護廷十三隊の総隊長でもある山本元柳斎重国殿からの突然の招聘に、私は緊張しながら一番隊の隊長室の扉を叩くと、副隊長の雀部殿が部屋へと迎い入れてくれた。
「ご足労、申し訳ございません」
 そう礼をする雀部殿に恐縮しながら隊長室へと入ると、そこに予想もしなかった姿を見つけて、私は思わず「恋次?」と大きな声を上げてしまった。
「何でお前が此処に?」
 その私の言葉に恋次が返事を返すよりも早く、「儂が呼んだのじゃ」と声が聞こえて私は慌てて頭を下げる。
「遅くなりまして申し訳ございません。十三番隊所属朽木ルキア、お召しにより参上いたしました」
 私の言葉に山本殿は頷くと、恋次の隣にある椅子に座るよう促した。そっと椅子に座りながら横目で恋次を見ると、恋次も私を見ていて、微かにその表情に笑みが浮かんだ。
 けれどそれは一瞬で、すぐに恋次の顔は六番隊副隊長の生真面目な表情へと戻る。
 椅子に座り、護廷十三隊を束ねる長の視線に晒されて、私と恋次は共に緊張した面持ちで山本殿を見つめると、山本殿は机の上に置かれた書類を手に取り、内容を確認するように読み下した後、
「さて、今後の用意もあるので手短に申し付ける。……」
 そんな言葉から始まった山本殿の話に、私は驚きと嬉しさと高揚感で興奮していった。



「お主らの隊長には既に申し伝えておる。通常勤務は今この瞬間を持って免除じゃ。この部屋を出て後、すぐに準備を始め、四日後には出立できるよう万事整えよ」
 そう締めくくった山本殿の言葉に、私と恋次は深く頭を垂れて承諾の意を伝え、退室の言葉を告げて立ち上がる。
 見送り扉を開けてくれた雀部殿にもう一度頭を下げ、私は恋次と共に一番隊の廊下へと出た。
 横に並んで歩く恋次を見上げると、何かを考えているようだ。恐らく今後の事……山本殿に任された、私達と共に現世へ向かう人事について考えているのだろう。
 そう、先程の山本殿から直々に命じられた内容は、私と恋次が現世へ赴くという事だった。
 先の一件、元五番隊隊長藍染惣右介がこれから確実に起こすだろう脅威を食い止めるため、現世に赴き黒崎一護と合流し、現世の調査・斥候を任務とする。
 こんな重大な任務を任されたことに対する驚き、再び一護に会える嬉しさに高揚する。
「……ちょっと、どっか寄ってかねえか?」
 色々相談してぇし、という恋次の言葉に、私は「勿論」と頷き返す。
 この後は通常勤務免除、と直々に言われているのだ。浮竹隊長にも連絡が行っているとの事だし、特に問題はないだろう。何より私自身が興奮していて、この件に関して恋次と話をしたくてたまらないのだ。
「何処に行く?」
「白玉でも食ってくか」
「うむ、では『桔梗』にしよう」
 この尸魂界で一番の味だと思っている甘味屋の名前を挙げ、私はその方向へと足を向ける。
 久々の現世に心が躍る。
 いや、月日は殆ど経っていない。僅かと言ってもいい時の流れだが、それでも随分懐かしい気がする。
 一護は元気だろうか。
 井上は、石田は、茶渡は皆元気だろうか?
 同僚たちは皆勤務時間故に、客の入りが殆ど無い桔梗屋の一番奥の席に収まると、白玉あんみつを注文して、さて、と恋次を見つめた。
「驚いたな、こんなに早く現世に行ける事になるとは」
「まあな」
「で、お前は誰に同行を頼むつもりなのだ?決まっているのは、私達の他に、日番谷隊長……だな?」
「ああ、あと俺が信頼する者を選べ、って事だったな」
「決めたのか?」
「一角サンに頼もうと思ってる。……かまわねえか?」
「勿論。お前の先輩だな?」
「ああ、闘い方の全てを教えてもらった。あの人は強い。信頼も出来る」
「では私に異存はないよ。……他に何を決めたらいいんだ?」
 今後の細かな打ち合わせと、用意すべきものの確認、例えば義骸や現世の服、細かな物事を一つ一つ確認していくうちに時計の針は大分進んでいた。
「そうか、それだけの量が必要だな……どのくらい現世に逗留するかわからぬのだし。そうすると、生活に必要な……」
 突然、それに気付いて私は言葉を途切れさせてしまった。
 恋次も、私が気付いたその事に思い至ったのだろう、「お前」と私に尋ねた。
「現世で何処に泊まる気だ?」
 そうだ、現世に暫く逗留するという事は、向こうでの生活の拠点を決めなければいけないということだ。
 義骸に入って生活する以上、野宿する訳にもいかない。
 恋次はじっと私を見つめている。
 私の言葉を待っている。
「あ、そ、そうだな……」
 申請すれば、現世に部屋を用意する事は可能だろう。浦原も居るのだし、その程度の操作など簡単に出来るという事はわかっている。
 けれど。
 そうすると……やっぱり恋次は、一緒にと言うだろうか?
 子供の頃、一緒に住んでいたときとは事情が違う。いや、気持ちをはっきり言われた訳ではないし言った訳でもないが。
 でも―――抱きしめられた腕の強さは覚えてる。
 『誰が放すかよ』
 ……その、恋次の言葉も。
 もしかして恋次は、私の事を好きだと言ったも同然ではないだろうか?
 そう思っていいのだろうか、これは自意識過剰ではなく?
 だが、その場合、一緒の部屋に住むということは、つまり、そういう関係になる、という事なのだろうな……やはり。
 好き合った者同士が具体的に何を如何するかは私にはわからないが、真央霊術院で女生徒に聞いた話によると、同じ布団で抱き合って眠ったりするらしい。
 しかも、その、裸で。
 同じ布団の中で、裸の恋次の腕の中で眠る全裸の自分を想像して私は真っ赤になった。
 ちょっと……それは、まだ、私の心の準備が……。
「ルキア?」
 恋次の呼びかけに私は文字通り飛び上がる。
「ええと、私は……」
 鼓動が速くなる。
 恋次が私の言葉を待っている。
 でも、大体何故女の私から言わせようとするのだこの男は!?
 言えないだろう普通!!「一緒に暮らさないか?」など、どうして女の私から言えるのだ!!少しは物を考えろ、この面白眉毛!!私がまるで、その、さ、誘ってるみたいではないかっ!!
「……私は、一護の所に泊まるとしよう!勝手知ったる家だからな!」
 あははは、とワザとらしい笑い声と共に、そう咄嗟に口にして、口にしながらしまったと後悔した。
「ふざけるな手前!他の男の家に泊められる訳ねえだろうが!!!」
 そんな恋次の怒鳴り声を予感して首を竦める私の耳に入った実際の言葉は、
「そうか、判った」
 という、いやにあっさりした恋次の返事だった。
「……え?」
「じゃ、そう書類に書いておくわ」
 極自然にそう口にして、恋次は「あと、現世にとここの時差なんだけどよ」と話を進めていた。
 呆ける私を置いて。
「……どうした?ルキア」
「え?あ、いや、何でもない。何でもないぞ?うん、別に何もない」
 私の言葉に恋次は眉を顰め、「大丈夫かお前?」と怪訝そうに問いかけたが、私は「大丈夫だっ!!!」と力一杯答えてお茶を一気に飲み下した。




 普通、好きな相手が自分とは別の異性の元に泊まると知ったら、激怒するものではないのか?
 子供ならまだしも、私は立派な大人だ。大人の女が男と泊まった場合、過ちが起きる可能性はかなり高いと、普通は思うのではないだろうか。
「それが何だ?『そうか、判った』?何が判ったのだこの莫迦っ!!」
 ぼむ、と枕を殴りつける。私の拳を受けて、枕は真中からぺこりとへこんだ。
「一護の部屋に泊まると私は言ってるのだぞ!!止めるどころか『判った』?『判った』って何だ、甲斐性なし!莫迦!鈍感!!」
 ぼすぼすぼす、という音と共に枕はどんどん平たくなっていく。
「お前がその気なら、本当に一護の家に泊まるからな!後から止めたって遅いぞ、もう遅いからな!!」
 ばす、と一際大きな音がして、枕が真中から裂けて真っ二つになった。
「……私の枕!」
 それもこれも全部あの変態眉毛の所為だ。
 私は壁に向かって枕だった残骸を投げつけ、頭から布団を被って不貞寝した。
 とても眠れる状態ではなかったけれど。




 結局予想通り満足な睡眠を取ることが出来ずに、自席で欠伸を噛み殺していると、目敏く浮竹隊長に見つかり笑われた。
「どうだ、準備は出来たか」
「はい、私は自分の身の回りの事だけですので」
 多分、恋次の方が忙しいはずだ。段取りなど、どうやら恋次が責任者らしい。現世へ向かう一行の中で日番谷隊長が一番その地位は高く、現世での纏め役は間違いなく日番谷隊長だと思うが、現世へ行くまでの細かな取り決めをあの忙しい日番谷隊長が出来る筈などないから、それまでの責任者は恋次なのだろう。昨日も桔梗屋であれこれ段取りを考えていたようだし。
 ……そうだ、忙しかったから、つい聞き流したに違いない。じゃなきゃ当然怒る筈だし。
 私だって恋次が井上の家に泊まる等と言ったらそれはもう、二度とそんな事言えないように念入りに教育してやるくらいの怒りモードだ。
 それに大体、あの時私が言った「一護の家に泊まる」の後、お前が「ふざけんな却下だ却下!」と言っていれば、「じゃあどうしたらいいんだ?」と首を傾げて、そしたらお前が「じゃあ俺と一緒に……」って言って私が小さく頷く、これで一件落着だったんだ、それなのにあの莫迦者っ!
「……朽木?」
「はい?」
「……何か疲れてないか?」
「え?何故です?」
「目付きが怖いぞお前」
 は、と気付いて慌てて表情を戻す。
「通常勤務は免除なのだから、少し外を歩いて来たらどうだ?……そうだ、この書類を十番隊に持っていってくれないか」
「はい、構いませんが……」
「お前の現世行きの許可書と、現世にいる間、一時的に冬獅郎の部下になる事の承諾書だ」
 何処か淋しそうにそう口にした浮竹隊長に私は何となく申し訳ない気分になって「……でも、私の隊長は浮竹隊長だけですから」と言うと、途端に隊長は嬉しそうな顔をして「朽木は優しいなあ」と破顔した。
 そんな上機嫌な浮竹隊長に見送られ、私は十番隊の隊舎へと向かった。十三番隊からさほど離れていない十番隊の隊舎には程なく到着し、そのまま隊舎に入ろうとして、私は咄嗟に大きな木の幹に隠れた。
 恋次が居る。
 間違いようもない赤い髪と、その横に波打つ金色の髪。
 恋次は松本副隊長と何か話していた。こっそり顔を覗かせて見ていると、松本副隊長が恋次に向かって何かを言っていた。腕を組んだ松本副隊長の豊かな胸が、ここからでも良くわかる。
 あの真正面に立つ恋次は、思いっきりまともにあの胸が目に入っているのではないだろうか?恋次の身長から行くと、松本副隊長の顔を見ると自然にその先にあの、女から見ても美しいと思うバストがある訳で。
 あ、今見た。絶対見た。
 慌てて視線を逸らしていたが、再びさり気なく視線を戻して……あ、また見た。
 恋次の顔は、その髪の色と同じ色に染まっている。
 ……松本副隊長はそんな相手の態度には慣れているのか、さして気にした様子もなく、恋次に何か告げて声を上げて笑っていた。
 大体松本殿も松本殿だ。あんな挑発的な服の着方をしなくてもいいではないか。
 ふ、と視線を下に向けて私は自分の胸のあまりのささやかな膨らみに肩を落とした。
 やっぱり男は……恋次は、松本殿のように豊かな胸の女性が好きなのだろうか。
 もしかして恋次が一緒の部屋に住もうと言わなかったのは、私に女性としての魅力がないからか?
 こう、昔のように接する事ができるようになって、あまりに昔と変わらない私に気付いて幻滅したとか。
 確かに私は口は悪いし態度も横柄だし……その上恋次が喜ぶような丸みのある身体じゃなくて貧相な身体だし。
 ……………………………。
 私は十番隊の隊舎を後にした。
 何処をどう通って帰ったのかもよく覚えていない。気付けば六番隊の隊舎の前に立っていて、そのまま自席で考え込んでいたら、いつのまにか目の前に立っていた浮竹隊長が「もう帰っていぞ」と言う。
「いえ、でも……」
「心此処に在らずだしお前は」
「そんな事ないです」
 言い募った私を浮竹隊長は3秒ほど無言で眺めて、すい、と長い指を私の机に向けた。
 その指の先に、白い紙の……
「ああっ!!」
「これは後で清音に頼んで届けておくから」
 ひょい、と浮竹隊長が取り上げたのは、先程十番隊に持っていってくれと頼まれた書類に間違いはなく。
「あの、……」
「朽木は今日はもう帰宅。重大任務が控えてるんだからな、身体と心をゆっくり休ませろ」
「………申し訳ございません………」
 自分の莫迦さ加減に本当に情けなくなる。
 私は頭を下げて、帰宅するには速すぎる時間に隊舎を出て、とぼとぼと屋敷へと向かって歩いた。





 屋敷に着いてそのまま自室に閉じこもって、姿見に映った自分の姿を上から下まで検分した。
 不機嫌そうな自分の顔が自分を睨んでいる。
 背は……低い。とても大人の女の仕草が似合うとは思えない。こんな子供のような体型でそんなことをしても恋次は大笑いするだけだろう。
 その子供体型に見合った胸の大きさ。それは松本殿や井上の大きさとは比べようもない。
 大体私は今の今まで、走る上で胸が邪魔になった試しが無いのだ……胸の所為で肩こりになどなった事はないし。
 仰向けに寝れば真っ平だし。
 ……ああ、落ち込んできた。
 だから恋次は、もう私のことなどどうでもいいのだろうか。女らしくないから?子供体型だから?色気がないから?
 私は女性としては見てもらえないのだろうか。
 私が誰の家に泊まろうと、恋次は全く気にしたりはしないのだろうか。
 ……私のことなど、もうどうでもいいのだろうか。
 ……如何してだか泣けてきたぞ。
 何でこんなに悲しいのだろう。
 じわ、と滲んだ涙を私は拭って、寝室の布団に潜り込んだ。
 昨日の枕の替わりに、新しい枕が用意されていて、それに顔を埋めて現実逃避する。
 胸がなくて悪かったな、と呟いた声は、我ながら悲しげな声だと思って更に落ち込んだ。




 どれだけそうして布団の中に隠れていただろう。昨日寝ていなかった所為もあってか、いつの間にか眠り込んでいた私の耳に、微かに誰かの声が聞こえた。目を開けると、部屋の中はすっかり暗くなっている。
 耳を澄ますと、どうやら兄様が帰ってきたらしく、部屋の外で空気が動いている。当主が帰宅すると、仕える者は一斉にそれぞれの役割を果たすために動き出すから、普段は静かな屋敷内もその瞬間だけはざわざわと空気がざわめいている。
 兄様に会おう。
 私はどうしても兄様に尋ねたい事があった。布団の中で考えに沈んでいた時に、兄様にしかわからない「その事」を聞けばいいのではないかと思いついたのだ。
 本当は直ぐにでもお会いしたいのを我慢して、私は暫く部屋の中で時が過ぎるのを待った。じりじりしながら時計の針が進むのを見守り、頃合を見計らい自室を出て兄さまの部屋へと向かう。
 屋敷の最奥、一番静かなその場所に兄様の部屋はある。
 ここには決まった者しか入れない。仕える者でさえ、立ち入る事は制限されている。
 兄様は空気を乱されるのを好まない。
 この一画は想い出の……兄様の神聖な場所なのだから。
 私はその部屋の前で背筋を正すと、正座をし障子越しに「兄様、ルキアです」と声をかける。
「お疲れのところ申し訳ございません。お時間を頂いてよろしいでしょうか」
 そう尋ねると、すぐに「入れ」という応えがあった。
 障子を静かに開け、正座をしたまま頭を下げる。内に入って開いた障子をきちんと閉め、兄様へと向き直った。 
「如何した」
 決して揺らぐ事のない、静かな深い黒い瞳が、私を見つめて微かに和らぐ。
 以前には気付く事の出来なかった、兄様の私を見守ってくださる眼差しが、今では確かに感じ取る事ができる。
「お休みのところ、失礼いたします。直ぐに退室致します故、少しのお時間を頂けますか」
「構わぬ。……現世行の準備は滞りないか」
 珍しく兄様はお酒を口にしていたようだ。黒壇の机の上に、緋色の花が一輪活けられた花挿しと徳利が置いてある。杯はといえば、兄様の右手にあった。
「はい、既に整えております」
 私の答えに兄様は頷き、そのまま静かに私を見つめる。決して強制ではない、静かに「如何した?」と問いかける視線。
 私は畳の上に手を付き、「お聞きしたい事がございます」と、ひたと兄様を見つめた。
「……何だ」
 私のその様子が思い詰めたものに見えたのだろう、兄様の表情はやや引き締まった、
「お聞きしたいのは……緋真さまの事なのです」
 私が緋真さまの名を口にした途端、普段はあまり表情の変えない兄様の面に、様々な感情が浮かび上がる。
 切なさ。
 悲しさ。
 ……愛しさ。
 緋真さま……姉様は、本当に兄様に愛されていたのだと、心から思う。
 今でも兄様は、緋真さまを想い続けているのだ。
 昔と変わらず……いや、昔よりももっと。
 ただ一人、緋真さまだけを想い続けて……これからもずっと。
「緋真の何を知りたいのだ?」
 緋真、と兄様はとても優しく大切そうにその名前を口にする。
「はい。緋真さまは……」
 そう、兄様にしかわからない。緋真さまの全てを知るのは、兄様の他に居るはずがないのだ。相手を愛し自身が愛され、短かったその生だけれど、「幸せでした」と微笑みながら逝った緋真さまの全てを知っているのは、兄様以外は存在しない。
 だから私は兄様に尋ねる。
「緋真さまは、胸の大きさは如何程でしたでしょうか」
 がたんという大きな音に顔を上げると、何故か兄さまの手から杯がこぼれ落ち、机の上に透明な水溜りを作っている。ころころと回転する杯は目に入らないのか、決して揺らぐ事のないはずの兄様の黒い瞳が激しく動揺していた。
「緋真の、何だ?」
 声すら震えている。
「緋真さまの胸の大きさは如何程でしたでしょうか」
 暫く兄様は無言だった。
 私は黙って兄様の返事を待つ。
 窓の外で、風が木々を揺らす音がする。 
 この部屋の中は静まり返っている。
 光が現世の地球の周りを10週ほどした後、ようやく兄様は口を開いた。
「……普通だったと思うが」
「普通?それは何を基準に普通と仰るのでしょうか?」
「いや、勿論比べるような相手はいないのだが」
「それでは困ります、もっと具体的に仰って頂かなくては」
「ぐ、具体的?」
「松本殿とか」
「いや、あそこまでは……」
「砕蜂殿は?」
「いや、あそこまでは……」
「涅殿では?」
「……近いか」
「涅殿ですね」
 すらりとした均整の取れた、十二番隊副隊長の姿を思い出す。
 大きくはないが、小さくはない胸。
 女性らしい丸みを描く胸元。
 光が、希望が見える。
「ありがとうございました、ではこれで失礼致します」
 呆然としているように見える兄様に頭を下げ、私は兄様の部屋から退室した。
 障子を閉める瞬間目に映った兄様は何故か黄昏ていて、花挿しに活けた花に向かって「緋真……」と小さく呟いていたようだった。




 さて。
 緋真さまの胸の大きさはこれではっきりとした。
 姉妹である以上、私の胸も恐らく同じくらいには成長するだろう、きっと。
 その時になって悔しがっても遅いからな。
 頭の中の恋次に向かってそう呟くと、私は布団を被って目を瞑る。
 ……先程まで寝ていた所為で一向に眠気は訪れず、やっぱり今日も眠れなかった。




 現世行きまであと2日。
 恋次は相変わらず忙しそうに飛び回っている。
 私も相変わらずやる事無く、悪戯に時が過ぎるのを待っている。
 現世に行くのは、私を含め総勢6人。
 日番谷隊長、松本副隊長、斑目三席、綾瀬川五席、それに恋次と私。
 肩書きのないのは私だけだ。
 あまり何もせず椅子に座っているのも他の皆に迷惑なので、私は一人瀞霊廷の外れの草原に寝転んで時間を潰していた。
 見上げる空に流れる白い雲の行く末を目で追いながら、ぼんやりと私は考える。
 胸の問題は解決したとして(多分……いや絶対)根本的な問題はなんら解決してはいない。
 私が一護の家に泊まるといった時に、止める素振りすら見せなかった恋次。
 私が誰の部屋に泊まろうが、全く意に介さないという事は、つまり、恋次は私を異性として、女として見ている訳ではなくて。
 恐らくただの幼馴染としか思っていない。
 けれど私はそんな風に思っている訳ではなくて。
 私は恋次が好きだ。
 悔しいけれど、本当に大好きだ。
 ずっと小さな頃から、気付いたのは朽木家に引き取られてからだけれど、自分の心が恋次にあるのは随分前から自覚していた。
 子供の頃から喧嘩が絶えなかったけど、何度も頭にきたけど、決して嫌いにはなれなかった。
 思いっきり笑う恋次の明るい笑顔を見るのが好きだった。
 偶然触れた恋次の手の暖かさに、頬が熱くなった。
 離れたくなかった。
 だから、一緒に死神になろうと誓った。
 ああ、これは全て私の一方通行の想いだ。
 ……つまり、恋次は私に恋愛感情なんてないのではないか?
 最初から。
 抱きしめてくれた腕の強さも、「放さねえぞ」と言ってくれた言葉も、それはただ単に幼馴染への言葉というだけであって。
 いやもしかしたら、その時は私の事を好きだと思ってくれていたのかもしれない。
 ただの幼馴染に対する行動にしては……いや、確かにあの時、私は恋次の想いを、私への想いを確信していた。
 死にそうな瞬間でさえ、恋次の腕の中で私は何処か幸せだった。
 私の名を小さく叫ぶ恋次の声は、確かに私の事を幼馴染以上に想う、そんな響きを持っていた。
 恋次は私の事を、愛してくれていた。自惚れでなく、あの時点では確かに。
 けれど、その後は?
 恋次に礼も言わず、恋次に気持ちを伝える事もなく、子供の頃と変わらない態度のままで恋次に向き合っていた私に、恋次は失望したのではないだろうか。
 想い続けても仕方ない、と。
 振り向く事のない女を、いつまでも追い続けても仕方ない、と。
 生命まで賭けたのに、何の見返りも反応もないこの事実に、もう全て諦めたのではないだろうか。
 それならば、素直に気持ちを打ち明ければ、再び恋次も私の事を少しは女として見てくれるだろうか。家族ではなく異性として見てくれるだろうか?
 ……でも、私が素直に気持ちを伝えられる筈がない。
 もう100年近くも無理だったのだ、直ぐにこの性格が変えられるわけもない。
 強がりと意地を張る事だけは得意なのだ。

 さり気なく好きだと言えたら、どんなに……。
 





 ふ、と目を開けると、抜けるような青空が目に入って私は自分が寝ていた事に気がついた。
 昼寝が祟って昨日の夜は結局眠れなかったから、この暖かい日差しの中、つい眠り込んでしまったらしい。
 そうすると今日の夜も眠れないのだろうか。まったく悪循環だ。
 目をこすりながら起き上がり、視界が空から地へと移った途端、私の横に黒い色が、見慣れた仕事着、黒い死覇装……私の身体よりも大きな……。
「うわっ!」
 飛び上がった。
 何で恋次が此処で寝てるのだ。
 固まったままの私の目の前で、恋次は無防備に眠り込んでいる。
 眠るのに邪魔になるのか、いつもならば後ろで一つに縛っている髪が、今は解かれて緑の草の上に流れている。
 ……疲れているのだろうな。
 恋次の寝顔を見るなんて、戌吊を出てからなかった。何十年ぶりに見るその寝顔は、やはり子供の頃とは違う。
 大体あの時は刺青なんてなかったし。
 ……どんな形になってるのかな。
 あまり間近で見ることも出来なかったから、これ幸いと私は恋次の寝顔に近付いてその形を凝視する。
 綺麗に左右対称に彫ってある。
 このデザインは誰がしたのだろう。この悪趣味男ではない事は間違いない。
 彫る時の痛みは激しいものだと聞いた事があるが、よくまあこんなに彫ったものだ。
 触ってもいいかな?
 こんな機会は滅多にないし。
 起こさないように、私は恋次の髪を一房、手にとってみた。
 私よりも長い、赤い髪。
 眺めて、指の間からさらさらと髪を放していくと、日の光を透かして赤く輝き、恋次の頬にかかる。
 そっと手を伸ばして、その髪を頬から除けた。
 その私の顔を、恋次は黙って見て……
「うわあ!」
「うわあって何だ」
「起きてるなら起きてると言え、莫迦者!!」
「今起きた所なんだよ」
 体を起こして、恋次は大きく伸びをすると「あーよく寝た」と満足そうに息をつく。
「こんな所でさぼっていていいのか副隊長殿」
 私は例の如く憎まれ口を叩いてしまう。
「ああ、もう俺がやっとくべきことは全部やったからな。あとは出発日まで休む……お前の方は?」
「私とて万事整えてある。一護に早く会いたいよ」
 また言わなくてもいい余計な一言を、半ば挑戦的に言ってしまう私は、正真正銘の大莫迦者だろう。
「そんでお前もぐーすか口開けて寝てたのか」
 暇持て余してんな、と恋次は言い、次いで、
「ホント色気がねえ」
 笑いながら言った恋次のその言葉は、
 ……胸を突いた。 
 色気がない。
 女として失格だと、女として私を見ることが出来ないと、恋次に宣告された気が、……した。
「ルキア?」
 表情が変わった私に気がついたのだろう、恋次は怪訝そうに私を見ている。
「……色気がなくて悪かったな」
「あ?」
 立ち上がって私は恋次を見下ろした。怒りのままに目付きが悪くなっているのを自覚する。感情的になった自分は、迸る言葉を止められない。
「そんなのわかってる、そんなの私が一番良くわかっている!私がどう頑張ったって松本殿にはなれない事なんて、そんなの誰よりも私が一番良く知っている!」
「松本サン?松本サンが何だって?」 
「うるさい、莫迦っ!お前なんか大嫌いだ!!」
「何怒ってんだよ、全然訳わかんねーぞ」
「うるさいうるさいうるさい!!私は勝手にするから放っておけ!勝手に一護の家に泊まってるからお前も勝手にしろ、なんなら松本殿と一緒にいろこの助平!!」
 恋次は立ち上がって怒る私の顔を見上げて、ふう、と小さく溜息をついた。その、呆れたと如実に告げる吐息に、私は唇を噛む。
「すぐに怒んのな、お前」 
「………」
 もう完璧に呆れられた。
 居たたまれなくて背中を向けた私の手が、下から強く容赦なく引っ張られて身体のバランスが崩れた。驚いた次の瞬間には、私は恋次の腕の中にいる。
「こ、こら!何をする!!」
「何を怒ってたんだ、言ってみろ」
「何って……」
 ぎゅう、と背中に回された恋次の腕に力が入って、新手の攻撃技かと思った。
 息ができない。
 いや、別に恋次の腕が呼吸の出来ないほど私を締め付けているわけではないのだが、あわあわしてしまってまともに呼吸が出来なくなってしまった。
 かあっと顔に血液が集中して、つまり頭部にも血が上って、目の前がくらくらする。
 怒りはあっという間に狼狽に変わって、私は恋次の腕の中で固まっていた。
「何で俺が松本サンと一緒にいるんだよ?」
「それは……だって……お前が……」
 しどろもどろの私の答えに、恋次は「ん?」と顔を覗きこむ。
「うるさい、私の事は放っておけと言っただろう!」
「ところが放っておけねえんだな、これが」
 頭を子供のように撫でられて、莫迦みたいだがそれだけで私は大人しくなってしまった。
「俺の何に怒ってんだよ、言ってみろ。どーせ誤解なんだからよ」
 よしよし、と撫でられて。
 普段の私なら間違いなく「子供扱いをするな、阿呆!」と怒っているはずだが、何を血迷っているのか私は怒りもせずに、恋次の胸に顔を埋めてそれを享受している。
「……誤解じゃない」
「誤解だって」
「だってお前、私が一護の家に泊まるって言っても反対しなかったじゃないか」
 まともに顔を見て言えないから、私は恋次の胸に顔を隠したまま、ぼそっと呟いた。
「だからお前は私の事なんかなんとも思ってないんだ。どうでもいいと思ってるんだ。胸だってないし色気もないし」
「……なんだそりゃ。いや、最初の方はともかく胸と色気ってのは」
「私の事を女として見ていないだろう、お前は」
「見てるぜ?」
「嘘だ。絶対嘘だ」
「嘘じゃねーって」
「じゃあ何で私が一護の家に行くと言っても平気な顔をしているんだ」
「お前がそこで一護の名前を出すって事は、お前は一護を男として見てねえって事だろうが」
 あっさりとそう言われて私は黙り込んだ。
 まあ、確かに。
「だから何の心配もしてねえ。一護もお前に手ぇ出したりはしねーだろ、あいつにゃ現世に好きな女がいるんだからよ」
「……そうなのか?」
「そうだろ?そんな事言ってたしな」
 だから俺は平気なんだ、と恋次は言った。
「大体一緒に暮らしたらお前、任務どころじゃねーだろうが。毎日足腰立たなくて」
「足腰?」
「だから任務中は一緒にいない方がいいんだよ」
 どうして一緒に暮らすと足腰が立たなくなるのかはわからない。
 わからないが、わかったことは……。
「お前、私を女としてみているのか?」
「当たり前だろーが。女だろお前」
「その、そういう意味ではなくて……私をだな、お前はどう……」
 恋次の胸に隠していた顔を上げて、恋次を見上げた途端、恋次の顔が下りてきた。
 その、間近な恋次にうわ、と思った次の瞬間、唇に何かが触れた。
 恋次の唇が私の唇に重なる。
 硬直。
 吃驚して目を見開いたまま、私は目の前0cmの恋次の顔を見てた。
「……こーゆう時は目を瞑るんだよ、阿呆」
 唇が離れて、呆然としたままの私に向かって恋次はにやりと笑いながら、言う。
「本当に色気がねえな」
 先程は激怒した同じ言葉も、今はそんな余裕は何処にもない。
 酸素不足の金魚のように、私は口をぱくぱくさせているだけだ。
「な、と、お、……っ」
「全然何言ってるかわかんねー」
「何を突然、お前……っ!!!」
 目を回しそうな私を無視して、恋次は「まあいいか」ともう一度私を抱きしめた。
「色気なんてのを身に着ける必要はねえよ。そんなもんお前が持つようになったら、安心して外歩かせられねーからな」
「だから、今、お前っ……」
「あーうるせえな」
 もう一度、今度はさっきよりも長く。
 あまりの長さに呼吸の仕方がわからなくて、恋次の胸を手で叩いて息苦しさを告げた。ようやく離れた唇に、呼吸を取り戻すと、また直ぐに手首を捕まれてもう一度。
 ん、と声が漏れて、自然に私は目を瞑る。
 初めての口づけはあまりに想像していたものとは違っていて……口づけというものは本当にただ口を触れ合わせるだけだと思っていたのに、実際はもっと激しいもので。
 頭の芯が痺れてくらくらする。
 初めての感覚に何が何だか判らなくて気絶しそうになった頃、ようやく恋次が離れて、けれどそのまま私の頬を両手で挟んで、吐息が触れる距離で私を見下ろす。
「……やべー」
 何が、と聞き返す気力も私にはなく、ただ恋次が触れるままに、ぼうっとしながら恋次を見上げる。
「色気出しまくってるぞお前」
 やべーなあ、そんな顔誰にも見せたくねえのに、とぶつぶつ言いながら恋次はもう一度唇を重ねる。
 恋次の唇が、私の唇から離れて、喉に下りる。大きな手が私の背中に回されて、逃がさないようにしっかりと支えられて……
 何だかわからないが、これが多分……恋人同士がすることなのだろう。
 恋次が触れるたびに身体が熱くなってふわふわする。
 恋次の手が襟元を開き、私の胸が外気に触れる。鎖骨に舌が触れ、徐々に私の胸へと下りてくる恋次の愛撫に、気が遠くなりそうな程の快感に私は小さく声を上げた。
「……現世行きは明後日だし、明日は足腰立たなくても問題ねえよな?」 
 その恋次の言葉に。
 ……さり気なく、頷けば……さり気なく、言えたら、……
 きっと、私は。


「大問題だ、大莫迦者っ!!!!!!!!!!!!」


 耳元で絶叫すると、「ぎゃああ!」と恋次は仰け反った。
「こここここんな外で何をしようとしているのだお前は!!変態!莫迦!痴漢!!」
 そんな私の声も、今は耳が一時的に麻痺しているようで、恋次には聞こえていないようだ。耳を押さえて悶絶している。
 やっぱりどうしても素直になれない。 
 だけど今なら。
 恋次の耳が聞こえていない今なら。
「……現世から帰ってからなら、許してやる」
 さり気なく、言ってみた。
 言葉にするというのは、自分の誓いになるのだという事を始めて知った。
 恋次が好きだと口にする。
 それは、世界に宣誓するのと同じこと。
「……それまで待ってられません、という訳で場所移動」
「うわああっ!」
 耳を押さえていた手を外してにやりと笑うと、恋次は私の身体を担ぎ上げて、暴れる私をものともせずに走り出す。
「こら、莫迦、怖い!下ろせ、スピードを出すな!怖い―――っ!!!」
 恋次の肩を支点にくの字になった私の目に移るのは、凄い速さで移動する地面で、その体感したことのないスピードに身を竦ませる。
「大体私は駄目だって言っただろう!ちゃんと話を聞けこの莫迦!」
「お前の言葉は大抵思ってることと正反対だからな、さっきだって俺の事大嫌いって言ってただろ」
「うっ……」
「お前は素直に気持ちを言わないから、ちゃんと俺が言葉に惑わされずにお前の本心を汲み取ってやる」
「汲み取るな莫迦っ!まだ気持ちの整理が、心の準備が……っ!!」
「大丈夫だ、俺に任せろ」
 などと言い合っている間に恋次の家に連れ込まれ、目を白黒している内に布団の上に下ろされた。
「……ほ、本気か恋次?」
「勿論」
 じりじりと近付く恋次からそろそろと逃げながら、私は精一杯の抵抗を試みる。
「ちょっと落ち着いて話し合おう、な?私には展開が急すぎてもう何が何だか……」
 続きの言葉は、恋次の唇に塞がれて言わせてもらえなかった。




 多分、恋次も口ではああ言いながら、私が一護の家に泊まるといった事を気にしていたのだろう。一護を99%信じてもいただろうが、残りの1%の不安があったのも確かな事らしく。
 その後、私は恋人同士がすることというものを、恋次から教えてもらう形になった。
 私の恋次への想いも、さり気なくどころか行為の最中に何度も何度も口にする羽目になり。
 初めての事だったので、恋次の言う「足腰が立たない状態」になることはなかったが、身体の痛みはどうしようもなく、その日の夜まで待ってはみたが、身体に残る恋次の居た感触と痛みは消える事無く、結局恋次は私を背負って朽木家へと送ってくれた。
 ……兄様が帰宅していなかったのは、二人にとって本当に幸運だったと思う。
 もしその場に兄様がいたとしたら、現世行きのメンバーは、一人欠員が出たことは間違いないのだから。






 約3ヶ月ぶりのまともな更新ですー、お待たせしました!(あ、待ってないですかすみません)
 ……え、これ表においていいのかな?(笑)
 まあ具体的には書いてないので裏に置く事もないかと思ったのでこちらに置きました。純粋な表ではないですけど。
 表組みの二人とは違いますね、これは単独話と思っていただきたく。
 
 この話は、最初はもっとシリアスな話でした。大本の「一護の家に泊まるっていたのにどうして恋次は止めてくれないんだろう」とルキアが悩むのは同じなのですが、もっとルキアは明るさの欠片もなく暗く考え込んでいる話の予定だったのですが、ルキアの一人称で書き始めたらどんどん違う展開になってしまい、ルキアは他の男の家に泊まる事を止めない恋次の悩みの他に胸の大きさで悩み始め、兄様まで出てくる羽目になり、一線を越える予定もなかったのに何故か越える展開になり……。
 でも結構詰まる事無く書けたので楽しかったです。
 
 それでは、楽しんでいただけたら嬉しいですv
 
 2006.4.2  司城さくら