瀞霊廷内の長い廊下を白哉に付き従って歩いていた恋次は、前方から歩いてくる十三番隊隊長の長身の背後に、片時も自分の頭の中から離れる事のない愛しい妻の姿を見つけて相好を崩した。
 相手もほぼ同時に白哉と恋次に気が付いたようで、浮竹は一瞬微妙な表情を浮かべ、ルキアは素直に喜びを表している。
「兄様、恋次」
 その嬉しそうな声に、白哉は表情を変えずに静かに頷き、恋次は満面の笑みを湛えて「おう」と応える。
「二人揃って如何した……ああ、そうか。先程招集がかかっていたな。その帰りか」
「ああ」
 浮竹の言葉に返す白哉の言葉は短い。けれどそれはいつものことなので、浮竹はさして気にする様子もなく、その後ろの恋次に「どうだい、二人の生活は」とにこりと笑いかけた。
 浮竹はルキアをずっと見守ってきた故に、大事な一人娘を嫁にやったような感情を抱いてはいるが、恋次がルキアを大切にしてくれるとわかってはいる。
「ありがとうございます、順調です」
 ルキアの上司でもあり、今までルキアを支えてくれた人でもある浮竹に、恋次も悪感情は持ってはいない。きちんと礼を尽くし頭を下げてそう答える。
 しかし直後の、
「……何処か怪我をしているのか」
 そうルキアに尋ねた白哉の言葉に、恋次と浮竹は同時に驚きの表情を浮かべてルキアを見遣った。
 ルキアは長身の男三人の視線を一斉に浴び、その真中でややうろたえて俯く。
「いえ、何処も怪我はしておりません」
「しかし足の運びがおかしい。どこか身体を庇っているように思えるが」
 その白哉の指摘に、ルキアは困ったように視線を彷徨わせた。その様子で、三人はルキアが何かを隠している事を知る。ルキアを見続けてきた三人故に、ルキアの隠し事をしている時の癖は把握しているのだ。
「如何したルキア」
「何かあったのか朽木」
 途端に過保護振りを発揮して、恋次と浮竹はルキアを取り囲み覗き込む。因みに浮竹隊長は未だにルキアを「朽木」と呼んでしまう。悪気はないのだが。
「朝は怪我なんてしてなかったじゃねーか。一体如何した?何があった?」
「何もない、本当だ」
 視線を逸らせて答えるルキアが嘘を吐いていることは、恋次にははっきりとわかる。
 心配のあまり恋次は思わずルキアの両肩を掴み、途端、ルキアは苦痛で顔を歪ませる。
「やはり怪我をしているのか、朽木!」
「いえ、あの、本当に……何処にも怪我など……」
「しかし身体を痛めているのだろう」
「兄様、それは……いえ、何処も痛めてはおりませぬ」
「でも今痛そうだったじゃねえか!何で隠すんだよ」
「別に隠してなどいない。いいからもう、本当に何でもないから」
 ルキアは必死で、視線で恋次に「もう何も言うな」と懇願してくる。その様子に、恋次はルキアが誰かに何かをされたと確信した。
 ルキアは誰かを庇っている。
 何故、怪我までさせられてその相手を庇うのか。そして何故、自分にだけでも本当の事を言えないのか。恋次はそんなルキアがもどかしく、再びルキアの肩を掴んで思わず揺さぶった。ルキアの表情が、再び痛みを耐えるものになる。その唇が小さく開かれ、苦痛の声を漏らす。
 その声に慌てて恋次は両手を離すと、ルキアは痛みの所為か、僅かに目に涙を浮かべていた。
「誰にやられた?言ってみろ、俺がそいつを……」
「お前だ、莫迦者!!」
「あ?」
「お前が昨夜、あんな……!」
 怒りのあまり、恐らく言う気もなかったその理由をつい口走るルキアに、恋次はようやくルキアの「何も言うな」という懇願の意味を理解した。
 言える筈がないのだ。
「あ、そっかそうだな……だ、大丈夫か」
 昨夜の事を思い出し、やや反省しながらそう尋ねると、言う気のなかった事を思わず口走ってしまったルキアも、昨夜を思い出し頬を染めて俯く。
「う、まあ……しばらくすれば大丈夫だ」
「悪ぃ……」  
「いや、別に……に、兄様?」
「白哉、お前っ……」
 何処から取り出したのか、斬魄刀を手にした白哉が怒りの焔を吹き上げながら恋次を見据えている。その無表情な中の怒りの凄まじさに、恋次は真青になった。
 殺される。
 今度こそ本当に殺される。
「兄様、あの、私……っ」
「お前は何も言うな、ルキア。すぐにお前を自由にしてやろう」
「白哉、落ち着け、な?いやお前の衝撃も判るが、しかし二人はもう夫婦なのだし、他人がとやかく言う問題では……」
 すらり、と斬魄刀が鞘から抜かれる。
 既に白哉は周りの者の言葉を聞く耳は持たない。
「た、隊長!瀞霊廷内は斬魄刀の所持、抜刀は禁止されてますっ、掟破る気ですか!?」
 銀の軌跡を描いて移動する斬魄刀の動きがぴたりと止まった。
 掟、という言葉に反応した白哉は、怒りの無表情からいつもの無表情へと変わっていく。
 何とか突破口を見つけようと咄嗟に恋次が口にしたこの言葉は、普段より規則を重んじている白哉には有効だったようだ。その白哉の変化を前にして、恋次は自分の機転に感心する。
 が。

「 掟 な ぞ 知 っ た 事 か ! ! 」

 ……逆上した白哉には全く意味がなかった。
「うわ、あんたがそれを言いますか!!掟だ何だって散々今まで言ってたじゃないっスか!その所為でルキア見殺しにしようとしたくせに!」
「煩い黙れ」
「白哉、落ち着け!!……阿散井君、早く行きなさい!」
「恋次、早く逃げるのだ!」
「今日という今日は完全に私とルキアの前からお前の存在を消してやる」
 凄まじい霊圧に、白哉と初めて会った時の恐怖を久々に思い出し、蒼白になりながらも恋次はルキアを抱きかかえてその場から逃げたのは、真央霊術院で離れてしまった過去の過ちを繰り返さないという彼なりの天晴れな心意気だろう。
「れ、恋次?」
「逃げるぞルキア!」
 愛の逃避行をする二人の背後で、「朽木!阿散井っ!ちょっと待て、俺一人で白哉は……」という浮竹の悲鳴が聞こえたが、勿論恋次が足を止めるはずもなく、「浮竹隊長、申し訳ございません……!」という遠ざかるルキアの声だけが、浮竹の損な役回りを慰める唯一のものだった。