「よりによってお前とか」
心底げんなりしたようなルキアの声に、恋次はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「おう、俺とお前の腐れ縁はもう運命的なものだな。まあ諦めろ、この際きっぱりと」
「何言ってんだ、朽木さんと組むはずだった奴から無理矢理……っ!」
イヅルの言葉が突然途切れたのは、恋次がさり気なくその鳩尾に自らの肘を叩き込んだからに他ならない。
悶絶するイヅルに、恋次の仕出かした無体な行動に気付かなかったルキアは驚いて「どうしたのだ?」と心配そうな顔をする。
「ん?こいつ、病気持ちなんだ。ま、大した事ねえから。ほっときゃ治るって」
涼しい顔でそう言うと、「そろそろ行こうぜ、ルキア」と恋次はイヅルを置いてルキアに先を促した。
真央霊術院での授業は、教室で受ける物の他に現世へと降りる虚討伐の実習もある。入学して既に2年が過ぎた恋次達は、彼らだけで比較的力の弱い虚討伐に出る事もあった。勿論単独行動ではなく、数人で組んで現世に降りる等、それなりに安全は考慮されている。
その力を有する者の少ない、「死神」になるためには不可欠の「霊力」には二つの力がある。斬魄刀を扱う力に優れた物と、鬼道を操る事に長けた力と。どちらか秀でた力を伸ばし、育てる事が真央霊術院の方針だった。それぞれに課題と試験があり、今日の試験はルキアの属する鬼道系の試験として行われている。
鬼道は余程の力の持ち主―――鬼道の授業では必ず出てくる名前……半ば伝説のように語られる護廷十三隊現二番隊隊長、隠密機動総司令官、刑軍統括軍団長『四楓院夜一』―――それ程の強大な力が無いと鬼道だけで虚と対峙するのは危険だ。故に鬼道を扱う者は、斬魄刀を振るう者の攻撃補助として行動する事が多い。今回の試験も、試験者一人では危険なため、斬魄刀の扱いが優れた者二人が同行する。
その組み合わせは単純にクジで決められ、恋次は運ではなく自らの力でルキアの同行者の地位を獲得した。イヅルは全くの偶然、クジの素直な結果である。
「現世定点869、南西2851地点、……っと」
慣れた様子で恋次は現世に降り立つと、目の前の建物を見上げた。
6階建ての横に大きく広がった建物は、今では通う者も無く、ただの廃墟と化している。全体的に灰色の、くすんだ雰囲気のビル。
「ここに住み付いてる虚を浄化させる事。……うげ、簡単すぎるぞ、コラ。俺の試験なんてなあ」
「そんな話は聞く耳持たん。煩い、黙れ」
「ああ?お前もしかして緊張してんのか?おいおい、一組の主席と次席が付いてるんだぜ、大船に乗った気でいろよ。因みに主席は俺だからな」
「自称だろ」
イヅルの突込みに容赦なく再び肘鉄を食らわせ、恋次は「さて」と両手を広げた。
「この試験のメインはお前だ、ルキア。お前が頑張らねーと不合格。そこをきっちり自覚しろよ?」
「一々癇に障る奴だな、お前は!」
ルキアはぷいっと横を向くと、そのままずかずかと廃墟ビルに入っていく。
「おーい、どこ行くんだよー?」
「煩いッ!黙って見ていろ、この程度の虚など私一人で充分だ!」
遠ざかる背中に怒りをはっきりと滲ませて、ルキアは暗い建物の中に一人侵入した。それへ向かって恋次は「気をつけろよー」と呑気に声をかける。
「大丈夫なのか?彼女一人で」
心配そうにルキアを見送るイヅルに、恋次は笑う。
「あいつ?ああ、問題なし、だ。あいつが言った通り、この程度の虚ならあいつ一人で楽勝だ。斬魄刀はイマイチだけどよ、鬼道の腕は学年でも―――いや、学院でもトップクラスだぜ?お前の大好きな雛森に負けず劣らず、ってやつだ」
「ぼ、僕が大好きなとか言わなくていいよ」
頬が赤く染まるイヅルの声に、大きな破裂音が被さる。次いで閃光。再び爆発音。
「始まったみてえだな。見に行こうぜ」
恋次とイヅルが辿り着く前に、あっさりと事は片付いていた。
建物は住居用ではなく会社などが入っていたようで、一部屋はスペースが大きく取られている。その一階の一番手前の部屋の中で、ルキアが立っていた。
普段よりやや速い呼吸と、僅かに上気した頬。それだけが虚と対峙した証だった。身体のどこにも、掠り傷すら付いていない。
「ふん、どうだ。お前の助けなど必要なかったぞ」
それ見た事か、と胸を張るルキアに、恋次は手をひらひらと振って見せる。
「対象の虚が弱すぎるんだよ。全然全くえばれねえ」
「……本ッ当に頭にくる男だな、お前は!」
「まあまあ、無事試験が終了したんだから、尸魂界へ帰ろうよ、ね?」
睨み合う二人の間に割って入ったイヅルは、宥めつつ建設的な意見を述べ、出口へと促した、その瞬間。
猛烈な爆音と共に壁が吹き飛んだ。
「……なっ……」
驚愕の声を漏らしたのは三人の何れか、もしくは全員か。
瞬時に戦闘態勢をとる三人の眼に映ったのは、巨大な影。
「……んだ、こいつは……っ!」
「虚だな」
「見りゃー判るよ、この莫迦!俺が言いてえのは、何でこんな所にこんな大物がいるのかって事だよ!」
「私が知るか」
気配さえ、何一つ感じさせず。霊圧を消し、恋次達に近付いて、突如現れたソレは。
咆哮した。
びりびりと空気が震え、その振動で建物が揺れる。天井から床から壁から白い埃が舞い、視界を悪化させる。
先程ルキアが消滅させた虚とは比べ物にならない巨大な力と姿を有した虚は、一気に恋次達に向かって来る。
「やっべえ!とりあえず逃げるぞ!」
「ど、何処に!?」
「ここは狭い。とりあえず広い場所に出た方がよかろう。しかし外への出口はあの虚の背後、一階には窓も無く外に出る事は難しい。即ち」
「二階から飛び降りるか屋上だな」
「その通り。お前も莫迦ではないという事か」
「煩え、とにかく走れっ!」
三人は一気にトップスピードに乗って、今虚のいる場所からは反対側の突き当りに位置する階段めがけて走り出した。
「あの虚……確か手配書で見た、有名な奴だ。特徴……なんだっけ、何か書いてあったけど……」
廊下を走りながらイヅルは呟いた。横に長い建物のこの廊下は、奥に行くまでかなりの距離がある。真中ほどにエレベーターがあったが、勿論電気が通っていないため使う事は出来ない。
きり、と爪をかじってイヅルが「何でこんなとこにいるんだ」と吐き捨てたのを聞いて、ルキアはちらりとイヅルに目を向けた。
「大方、恋次の気配にでも引き寄せられたのだろう」
「何だとぉ?」
「お前、一組の初めての魂送の実習の時も『巨大虚』を引き寄せてただろう。随分虚に好かれる体質の様だな。よかったではないか、モテモテだ」
「それを言うならそん時ゃイヅルもいたぜ?お前か?お前だな?虚に好かれる羨ましい奴は」
「絶ッ対に違うよ!って何呑気な話してるんだ、君たちはっ!」
「人間、心に余裕がないと行きてくのにキッツイぞー」
「思い詰めるとろくな事にはならんぞ、吉良殿」
二人に諭されて一瞬納得しそうになる。
「って違う!……なんて反論してる場合でもなかった、……まずいよ!」
巨大な身体に似合わず、思いがけない程のスピードで虚は近付いていた。場所は悪いが、このままここで迎え撃つしかないか、と三人が同時に思い、恋次が斬魄刀を構えて先頭に立つ。次いでイヅルがルキアを背後にして身構える。ルキアは一番奥で呪言を唱えるために精神を集中させた。
三人が向かってくる虚に、一斉に攻撃をしようとしたその瞬間、大きく虚が跳躍した。
「何だとっ!?」
その長い爪を天井に突き刺し、そのまま天井を蹴り、次の瞬間には一気に床に降り立つ。
イヅルとルキアの間に。
「ちっ!」
舌打ちしながら恋次は虚に向かう。虚は腕を大きく振り被ると、廊下に叩きつけた。
「うわあっ!」
イヅルが両腕を前に組んで衝撃から身を護る。虚が振り下ろした床は、大きく抉れ、さながら隕石が落ちたような巨大なクレーターを作り出していた。
「なんて力だよ…っ!」
毒付く恋次の目に、ルキアが映る。クレーターの向こう側、虚と共に取り残されている。
「―――逃げろ、ルキアッ!」
ルキアは階段を駆け上がった。そこしか逃げ場が無く、何処へと考える余裕も無い。目の前の虚から逃れるために前へ進む。
その小さな背中を追い、虚も階段へと移動する。
「コラ待て、手前ェッ!!」
斬魄刀を構え、追いすがる恋次に虚は長い爪を一閃させると、再び自らの足元に腕を叩きつける。今度は階段の中ほどまでが大きく崩れ、階段は破壊された。
「クソっ」
激しく損壊された階段は、恋次の背丈以上ある。その機能が完全に失われた階段を前に、恋次は焦燥の色も濃く頭上を見上げた。
既にルキアと虚の姿はない。
「ルキア……っ!!」
2階に辿り着いた時、ルキアはそのまま廊下に出て窓から飛び降りようと思ったが、虚がその道を叩き壊した。3階でも同じ様に道を破壊され、ルキアは否応無く上階に向かうしかない。
すぐ背後に虚がいるのがわかる。背中につくように併走しているのが判る。虚の生臭い息が首筋にかかっているのが解る。
―――遊ばれて、いる……
猫が鼠をいたぶる様に。直ぐにでも殺せる位置にいながら、こちらの焦燥を嘲笑っている。
それでもルキアは絶望しなかった。諦めたらそこで終わりだと、戌吊の頃から知っている。生きている限りは絶対に諦めない。
目の前に扉が現れた。屋上に出る扉。その重い扉を開けようと手を伸ばすと、背後の虚が風圧で吹き飛ばした。
『 親 切 だ ろ ? 』
人間のそれとは違う、どこか不明瞭な発音の言葉。嘲ったような、含み笑い。
ルキアは転がるように屋上へと飛び出した。間合いを計って、振り返る。
『 い い ね え 。 凄 く 好 み だ よ 、 半 人 前 の お 嬢 ち ゃ ん 』
醜悪な姿のそれは、ぼたぼたと口から涎を垂らしながらルキアを舐めるように見詰める。
『 俺 は 綺 麗 な 女 の 子 が 大 好 き な ん だ よ 。 こ ん な 姿 に な る 前 、 人 間 の 頃 か ら ず っ と な 』
ルキアは嫌悪の表情で虚を見る。この虚の源……どんな欲望を持って、虚になったのかを知って視線に鋭さが増した。
『 女 の 子 を 集 め て る ん だ 。 も う 大 分 貯 ま っ た よ 。 お 嬢 ち ゃ ん み た い な 死 神 も 沢 山 い る か ら 、 淋 し く な い よ 。 ま あ み ん な 喋 れ な い け ど 、 お 嬢 ち ゃ ん も 喋 れ な く な る か ら 大 丈 夫 だ よ な 』
にやり、と虚が哂ったのが解った。ルキアは髪をかきあげ、「生憎だが」と口を開く。
「私は面食いなのだ。私の顔が気に入ったというお前の審美眼は確かな物だが、お前は私の好みではない。諦めろ」
『 力 づ く で 虚 圏 に 連 れ て く か ら 問 題 ね え よ 』
「自分勝手な男は女に嫌われるぞ。勉強して出直して来い」
指を組んで精神を集中させる。視線は虚に固定し、気合を込める。
「―――君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、 真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ」
力が漲るのが解る。空気が流れを変える。身体に見知った感覚。指先が熱くなる。身体が燃えるように気持ちが昂ぶる。
「破道の三十三 、蒼火墜!」
焔が虚に向かって出現する。四つに分かれて出現したそれは、絡み合い、纏まって虚に襲い掛かる。
蒼い焔は、虚の体に触れ、激しく燃え上がった。
『 効 か な い よ 、 お 嬢 ち ゃ ん 』
「くっ……」
『 諦 め て こ っ ち に 来 い よ 。 俺 だ っ て お 嬢 ち ゃ ん を 傷 付 け た く な い ん だ か ら よ ? 』
身体は虚に押されるように、屋上の端まで来ていた。フェンスが無いそこはルキアの膝よりも低い。バランスを崩せばそのまま地面に落ちるだろう。この高さで落ちれば間違いなく生命は無い。
渾身の術は効かない。
恋次たちもいない。
それでも、諦めない。
ルキアは唇を噛み締める。
「ルキア!!」
直ぐ近くに声がして、ルキアは声のした方角に顔を向けた。
ここから3メートルほど離れた隣の建物の窓から、恋次が身を乗り出している。
「飛べっ!」
ルキアは躊躇うことなく空中に身を躍らせた。
ルキアの姿が見えなくなり、恋次は踵を返した。そのまま来た道を猛スピードで戻り、出口へと向かう。
「ど、何処に!?」
イヅルに返事もせず、険しい形相で恋次は駆ける。外に出て、隣のビルの入り口を叩き壊し中へと入った。階段を見つけて駆け上がる。
「こっちのビルの方が5階分高い!屋上から飛び移るのは無理だ!」
「煩えな、そんなの解ってらあっ!!」
怒鳴り返し、それでも階段を駆け上る。イヅルはその後を追いながら、「あ!」と声を上げた。
「思い出した!あの虚……!女性ばかりを狙う奴だ!もう何人も女性の死神が奴に虚圏へ連れ去られてる!あいつの狙いは最初っから朽木さんだったんだ!」
「気付くの遅えーよ、莫迦野郎っ!」
ルキアのいるビルの屋上と同じ高さと思われる階で恋次は足を止めると、大きな窓から身を乗り出した。
ルキアがいる。
虚と対峙している。
鬼道を放ったのが見えた。螺旋を描いて炎は虚へと纏い付く。
「駄目かっ!」
焔は直ぐに消えた。ルキアの身体が虚に押されるように後退さる。それは恋次のいるビルに向かっていた。
恋次は窓枠に足をかけた。身体を乗り出す恋次を見て、イヅルは蒼ざめる。
「何する気だ?!落ちたら死ぬぞ!」
「やってみなくちゃわかんねーだろーが!!」
「無理だって―――」
「ルキア!!」
恋次の声に反応して、ルキアが振り返った。恋次とルキアの目が合う。
「飛べっ!!」
「な――――」
イヅルは絶句した。無理だ、大体彼女も飛ぶ訳が無い。それは自殺となんら変わりない―――
ルキアが飛んだ。
躊躇うことなく。
恋次も飛び出す。
空中で恋次がルキアの身体を引き寄せる。ルキアは恋次の首に手を回した。
息を呑むイヅルの目の前で、そのままふたりは堕ちていく。
その一瞬が、永遠にも感じた。
ルキアの身体を掴まえると、恋次は自分が飛び出した勢いを利用して、ルキアの頭を抱え込みそのまま最初のビルの窓に頭から飛び込んだ。
派手に飛び散る硝子の上をルキアを庇って転がる。
「よお、久しぶり」
「遅いぞ、莫迦者」
「悪ぃ悪ぃ。帰ったら好きなもの奢るからよ」
「あんみつ、ぜんざい、白玉、鯛焼きだぞ」
「承諾」
二人が飛び込んできた窓から、壁伝いに降りてきたのか虚が壁を吹き飛ばして中へと入ってきた。ルキアはそれへ心底厭そうな視線を向ける。
『 逃 げ て も 無 駄 だ っ て 言 わ な か っ た か な あ ? 俺 』
「あと、変な虫に纏わりつかれて困っている。何とかしろ」
「虚にモテモテはお前じゃねーか。オメデトウ」
「虚ですら惑わす私の美貌が罪なのだ」
「おーおー、良く言うぜ」
『 男 は 邪 魔 だ よ 。 そ い つ を お 嬢 ち ゃ ん の 目 の 前 で 八 つ 裂 き に し た ら 、 お 嬢 ち ゃ ん は 素 直 に な る か な ? 』
「なる訳ないだろ、こいつが素直になるなんて事がある訳ねえ!!」
「失礼な」
「そんな事もわからねえ奴にこいつはやれねえなあっ!!」
恋次は斬魄刀を構えた。不敵に笑う。
「ルキアを口説こうなんて生意気な奴は、月よりの使者阿散井恋次が成敗☆!」
「☆つけるな、気味悪い」
『 殺 す ぞ ? 』
長い爪が、凶器となって恋次に襲い掛かる。
「上等だ、コラァ!!」
恋次は斬魄刀で受け止めた。
恋次と虚の闘いの最中、ルキアはその恋次の強さに内心驚いていた。
級が違うので、実際に恋次が斬魄刀を振るう姿を見たのはこれが初めてだった。普段恋次の言う「俺は強い」と自慢していたのを言葉半分に聞いていたが、確かに自らそう言ってもおかしくはない程、恋次の強さは本物だった。
けれど、とルキアは冷静に戦況を分析する。恋次は確かに強い。しかし、一人では―――勝てないだろう、まだ。学院に入ってまだ2年、それだけを考えるのならばこの強さは驚異的だ。ただ、やはりまだ、この虚―――自分のような学生ではない、護廷十三隊の死神の女性を何人も拉致し得たこの虚の強さに、一人では、勝てない。
「ま、今は一人では無いがな」
ルキアは呟くと、詠唱に入った。
「自壊せよロンダニーニの黒犬! 一読し・焼き払い・自ら喉を掻き切るがいい! ―――縛道の九、撃!! 」
今度は虚にも効いたようで、虚の動きは止まった。「よっしゃ!」と恋次が叫び、ルキアは「気をつけろ、長時間縛っていることは出来ぬ!」と注意を促す。
「充分充分!」
恋次が斬魄刀を虚に突き立てる。しかし堅固な虚の装甲は、僅かに切先が刺さっただけだった。
「なんちゅー固い身体だよ!」
何度も何度も突き刺すが、斬魄刀は掠り傷程度しか虚に与える事は出来ない。虚は動けないまま、声を上げて哂った。
『 俺 の 身 体 は 特 別 製 で な あ 、 そ ん な ち ゃ ち な 物 じ ゃ 傷 つ か ね え よ 。 俺 の 爪 く ら い 強 い 斬 魄 刀 で も な く ち ゃ な あ ! 』
ゲラゲラ哂うと、虚は咆哮した。身体の筋肉が膨れ上がる。
「まずい、恋次!術が解けるぞ!」
ルキアの叫びに恋次が飛び退る。
『 本 当 に 強 い 刃 物 っ て 奴 を 、 お 前 ェ の 身 体 に 教 え て や る よ ! 』
虚は腕を振り被った。長い爪が高々と掲げられる。その爪の射程距離から離れるため、更に恋次は後ろに下がった。ルキアを背後に、壁際まで後退する。虚との距離は3メートル。
『 ケ ケ ケ ! 』
高笑いの後、虚はぶん、と腕を振り下ろした。
「!!」
爪が、
恋次めがけて襲い掛かる。
空気を切り裂きながら。
虚の身体を離れ、弾丸のように―――否、弾丸と言ってもおかしくないだろう。虚の手から発射された、50センチの弾丸の爪。
一瞬身体を捻って避けようとし、気がついた。
後ろにルキアがいる。
避ければ、ルキアに突き刺さる。
「……くっそおおおお!!!」
斬魄刀で叩き落す時間もない。
とすれば、恋次に躊躇はなかった。
「……恋次っ!!」
「くっそお、反則だぞお前!飛び道具使うなんてよっ」
左肩に貫通した爪を掴んで恋次は虚に毒ついた。
見開いたルキアの目に、肩から夥しい血が流れる恋次が映る。ルキアを庇って傷を身体に受けたのは明らかだ。
恋次の肩に刺さった爪の太さは、爪先でも2センチ、それが貫通している。肩付近では穴は5センチになるだろう。ばたばたと血が流れ落ち、恋次の白い制服が見る見る赤く染まる。身体の左半分は赤い水をかけたように赤く色づいている。
ルキアの視界が赤く染まった。
怒り。
虚に対しての激しい怒りで、目の前が赤く染まる。
「貴様あああああっ!!!」
怒りのまま、それでも神経は研ぎ澄まされ冷静になる。
許さない、
許さない、
許さない、
絶対に許さない!!
その想いだけが強く、激しく心を支配する。
「―――君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、 焦熱と騒乱、海隔て逆巻き南へと歩を進めよ!」
『 お 嬢 ち ゃ ん の 術 は 効 か な い の は 証 明 済 み だ ろ ? 』
揶揄する虚の声も、ルキアの集中に毛ほどの乱れも生じさせない。虚を睨みつけながら、ルキアは叫んだ。
「破道の三十一、赤火砲ッ!! 」
先程の物とは比べ物にならない程、激しく熱い、巨大な焔―――焔と呼べないほど、それは「渦」と言っていい程、巨大な火の柱だった。
ルキアの怒りの大きさを、激しさをそのまま放ったような巨大な火柱。
『 何 だ と ! ? 』
驚愕の声の後、虚は炎に包まれる。耳を塞ぎたくなるような咆哮を上げ、転げまわり、火を消して立ち上がった虚に、
「斬魄刀より強いかどうか、試させてもらうぜ」
肩に刺さった爪を引き抜いて、にやりと笑うと恋次は虚に向かって走る。
更に吹き出る血には気にも留めず、恋次は飛んだ。
両手で爪を掴み、自分の体重すべてを乗せて、虚の眉間に虚自身の爪を突き立てる。
『 G Y A A A A A A ! ! ! 』
「おお、本当に斬魄刀より強いかもな、お前の爪。すっげえ突き刺さってるしよぉ?」
青い体液を撒き散らしながら、断末魔の絶叫を上げ。
虚の身体は地響きを立てて倒れこんだ。
「大丈夫かい!?」
「遅ぇよ、役立たず」
部屋に飛び込んできたイヅルに対して暴言を吐く恋次に、ルキアは「こら!」と頭をはたいた。
「いや、本当の事だから……」
やや落ち込み気味のイヅルに、ルキアは「そんな事ないぞ」と慰める。
「じゃ、イヅルがなんの役に立ったか言ってみろよ、ルキア」
「う………」
「ほら見ろ」
「いや、この後、吉良殿には世話になるぞ、うん。なんせお前は動けぬのだからな」
「……大丈夫かい?阿散井君」
「けっ、何でもねーよ、こんな傷」
ルキアの膝に頭を乗せて、恋次は横たわっていた。結構な重症なのにもかかわらず、妙に元気に見えるのは、ルキアの膝枕に大喜びのせいに他ならない。
「……塞がってきてる?」
「おう、ルキアが今治してくれてる所だ」
「朽木さん、治癒の鬼道使えるんだ……」
「ああ、多少な」
そのルキアの言葉が控えめなものだとイヅルにはわかった。こんな血が大量に流れる大きな傷を短時間で塞ぐ事が出来るのは、相当なものだろう。
「そうだな、じゃあお前に仕事やるからな。きっちりルキアを尸魂界まで連れて帰れよ?」
「阿散井君は?」
「寝る」
宣言するや否や、恋次は目を瞑るとそのままスイッチが切れたように眠りこむ。
漏れる吐息は、完全に眠り込んだそれだった。
「おい、阿散井……」
「限界なのだろう」
ルキアは眠る恋次の前髪をかきあげるとぽつりと呟いた。
「傷は塞いでも、流れた血は戻らない。それでも吉良殿が来るまでは耐えていたのだろう」
「……君をひとりにしないため?」
「……どうなのだろうな」
そこでルキアは小さく笑った。それはひどく優しい微笑みだった。
「こいつはいつも私を庇って怪我をする。だから私は恋次に護られぬ様、強く在りたいと思うのだが……」
やはり護られてしまったな、と今度は自重気味にルキアは笑った。
「ところで、吉良殿」
恋次の頭を自分の膝からそっと持ち上げ、静かに床に下ろすと、ルキアはイヅルを見上げた。
「何だい?」
「今日は立て続けに鬼道を使ったので、実は私も限界なのだ……すまない」
そう言うと、ルキアの身体は、ぽす、と恋次の上に倒れた。恋次の胸に自分の頭を乗せて、すぐに安らかな寝息をたてる。
「ちょっ、朽木さん」
返事はなく、聞こえるのは安らかな寝息だけ。その幼く見える寝顔にイヅルは「全く……」と苦笑した。
ルキアを助けるために飛び降りた恋次。
恋次の声に、躊躇わずに飛び降りたルキア。
ルキアを護るために、自らの身体を盾にする恋次。
恋次が傷付くのを見て、実力以上の力を出したルキア。
―――世界にふたりきりの君達。
互いがいれば、このふたりはそこが何処でも満足なのだろう。
それは完全な、完璧な、完結し完成された世界。
そのふたりきりの世界、それをイヅルは羨ましく思う。唯一の相手を見つけられたふたりの幸運に。
「……だからってそんなに見せつけなくても……」
見れば、恋次の腕はルキアを包むように腰に回され、ルキアの腕は恋次の首に回されて。どう見ても抱き合って眠っているようにしか見えない。というかそれ以外の何物でもない。
「熟睡しながら、無意識でやってんだものなあ……。ホントすごいよ、君達」
イヅルは笑った。
尸魂界への救援の連絡は、もうちょっと待ってあげよう。
彼等の幸福な時間を邪魔しないように。
数日後、ルキアに届いた試験結果は「特優」。
「優」以上の成績が出る事は珍しい。得意満面なルキアに恋次は、
「でもあの虚にとどめ刺したの俺だぜ」
「何を言っておる、私の放った赤火砲で既にあの虚は倒していたぞ!それをお前が余計な事をしたんではないかっ!」
「余計だとぉっ!?」
「余計だっ!!」
「よ、よくもそんな口を……っ。恩知らずな口はこの口かあっ!」
「にゃにをしゅるっ!」
「わはははは!!すげえ伸びるぞ、お前の頬っ!人間の顔じゃねえ、わはははは!!」
「……縛道の一、塞っ!!」
「うわ、何しやがる、この野郎っ!!」
「ふん、無礼者はそこでそうしていろ。……顔に落書きしてやる」
「止めろ、コラア!!」
余人の入り込めない世界を構築しつつ、今日もふたりは幸せだった。
新年一発目、待っていてくださった方お待たせしました、別に待っていなかった方そ
れでも読んでくださってありがとうございます、のアップです!
やはり新年一発目という事で、明るめの恋ルキにしました。
奥様劇場のルキアは今の所暗いですしね…。
悪口を言い合うふたりが書きたかったです。端から見ればじゃれあってるだけのふた
りを(笑)とすれば真央霊術院かな、と。
そして、「明るい恋ルキ」「二人のじゃれあい」の他に、イヅルの台詞「世界にふた
りきりの君達だね」というのが書きたかったです。いやイヅルが言わなくてもいいん
ですが、ふたりを見ている誰かにそう言わせたかったです。この台詞を書くために話
を進めました。
そんな重要な台詞を言うのに、イヅルは何の役にも立ってな…(自粛)
すみません、イヅルさん。貴方はその台詞を言って頂くために出演してもらったんで
す(笑)
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。
そして今年もどうぞよろしくお願いいたします!
2005.1.11 司城 さくら