このお話は、むかしむかしのお話です。
小さな村の小さな森の、更に奥の小さな家に、魔女の緋真さんは住んでいました。
けれど緋真さんは、「魔女」と言って皆さんが想像するような怖い女の子ではありません。黒い髪に黒い服。頭にはつばひろの黒いとんがり帽子。そして手には長い箒を持ったその姿は、確かに皆さんの思い描く「魔女」そのものかもしれません。けれどもその華奢な身体に大きな紫色の瞳、そして何より優しい笑顔を見れば、皆さんも緋真さんが怖い魔女だとはちらとも思うことはないでしょう。
それに緋真さんはちょっとふつうの魔女とは違っていたのです。
皆さんは魔女とはどんなイメージをお持ちでしょうか?箒で空を飛ぶ?魔法を使う?秘密の薬?謎めいた儀式?そうです、ふつうの魔女は皆今言ったことを難なくこなします。それが出来なくては魔女とは言えないのですから。
ところが緋真さんと来たら、まず箒には乗れません。少しばかり……いえ他の魔女よりもかなり……運動神経に困ったところのある緋真さんは、魔女の代名詞ともいえる月夜に箒に跨ってすいすい飛ぶということを一度もした事がありません。
もちろん空を飛ぶ事はで来ます。緋真さんは魔女なのですから!……ただその高さがあまりにも低く、人の膝くらいの位置でしか飛べないのと、そのスピードは人が歩く速さと同じほどと言うのが問題なだけで。
そして魔法はからきしです。どんな簡単な呪文を唱えても、緋真さんのかけた魔法が効いたためしはありません。えいっと気合を入れて魔法をかけても、咲くはずの花は一気にその花弁を空中に散らしてしまいます。
魔法がダメなら薬を作って人の役に立とうと張り切ってみても、まず緋真さんは薬の材料となるイモリやヒキガエルやコウモリなどが大の苦手です。コウモリはまだしも、イモリやヒキガエルの姿を見ただけで、緋真さんは怖くて怖くてかちんこちんに動けなくなってしまいます。
そんなこんなで、緋真さんは同じ魔女の女の子の中では「おちこぼれの緋真」と悪口を言われて、誰も緋真さんを仲間とは認めてくれません。元々緋真さんのご両親は早くに亡くなってしまったので、緋真さんは森の奥の小さな家に一人きりで住んでいます。けれど緋真さんの元には、森のうさぎさんやリスさん、鹿さんやことりさんたちが、他の魔女よりもちょっと……いえ大分……たよりない緋真さんのようすを見に立ち寄ってくれるので、緋真さんは毎日笑顔で暮らしていました。
そんなある日の事です。緋真さんと同年代の魔女たちが4人、緋真さんの小さな家に押しかけたのです。その魔女たちを見て緋真さんは少し怯えた表情を浮かべました。何故ならその魔女たちは、ずっと昔から緋真さんを「おちこぼれ」「なりそこない」と苛めていた意地悪な子たちだったからです。
「卑怯者の緋真」
中でも一番、ずっと緋真さんに意地悪をしていた髪の長い女の子が言いました。いきなり卑怯者と言われて緋真さんは驚きました。だって緋真さんは、普段から誰ともお話をしていないからです。毎日一人で、森の動物たちだけを話し相手に暮らしていたのですから、女の子に「卑怯」と言われるようなことに全く覚えがなかったのです。
「何も出来ないくせに、魅了の術だけは得意なのね」
長い髪を振り乱して女の子は言いました。
「ユーリもオスカーもトーマもエーリクも、みんなあんたが術をかけたのね。あたしたちがユーリたちを好きだっていうのを知ったからでしょう」
緋真さんは何を言われているのかわかりません。魅了の術なんて試したこともありません。けれど誤解だと告げようにも、女の子たちのその顔はとても怖ろしく、緋真さんはただ怯えるばかりです。
緋真さんは全く知らないことですが、ユーリもオスカーもトーマもエーリクも、魔女の村にいる男の子たちです。そしてその男の子たちは、森の奥に一人で住む綺麗な女の子に少なからず心を奪われていたのでした。もちろん緋真さんは魅了の術などかけていません。男の子たちは、ただ遠くから緋真さんが綺麗な声で歌い、可愛らしく笑い、森の動物たちと楽しそうに暮らしているのを見ただけで、心を奪われてしまったのですから。
「お情けで村に置いてやってるのに」
女の子の声が緋真さんを責めます。他の女の子も「おちこぼれのくせに」「なりそこないのくせに」と次々に緋真さんを苛めます。
「私、何も知りません」
何とかわかってもらおうと口にした言葉は、よけい女の子たちを怒らせてしまったようでした。更にひどい言葉を投げつけられて泣きそうになる緋真さんを髪の長い女の子は睨みつけました。
「ここから出て行きなさい、淫魔!」
その言葉に緋真さんはとうとう泣き出しました。淫魔、という言葉もそうですが、村から出て行けと言われた事がショックだったのです。髪の長い女の子は、村の長の一人娘です。長はこの一人娘を溺愛していることは有名で、この娘が父親に緋真さんを追い出すようにお願いしたのなら、必ずそれは実現すると緋真さんは知っていたからです。
緋真さんにはこの村の他に行くところなどありません。知り合いは誰一人いないのです。
悲しくて泣き出す緋真さんを見て、女の子は「言うことを聞いたら、この村に残ってもいいわよ」と意地悪そうに言いました。
「村から追い出されたくなかったら、月光花を摘んでくるのよ。明日の朝までに。そうしたらこの村から追い出すことはしないであげる」
緋真さんの眼から涙が止まりました。それは嬉しさからではなく恐怖からです。
月光花。
それは、異性を振り向かせる薬を作る為には必ず必要な材料の花です。綺麗な月夜の晩、たった数時間だけ咲く美しい花。月の光を集めたような、それはそれは美しい花です。
けれどその花を見たものは多くありません。その花は、村から離れた場所にある、さる貴族の領地にしか咲いていないのです。
貴族、と呼ばれるその領主は人ではありません。
魔女たちも恐れる存在、種族の頂点、夜を統べる魔物―――
吸血鬼。
その吸血鬼の領地にしか咲かない花なのです。
領主の領地に無断で入ることは許されません。見つかればそれは即、死を意味します。
その怖ろしい吸血鬼の森へ、緋真さん一人で行けと女の子たちは言うのです。
「いい?明日の朝までよ?」
笑い声と共に女の子は言いました。
緋真さんはただ呆然と、一人立ち尽くすしかありませんでした。
辺りはしんと静まり返っています。音といえば、緋真さんが歩くたびに足元で起きる土や葉っぱを踏む音だけです。
重なり合った樹々の葉っぱは頭上にあるはずの月の光を覆い隠して、森の中は暗く静かで、緋真さんはぎゅっと箒を握り締めながら森の中を歩いています。
時刻はもう真夜中です。箒に乗れない緋真さんは、家から一生懸命歩いてようやくついさっき目的地であるこの森に辿り着きました。森は暗く鬱蒼と茂っていて、緋真さんの住んでいる森とは全く景色が違います。ほう、ほう、とどこからかフクロウのなく声がして、緋真さんはどきりとしました。心の拠り所の箒をすがるように握り締め、緋真さんは森の奥に歩いていきます。
どのくらい歩き続けたでしょうか、暗かった森の中に小さく明かりが見えます。ぼんやりとした優しい光です。緋真さんはその光に向かって歩きました。するといくらもしないうちに、目の前に淡く白く輝く花が現れました。
なんと美しい花でしょう。月光花の名前の通り、月の光を集めたような純白に輝く花が、緋真さんの目の前に揺れています。それは神秘的と言ってもいい美しさでした。その花を前に、緋真さんはここが怖ろしい貴族の森だということをすっかり忘れてうっとりとその花に見惚れてしまいました。
この美しい花を手折るなんて、と緋真さんはためらいました。風に揺れている月光花は、今夜一晩しか咲かないのです。その花の生命を奪うことにためらっていると、突然緋真さんの頭上から「何をしている」と静かな声が降ってきました。
緋真さんはびっくりして心臓が止まりそうになりました。だって直前まで人の気配はまるでなかったのです。枯葉を踏む足音も、まるで聞こえませんでした。それなのに誰かが自分の真後ろにいるのです。
緋真さんは自分がどこにいるのかを思い出しました。ここは貴族の森。領主さまは、この森に無断で入った者を殺してしまう怖ろしい吸血鬼なのです。
恐怖に混乱しながら緋真さんは立ち上がって振り返りました。そして緋真さんは領主さまを見て動けなくなってしまったのです。
そこに怖ろしい吸血鬼がいたから?いえ、緋真さんの目の前にいたのはとても美しい男の人でした。まるで月光花の化身のように、見たこともないほど美しい男の人だったのです。白い肌に黒い髪。黒いマントの下に見える白いシャツは絹なのでしょうか、仄かに白く光っています。
ぽかんと緋真さんは目の前の男の人を見詰めていました。男の人は表情を変えずに、やはりじっと緋真さんを見ています。
「こんな時間に何をしている」
再び男の人が言いました。それが魔法を解く呪文だったように、緋真さんは自分がどこで何をしているか、そして目の前にいる男の人が誰なのかを一瞬で思い出しました。でも一瞬で思い出してしまったのが問題でした。緋真さんはいっぺんに色んなことが出来る器用な女の子ではなかったのです。
「あの、……ごめんなさい!」
緋真さんは恐ろしさで回らない舌を何とか動かして大慌てで頭を下げ、男の人が何かを言う前に背中を向けて一直線に走り出しました。そう、一直線です。樹々の生い茂る暗い森の中を脇目も振らずに一直線に走ればどんな事になるか、混乱しきった緋真さんにはわからなかったのでしょう。
ごん、とにぶい音がして、緋真さんはきゅうと気絶してしまいました。何事にも一生懸命な緋真さんは、逃げることにも全力だったのです。結果、全力で樹にぶつかってしまった緋真さんは、声も出せずに気絶してしまったのでした。
草の上に仰向けで倒れている緋真さんを、男の人はしばらく無言で下ろしていました。その無表情な顔からは誰も想像できないとは思いますが、男の人は呆れていたのです。男の人はただ何をしているのかたずねただけなのに、女の子は突然走り出して樹にぶつかってしまったのですから。
どうやら倒れている女の子は魔女のようです。けれど感じる魔力はあまりにもささやかで、これならば人間の方が力がありそうだと男の人は思いました。
女の子は一向に気付くようすはありません。このまま放って置いてもいいのですが、そうすると明日の朝までに女の子は綺麗な白い骨に姿を変えているでしょう。この森には色んな生き物がいるのです。
男の人は小さく溜息を吐くと、女の子を抱き上げました。するとどうでしょう、間近で見た緋真さんの顔を見て、男の人の無表情がほんの少しようすが変わったのです。
けれどそれも一瞬で、男の人は緋真さんを抱き上げたまま、腕を大きく振って黒いマントをひるがえしました。
次の瞬間、二人の姿は消え―――森の中には、変わらず月光花が静かに輝くだけになりました。
目を開けた途端、緋真さんはここがどこだかわかりませんでした。
見たこともない大きな部屋です。葡萄色の重いカーテン、輝く木で作られた大きな机、壁に掛けられた豪華な絵。どれも自分の見た事のないものばかりです。上体を起こして周囲を見回そうとした緋真さんに「気付いたか」と声が掛けられ、緋真さんは飛び上がりました。
緋真さんが寝ていたベッドの頭のほうに、背もたれのついた大きな椅子に腰掛けた男の人がいて、緋真さんを見つめていました。マントはもう外して、ゆったりとした部屋着に着替えています。机の上には紅い液体の入ったグラスが置かれていました。
森の中で見た美しい男の人だと気付いた緋真さんは、呆然と男の人をみつめることしか出来ませんでした。目の前にいる人が領主さまで、自分が領主さまの屋敷にいることなどどうして信じることが出来るでしょうか。
部屋の灯りの中でも、男の人はとても綺麗でした。黒い瞳がまっすぐに緋真さんを見ています。
領主さまはとても怖ろしいと緋真さんは村の人たちから聞いていました。侵入者を見つければすぐに生命を奪う怖ろしい吸血鬼。けれど今緋真さんの目の前にいる男の人は、そんな怖ろしい吸血鬼には見えません。それどころか、緋真さんは目の前の無表情な男の人から何故か淋しさを感じました。
「傷は治したが、痛む所はあるか」
そう尋ねられて、緋真さんは自分が樹に激突したことを思い出しました。一瞬で顔が赤くなります。この美しい人の前で、ずいぶんとみっともないことをしてしまった自分が恥ずかしくて、緋真さんは俯いてしまいました。
「……何処か痛むのか」
男の人は立ち上がって、緋真さんの顎に指をかけあおむかせました。あまりにも近い男の人の顔に、緋真さんの顔は更に赤くなります。りんごのように真赤な緋真さんを見て、男の人は額に手を当てました。ひんやりとした感触が緋真さんのほてった顔を冷やします。
「いえ、だっ、大丈夫ですっ!」
身をよじって男の人から離れようとした緋真さんを見て、男の人は緋真さんが怯えているととったようでした。無言で緋真さんから離れます。
けれど緋真さんにはそんなつもりはなかったのです。ただ、男の人にふれられると、心臓がどきどきして顔が熱くなってしまうから、だから身を遠ざけてしまったのです。
「あの……ありがとうございましたっ」
あわてて頭を下げると、男の人は何も言わずに頷きました。それきり会話が止まってしまいます。緋真さんはどうしようとパニックになりながら、まだ名前を言ってないことに気付きました。
「緋真と申します。助けてくださってありがとうございました。あの……領主さま、ですか?」
恐る恐る尋ねた緋真に、男の人は頷きました。
「あの場所で何をしていた?」
夜のように静かな声で問い掛けられ、緋真さんは身を縮めました。月光花は短命な上に繁殖力が弱く、とても数の少ない貴重な花です。それを無断でとろうとしていた自分に、緋真さんはいたたまれなくなりました。
「月光花を……」
領主さまはことのほか月光花を愛でているのだと聞いたことがあります。だからその美しい花を私欲で手折ろうとするものを許せずに殺してしまうのだと緋真さんは村の人に聞きました。それを思い出して領主さまに意識を向けると、あまりにも大きな魔力にめまいがしそうになりました。そばにいるだけで圧倒されてしまうほどの魔力です。殺されてしまうかもしれない、と緋真さんはふるえ上がりました。
ところが領主さまは緋真さんをだまって見ているだけでした。あまりにも大きな魔力は変わらずに感じますが、それが自分に向けられているようすもありません。緋真さんが戸惑っていると、領主さまは「昨夜の花は既に落ちた」と言いました。緋真さんは窓の外を見ます。夜の空はほんのりと白く変わっていました。もう夜明けの時刻なのです。
今日の朝までに月光花を届けないと、緋真さんは村から追い出されてしまうのです。そしてその朝はもうすぐそこまで来ていました。
うなだれる緋真さんを見て、領主さまは立ち上がりました。たったそれだけの動作がため息が出るほど美しく、領主さまは表情を変えることなく言いました。
「今夜別の月光花の元へ案内しよう」
月光花をくれるというのです。緋真さんは驚きました。月光花はほんとうに貴重な花なのです。
「それまで私は休む。……お前は好きにするが良い」
すい、と領主さまの手が空気を薙ぎました。
するとどうでしょう、次の瞬間には、机の上にスープやパンやくだもの、卵料理や野菜などがたくさん並んでいたのです。
緋真さんのために用意してくれたのです。緋真さんは戸惑いました。とても村の人たちのうわさするこわい吸血鬼だとは思えなかったからです。
「あの、領主さま……領主さま、ですよね?」
先ほどと同じ質問をおそるおそるたずねた緋真さんに、領主さまはやはり先ほどと同じく頷きました。
「朽木白哉」
その名前だけを告げると、領主さまは扉に向かって歩き出しました。窓の外はだいぶ白くなっています。真夜中に棲まう吸血鬼にとって、朝日は忌むべきものなのです。
「出て行くも残るもお前の勝手だ。好きにしていい」
その言葉を残して部屋を出て行った領主さまのうしろ姿を、緋真さんは言葉もなく見送ります。
好きにしていい、と言った領主さまが、どこか淋しげに思えてしまったからです。
ベッドの上に起き上がったまま、緋真さんは机の上に用意された食事を見ます。
おでこにさわってみました。そこに傷はありません。ぜんぶ領主さまが治してくれたのです。
緋真さんは窓の外をながめます。
たしかに領主さまの魔力は大きすぎて、緋真さんはそばにいるだけで震えてしまいます。
けれど、緋真さんは領主さまにきちんとお礼を言ってません。
していただいたご恩には、必ずお返しをしなければいけませんよ、と緋真さんのお母さまは小さい緋真さんに言い聞かせていました。
だから緋真さんは考えました。
今日の夜まではここにいよう、と。
これはむかしむかしのお話。
小さな魔女と、強大な吸血鬼の恋ものがたり。
「B8」のチョキさまが日記に書かれていた魔女っ子緋真さんと吸血鬼白哉さんの設定のあまりの素敵さに、一気に書いてチョキさんに押し付けたもの(笑)
以下、チョキさんの設定です。
ファンシー系魔女(魔力は大変ショボイ)緋真と、正統派吸血鬼・白哉という設定です。(あほ)
緋真は魔女なのにヒキガエルとかコウモリが苦手で、森のウサギさんとかリスさんがお友達☆という、魔女の風上にも置けない魔女です。(当然魔女仲間から村八分)
お陰で魔力は弱く、ほとんど魔女コスプレのお嬢さんレベル(ホウキはお掃除に使います)。
ある日、孤高の吸血鬼・白哉(超恐れられてる)と出会ってヒー殺される!!とアワアワしますが、あまりのショボイ魔力に呆れられ、殺されず。
大変血が美味しそうだったので、気まぐれでお城にテイクアウト。
実際まれに見る美味しい血だったので、そのままお城に住むことに・・・(非常食?)
最初は怖がってたりしつつも、紆余曲折を経て段々信頼とかラブとかラブとかラブとかラブとかが芽生えると、大変よろしい。
萌え―――っ!
この後、白哉さんがドSだったりと設定がプラスされておりますが、私はこのままド甘な白哉さん設定でいくお許しをチョキさんから頂きましたので、チョキさんの優しさに甘えて……続きます。てへ。
そしてチョキさんから頂いたイラスト!やっほう!