夕方、真央霊術院の廊下で恋次にばったり出会ったルキアは激しく狼狽した.いつもなら寂しげで曇りがちな表情をぱっと明るくさせるところだが,こういう反応を見せるのは珍しい.

 「よぉ」

 顔を真っ赤にさせてたじろぐルキアとは対照的に,恋次はきわめて性質の悪い笑みを浮かべてルキアを呼び止めた.

 「あの話,覚えてるよな?」
 「う……,も,もちろんだ」

 目をそらしながらルキアは不承不承ながらうなずく.
 その返事に,恋次は満足そうに何度も首を縦に振って,すれ違いざまにルキアの肩をぽんぽんと叩いた。

 「じゃあ,待ってるから」

 春オーラが目に見えそうなほど漂っている上機嫌な恋次の背中を,ルキアは複雑な気持ちで見送った.


 ───その夜.
 恋次の学生寮の部屋のドアが控えめにトントンと叩かれた.
 たずねてくる者がいるとわかっていなければ気づかないほどのわずかな音.しかし,そのときを今か今かと待っていた恋次が聞き逃すはずはない.逸る心を深呼吸で整えてドアノブに手をかけた.
 ドアをそっとあけると、頭から黒く長い布を全身にすっぽりとかぶったルキアがうつむき加減に立っていた.首のところで布を握り締めているので、ちょうど顔だけがぽっかりと浮かんでいるような風体だ。布の隙間からちょこんと覗く指先がわずかに震えていた.

 「ほら,入れよ」

 ドアの前で逡巡するルキアを促し,部屋に招き入れる.
 ルキアは草履を脱いで部屋の中に入り,所在なげに部屋の真ん中におかれていた座布団の上にぺたんと座り込んだ.恋次は,周りを見渡して誰もルキアが来たことに気づいていないことを確かめると,また静かにドアを閉めて鍵をかけた.
 ルキアはここに来てから今まで一言も発していない.ルキアのこの格好は,何もお忍びで男子寮に来るからでも寒いからでもなんでもない.部屋に入っても,その布を下ろそうとする気配がなかった.ルキアのそんな様子に一つため息をついて、恋次はルキアの横に歩み寄った.

 「いつまでそれかぶってんだよ?」

 布に手をかけて上にひっぱると,ルキアが短く「あっ」と声を上げて抵抗した.また一つため息をつきながら正面に回りこんでルキアの顔を覗き込んでみると,ルキアは顔を真っ赤にさせて布を顔に押し当てていた.

 「ルキア?」

 ルキアは肩をびくっと震わせて視線をさまよわせる.

 「今日,貼り出されてた総合成績,見たよな?」
 「……」
 「俺が総合成績で10位以内に入ったら,何でも言うことをきいてやるって言ったよな?」

 ルキアは無言のままうなずく.

 「だったら,いい加減それを取って何かしゃべってくれよ」

 そう言われて,しばらくうつむいていたルキアは布を頭からすべり落としながら蚊の鳴くような声で答えた.

 「……わかった……にゃん」

 布の下から現れたのは,ルキアの美しく豊かな黒髪…だけでなく,髪と同じ色のふわふわしたとんがり.それが左右に一つずつ,ルキアの丸い頭の上にちょこんと乗っていた.その声を聞きその姿を見た瞬間,恋次の理性を引き止める鎖が2,3本,音を立てて焼き切れた.思わず抱きしめてかいぐりかいぐりする誘惑に負けそうになる.だが,ここはぐっと堪えて,もっとこの状況を楽しむことに専念する.何せ,夜は長いのだ.


 恋次の視線にさらされながら,ルキアはなぜこんなことになったのだろうと頭を抱えたくなった.

 恋次が学院の試験で上位の成績を取る.

 本来ならばこの上なく喜ばしい出来事が,こんなことになろうとは.ルキアにとって,この結果はまったくの計算外だった.少なくとも,二週間前,この部屋で一緒に勉強していたときには考えもしていないことだった.

 「この体力莫迦め!」
 「なんだと,コラ」
 「本当のことを言ったまでだ」

 白打や走術などでみるみるその才能を開花させている恋次が唯一苦手な鬼道.個々の成績では首席を取る科目さえあるというのに,総合成績になるといつも振るわないのは,鬼道の成績が極めて低いことに理由があった.対して,鬼道の成績はトップクラスなものの,体力・体格が平均より劣るルキアは力勝負に持ち込まれると弱い.そういう事情もあって,お互いの足りないところを補うため,試験前にはこうして二人揃って試験対策を行うのだが,その日もちょっとしたことでいつものように口論が始まってしまった.お互い,試験前ということでナーバスになっていたのだろう.

 「じゃあ何か?俺は戦うときに全然まったくちっともさっぱり頭を使ってねぇとでもいうのか?」
 「そう聞こえたのならそうだろう.心当たりがあるのではないか?」
 「てめぇこそ,ぐだぐだ考えてばかりだから動きも鈍くなるんだろうが」
 「なんだと!?」

 お互いに顔がくっつきそうなほど近づいてにらみ合う.

 「大体,貴様がこれまで鬼道でどれだけの点数を取れたというのだ.言ってみろ!」
 「さっきから鬼道鬼道ってうるせえな!誰にだって向き不向きはあるに決まってんだろ!そういうお前はどうなんだ,え?上にも横にもちっとも成長しねぇくせによ!」
 「な…なんだと!?今の言葉,取り消せ!」

 ルキアもそれは結構気にしていたらしい.怒りで紅潮していた顔が今度は恥じらいで赤くなった.

 「なんだよ,そんなにムキになるってことは,心当たりがあるんじゃねぇか?」

 鼻先でふんと笑うように,先ほど自分の言った言葉とまったく同じ言葉で返されて,ルキアは一瞬「ぐっ……」と言葉に詰まる.

 「た,例え背がなくとも,……
胸がなくとも,貴様のように無駄に一部分だけ飛びぬけただけの男よりも,全体的なバランスが取れている方がよいに決まっておるだろう」
 「ようし,そこまで言うんなら,もし俺が今度の試験で総合10位以内に入ったら……」
 恋次はベッドの下に入れておいた (恋次曰く「友達から押し付けられた」)大人の読本をぱらぱらとめくり,ある1ページを開いてルキアの前につきつけた.

 「一晩中この格好をして,言葉の最後に『にゃん』ってつけてもらうからな!」

 そのページには,身体にわずかな布きれ(としかルキアには思われない)を申し訳程度に身体に巻きつけた,いわゆる『ぼんきゅっぼん』な女性が頭に猫耳をつけ,カフスをつけた手を床において四つんばいになり,尻を高く突き上げて艶かしいポーズをとってこちらを見上げている写真が大写しで載っていた.腰に巻かれた布からは黒いふわふわした尻尾がたらんとたれている.

 「なっ,お前,なんだ,この本は!エロ変態!ど助平!こんなものを読んでいるから集中力が……」
 「だーっ,そんなところはどうだっていいんだよ!」

 雑誌を勉強道具が散乱する机の上にバンと叩きつけ,恋次は詰め寄る.

 「どうだ?さっきまであんなに人をバカにしといて何も言えねえのか?あぁ?」
 「そこまで言うならよかろう.耳でも尻尾でも,にゃんでもきゃんでもいくらでつけてやる!その代わり,もし10位以内に入れなかったら私の言うことを何でも聞いてもらうぞ!いいな?」
 「その言葉,忘れんなよ!」



 ……忘れてはいない.勢いでこんな約束をしてしまった自分の不覚さ加減を.
 そう.自分で言ってしまったのだ.どんな格好でもしてやると.

 「……体力莫迦ではなくエロ体力莫迦だということがわかっただけではないか……」
 「あぁ?今何か言ったか?」
 「何でもない!……にゃん」

 わずかなつぶやきも耳ざとく聞き逃さない.

 「……で,だ.そろそろ服の方も見せてもらいたいんだけど」
 「……」

 ルキアは体の方は相変わらずかぶってきた布で覆って晒そうとしない.

 「……どうしても,か?」

 顔を真っ赤にし,唇を震わせながら,ルキアは半ば懇願するようにそれだけを口にする.

 「どうしても.約束破る気か?つか,『にゃん』忘れてるぞ」
 「う……」

 どうしてもふんぎりがつかない.そんなこう着状態を打開すべく,とうとう恋次が腰を上げた.

 「俺が脱がしてやろうか?」
 「!!いっ,いいっ!自分でやる!…にゃん!」

 ルキアは覚悟を決めて立ち上がり,身体に巻いていた布から手を離した.すっと布が床に落ちる.布の下から現れたのは,脇がスピンドルになった黒いベロア地のベアトップに,同じ布でできた短いフリルスカート,スカートから伸びる足は目の粗い網タイツに覆われている.タイツは太ももに付けらけられたレース地のガーターでしっかりと留められ,やはり黒い尻尾がスカートからちょこんと伸びていた.
 恥ずかしそうに自分の腰を抱きしめるように絡ませるルキアの手首には,白いカフス.スピンドルやタイツの間から覗く白く滑らかな肌は,ちょっと物足りないと思わせる色んな膨らみを補うに足るものがあった.

 恥ずかしいのに耐えながら上目遣いで恋次の様子を伺うルキアの様子に,ぎりぎり保てていた恋次の中の理性は,最後の鎖一本を残してすべて千切れ去った.

 (ダメだ,もう限界だ…!)

 「……わりぃ,ルキア.ちょっとトイレ行ってくる……」
 「え,ちょ,どうしたんだにゃん!」
 「すぐ戻る!」

 慌てた様子で恋次はトイレの方へと駆けていく.

 「おかしなやつだにゃん」

 せっかく思い切ってこの格好になったのに.
 ルキアはなんとなく拍子抜けしたような気分になって,再度床に座り込んだ.

 「恋次はにゃんだか顔をしかめていたようだが……もしかして,私のこの格好が似合っていにゃかったのか?あまりのひどさに,耐え切れなくにゃって出て行ってしまったとか…….うにゃ,そもそもこの服を選んだのは恋次だぞ?これが服といえるかどうかは甚だ疑問だが.ということは,私の着こなしが悪いのか….確かに,あのときの写真の女ほど,………出ていないものな」

 長々と独り言を言いながら,自分の胸元を見つめてため息をつく.
 時計の針はこちこちと時間の経過を告げる.
 恋次はなかなか帰ってこない.ルキアの中に降り積もる不安は加速し始める.

 「……もしかして私が渋ったのが原因か?それとも,色っぽい仕草ができにゃいのが悪いのか.うぅむ……」

 ここまで考えたところで,そうだ!とルキアはあることを思いついた.そっとベッドの方へと歩み寄り,ベッドの下に手を突っ込むと,積まれているいろんな本の中から恋次が先日見せた雑誌を探し出した.

 「友達から無理やり渡されたという割にはまだ持っているではにゃいか!まったくあやつは…….えぇと……そう,このページだ」


 その頃恋次は,トイレで‘すっきり’してすがすがしい気分になっていた.
 あの格好をしたルキアがあんなにかわいいとは.予想していたとはいえ,完全に予想外だった.これで試験前のあの地獄の特訓が報われたというものだ.
 ルキアのことを,そして今日これからのことを考えると,どうしても気分が高揚せずにはいられない.この機会をじっくり楽しむためにも,もっと落ち着かねば.用心のために2回も‘すっきり’したのだから.

 「よしっ!」

 恋次は気合を入れてトイレを後にする.自分の部屋のドアをバタンと勢いよくあけて,恥じらいで身を震わせながら待ってるはずのルキアに声をかけた.

 「ルキア,待たせた……な……!!!??!!?」
 「ううわぁっ,恋次!いきなり入ってくるにゃあ!!」

 恋次の目に飛び込んできたもの.

 それは,女豹のポーズをしてこちらを見上げてくるルキア.

 身体を包む柔らかい布地がたらんとたれて,わずかながらもできている白い胸の谷間がぎりぎりのところまで見えていた.

 突然帰ってきた恋次に驚いたルキアがそのポーズを解く前に.
 恋次は今来た道をユーターンして,再びトイレに駆け込んだ.
 ドアを背にして,はぁはぁと大きく息をする.

 (……なんであいつ,いきなりあんな格好してやがんだ!?)

 せっかく収まったはずの動悸と熱で頭がくらくらする.

 (これからどうすんだよ,俺.一晩中耐えられるのか?我慢できるのか,俺?これ,俺の方が罰ゲームみたいになってねぇか?最初は色々と注文つけて恥ずかしがりながらも俺の言うこと聞くルキアってのを見てみたかっただけなんだが.いや,もともと約束は俺の言うことなんでも聞くってことだったんだから,このまま『約束だろ?』とか言いながら勢いで押し倒して…….やっぱダメだ!こんな罰ゲームもどきで無理やりルキアとヤれても嬉しくねぇ!何よりルキアの気持ちはどうなるんだよ!……いや,ヤりたいことはヤりてーけど…….あぁ,くそっ,早く収まれよ,俺!)

 ルキアと同じように,ぐるぐると頭の中を埒もない考えがまわりだす.だが,すぐ傍から渦中の人の声が聞こえてきたため,思考は一時中断した.

 「恋次,気分でも悪いのか?大丈夫か?」

 ドアの外からルキアの声が聞こえる.心配で様子を見に来たらしい.

 「い,いや,何でもねぇから向こうに行ってろ」

 まさかこれからどうしようと慌てているなどとはいえない.
 ルキアからの返事はない.
 ドア1枚をはさんで,二人の間に沈黙が重くのしかかる.

 「……やっぱり,こんな格好は私には似合わないか…」

 自嘲するような言い方.ヤバい.

 「期待を裏切って悪かったな.……もう帰る」
 「ちょっと待て!」

 ドアをバンと開け放して飛び出し,玄関に向かうルキアの手を取って腕の中に引き寄せた.着物の袷から軽く覗いた胸元にかする猫耳がこそばゆい.恋次はルキアの頭をよしよしと撫でながらそっとささやいた.

 「似合いすぎてて,正直,お前をずっと見てられねぇ程ヤバいんだよ.お前自分がどんだけかわいいかわかってねぇだろ」
 「……本当にそう思ってるのか?同情ならいらんぞ?」
 「同情でそんなこと言うやつだと思ってんのかよ,テメーは」
 「…すまない」
 「また『にゃん』忘れてるぞ」
 「……すまないにゃん」
 「上出来」

 (そうだよ,こうやって会話を楽しみながら腕の中でずっとかいぐりしてれば,全然意識することねーじゃねぇか)

 理性に何重にも鎖をかけて,ルキアを腕の中に包んだまま再び部屋へ向かう.そう,夜は長いのだ.

 だが悲しいことに,その鎖は脆くも一本残らず崩れ去ることになる.
 膝の上に乗せたルキアが

 「これから朝まで何するにゃ?」

 と,上から見ると胸元すかすかの状態で,恋次を見上げながら無邪気に微笑みかけた瞬間に.


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 最初はヒールっぽくきめていたのに,やっぱり最後はヘタ恋次(笑).
 まだまだ初々しい学生だから,こんな感じでやってみました.





Regen Tropfen  御陵茶葉さま