切欠はわかっている。
あの時――戌吊の。追われたあの日。暗い穴の中、身を潜めた――ルキアと二人で。
死の恐怖に怯えるルキアを、恐慌の一歩手前だったルキアを抑えつけて――唇を塞いだ。
恐怖にかられたルキアが悲鳴を上げることを――恐怖に我を忘れたルキアが叫ぶことを防ぐために。
叫ばれたら終わりだから。
見つかれば終わりだ。
一対一なら問題ない。二対一でも。三対一でも恐らくは。
けれど相手はそれ以上――身体の大きな男たちが、十人では。
ルキアを護れない。自分は構わない、けれどルキアだけは。
――ルキアは女だ。自分はただ殺されるだけだろう、けれど女であるルキアは――殺されることよりも辛い目に合う。間違いなく。
だから見つかってはならない。決して。何としても。
ルキアが怯えている。がちがちと歯が鳴るほど、それは激しく。
狂う一歩手前。
『決して見つかってはならない』
――だから。
華奢な身体を抑えつけた。
声を殺すために唇を唇で塞いだ。
もがく身体を両腕で縛めて、身動きすることを許さずに、小さな悲鳴を押し殺すために舌を入れて激しく搦めて。
「……っ、」
呆然とするルキアの身体を土の壁に押し付けて。
覆い被さって、舌で口内を蹂躙する。
「…………れ、ん……、」
声を。
出させてはならない。
塞いだ唇に呼吸の仕方がわからず、離した合間に空気を求め小さく開いたルキアの口に、二本の指を差し入れる。
指で舌を弄り、苦し気なルキアの吐息を聞く。指から伝い落ちる銀の糸が闇に光る。細い光は蜘蛛の絲のように恋次の指を伝い手首に落ち腕に絡みつく。
仰向くルキアの口内を指で侵し、そして再び唇を塞いで舌を絡める。
苦しげな声も、懇願するように縋る手も。
全部無視してルキアの声を封じ込める。
決して誰にも見つかってはならない。
ルキアに声を発せさせてはいけない。
ルキアのために。
ルキアのために。
ルキアのために、決して――
――そうではないと今ではわかる。
ルキアが気を失うまで許さなかったその一連の自分の行動が。
唇を塞いで舌で煽って指で蹂躙して身体を抑えつけたその行動は、
ただ――己の欲でしかなかったと。
今ではわかる――絶望と後悔と共に。
「――ルキア」
小さく呼ぶ声に反応はない。
暗闇の中、規則正しい寝息が聞こえる。
「――ルキア」
もう一度名前を呼ぶ。――微かに震える声で。
起きていてくれ、目覚めてくれ。
もう自分で自分を止められない。
「……ルキア」
呼ぶ声に返事はない。
この部屋に明かりはない。
壁の隙間から差し込む月の明かりが微かに、幽かに――それだけで。
深い闇の中、少しだけ離して並べた薄い布団を静かに抜け出す。
「ルキア」
懇願するように名前を呼ぶ。どうか目覚めてくれ。どうかこの声に気が付いて。
それでもルキアは目覚めない。
だから伸ばす手を止められない。
ルキアの頬に触れる。そのまま躊躇いながらなぞるように下へと動いた指は、ルキアの唇に触れて止まった。
そっと触れる。震える指で唇を。
そのまま――小さく開いたルキアの唇に指を差し込む。
指で、ルキアの舌に触れる――怯えながら。慄きながら。それでも動きを止められない。
引き抜いた指が微かな月明かりに光る。――それはルキアの。
光る指を口元へと運ぶ。
躊躇したのは一瞬。もう自分はその欲望に逆らえない。
指を舌で舐め上げる。そうしてそのまま――ルキアの唇を、唇で、塞いだ。
もう止まらない――止められない。ルキアの唇を、舌を味わう。淫らに響く水の音ももう耳には入らない。
夜毎密やかに営まれるこの宴。
あの日から――己を止めることが出来ない。
眠るルキアに一方的に叩き付ける劣情を。
目を覚ましてくれと懇願しながら、目を覚まさないでくれと願いながら。
密やかに、秘めやかに、苦し気にそれは毎夜毎夜繰り返される――
「――ルキア」
苦しげな声に気付いていた。
己に絶望する声。己を止められない苦しみ、怒り、憤り、悔しさ。そしてそれを上回る――切望の声。
だから私は眠り続ける。
恋次の手が頬に触れる。
恋次の指が唇に触れる。
恋次の舌が舌に絡む。
恋次の声が私の名を呼ぶ。
すまない――俺は、けれど――ごめん、でも――
合間に聞こえる贖罪の声。
止められない。止まらない。お前が大切なのに。お前が大事なのに。どうして俺は――
苦し気な声を聴く。だから私は眠り続ける。
――これは決して憐憫なんかじゃない。
同情なんかじゃない。
哀憐でも哀憫でもない。
私は――――
私は。
『 独りではいられない。』
『 独りにはなれない。』
『 二人でしか――』
『 お前としか、生きられない。』
――それは恋と呼ぶには凄烈な。
愛と呼ぶには――峻烈な。
互いが隠す、互いへの烈火のごとく激しい想い。
『――死神になろう』
それは、離れないと誓うために。
己の想いの激しさを相手には伝えぬまま。
己の醜さと欲を相手に隠して。
苛烈なまでの想いを告げずに、二人は――
死神を目指した。
離れないために、ただ二人で共に生きていくため、それだけのために。