夏は終わった。
 あの、夏の間に体験した出来事―――尸魂界から無事に帰れた事は奇跡といっていいだろう。
 現世へと戻り、夏は過ぎ―――平和な現実が戻った。
 けれども雨竜は、この世界に馴染めずにいる。





「石田君、何だかおかしいよね」
 二学期の始業式も一週間前に終わり、夏の余韻に浸る事も少なくなった生徒達の中で、雨竜は一人何処かぼんやりとしている。何を考えているのか、窓から空を見上げては溜息をつき、とにかく―――
「あ―――ッ、うざってえ!!」
「そんな事言っちゃダメだよ、黒崎君」
「井上はそう言うけどな、あいつの席俺の近くなんだぜ?一日中溜息を吐かれてみろ、こっちの気分も暗くなるんだぞ!」
「んー、どうしちゃったんだろうねえ、石田君」
 心配そうに織姫が雨竜を見ると、雨竜はまたしても溜息をついていたところだった。





 雨竜は雨竜で、自分がどうしてこんなにも気が塞いでいるのかが判らなかった。はっと気が付くと、頭の中で考えているのはある少女の事だけで。しかもその少女は、考えたといってもどうにかなるものではない。相手は尸魂界の住人なのだから。
 こんな得体の知れない感情に振り回されるのは我慢できないと他の事に集中してみるのだが、その努力は3分と持ちはしない。起きていてもこの状態だし、眠っていても夢に出てくる始末。雨竜は自分にほとほと呆れかえっていた。
 放課後の級友たちのざわめきという喧騒の中、今も雨竜はぼーっと少女の事を考える。
 交わした言葉は少ないけれど、自分の胸にくっきりとその姿を刻みつけた少女。
「――――れ見ろよ、校門のとこ」
「あー?……何だありゃ?」
「コスプレ?」
「美少女じゃん?うわ、あれ生足?」
 窓に鈴なりになっている男達の会話に、啓吾が「何?何かあるのか?」と割って入った。一緒になって窓の外を眺める。
「おお、美少女!」
「どうしたの、啓吾?」
 水色も顔を出すと、啓吾は、
「いやー、校門の所に雪子姫のコスプレした美少女が―――」
 その途端、ガタンと椅子を蹴倒す音がした。その音の出所を探す生徒たちが見た物は、物凄い勢いで走り去る雨竜の後姿の残像のみだった。
「……んだ、ありゃあ」
 一護が唖然と呟くと、織姫は「ねえ黒崎君、茶渡君」と窓に二人を手招きする。
「あれ、もしかしてネムさんじゃない?」
 言われてよくよく見てみれば、確かに校門で佇んでいるのは―――
「―――ネムさんだな」
 一護の呟きにチャドも頷く。
「ところで雪子姫のコスプレってなあに?」
 織姫が啓吾に尋ねると、啓吾は得意げに「雪子姫っていうのは、永井豪原作の『ドロロンえん魔くん』に出てくる妖怪のお姫様で、あんな風に着物の裾を切ってミニスカ状にしている美少女だ!」と知識を披露すると、一護は、
「それ聞いただけで外も見ずに石田が飛び出してったって事は……」
「石田君もそう思ってたんだね、ネムさんのこと」
 一護と織姫、チャドの三人は、揃って顔を見合わせた。





 3階の教室から30秒フラットで校門まで辿り着く間に何人吹き飛ばしたかわからなかったが、雨竜はそんな瑣末な事などこれっぽっちも気にしていなかった。
 すごい勢いで景色が背後に流れていく。その雨竜の視線の先にロックオンされているのは間違いなく―――
 その時、ターゲットが雨竜に気付いてにこっと笑った。
「雨竜」
 尸魂界から戻って以来、朝も昼も夜も寝ても覚めても、雨竜の頭の中で描いていたその人物が目の前で微笑んでいる。
「どうして……」
 気の効いた言葉ひとつ言えず、息を切らしながらそう言うと、ネムは「霊絡を辿って参りました。……尸魂界で別れて以来ですね。その節は……」と深々と頭を下げた。途端、「おおっ!!」とネムの背後でどよめきが走る。
 きわどい着物丈のネムがお辞儀をすれば、当然背後の男連中の眼に映るネムの姿は、男子生徒の胸をときめかせるのに充分な物で。
 それに気が付くと雨竜はネムの腕を掴んで「とりあえずこっちに!」と言って走り出した。
「独り占めする気か――――っ!!!」という男達の声を背中に受けながら。





 と、言うわけで。
 ネムは今、雨竜の部屋の座布団の上でちょこんと座っている。そんなネムに緊張しながら、雨竜は二人分の紅茶を用意するとネムの前に腰を下ろした。
「それで―――如何して現世へ?」
 珍しそうに紅茶を口にしていたネムは、雨竜の言葉にカップを皿に戻した。
「マユリ様が、現世について調べてくるように、と」
「……あいつが?」
 雨竜はあまり思い出したくない顔を思い出す。その奇天烈なネムの保護者は、「疑われるのは心外だネ」と腕を組んでいた。
「私、こちらに知人も少なく―――出来ましたら雨竜の家に置いて頂きたいのですが」
「ええっ!?」
「駄目でしょうか」
 悲しげにひたと見つめられて、雨竜は真赤になってうろたえる。
「だ、駄目って言うか、そんな事したら君の方が……」
「私は出来ましたら雨竜と共にいたいのですが」
「でも君は―――」
「雨竜のご迷惑にならない様、急いで現世のルールを覚えますから。―――それとも、傍にいるだけでご迷惑なのでしょうか?」
「いや、僕が君に迷惑を掛けるような気が……」
「そんな心配は無用です」
 縋るように雨竜を見上げるネムの瞳に、捨てられた仔猫のような心細い色が浮かんでいる。こんな風に懇願されて、その願いを無下に断る人間がこの世にいるだろうか。いやいない(反語)。
 都合良い理由で自分に言い訳しつつ、雨竜はネムと視線を合わせずに頷いた。
「ありがとうございます」
 正座をしたまま深々と頭を下げるネムの、形の良い膝が目に飛び込んできて雨竜は赤面した。
「それともう一つお願いが……」
「な、なに?」
「マユリ様にもう一つ言い付かっておりまして……義骸の私に生殖能力があるかどうか調べて来い、と」
「……………はあ?」
「あ、理論的には可能だそうです。後はそれを証明するだけだとマユリ様は仰っていたので、どうぞよろしくお願い致します」
「――――――ちょっと待て」
「はい?」
「君はその……それを証明する方法、手段を知っているのかい?」
「存じませんが?」
 首を可愛らしく傾げながらネムは無邪気にそう言った。
「雨竜はご存じないのですか?」
「いや、知らなくはないけど……」
「ではそれを私にお試し下さい」
「いや、そういう訳にも……」
「何故です?」
「せ、説明するのか!?」
「……私、やはり迷惑だったのですね……」
「そんな事はないけれどっ!」
 そうして延々と繰り返される問答が、これからの二人の騒々しい生活を間違いなく暗示していた。


 ―――かくて甘く切ない(?)同居生活が始まる。








と言うわけで雨竜ネムー(笑)
今の、尸魂界の最後がどうなるかわかりませんので自分の好きに書いてしまいましたが…

これを上げた理由は、うなぎ日和さんの5,000のキリリクが雨竜ネムだったので。
その話が、この一連に入るように(笑)貧乏性だな、私(笑)
うなぎ日和さま、キリリクの話はもう少々お待ちくださいー。下準備は整いましたのでー(笑)


2004.10.30   司城さくら