一言言わせてもらえば、その時僕は普通の状態ではなかった。
 原因は昨日の夕方、僕の雇い主でもある浦原商店店主の「あ、明日夜一さんがこちらに来る事になりましたんで、こないだ注文した服を明日の夕方までに仕上げていただけます?」という気軽な一言だった。 そりゃ言う方は気楽だ、けれどそれを実行する人間は大変だってことをあの人は知っているのだろうか。
 ……勿論知ってるのだろう。
 とにかく、電話を切った次の瞬間から僕は製作の続きに取り掛かった。ある程度はもう出来ていたので今夜中に完成させるのは不可能ではなかったが、それでも僅かな時間で出来るほど簡単でもなく、完成したのはもう夜が明けた頃、そのままバタンとベッドに倒れこみ眠り込んだ。
「……竜?」
 やわらかな声と共に身体を揺さぶられたのは、だから眠り込んでまだ2時間くらいの事だったと思う。呆、とした頭と耳に、「もう起きなくては遅刻してしまいますよ?」という声が響く。
 床に膝を付いて、ベッドに寝ている僕の顔を見上げるのは……
「ネム?」
「はい」
 微笑むネム。
 ちょうど一週間前、突然一緒に暮らす事になった少女。
 それより以前から、僕の頭の中にその姿を焼き付けていた少女。
 僕は茫としながらネムを見詰めた。
 白い、きめ細かい肌、大きな瞳。
 可愛いな、と思う。
 小さな子犬のような愛らしさだ。
 僕は睡眠が足りなくて、だから普通ではなかった。
 普通ではなかったと、重ねて言わせて欲しい。
 でなければ、
 見上げるネムの頬に手を添えて、
 柔らかなネムの桜色の唇に、
 自分の唇を重ねた、
 なんて事をするわけがない!
「……雨竜?」
 不思議そうなネムの声に、やっと僕は自分が何をしでかしたかに気が付いた。
「うわあっ!」
 ばばっ、とネムの肩と頬に置いた手を外して壁際に飛び退る。ネムは首をかしげて僕を見た。
「今のは……?」
「あ、挨拶!朝の挨拶!それ以上でもそれ以下でもないからっ!」
「朝の挨拶?」
「そう、朝の挨拶!『おはよう』ってこと!」
「そうですか」
 師匠、僕はこうもあっさりと、平気で嘘を吐いてしまえる人間だったのでしょうか?
 何の疑問も持たず、ただ僕の言う事を素直に信じてしまうネムの純真無垢な微笑みに、ずきんと良心が痛む。
「ネム……」
 正直に謝ろうと口を開いた途端、今度はネムが僕の唇へと自分のそれを重ね。
「…………」
「おはようございます」
「…………おはよう」
「大丈夫ですか?起きれます?」
「…………着替えてから行きます」
「はい、では紅茶を淹れて待ってますね」
 僕の言う「朝の挨拶」を、何のてらいもなく、素直に、邪気なく、ネムはしたに過ぎない。
 何の意味もない。
 ネムには。
 ……でも、僕には。
 ぱたん、と閉じた扉の音を合図に、僕はベッドへ突っ伏した。




 ■  8:10  ■


「うーっす……って何だ?まだ寝てんのか?」
「起きてるよ」
「なんかボケた顔してるぜ」
「寝不足なだけだ」
 朽木と阿散井が住んでいる家は僕らの住んでいるマンションの目の前だ。同じ学校に通っている僕らは、自然、家を出る時間も同じ様な物になり、よく顔を合わせる。今日も家の前でかち合って、それで阿散井の第一声がこれだった訳だ。
「おはよう、ネム殿」
 朽木が声をかける。ところがネムは返事をする前に、つ、と朽木の前に立つと、身を屈めた。
「!?!?」
 阿散井の驚愕の雰囲気に、嫌な予感がして阿散井の視線の先を見る。
「…………」
 しまった……。
「おはようございます、ルキアさん」
「……今のは一体なんだ?」
「朝のご挨拶ですよ、今日教わりました」
「ふむ、そうか」
 って普通納得するか、朽木!?君はこっちでしばらく生活していただろうに、何故何の疑問も持たないんだ!?
「な、な、な、」
 見れば、阿散井の顔は真青になっている。
 ……もしかして、いやもしかしなくても朽木は未体験……だったのか。この阿散井の衝撃の強さから見ると。
「―――んだこりゃあっ!!」
「ちょっと阿散井、落ち着いてくれ」
「お、落ち着けるかっ!俺の、俺のものだった筈なのに、ルキアの初めては俺の―――」
 後は言葉にならずに、阿散井は真白になっている。目元には微かに光るものが。
 うう、罪悪感。
「ええと、その、朽木、ネム。……その挨拶は特殊で」
「はい」
「ネムが朽木にするのはおかしい」
「そうなのですか?」
「うん、これは同じ家に住んでる人同士がする朝の挨拶だから……」
 また僕は嘘をついている。けれど、家賃を払ってくれている彼のためにも、僕の最初についてしまった嘘のせいで現在自我が崩壊している彼のためにも、僕は敢えて再び罪を犯す。
「そうか」
 真白になっている阿散井の襟元を掴んで引き寄せると、朽木は阿散井の唇に自らの唇を触れさせた。
「おはよう、恋次」
「お、おう」
 横目で様子を窺うと、真白だった阿散井は今は真赤になっていた。大丈夫か、と思った次の瞬間、阿散井は盛大な音と共に後ろにぶっ倒れていた。
 そりゃあ、あんな短時間であんなに激しい血流移動したら倒れもするだろう。
「どうしたのだ、恋次は」
「……疲れてるのかも」
「まあ良い、恋次は置いて先に行こう。遅刻をする気は私にはない」
「大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ」
 地獄から天国に急上昇した阿散井を道路にうち捨てたまま、僕ら3人は学校へ向かって歩き出した。
 もう嘘は止めよう。正直に行こう、本当に。
 




 ■  12:05  ■


 今日は僕が寝過ごしたから弁当は作れず、僕とネムは購買部で買ったパンを手に教室に戻ろうと廊下を歩いていると、こっちは弁当の包みを持った朽木に会った。
「何処行くんだい?」
「うむ、いい天気なので屋上で食べようかと」
「阿散井は?」
「一護となにやら争って……いや、じゃれあっておる。つまらぬから置いてきた所だ」
 どうやら放っておかれてご機嫌斜めなようだ。「どうだ、一緒に」と誘われて、僕らは頷いた。
 

 屋上に腰掛けてパンを頬張る。今日は周りに他の生徒の姿は見えない。
 授業はあと2時間、無事に乗り切れるか心配だ。特に食事をした後の眠気は想像以上だと思う。次の授業はなんだっけ……倫理社会か。……寝ようかな。
 呆、としている僕の横で、尸魂界の住人であった少女たちは仲良く話しをしている。何の話をしているんだろう、とパックの牛乳を飲みながら考えていると、「子供はまだ出来ないのか」と突然真顔で朽木に尋ねられ牛乳を噴出しそうになった。それを阻止するために無理矢理飲み下した牛乳は、本来通るべき食道ではなく気道の方へと流れていき、僕は激しくむせ返る。
「な、何を言い出すんだ君はっ!」
「ネム殿と共に暮らしている理由はそれなのだろう?」
「違・うっ!」
「でも雨竜、はやく子供が出来るという事を証明しなければ、私、マユリ様に尸魂界へ連れ戻されてしまいます」
「そ、そんな事言われても」
「私頑張りますから。雨竜の言う事、何でも聞きますから」
 ……気が遠くなりそうだ。
 君は何も知らないのに、そんな潤んだ瞳で見つめられても。「何でも言う事聞きますから」なんて、言われてしまった僕はどうしたらいいんだ。
「大体、コウノトリは一体何処に住んでいるのだ?」
「コウノトリ、ですか?」
「うむ、コウノトリは愛し合う男女を見つけると、その二人の元に赤ちゃんを咥えて飛んでくるのだと兄様が仰っていた」
 朽木の台詞に、僕は唖然とする。
 朽木もか。
 一体尸魂界の性教育はどうなっているんだ。大体朽木は僕よりも150は年上の筈だろうに。
「……違うよ」
「違うのか?」
 思わず訂正してしまった僕に、朽木は首を傾げて腕を組んだ。
「では、どうしたら赤ちゃんは出来るのだ?」
 ……もう勘弁して下さい。
 大体それを聞くなら阿散井に聞いてくれ、僕はネム一人で手一杯だというのに。
「阿散井に聞いてくれよ……」
「どうやら恋次も知らぬらしいのだ。先日聞いたら視線を泳がせていたしな」
 それはどう言ったらいいか解らなかったんだよ。
「知らなければネム殿も子供を作り様がないだろう。教えろ、私も興味がある」
 ……嘘は止めよう。それは朝誓ったばかりだ。
 一つ嘘をつくと、それから派生してどんどん嘘が積み重ねられていく。だから嘘は良くないのだ、故に僕はもう二度と嘘をつかない。
「えーと、花で例えると、おしべとめしべが……」
「花のことなど聞いておらぬ」
 すっぱりと斬って捨てられた。
「その、猫が春になると……」
「雨竜、猫よりも人間の赤ちゃんの事を……」
 やんわりと絡めとられて転ばされた。
 例えさせろ!
 じゃあ何か、君たちは僕に『ピーがピーしてピーにピーするとピーがピーにピーして、それが赤ちゃんの元になるんだよ』とこの青空の下爽やかにそう言えっていうのか!!
 まるっきり変態じゃないかっ!
「石田」
「雨竜?」
 しかも二人揃って純真な目で僕を見る。穢れない瞳ってこういうことを言うのか、等と僕は思いつつ、嘘はつけないと誓いつつ。
「…………キャベツ畑で産まれます…………」
 
 完敗。

「何の話をしているかと思えば……」
 突然目の前に現れた人影に一瞬息を呑み、その声で誰だか悟り、次いでその姿を目に入れて……僕はかくんと口を開いた。
「夜一殿」
「おお、朽木の。元気だったか?」
「はい、その節は大変お世話になりました」
「良い良い。ネムも元気か?現世には慣れたかの?」
「はい、夜一さま」
「石田も元気そうだな……ん?なんて顔をしている」
「そ、その格好」
「どうだ?似合うであろう?ここに行くといったらの、喜助が用意してくれたのじゃ」
 夜一さんはくるりと回転した。ふわりとスカートが……うちの制服のスカートが翻る。
「まだまだ儂も現役女子高生じゃ」
「無理ありすぎですよ……」
「な・ん・だ・と?」
 ぎい、と頬をつねられて僕は「いたた」と呻いた。
「コウノトリにキャベツ畑。お主ら、一体今まで何をしておったのじゃ。聞けば朽木のは恋次と、ネムは石田と暮らしてるそうではないか。石田!」
「はい」
「甲斐性なし」
「…………」
 酷い。
「こうなったら儂が正しい教育を……」
「夜一さまっ!」
 しゅん、とまたもや突然現れたのは、やはり同じ制服に身を包んだ二番隊隊長。いや今はもうその職を辞してすっかり夜一さんのお供と化していると聞いた。
「悪ふざけも大概になさいませ、もう行きますよ?」
「まだ来たばかりではないか」
「私に現世を案内してくださると仰ったのは夜一さまではないですか!」
「うむ、まあ、そうだ。……では、石田。夕刻、喜助の店で会おう。楽しみにしているぞ」
「はあ」
 我ながら気の抜けた返事だと思う挨拶を返し、僕は既に姿の見えなくなった二人の気配を追った。 
 しかし何でわざわざここの制服を着てくるのか。そこを一度きっちりと聞いてみたい気がする。
 




 ■  21:15  ■


「飲め、甲斐性なし!」
「僕は未成年です」
「何を堅い事言っておる。大丈夫だ、お主は老けてるから」
「………」
「飲め!儂の酒が飲めぬというのか?儂を誰だと思っている?」
 ……酔っ払いだと思っています。
 口にしたら鉄拳が飛んできそうなので勿論僕は口には出さず、せめてもの抵抗として溜息をついて、並々と注がれた酒を口にする。隣でネムもおちょこに口をつけていた。
 夕方、ネムと共に浦原商店を訪ねて僕は、浦原さんに納品した。完成品には満足してもらったようで、夜一さんは早速それを着てくつろいでいる。因みにどんな服かといえば、某焔の錬金術師の軍服だったりする。軍服系は夜一さんにとてもよく似合うと思う……というか、綺麗な人は何を着ても綺麗なのだ、やっぱり。昼間の、うちの高校の制服はまあ微妙だったけど。
 その後、食事に誘われるまま浦原家の食卓に付き、そこで勧められるままに口にした酒は、美味しかったけれどたいそうな強さで、寝不足の僕はあっと言う間に睡魔に襲われる。まずい、このままでは家まで辿り着けない。慌てて帰宅する旨を伝えると、「明日は土曜で学校も休みでしょう、今日は泊まっていって下さい」と浦原さんに言われ、限界近かった僕はお言葉に甘えて、鉄斎さんに用意してもらった布団に潜り込んだ。
 横になった途端、眠りに引きずり込まれた。
 ネムは大丈夫かな、とちらりと思ったけど、情けない事に僕はもう次の瞬間には眠りに落ちていた。



 暖かい布団は優しい気持ちにさせる。
 幸せな夢を見ていた気がする。
 優しい腕に包まれるような、この上ない幸福感。
 やっと見つけた僕の居場所、心の安息。
 愛しいと想えるもの、愛しいと想われること。
 それが限りなく幸福だと。
 僕の身体にかかる体重も、それは幸福の具現だ。
 だから僕は抱きしめる。
 目の前の愛しい――――
  
 ……。
 え?

「うわああああ!!!」
 思わず叫んだ僕の目の前にいる少女は「どうしましたか?」と心配そうに僕の顔を覗き込む。
「聞きたいのは僕の方だよ!どうしたんだ、君はっ!」
「私…?特にどうもいたしませんが……」
 特に、どうもしないというこの状況を説明させていただきます。
 1)僕の布団の中にネムがいます。
 2)僕の上にネムがいます。
 3)ネムは薄い夜着のみです。
 4)ネムは僕にぴったりと寄り添っています。
「なんで僕の布団にいるんですか!」
 ネムは僕に体重を預けているために、僕は身動きが取れない。暗闇でよかったと思う、僕の顔はきっと今真赤だろうから。
 暗闇というのに、ネムの白い肌はまるで仄かな光を発しているように、僕の目にはっきりと映っていて僕は更に狼狽する羽目になる。
「夜一さまが、雨竜との子供が欲しいのならば、こうすれば良いと教えて下さいましたので」
 やはりネムを残して先に寝てしまったのは失敗だった。
 あの人はあの人はあの人はっ!!
 絶対に面白がっているんだ、間違いない!!
「ちょっと降りてくれますか?」
「はい」
 ネムは素直に横にどく。暖かい身体が僕から離れ、心の奥で残念に想う気持ちを頭を振って追い払い、僕は部屋を飛び出した。


 怒り心頭、その勢いのままに諸悪の根源が飲んだくれている部屋へと駆けつける。
 ばん、と襖を開くと、諸悪の根源は一人で杯を口に運んでいた。
「どうじゃ、事は済んだか?……にしては早過ぎじゃ」
「いい加減にして下さいっ!一体何のつもりですか!」
「勿論お主とネムの仲を取り持っておるのだが」
「余計な事はしないで下さい、って言うか変な事をネムに教えないで下さいっ」
「なんじゃ、ネムが布団に入ってきたというのに何もせずに逃げ帰ったのか、お主?本当に甲斐性無しじゃな」
「ほっといて下さい」
「もしやお主、流行の『ぼーいずらぶ』なのか?」
「またそんな妙な言葉を覚えて……」
「お主とてネムが嫌いではなかろう?なぜそこまで頑なに手を出さぬのじゃ、ネムは了承しておるというのに」
「何も知らないのに了承も何もないでしょう。大体あんな子供みたいに無垢な人に、そんな邪まな想いなんて抱けませんよ」
「己の心と書いて忌まわしいと読むのじゃ。お主も心のままに動いたらよかろう」
「黒猫館の主人みたいな事言わないで下さい」
「ほう、『黒猫館』を知っておるとはな、この助平」
 ……しまった。よもや夜一さんが知っているとは思わなかった。本当にこの人は一体何で現世の知識を得ているんだ。
「変な誤解しないで下さいよ?僕は『黒猫館』は見たことないですよ、人に内容聞いただけで……」
「それでもすけべーなことには変わりない」
 一刀両断。
「ん?もしやお主怖いのか?色事のいろはについて何も知らぬのか、なんだったら儂が教えてやろう」
 遠慮します、と言うより早く、僕の目の前に夜一さんは移動してきた。さすが瞬神夜一……なんて感心している場合じゃなかった、うわ、ちょっとこの人は!
「何するんですか!」
「個人授業じゃ」
「いやほんともう勘弁して下さい」
 艶やかな黒い肌が僕の目の前に……肌というか、胸が。目の毒だ。
「情けないことを言うな。こんな美女を前にして何もせぬ気か?本当に男か、お主」
 女性に押し倒されてる僕は本当に……なんというか。
 情けない?
 ああ、自分の言葉にかなり凹んだ。
「夜一さま、言われたとおりにしましたが、雨竜に嫌われ……」
 からり、と開かれた襖の向こう。
 僕の眼に映るのは、幾分しょげかえったような、夜着のままのネムの姿。
 ネムの眼に映るのは……おそらく、夜一さんに押し倒され、為すがままになっている状態の僕。
「……………………」
 しばし沈黙。
「雨竜」
「は、はい」
 普段よりも若干低めの声に、恐る恐る顔を上げれば、……怒っている。ネムが。初めて見るけど、どう見てもこれは、紛れもなく。
 怒っている。
「説明して下さい」
「な、何を?」
「私が今の夜一さまと同じ事をした時はすぐにいなくなってしまって、なのに何故夜一さまがすると嬉しそうなのですか?」
「う、嬉しそう?」
「酷いです、私の時はそんな風にじっとして下さいませんでした!すぐに部屋を出て行かれてしまうし、どうしてですか!」
「どうしてって言われても、僕は喜んでいませんし、出来たら助けて欲しいくらいで……」
「ああっ!!な、何をしている、貴様ぁ!!」
 最悪のタイミングで、更に見られたくなかった人物が登場する。
 もうどうにでもしてくれ、と半ば自棄になってしまう僕がいた。
「夜一さまから離れろ、今すぐ離れろ!」
「砕蜂ではないか、何処に行っておったのじゃ」
「夜一さまがお酒を買ってくるように行ったのではないですか!私がいない間に、こんな子供と、ふ、不潔ですッ!」
「何を言っておる、肌を重ねるのはとても美しい、自然な行為じゃぞ?」
「厭、厭です、絶対駄目です、夜一さま!」
「あー、もう何がなんだか!!」
「雨竜、誤魔化そうとしても許しません!きちんと説明して下さい!」
 喧々囂々。
 喧々諤々。
「おやおや楽しそうですねえ」
「そりゃ第三者は楽しいでしょうけど、当事者は楽しくもなんともありません!」
 なんとか夜一さんの腕の中から這い出して逃げ出すと、呑気に現れた浦原商店店主に僕は八つ当たり気味に言い返した。
「当事者も楽しいと思いますけど」
 アタシも当事者になって見ましょうかね、と扇子を開いて浦原さんは。
 僕を押し倒した。
「ちょっ……」
「浦原×石田ですよ、マイナーカップルですねぇ」
「や、止めて下さいって……」
 必死で抵抗する僕の首筋を、浦原さんは舌でぺろっと舐めた(泣)。鳥肌。
「『ぼーいず・らぶ』じゃ!」
 大喜びなのは夜一さんだけだ。砕蜂さんは思いっきり引いている。当たり前だ。僕だって引く。
 ネムはきょとんとしていた。ああ、こんな姿見られたくない……。
「浦原さん、ちょっとこれ以上この場を混乱させないで下さいよ!」
「アタシは火を見たら酸素と風を送り込むタイプなんですよ」
 うわあ、最悪な性格。
「雨竜!ですから何故私の時はすぐに逃げて、他の方には嬉しそうに……」
「だから全然嬉しくないですってば!」
「夜一さまが教えてくださって、これで雨竜との子が出来ると思ったのに……このまま何も子が出来るという証明をする努力をしなかったら、私、マユリ様に連れ戻されてしまうのに……私は雨竜と離れたくないから、だから……」
 不意に悲しそうに呟いて、僕を見下ろすネム。
「雨竜は私がいなくなった方がいいのでしょうか?」
 ネムの横には僕を組み敷いたまま一緒に見下ろす浦原さんがいる。その上から更に夜一さんが見下ろしている。砕蜂さんも夜一さんにつられて僕を見ている。
「石田、本当のことを言った方が良いぞ?無垢な者に嘘をつくと後悔するぞ?」
 楽しそうに……そうに、じゃない、絶対に楽しんでいる夜一さんの言葉に、僕は観念した。
「……ずっと一緒にいたいです」
 こんな状況で僕は何を言ってるんだか……全然格好良くないぞ。
 でも、ネムは嬉しそうに笑ってくれた。ほっとした様に、すこし泣きそうな表情を隠しながら。
「さ、飲むぞ青少年!」
 ぐい、と襟首を掴まれて猫の子の様に持ち上げられると、僕は強制的に酒宴に参加させられる事になってしまった。
 めちゃくちゃ飲まされてかなりへろへろになった頃、横に座っていたネムが僕の目を見て「先程の言葉、嬉しかったです」と言った。
 僕以上に飲んでいるはずなのに、あまり酔っている様子は見えない。いつもよりほんの少し頬が上気している程度で、でもそんなネムはとても、とても可愛かった。
 床についた手におずおずと触れながら、ネムは僕に、
「今夜は一緒に休みましょうね」
「それは駄目」
 即答してしまう自分の理性が少し恨めしい。

 そうして夜は更けていく……





 ■  8:08 ■


 まだ眠い目をこすりながら起き上がり、着替え終わった頃合に現れた雨ちゃん(なんて気安くちゃん付けをしていいのかどうか。僕より年上だったらどうしよう)に先導されるまま、僕は朝食の席へと通された。
「おはようございます」
 挨拶をしながら入ると、そこには浦原さん、夜一さん、砕蜂さんが既にいた。砕蜂さんはなんだか身体がぐらぐらしている。
「随分はやいですね。夜一さんなんて絶対朝は起きて来ないかと思いました」
「寝ておらぬから起きようもない」
「……あれからずっと起きていたんですか?」
「うむ、飲み続けじゃ」
「………」
 砕蜂さんがぐらぐらしている理由が解った。あのペースでずっと飲み続けているなら当然だ。眠いのなら眠ればいいのに、浦原さんと夜一さんを二人きりにしたくなくて頑張って付き合っていたのだろう……健気というか、なんと言うか。
 しかし浦原さんと夜一さんの酒豪ぶりは相当な物だ。ザルどころか枠だろう。引っ掛かる所なんてこれっぽっちもないんだな、この二人。
 その時、後ろから裾を掴まれて振り向くと、ネムがいた。僕が入り口を塞いでいる形になっていて入れなかったらしい。「ごめん」と慌てて退くと、軽く頭を下げて僕の前を通り過ぎる……途中で「あ」と呟いた。
「おはようございます」
 背伸びをして僕にキスをした。
「…………」
 恐る恐る部屋の中に目をやると、
「ネム、それは?」
 と案の定ニヤニヤとした夜一さんがいた。
「朝の挨拶です。雨竜が昨日教えて……」
 慌てて後ろから口を塞ぐ。夜一さんはわざとらしく「ほー」だの「へー」だの言ってから、僕の目を見て、
「助平」
 と言った。
「なにが『あんな無垢な人に邪まな想いなど抱けません』じゃ、やることはしっかりやっておるのではないか。石田のむっつりすけべー」
「またなんでそんな妙な言葉ばかり覚えるんですか、貴女は!」
「ふん、誤魔化そうといっても無駄じゃぞ。よかったのう、ネム。近いうちに念願叶いそうじゃな」
「本当ですか?」 
 嬉しそうに僕を見上げるネムを見て、にやにやと僕を見詰める夜一さんを見て、僕は思った。
 一つ嘘をつくと、そこから派生して他の嘘もつかなくてはならなくなる。
 嘘は自らの首を絞めるものだ。特にこの人達相手には。


 これから嘘をつくのは絶対に止めよう。
 特にネムには。


 でもとりあえず、この朝の挨拶だけは嘘を吐き通してしまいそうな、そんな弱い自分を発見した僕だった。





  



5,000を踏んでくださったうなぎ日和さまのリクエスト、「ネムとルキアに振り回される雨竜」です。
あまり振り回されてないですね、ごめんなさい……。

うなぎ日和さま、リクエストありがとうございました!
ご期待に添えてなくて申し訳ございません……。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!


2005.2.3  司城 さくら