを寄せていた。
 その想いを吐露している場面に現れた恋次を、花太郎は真直ぐに見ることが出来ない。
「朝から調子が悪かったのに、無理して仕事に来るもんだから―――心配して様子見に来りゃやっぱりこの様だ。しょうがねえな―――ありがとうな、山田。ルキアは俺が送ってくからよ」
 恋次の態度は普段と変わらない―――花太郎の声は聞こえていなかったのだろう。それに安堵し、花太郎は無理に笑顔を作り「わかりました」と頷いた。
「ルキアさん、あまり無理しちゃ駄目ですよ。今日は阿散井さんに送ってもらって、ゆっくり休んでくださいね」
 ぺこりと二人に頭を下げる花太郎の目に、蒼褪めたルキアの表情は映らない。
 くるりと背中を向け、走り去る花太郎を引きとめようと―――この場に恋次と二人で取り残される恐怖に怯え、何とか花太郎を呼び止めようと「花太―――」と声を上げたルキアの口が、背後からゆっくりと塞がれた。
 花太郎は何も気づかずに走っていく。
 塞がれた口に、ずるりと指が侵入する。立ち竦むルキアの口内に指を差し入れ、その舌を弄びながら、恋次は背後からルキアの耳に優しく囁く。
「呼び止めて―――如何する気だ?」
 ルキアの身体が震え出す。
 かたかたと身を震わせるルキアの口を右手で塞ぎ、指で口内を侵し、声で精神を―――冒していく。
「あの小僧を呼び止めて―――如何する気だったんだ?ルキア―――助けてもらうつもりだったのか?この―――悪夢から」
 恋次の手が、ゆっくりと下がっていく―――首に触れ、絞めるように両手を回す。
 恐怖に身動きの出来ないルキアの耳朶を背後から甘く噛み、ルキアの首に両手を回したまま、恋次は嗤う―――悪魔のように美しく。
「……いい加減諦めの悪い奴だな、お前は」
 子供をあやす様に優しく呟き、恋次は右手を下ろした。左手一つでルキアの首を絞めたまま、恋次はルキアを幹へと押し付ける。
「感じてたんだろ?目で俺に犯されて?」
 するりと忍び込んだ恋次の右手に、身体が跳ね上がる。潤んだその部分に絶望しながら、ルキアは堅く目を瞑る―――これから始まる苦悩の時間を予感して。
 耳元に低い哂い声。
 背後から一気に突き刺さった恋次の猛りに、ルキアは悲鳴を押し殺し、目の前の幹に縋りつく。
 降り注ぐ太陽の木漏れ日の下、ルキアは再び悪夢を彷徨い始める―――。