いつまでも教室に戻ってこない恋次を探して、ルキアは校舎内を歩いていた。
既に日は落ちかけ、橙色の夕日が廊下を染め上げている。
それは昨日も見た景色。
ルキアは唇を噛み締めて記憶を振り払うと、何度目かになる教室の扉を開いた。
「恋次?」
窓から入り込む夕日を背に、恋次がピアノの前に立っている。逆光になってその表情は見えないが、何故か悄然としているように見えてルキアはもう一度声をかけた。
「どうしたのだ、こんな所で」
恋次と音楽室は結び付かない。なぜこんな教室に恋次がいるのかわからず、ルキアは恋次の元へと歩を進めた。
「どうした? 何か様子がおかしい――」
突然自分の身体が持ち上がった。驚く間もなく小柄なルキアの身体は易々と恋次に抱き上げられ、そのまま恋次の前の黒いピアノの鍵盤の上へと移動させられる。ぱらららと耳障りな音が響き渡った。
「な……っ!」
突然のその恋次の行動に、ルキアは目の前にある恋次の顔を睨みつけた。心配して来てみれば、恋次は悪ふざけで応じたのだ。こうして時々恋次は子供っぽいことをする。
「何をしている。無意味なことはよせ、莫迦者」
「無意味? そうでもないさ」
くっ、と恋次は笑う。その笑みに――その瞳に、ルキアは氷水を浴びせられたようにぞっとした。
「恋次、お前どうし……」
「昨日、お前、何してた?」
「……っ!」
ぎくっと身体が強張った。その変化は身体を支えている恋次の腕にも伝わっただろう。恋次の赤い瞳がすうと細くなった。
「……言ってみろよ」
「別に……何も、してない」
必死で平静を装う。
――昨日のあの事が恋次に知られている筈がない。
そう、あの場には誰もいなかった。あの場に居たのは――あの、男だけだ。
あの男が昨日のことを誰にも言う筈がない。誰かに言ったらそれはあの男は切り札を失うことになるのだから。誰にも知られる筈はない。誰にも、恋次にも。
「そうか、よ」
「!」
いきなりだった。素早い動きで恋次の手がルキアの下着を引き千切る。止める間もないその動きに硬直したルキアの中に、恋次は一息に己を突き立てた。
「なにを……っ!」
愕然とする。こんな場所でこんな事を恋次がする筈はない――そう理性は否定するが、眼下にあるのは自分と繋がっている恋次の身体だ。
「恋次、お前何を……っ!」
「昨日、お前は、藍染と、何をしていた……?」
「――――っ!!」
雷に打たれたような、衝撃。
瞬間、フラッシュバックする記憶。
夕日の中、誰も居ない教室。
目の前の、笑顔。
机に置かれた、無数の写真。
恋次の部屋の、
自分と、恋次の――
『別に私はどうなっても構わないんだよ?』
『阿散井君がいくら優秀な奨学生でも、一月後に阿散井君がもう何年も目標にしていた大会が開催されるにしても、それは阿散井君の事情だしね』
『阿散井君がこのまま退学になってもそれは仕方ない事だろう? まだ未成年の阿散井君がこんな事をしてるなんて知れたらね、この先阿散井君を拾ってくれる人はいないだろうね』
『そう、僕は退学にした方がこの学園の為だと思っているけれど』
『ただ、君が哀しむかと思ってね』
『だから別に強制はしないよ?』
『賢明な君は、何をすればいいかもうわかっているね?』
冷たい瞳。眼鏡越しに見えた爬虫類のような瞳。
脅されればそれで逃げ場はあった。
けれどあの男はそれすらも許さなかった――許してくれなかった。哂いながら選ばせたのだ、自分の取る道を。
あの教師は自分を手に入れたかったのではない。ただ、愉しんでいるだけなのだ――恋次と自分、幼い頃から共に在る二人の間に入ること、秘密を作ること、そして恐らく――亀裂を生じさせることを。
楽しむ為に。
愉しむ為に。
哂う為に。
嗤う為に。
それがわかっていて尚、ルキアは藍染の思惑に乗った。恋次の為に――否、恋次の未来の為に。
恋次の為ではない、決して。
恋次はこんな事を望まない。
恋次はこんな事を許さない。
それでも――ルキアは藍染の仕組んだ罠にはまった。
恋次に仕組まれた罠を外すために。
「何も――していない。何を言ってるのかわからない」
声が震える。身体が震える。必死で隠しても恋次は気付いてしまう。
「そうか、よ」
「ひっ!」
激しくピアノの音が鳴り響く。
勢いよく抜かれ、勢いよく貫かれる。その動きに合わせて、狂ったようなピアノの音が弾き鳴らされる。まるで恋次の心の中の嵐を音にしたような、そんな激しく狂ったような、そんな音楽。
「やっ……、やめ……っ! 誰か、来たら……っ!」
真青になるルキアを見下ろして、恋次は笑う。その瞳が嫉妬に燃え盛っているのをルキアは見た。
……知られている? そんな……莫迦な!
「昨日、何をしていた? 藍染と?」
「何も……して、ない……っ!」
「……へえ、そうか。そうだったな。何もしてないな。お前が一方的にしただけだもんな」
「…………っ!」
唇を噛むルキアを見下ろす恋次の瞳が冷たく燃え上がる。
「――そんなに足りねえなら、何時でも何処でもしてやるよ」
「や……あっ!」
激情のままに突き入れられる楔にルキアは為す術なく翻弄され、その動きと共に激しく鍵盤が叩かれた。
恋次という弾き手によって、ルキアという楽器は奏でられる。
狂気という名の――その曲を。
パラレルです。ヤンデレです。恋次は何でしょう、サッカー奨学生なんでしょうか。
次は紫さん、美術室でいかがでしょう。私は美術室詳しくないけど、紫さんは詳しそうです。