「恋次じゃないか」
 艶のある声に呼び止められて、めんどくさそうに恋次は振り返った。振り向く前から誰だか解ってはいたが、恋次はわざと驚いた顔をしてみせる。
「あんたでも外を出歩いたりするのか」
「巫山戯た事言うんじゃないよ」
 一目でその筋の物だとわかる、艶やかだが何処か気だるげなその女は、恋次の傍によると、つ、と指を伸ばして恋次の頬に触れた。
「最近全然寄らないじゃないか。あんたのあの大事な娘と上手くいってるのかい?」
「余計なお世話だ」
「ふん、まだ手も出してないのかい。ったくしょうがないねえ。さっさと済ませちまえばいいのに」
「五月蝿えよ。それこそ余計なお世話だ」
 け、と毒づく恋次に、女は身を反らして笑う。艶めかしい白い喉が露わになった。
「初めてのことに失敗したくなけりゃあたしの所へおいで。丁寧に教えてあげるよ、勿論無料でね」
「ほっとけ!」


 恋次がこの女と初めて会ったのは、今から3年程前の事になる。偶々通りかかった店先で、女が恋次を呼び止めたのだ。
『あんた、いい面構えをしてるね。あたしはあんたみたいな意気のいい子が好きなんだよ』
 声をかけてきた店先がいわゆる女衒屋だったので、女もその店の者だということが恋次にはわかった。
 長く艶やかな髪に、白い肌。唇は紅も差していないのに赤く濡れている。少し着崩した着物の襟元がなまめかしい。切れ長の目に通った鼻筋。恐らくこの界隈―――いや、戌吊の中でも一二を争う美女だろう。
『どうだい、あんたあたしを抱いてみないかい?ああ、勿論金なんか取らないよ。あたしがあんたを気に入ったんだからね』
 艶然と手招きする女に、恋次はあっさりと言った。
『やなこった』
 断られるとは予想していなかったのだろう、女は一瞬目を見張ると、次いで面白そうに目を細める。
『そんなにあたしは魅力ないかい?傷つくねえ、袖にされたのは初めてだよ』
『あんたは綺麗だと思うけどよ』
『ほう、なら何故断ったのか教えてくれるかい?』
 くすくす笑いながら女は尋ねる。
『俺には好きな女がいるからよ。最初はそいつとって決めてんだ』
 照れもせずに答える恋次を見て、女のからかう様な笑みは消えた。
 自分の周りにいる男たちとは違う、一途な想い。その想いに女は一瞬、自分の遠い過去を思い出していた。もう疾うに忘れたはずの、初めて愛した男の影を。懐かしい胸の痛みを。
『……ああ、あんたは餓鬼なのにもう一人前の男なんだね。からかって悪かったよ』
『別にいいけどよ』
『本当にあんたに惚れそうだよ』
『別にいいけど、俺はあんたを絶対に好きにならねえぜ?』 
真顔で返す恋次に、女は微笑んだ。
『勿論そんな事望んじゃいないよ。そうだね……あんたの唇を買おう。どうだい?』
『唇ぅ?』
『接吻をあたしに売っておくれ。あんたがあたしにくちづけてくれたら、あんたの言い値を払おう。悪い話じゃないだろう?』
 女の言葉に恋次は考え込んだ。その程度で金が入るなんてかなりの儲け話だ。ここ戌吊で暮らしていくには、金はあると言う事は、生き延びる可能性が増えるということだ。恋次は顔を上げると、『ああ、いいぜ』と頷いた。
『大事な娘はいいのかい?』
『それの初めてはあいつとしたからな』
 ま、あいつは寝てたけどよ、と恋次は心の中で呟いた。
『そうかい?なら問題ないね』
 女は両手を恋次に絡み付けると、ゆっくりと唇を合わせた。


 その時からの付き合いで、女は会えば必ず恋次のくちづけを買った。それ以上には進まない、お互い割り切った仲。
 女はいつものように、大通りの真中である事も気にせず恋次にくちづけると、す、と恋次の胸元に手を差し入れた。
「今日の御代だよ」
「毎度」
「変な挨拶するんじゃないよ。気が削がれるだろ」
「へいへい」
「じゃあね。あんたのいい子によろしく」
「誰が伝えるかよ」
 女は背筋を伸ばしたまま雑踏へと消えていく。その後姿を見送って、恋次は反対の方へ歩き出した。
 臨時収入で何を買うか考える。今の時期でルキアの好きな食べ物はなんだろう。それとも新しい着物をあつらえるか。ルキアは実用的な物を好むから、花とか買っても『もったいないだろう!』と怒る。
 考えつつ歩いていると、その当のルキアの姿が目に入った。
「お、ルキア。何してんだよ」
 声をかけた途端、ルキアはばつの悪そうな顔をして、「何もしてない」と横を向いて答えた。
「じゃあ一緒に帰ろうぜ」
「―――ああ」
 短く返事をした後、ルキアはすたすたと恋次の前を、普段の倍ほどのスピードで歩いていく。ルキアは怒ると歩調が早くなるからすぐにわかる。
 ―――見られたか。
 今の一件を、どうやらルキアは見ていたらしい。口を利かないままルキアは歩き続け、恋次も何も言わずルキアの後をついていった。
 どれほどの時間黙り続けて歩いたか、恋次達の家が近くなり、辺りに人がいなくなった頃、ルキアはぽつりと呟いた。
「………つきあっておるのか?」
「あ?」
「つきあっておるのか、と聞いているのだ。さっきの女性と」
「いーや。全く」
「ならば何故先程……」
 ルキアは一度言葉を切ると恋次の顔を見た。恋次はわざと黙っている。
「……あの女性とくちづけていたのだ」
「ん?ルキアに言ったってわかんねーよ。大人の事情って奴だ。とにかくあいつと俺は付き合いはねえよ」
「何故私にはわからんというのだ!?」
「だってお前はまだ子供だからな」
「巫山戯るな!私とお前は同じ年だろう!!」
「経験の差って奴だ」
 恋次が軽くいなすと、ルキアの顔が怒りで赤く染まった。拳を握り締めて震えている。
「………では、経験させてもらおう。そうすれば私はお前と同じ位置にいられるのだな?」
「何言ってるんだ?」
「あの女性にしたことを私にもしろ!」
「………ああ?」
 じろりと睨むルキアの目に、僅かだが涙が滲んでいるのに気がついて恋次はうろたえた。どうやら本気で怒っているようで、このままでは折角の臨時収入も無駄になってしまう。
「……もういい。お前がしないというのなら、家に帰って他の者に頼む」
 くるりと背を向けて歩き出したルキアに、恋次は溜息をつく。一体何がどうなってそういった結論に辿り着くのかがよくわからない。
「他の奴になんて、させてたまるかよ」
 腕を掴むと、恋次はルキアを引き寄せた。軽いルキアの身体は易々と恋次の腕の中に収まる。
「後悔するなよ?」
「後悔など……!」
 するものか、という言葉は恋時の唇に塞がれて消えた。
 恋次の舌が、ルキアの唇を割って侵入してくる。別の生き物のように、ソレはルキアの口内を蹂躙し始めた。
「んっ……」
 反射的に身を竦ませ、想像していた物とはあまりにもかけ離れた激しい行為に、思わず逃れようとした身体を押さえ込まれた。身をよじって逃げようとした腕を掴まれて、頭を抱え寄せられ、更に深くくちづけられる。
「れん……っ!」
「後悔しないって言っただろ?」
 一度離された唇はもう一度ルキアの唇に触れ、舌も再び口内に侵入し、今度はゆっくりと、恋次は自分の舌をルキアの舌に絡ませる。激しいくちづけよりも静かなそれの方がルキアには淫らに感じて、ルキアは身を震わせる。
 そう、ルキアは初めて感じる、熱い様なむずがゆい様な奇妙な感覚に震えていた。恋次の舌がルキアを攻めるたび、身体の奥で知らない何かが姿を現そうとしている。
「や……」
 こわい。
 自分で制御できない感覚にルキアは怯えた。
「恋次、もう……」
 やめてくれ、という言葉も恋次は最後まで言わせない。恋次自身がルキアとのくちづけに溺れていた。
 初めてくちづけたのは、ルキアが眠っている時だった。
 その後あの女と交わしたくちづけは、こんなに甘いと感じなかった。
 舌でなぞるたび、ルキアの小さな身体はビクリと跳ねる。ルキアの急いたような吐息は、段々と切な気な吐息に変わってゆく。漏れる言葉も、甘い響きをはっきりと持っていた。
 されるがままだったルキアが、小さくおずおずと反応を返してきた。恋次の舌に応えて、自らの意思で舌を絡める。
 ルキアの手が、恋次の背中に回されて、縋るように強く抱きしめた。
 

 どれほどの時間、唇を合わせていたのか解らない。お互いに刺激を求めて与えて、……不意にルキアの身体が強張ったかと思うと、急に全ての力が抜けた。
 ぐったりと目を瞑っているルキアから唇を離す。
 ―――二人の間に銀色の糸がひいて、消えた。



「で?あの女性と……していた意味を教えてもらおうか」
「お前、まだそんな事を気にしてんのか……」
「当たり前だ。早く言え」
 照れているのか、今度は頬を赤く染めながら恋次の前を凄いスピードで歩いているルキアは、恋次に事の発端の事情説明を求める。
「あー、ありゃあなあ……売ってんだ」
「売るって……キスをか?」
「ああ。結構いい値になるんだぜ。俺、余程上手いんだろうな」
「莫迦者!!」
 油断していた恋次の頬に、狙い過たずルキアの平手打ちが容赦なく飛んだ。
「………ってえ!!」
「莫迦な事を言うからだ、莫迦者!!そんなものを売るな!!」
「んな事言ったってよ」
「じゃあ私も売るぞ?いいのか?」
「莫迦言ってんじゃねえよ!!」
「じゃあお前もやめろ。わかったな?」
「へいへい」
「今度そんな事をしたらお前なんか知らないからな!」
「へいへい」
「……したくなったら、私がしてやるから」
「へいへい………あぁ?」
 うっかり聞き逃しそうになって、恋次は耳を疑った。
「おい、今なんて言った?」
「五月蝿い!!何も言ってない!!」
「いや、今言ったぞ、確かに『したくなったら私がしてやるから』って言ったよな!?」
「聞こえてるなら聞き返すな、莫迦者!!!」
 かーっと、先程とは比較にならないほど赤くなったルキアは、「もうお前なんか知らん!」と家に向かって走って行ってしまった。
 その後姿を見送って、恋次は幸せそうに笑った。


 恋次とルキアの関係が更に前進するのも、時間の問題かもしれなかった。










お色気第一弾と言う事で(笑)まだ軽めですー。
こっちのルキアはそういった知識はお持ちのようです。表のルキアとは違って(笑)

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やっぱこういうのはテンション上げないと書けないもんなんだよ…(笑)
18禁レベルを決定するのは、あなた達です!!(お笑いオンエアバトル調)

20049.9  司城さくら