目覚めて初めて目にしたのは、白い天井だった。
 目覚めて―――否、生まれて初めて、と言い換えてもいい。
 まず、白い高い天井が目に映った。そして、耳障りな電子音。液体がこぽこぽと泡立つ音。
 横たわったまま、「それ」はすべてを吸収する。
 目に入るものは、ただ目に映ったもの。
 耳に響くものは、ただ耳に聞こえたもの。
 触れるものは、ただ其処にあるもの。
 「それ」は何の思考もなく、ただ在るがままを受け入れる。
 白い天井、ただそれだけが映っていた視界に、不意に「ヒト」が現れた。じっくりと、検分するかのように細部まで念入りに「それ」を観察した後、その「ヒト」は満足気な笑みを浮かべた。
「起き上がれるかネ?」
 やや甲高い声で、その「ヒト」は言った。これが、「それ」にとって初めて見る「ヒト」、初めて聞く「声」だった。
 「それ」は「声」に促されるように、言われるままにゆっくりと身体を起こした。その動きに沿って、長い黒髪が揺れる。
 「それ」は周りを見回した。特に何の表情も浮かべず、ただ周りに視線を向ける。そしてそこには、「それ」を取り囲むように5人の「ヒト」が、5人とも「それ」を、注意深く、見極めるように、値踏みするように凝視していた。
「―――ふむ」
 その内の一人、やや小太りの男がそう呟いた。
「見た目は全く問題はないな。我々と何ら変わりはない」
 その男の言葉に、最初に「それ」の視界に入った男以外の4人が頷く。
「能力はどうだね?普通の死神と変わらない、というのであれば―――」
「勿論そんな事はある訳がない」
 高めの声が遮った。自分の能力に、欠片も疑いを持っていない傲慢な声音で。
「これは、今この瞬間からでも動き出せる―――その能力は既に副隊長クラス。今後の訓練で隊長職も難なくこなす、それくらいの力はある」
 その言葉に、居並ぶ男達はどよめいた。
「目覚めてすぐに副隊長クラスか……しかも成長をする。それが本当ならば素晴らしい。すると君は、君のその才能は……前技術開発局局長、浦原喜助と並ぶほどの実力と言っていいのではないかね?」
 その言葉を向けられた「ヒト」の表情に苦々しげな色が浮かぶ。それには気付かないまま、他の男達は、興味深げに……その目に浮かぶ好色な影を隠そうとせずに、台に上体を起こしている一糸纏わぬ姿の「それ」を眺めた。
「これだけ見ても、我々と違う箇所は全く見当たらない―――いや勿論、男と女の身体の違いはあるが、ね」
 背の高い男の、その下卑た声に、他の男たちも下品な笑みで賛意を表す。
「どうなんだね涅君。この義骸はいわゆるその―――そちらの方も全く同じに出来ているのかね?」
 涅、と呼びかけられた男は、心外だと言わんばかりに「当然です」と答えた。
「私はこれを、私の技術すべてを注ぎ込んで作り上げた。我らと同じく―――我ら以上に。これの身体には赤い血が流れているし、髪も伸びる。傷を受ければ痛覚もある」
「こちらの意のままに動き、決して主に逆らわず、そして寝所も共に出来る―――最高の愛玩具でもある訳か」
 ははは、と声を上げて男達は笑う。その声の中、やはり「それ」は僅かも動かず、ただ前方を、目に入るものをただ見、耳に入るものをただ聞いていた。
「とりあえず経過の観察を―――データの収集を。すべてはそれからだ」
 その言葉を潮に、男達は立ち上がった。中央四十六室の者であるという、その事実から来る自信と傲慢な態度で、彼らはそう決断を下すと、その白い部屋から立ち去った。
「―――ちっ」
 ただ一人部屋に残った、「涅」と呼ばれた男はぶつぶつと呟く。
「浦原?浦原と並ぶほどの技術?とんでもない、私の技術の方が明らかに上だヨ、あんな以前の、100年近くも前に一線を退いた裏切り者とこの私を、事あるごとに比べるのはいい加減にして欲しいものダ」
 部屋の中を歩き回っていた男は、突然ぴたりと足を止めると、「お前」と、微動だにしない少女の姿の「それ」に向かって声をかけた。その声に「それ」は視線を動かす。
「これからお前は、私の偉大さを証明するという重大な仕事を担う事になる。お前の能力、成長、すべてが私の評価にかかわってくる、それを忘れるな。私の命じたことは必ず実行しろ。逆らう事は許さない、私の言葉には必ず従え。私がお前の創造主、私がお前の神なのだからネ」
 男の言葉に「それ」はゆっくりと頷いた。その姿に男も満足気に頷く。
「私の名は涅マユリ。お前にも名前をやろう、私の所有物という証だヨ」
 じろじろと「それ」の姿を眺めた後、マユリは、
「―――そうだな、『ネム』。『涅ネム』だ。わかったな?」
 先程とはうって変わった上機嫌な男の高い声に、「それ」―――ネムは表情を変えず、感情のこもらない声で「はい」と応えた。
「はい―――マユリ様」
 人形のように美しく、人形のように均整の取れた身で、人形のように無機質にネムは応えた。





 ネムはマユリが隊長を務める十二番隊の副隊長になっていた。
 最初は席次すらない、ただの新人と同じ扱いで入隊し―――見る間にその位を上げていった。
 ネムは「そういった」ように作られていたのだから。
 虚を狩る。
 的確に。正確に。確実に。
 一片の迷いもなく、一片の誤りもなく。
 虚の返り血を浴びても表情を変えることなく、ただ無表情に虚を屠り続けていくネムの姿に、他の死神たちは「当たり前だよな」と吐き捨てた。

「アレは俺たちとは違う」
「この為に作られた人形だ」

 ネムの耳に入るよう、わざと聞こえるほどの大きさで、それらはネムの周りで囁かれる。
「見ろよ―――あの顔」
 嘲りを込めて、裏には嫉妬の思いを隠して、男は聞こえよがしにそう言った。
「全く表情変えねえの、気持ち悪ぃ。生きてる人形なんてぞっとするぜ―――人形なら人形らしく、家ん中でじっとしてろよな」
「おい、知ってるか?あの人形、……も出来るらしいぜ?」
「尚の事、こんな所にしゃしゃり出ねーで、野郎の相手でもしてろっつーの。人形には人形の仕事があるだろーが」
 嘲笑、嫉み、妬み、恨み、憎しみ。悪意の言葉の数々を受けても、ネムは表情を変えない。冷たく美しい顔はそのままに、マユリの与える指示のまま、虚を狩り続け、そしてネムは副隊長となった。
 創られた時のまま、独りのまま。

 誰もネムの心を動かせない。
 否、誰もネムに心を創れない。








 そのはずだった、のに。









「―――ありがとう」



 交わした視線、交わした言葉。
 それは僅か。
 本当に僅かなもの。
 けれど、ネムの中で何かが―――静かに、確実に変わった。
 



 名前すら知らない、違う世界の住人。
 初めてネムを人として扱ってくれた、異界の人。
 傷付いた身体を壁にもたれさせ、ネムは遠ざかる少年の背中を見送っていた。
  

 胸に宿るその暖かい想い、それが何かも解らないまま―――。





→2



お久しぶりの雨竜ネム、しかも初シリアス、な上にパラレル(と言っていいのか?)。
これを書いたのは17年2月頃でしょうか。すごい前です、だからSS編なんて先が見えなかった頃。
だから勝手に捏造して書いたのですが、うわ、こんな展開ありえなくなっちゃったよ!(笑)
しかも連載。どうする気だ私。
位置的には、マユリ様vs雨竜の後、です。

この話はある話と僅かにリンクする部分があるので、こっち書かないとあっち書けないんだよ、ということで無理矢理アップ。
本誌とはリンクしませんが、妄想話と思って読んでいただけると嬉しく思います。

ではでは。

2005.8.4  司城さくら