音が出ぬよう、慎重に開けた扉の隙間から、するりと中へと入り込んだ。
暗い部屋に、白いシーツの色が淡く浮かんでいる。
この部屋も、横たわる者の呼吸の音しか聞こえてこない。
白いシーツの上に鮮やかに散る赤い髪。
眠る恋次の顔を見るのは、戌吊以来のことだ。
私は恋次の枕元に立って、じっと恋次を見下ろした。
幾分白い顔。
傷ついた身体。
上半身に巻かれた白い包帯が、恋次の受けた傷の激しさと多さを私に伝える。
―――お前が傷つく謂れはなかったのに。
私の為にお前が傷つくなど、そんな必要は髪一筋ほどもなかったのに。
あの時、私は死んでも良かったのだと、
告げたらお前はなんと答えるだろうか。
「私は死んでも良かったのに」
独りで生きるのは辛いから。
誰にも必要とされていないから。
誰も傍にいてくれないから。
「……死なせるかよ、莫迦野郎」
返ってきたのは、紛れもなく。
「……目覚めていたのか」
暗い病室では、全てが闇に沈んで恋次の顔は見えない。
一体今、恋次はどんな表情を浮かべているのだろう。
激怒の表情か、呆れた表情か、蔑みの表情か。
けれどこの暗闇は私にとって救いでもある。
恋次も私の顔は見えないはずだ。
こんな空虚な顔の女の為に生命をかけたとは、恋次の為にも知られない方がいい。
「すまないな、もう出て行く……ゆっくり休んでくれ」
ふ、と離れようとした身体を引き止められた。
見れば、恋次の手が私の手首を掴んでいる。
「動くな。傷が開く」
「手前の傷もな」
「……何を言っている」
「泣いてる癖に」
「……何を言っている」
途端、目から溢れる涙に気付いて狼狽した。
意識などしてなかった。それ以前に、恋次に見えるはずはない……この暗闇で。
動けずにいる私の手を掴んだまま、恋次の身体が起き上がるのが解った。きい、とベッドの軋む音がする。
「死んでも良かったのか?それがお前の意思なのか」
暗闇の中向かい合う。
まだ恋次の顔は見えない。
暗闇に目が慣れない。
見たくない。
見られたくない。
「お前には悪いが―――それでもいいと思っていた。生きていても―――仕方がない」
「―――何でだよ」
「さて、な―――いつも思っていたよ。何故私は生きているのか。誰からも必要とされていない。緋真様―――緋真様は本当の姉だったそうだよ、私の。兄様は本当に義理の兄様だったのだな、朽木の家に入らずとも」
「……隊長の話は聞いていた」
「そうか―――ならば話は早いな。私は実の姉に捨てられた。そして兄にも捨てられた。私の命はそう大した物ではない、それは解っていたけれど。幼い頃、既に私の身体の中には崩玉が埋め込まれ、その時から私は、身体ごとの消滅を周りから望まれていたのだな。崩玉を埋め込まれたのは―――ああ、もしや姉様がそれを望んだのかもしれん。姉様から聞いて、私の中にあるこの禍つ玉を兄様もご存知だったのかもしれぬな。だから私を進んで消滅させようと思われたか―――どちらにしろ、私は死んだ方が良かったのだろう、そう望む者がこれだけ多いとなると」
饒舌が過ぎた。
それを恋次に告げて、私の左手を掴んで引き止める恋次の手を離させようと、右手でその包帯に包まれた手に触れる。
その手も掴まれた。
ぎりぎりと締め付ける力の強さに、ああ、と私は気付く。
「そうだな、お前は私を傷つける権利がある―――お前が生命をかけて助けた女は、その価値もない存在だよ。お前は私に復讐する権利がある」
ならばもう少し生きていよう。
「そうだな、お前の傷が癒えた頃、お前の前にもう一度姿を見せよう。そうしたら好きにするがいい。それまでは何とか生きているよ」
締め付ける力は緩まない。
「恋次、そんなに力を入れるな―――お前の傷が開く」
「お前の為に俺がどれだけ傷を負ったか、その目で確かめてみろよ」
私を掴んでいた両手が離れた。
引き剥がすように、恋次の手が、己の身体に巻きついた包帯を外していくのが見える。
既に闇夜に目は慣れた。
恋次は白い帯を引き千切る。
「―――やめろっ……!!」
血が滲んでいく。
塞がりきっていない数多の傷が、その乱暴な動きで一斉に赤い雫を迸らせる。
「莫迦、やめろ!!傷が、血が―――死んでしまう、恋次……っ!!」
叫ぶ私を、恋次は有無を言わさず抱え上げた。そのままベッドの上に押し倒される。
「やめろ、恋次―――私を傷つけたいならそれでもいい、だけど今は駄目だ―――お前の傷が癒えてから……っ!」
覆い被さるように塞がれた唇で、私の言葉は封じられる。
荒々しく蹂躙される舌に、恋次の血の味がする。
恋次の身体から溢れる血が、包帯を、シーツを、私を赤く染め上げる。
その包帯で手首を戒められ、その紅い色を間近に見て、私の目から涙が零れた。
「お前―――私の為に、一体どれだけ血を流したんだ―――一体どれだけ私の為に血を流すんだ」
私の為に。
私の為だけに。
自分の心を殺して、私の事だけを想って。
今だって―――恋次は私を傷つけようとしているのではない、私の為に―――
死んだ方が良かったと言う私に。
死ぬなと告げるために。
私を傷つけるのだ、お前は。
「朽木ルキア」を殺して、
私をただのルキアにする為に。
「てめぇこそ」
恋次は言う。
自らを罪として。
私に重荷を背負わせないために。
「てめぇこそ、一体どれだけ血を流したんだ」
私を見る目は辛そうで、苦しそうで、
そんな目をさせているのは間違いなく私で、
やはり私は罪深い。
そしてその恋次に
心の奥深くで
救いを求めている私はやはり―――
どうしようもない程
罪人なのだろう。
再び合わせた唇は、やはり血の味がした。
それは恋次の生命。
恋次の生命を、注ぎ込まれていく。
誰からも「要らない」と言われた私を恋次は殺して、
恋次の為だけに生きればいい私を構築していく。
恋次の血が流れ込んで、私は私ではなくなる―――私は恋次の一部になる。
どうかお前のその手で、
私を殺して。
朽木ルキアを殺して。
跡形もなくなるくらい、壊して壊して壊して壊して―――
私を恋わして。
私はお前しか要らないから。
私が要るとお前だけが言って。
いつも傍に居ると約束して。
いつも傍に居ると約束するから。
「れんじ……っ!」
声を上げ、身体を跳ね上げ、私は恋次を感じている。
唇から交感する体液は、私の生命を恋次に与える。
縛られた手首に、きりきりと血濡れの包帯が食い込む。
両手を高く掲げた姿勢のまま、恋次は私の肌に赤い花を咲かせた。
その赤い花の上に恋次の紅い血が落ちて、
その花弁は濡れたように震えて、朝露のように見えるだろう。
膝裏を支えて、恋次は私の足を高く持ち上げる。
闇夜に交差する視線に、
私はただ頷いた。
そして、
身体を貫く激痛に、
私は泣いて「恋次」と小さく呼んだ。
恋次は私が欲しいと望んだ、
唇へ己の唇を合わせて私の悲鳴を封じてくれた。
恋次が私の身体を貫いて、
私の身体から赤い血が流れて、
恋次の血と混ざり合った。
赤い血は
溶けて
混ざって
私は恋次へ
恋次は私へ
生命を
想いを
伝えて
感じて―――
ぎっ、ぎっ、とベッドが軋む。
私は仰け反って喘ぎ声を上げる。
恋次は私の奥を突く。
何度も、何度も。
私を壊して、
傷つけて、
私を救う為に。
恋次で満たして、
恋次だけを考えればいいように、
私の心も身体も、
恋次の血で染められるように。
「あ、あ、……っ!」
涙が零れて頬を伝う。
その雫さえ、恋次は舌で絡め取って自分の一部にした。
痛みと、快感と、切なさと、愛しさと、全てが混ざり合って私は声を上げ続ける。
「死んでも良かったなんて言うな、莫迦野郎」
耳に入った恋次の声は、
泣いてるようで、
ぽつんと頬に当たった暖かい雫が、
流れる血だったのか、
落とした涙だったのか、
確かめたくて、
目を開けた私の身体を恋次は抱きしめて、
口付けて、
絶え間なく与えられる感覚に、
また何も考えられなくなった。
ただ、手を、とだけ口にした。
恋次は手首の戒めを解いて、
解けるのを待つのももどかしく、
私は恋次を抱きしめた。
私たちは
お互いを感じて、
お互いを求めた。
私たちは、
相手に救いを求めて、
相手を救った。
あらゆる全てを、
私はお前に捧げる。
そして
あまねく全てを、
私はお前から受け取った。
手首に巻きつく包帯を、
恋次の手首に絡ませて、
離れないよう二人を繋ぐ。
見交わす瞳と瞳。
絡めあう指と指。
重なる吐息。
仰け反る首筋に落ちる唇。
同時に互いの名前を呼ぶ、声。
流れる血の色、
混ざり合う生命の色。
私は囁く。
恋次の頭をかき抱き、
その耳に唇を寄せて、
恋次を内部に感じたまま、
縋るように唆すように、
私は囁く。
堕ちていこう―――ふたりで。
お前が居れば、そこが、
ふたりだけの落園。
HappyBirthday to au.
この「MESSIAH」は、Mary Magdalene の亞兎さんが「日々泡沫絵」で描かれた「No 125 メサイア」を元に書かせていただいたものです。
亞兎さんと知り合ってまだ間もない頃で、「この世界を書いてみたい!」とわがままを言った私に快諾してくださった亞兎さんに感謝です。おねだりした癖に書くのが遅くなってすみません…。
ルキアの素敵イラストがありますので、まだ見ていない方は急いでGo!
以前から書きたいと思っていました「メサイア」を、ようやく書くことが出来て嬉しい反面、亞兎さんの世界には遠く及ばず、赤面の至りです。
お目汚しでした。ううう…(泣)
「隣に兄様が…!」を入れられなかったのが悔やまれますー。でも、兄様は隣にいます。
次の日四番隊の人になんて言い訳するんだろう、恋次。
いやいっそ堂々と、二人で血まみれで眠り込んでるといいや。
最後の二文字は誤植じゃないです念のため。捏造単語ですが。
2005.10.5 司城さくら