日溜りの中に丸くなる黒い猫の姿は、もうこの家の中では大分見慣れたものになっていた。
 そう、夜一は普段からこの姿で居ることが多い。今も艶やかな毛並みの孤高の猫は、穏やかな午後の日差しの中でまどろんでいる。
 その黒猫を背後において、浦原は静かに本を読んでいた。彼女の眠りを妨げぬよう、だが彼女の傍から離れる気もなく―――明るい日差しそのままに、暖かく穏やかに時間は過ぎていく。
 浦原が、夜一が眠り込んだと同時に読み始めた本の頁が半分になった丁度その時。
 ぴく、と黒猫の耳が動いた。
 次いで、ゆっくりと目を開く。ぐ、と身体全体を丸めて伸ばす、という猫科の動物独特の動きを見せてから、黒猫は浦原の存在に気付いて「喜助」と声をかけた。
「ゆっくり休めましたか、夜一サン」
「うむ、食事をした後は眠くなるな」
「まあそれが自然の摂理ですね」
 もう一度、大きく伸びをすると、夜一は何も言わずにするりと部屋から出て行った。その後姿を目で追って、浦原は再び視線を本へと落とす。彼女の行動はいつも自由で気侭だ。このまま外出するかも知れず、同じ空間で同じ時を過ごすという浦原にとっての穏やかな時間は、今日はこのまま終わりそうだ。
 けれどそれもいつもの事なので、浦原はさして気にした様子も無く、再び尸魂界から取り寄せた研究書を読み進める。
 しかし浦原の予想に反して、夜一はしばらくの後、再び部屋へと戻ってきた。
 今度は眠り込む事もなく、机越しに浦原をじっと見詰めている。
 いつまでも視線を逸らせず、意味ありげに見詰め続ける夜一に、無視する事も出来なくなって、浦原は手元の文字から視線を上げた。
「―――何ですか」
「解らぬのか」
「はあ」
「鈍いの、お主」
「貴女の思考は突飛過ぎて解りませんよ」
 とっ、と机の上に飛び上がると、夜一は浦原を見上げた。金色の瞳が浦原を捕らえる。
「退屈じゃ、相手をしろ」
「……今、本を読んでるんでスよ、アタシ」
「儂より本を相手にすると言うのか」
「今いい所なんです」
 すみませんねと謝って、浦原は再び本へと意識を戻した。
 書に集中する浦原を夜一は詰まらなそうに眺めてから、くるりと大きな瞳で部屋の中を見回した。その視線が壁際の、浦原の前方に位置する大きな箪笥で止まる。
 夜一は机から飛び降りると、そのまま和箪笥の前までとことこと歩を進めた。一息に和箪笥の上まで飛び上がる。
「―――うわっ!」
 箪笥の上から弾丸のように飛び掛ってきた黒い影に不意をつかれ、浦原は畳の上に仰向けに倒れこんだ。夜一は浦原の肩に前足を、胸に後ろ足を乗せ押さえつけ、爛、と光る目を向ける。
「痛いじゃないですか」
 抗議の声に、夜一はふん、と鼻を鳴らした。
「儂を無視するからじゃ」
「夜一サン、……」
「食欲、睡眠欲は満たされた。三大欲求の二つは満たされた、では次に来るのは何だと思う?」
「何でしょう」
「性欲じゃ」
 ぺろり、と浦原の頬を舐めて夜一はけろりとそう言った。小さな黒猫に押し倒されながら、浦原は小さく溜息を吐く。
「行動が本能のままじゃないスか」
「猫の姿でいる時間が多いとな、自然そうなって来るものじゃ」
「でも貴女は猫じゃないんですから、理性ってものをお持ちでしょう」
「つべこべ煩いなお主。厭なら儂は外へ行ってその辺の雄猫としてくるぞ」
「なんて脅迫をするんですか貴女は」
「儂は猫の世界でも引く手数多なのじゃ。数ヵ月後、儂によく似た仔猫の世話をしてみるか?」
「御免ですね、そんなのは」
 浦原の上で、黒猫の重さが増して行く。それにつれて外見も変化する。黒い艶やかな毛皮は滑らかな肌へとその姿を変え、浦原を押さえつけていた前足は細い、無駄な肉一つ無い腕へと変わり、胸元に在った後ろ足は長くしなやかなヒトの足へと変わり……その足は変わっていく過程でさり気なく机を蹴飛ばした。
 夜一の意図した通りに、その上に乗っていた本は部屋の隅へと追いやられる。
「どうじゃ、もう本に逃げる事など出来ぬぞ」
 一糸纏わぬ、均整の取れた見事な身体が其処に在る。
 青銅のような光沢を持った、完全なる「美」が目の前に在る。
「此れでもまだ儂を無視できるか?」
「……ウチには雨とジン太が居るんですよ。昼日中からそんな爛れた生活は出来ません。教育に悪い」
「儂が何の為に先程部屋を出たと思っておる」
 浦原を見下ろしながら、夜一はにやりと微笑んだ。
「テッサイに雨とジン太を連れて家を出るよう言ってある。5時間は戻って来ぬぞ」
「……アタシはそんなに持ちませんよ」
「儂を無視した罰じゃ、そう容易く許さぬからな。覚悟を決めろ、喜助」
 しなやかな手が浦原の首に回され、含み笑いと共に夜一の紅唇が浦原のそれに重なる。
 焦らすように唆すように蠢く夜一の熱に、浦原は「仕方ないですねぇ」と溜息を吐いて、くるりと身体を入れ替えた。




 互いの体温を交わす、その行為を決して厭う訳ではない。
 むしろ……それを望んでいる。その滑らかな青銅の肌に触れたいと、何時も思っている。
 本音を言えば、何処にも行かせたくはない。誰の目にも触れさせたくは無い、閉じ込めて自分ひとりのものとしたい。
 自分は独占欲が強いと解っている―――けれど。
 惚れた相手は夜一なのだ。
 何故自分が、こんな自由奔放な存在を愛してしまったのか。
 むしろそれは己の独占欲が強い故―――それが性だと言うべきか。
 激しく熱を重ねた後の気怠い身体を心地好く感じながら、浦原は腕の中で眠る夜一の顔を眺めやる。
 この「自由」という言葉の具現、その存在を己の腕に留める事は不可能だ。
 閉じ込めようとする浦原を、夜一は決して許さないだろう。―――この、気高く美しい黒い猫は。
「……アタシはずっと昔から、貴女と鬼事を続けているようなものですよ」
 奔放で気侭で気紛れで、何より束縛を嫌う美しい黒猫。
 追えば逃げる、逃げれば追う。
 だから浦原は気の無い振りで、気紛れな猫の感心を誘う。
 本心を隠し、追いたい心を隠して、追わせる為に逃げている。
 いつか、鬼になる事を夜一が飽きたら―――
 この関係は其処で終わりだ。
 または、捕まってしまったら―――この想いの全てを悟られたら、其処で終わりだ。
 追い続けたものを手中にした途端、気紛れな猫は興味を失ってしまうだろうから。
「だからアタシは―――捕まりません。逃げ続けますよ、貴女から」
 解いた黒く長い髪に指を通し、満足気に眠る夜一の額に唇を触れさせ、浦原は名残惜しむ心を追い遣って。
 ゆっくりと身体を起こし、情事の跡を振り切って。
 ―――普段と変わらぬ様子で、着物を羽織った。
 









「喜夜祭」に投稿させていただきました、浦原さんと夜一さんです。
一応自分のとこだけではないので、えっちシーンは控えめにしておきました(笑)

投稿日:2005.12.5  自サイトアップ:2006.2.2  司城さくら