「それにしても広いよなあ」
「うむ。少し贅沢な気がする。兄様が用意してくれたのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが……」
 あの人にしたらこれでも狭いと思っているだろうな、とルキアは苦笑した。
「一人で住むには掃除も大変だ」
「その事だけどよ、ルキア」
「何だ?」
 両手にタオル類を抱えてルキアは振り返った。首を傾げて背の高い恋次を見上げるその仕草に、恋次は思わず赤くなる。
「いや、その、こんな広い家にお前一人って言うのは無用心だし、寒々しいし、掃除だって人手があったら楽だろうと思うし……」
 恋次はルキアの肩をがしっと掴むと、この家に来た時からずっと言おう言おうと思っていた言葉を、やっとの思いで口にする。
「お前がOKしてくれたら、俺はここでお前と一緒に……」
「あ、来客のようだ」
 家に鳴り響く軽やかなチャイムの音に、ルキアはあっさりと恋次の腕から抜け出るとすたすたと玄関へと向かっていった。
 ルキアの肩の位置の宙で手が固まったまま、恋次はがっくりと肩を落とす。その耳に「こんばんは」という声が聞こえてきた。
「石田ではないか。……ネム殿も」
 石田は軽く、ネムは深々と頭を下げると、「お迎えに上がりました」とネムはルキアに告げた。



「なんで君が現世にいるんだ」
「うるせー、おめーの知ったこっちゃねー」
 ここ一番という大事な場面で邪魔をされた恋次は、すこぶる機嫌が悪い。その恋次の代わりにルキアは「恋次はこの街の担当になったのだ」と雨竜に説明した。
「私が『流刑』になり、向こうにいられなくなって……まあ、『処罰』という名の下に罪を免除してもらったようなものなのだが。現世への流刑が決まった時に、私の監視役兼ここの担当死神になったというわけだ」
「ふーん」
「ネム殿のことは兄様から聞いている。これからよろしく頼む……いや、頼みます」
 相手の身分と自分の立場を考えたのだろう、ルキアは言葉を改めた。それへネムは、小さく微笑む。
「私も現在は12番隊の副隊長ではありません。ただの……」
 ふとネムの顔から笑みが消えた。
「……人形ですから」
 そう呟いたネムの声はとても小さくて、他の三人の耳には届かなかった。
「そうか?それならば普通に話させてもらう」
「よろしくお願い致します、朽木様」
「ルキアでいい。ルキアと呼んでくれ」
「ルキア……さん」
「よろしく、ネム殿」
 今まで、ただマユリの傍で、マユリの行く場所へ付いていただけのネムには、友人というものはいなかったし、12番隊の隊員たちも、ネムはマユリの作った人形だという認識で、人としては扱ってはいなかった。
 胸が何となく暖かくなった気がして、ネムはそっと胸を押さえた。
 ―――これが、『嬉しい』という気持ちなのだろうか?
「で?まだかよ、その何とか商店」
「ん?もうすぐだ……というより、見えたぞ。あそこだ」
 ルキアの指差す先に、「浦原商店」と書かれた看板が見えた。



「聞いてますよ、朽木サンと涅サンから。ルキアさんとネムさんと、ついでに阿散井サンの入学手続きですね」
「ついでかいっ!」
「そう朽木サンから聞いてるんですよ。……もう偽装工作は終了していますよ。明日から転入できます。明日でいいんですよね?あ、ルキアさんもまた転入生です。夏休み前にクラスの人達の記憶を消しちゃいましたんでね」
「うむ、世話をかける」
「いや別に、朽木サンと涅サンからお金は頂いてるんで。制服はこれです。サイズは大丈夫だと思いますよ。教科書とかもありますんで、結構な量になりますが……大丈夫ですね?」
 恋次は珍しそうに学生服を見ている。次いで教科書をパラパラとめくって、これは興味なかったのかすぐに閉じた。
「して、ネムさん。住居は決まりましたか?涅サンが心配してましたよ」
「はい、雨竜の所へ……」
 ひゅう、と浦原と恋次、二人が同時に口笛を吹いて雨竜は僅かに赤くなった。何も聞こえなかったようにそっぽを向く。
「でも石田サンの家は、二人で暮らすには手狭じゃないですか?」
「………」
 実際、そうだった。雨竜は現在、父親から離れる為に家を出ている。家賃、学費、全て祖父が雨竜にと残してくれた遺産と、子供の頃から貯蓄していた小遣いとで賄っている。その雨竜が借りるアパートは、故に狭く、風呂も付いていない。今日の夕方突然決まった同居話に、今後どうしようかと悩んでいるのはその点だった。
「………なんだったらよ」
 口を出してきたのは、意外にも恋次だった。ん、とルキアが恋次を見上げる。
「俺んとこ住めば?ルキアんとことまでは行かねーけど、結構広かったぜ。無論、家賃は無料。っつーか、俺払うし」
「君の家……?」
「おう、隊長―――ルキアの兄ちゃんが一緒に借りてくれたんだよ。ルキアんちのまん前に」
 ルキアと一緒に暮らす事など許せない、しかし離れていてはルキアの身に危険があった場合間に合わない―――そう考えての白哉の処置だったのだろう。
「じゃあ、ネムが朽木の家に行けば問題ないじゃないか」
「……殺すぞ、お前」
 女子二人に聞こえないよう、凄む恋次だった。
 成程、と雨竜は恋次の目的を知る。男二人でこそこそと相談を始めた。
「……突然朽木の兄さんが家に来たりしないだろうな?」
「来ねーよ。来るならルキアんとこだろ」
「万一君が向こうに呼び戻された場合、家賃はどうなる?」
「おめーも結構こまけーな。……よし、お前が学校を出て働き出すまでの家賃は、何が起ころうと俺が払ってやる。結構貯蓄あるんだぜ、俺。懸賞金つきの虚狩りまくってっからよ」
「……商談成立だ。ありがとう」
「よっしゃ、いい取引だったぜ」
 急に仲が良くなった二人に、ルキアとネムは「?」状態だ。
「お前の部屋を石田たちに渡して―――お前はどうするのだ?」
 ルキアの質問に、
「俺?―――お前の所行くわ。いいだろ?」
 恋次の、何気ない風を装ったその言葉とは裏腹に、額に汗が滲んでいるのに気が付いたのは雨竜だけだった。
「別に構わぬが……戌吊の頃に戻ったようで楽しいかもしれぬな」
 純粋培養のルキアは、恋次の下心には気が付かず、あっさりと承諾した。
 恋次が小さくガッツポーズを作っていたのに気が付いたのも、雨竜だけだった。
「家については一件落着。しかし、石田サン。生活費はどうします?」
「それは……」
「涅サンにはあまり期待しない方がいいですよ、あの人そういった細かい事は気にしない人ですから」
「……バイトでもしますよ」
「そうですか。ならばそれはアタシが世話しましょうかね」
 浦原は扇子をぱっと開いてふふふ、と笑った。
「君のその腕を見込んでお願いがあるんですよ。いや、雇いたいんですよ。―――私の指示通りに服を作って頂きたい」
「服?」
「そう。君の洋服を作る腕の良さは、尸魂界へ乗り込む時に着ていた君の服を見て解ります。だから君に、コレを作って頂きたい」
 ぴら、と懐から分厚い紙を取り出して、浦原は雨竜に示した。好奇心旺盛な恋次が横から覗き込む。
「こ、これは……」
「何と言うか、その、随分と……」
「素敵でしょう?アタシのデザインです。夜一さんにプレゼントしたいんですよ」
「……怒られませんか?」
「大丈夫です、夜一さんは露出狂の気がありますから」
 そうか?と雨竜は訝ったが、浦原は楽しそうに扇子をぱたぱた動かしている。頭の中では、この煽情的な洋服の数々を着た夜一を思い浮かべているのだろう、うっとりとした溜息をついた。
 結局色に溺れた男たちばかりである。
「生地代や作成に必要な全ての物の代金はアタシが持ちましょう。完成したら勿論お代も払います。引き受けてくれます?」
「やります」
 雨竜は即答した。
「こちらも商談成立ですね。とりあえず契約金です。これで当座の生活は大丈夫でしょう?」
 結構な量の紙の束に雨竜は戸惑った。これは貰いすぎか、と思ったが「まあいいじゃないですか。アタシは色々注文がうるさいですからね。その迷惑料も入ってます」という浦原の言葉に、ありがたく受取る事にした。
「それでは、明日から学校ですよ。尸魂界から現世に来て疲れたでしょう。石田サンも急展開に精神が疲れているでしょうし。今日はとりあえず帰って、また後日、何かあったら寄って下さい。石田サンも、後日。夜一さんのサイズを教えなくちゃいけませんからね」
 ぱたん、と扇子を閉じると、浦原は「お休みなさい」と皆に告げた。


「あー、何か疲れたよなあ。今日は風呂入ってさっさと寝ようぜ、ルキア」
 念願の、ルキアと一緒に暮らせる事になった恋次は、幸せ一杯でそう言った。その恋次へルキアは「何を言っている」と眉をひそめた。
「石田とネム殿の引越しがあるだろう。お前も手伝うんだぞ」
「あぁ!?なんで俺が」
「お前の荷物をこちらに運ばなければならぬし、大体一番お前が体力あるだろう。石田の家の家具はお前が運べ」
「だからなんで俺が……」
「恋次」
 ぎろ、とルキアに睨まれれば、恋次はご主人様に叱られた飼い犬状態だ。「わかったよ」と嫌そうに頷くと、「ほら、さっさとしろよ!」と雨竜を引き摺ってずかずかと歩く。
 

 空にはくっきりと光る明るい月。
 明日の天気は、間違いなく晴れのようだった。