あ、と声を上げる花織につられて顔を上げた琥一は、前方から歩いてくる二人組を見て不機嫌そうに眉を上げた。
 わざわざ会って話をしたい奴らではない。はっきり言えば話すことなど何もない。振り返るまでもなくこの三年間諍いの記憶しかない相手と貴重な花織との時間を潰す気もない。無視するために進路を変えようとした琥一の空気も読まず、隣の花織は「こんにちは」と全開の笑顔で手を振った。
 途端、幾人かの通行人が驚いたように目を見張る。清楚で可愛らしい少女と、その少女が声をかけた相手へのギャップに首を傾げているそれらの通行人を見て、琥一は内心溜息を吐く。
「加藤君小針君。お出かけ?」
 手を振る花織に加藤たちもすぐに気が付いたようだ。踵を踏んだ靴をぺたぺたと鳴らしながら笑顔でこちらにやって来る。元々の悪相のせいでとても爽やかな笑顔には見えないが。
 苦虫を百匹ほど噛み潰している琥一の横で、花織はにこにこと笑っている。その花織に小針が手を挙げて声をかけた。
「おう、花織チャン」
「久し振りだな、花織チャン。何だ、琥一とデートか?」
 にやにやと笑う二人組に「え、あのっ、違……私がお願いして買い物に付き合ってもらって……」と赤くなっている花織の声など琥一には聞こえず。
 耳に木霊しているのはただ一言。
「………………………………………………………………『花織チャン』?」
 低く呟く琥一の声は聞こえなかったのか、二人組は「羨ましいねえ」「青春だねえ」と口笛などを吹き、花織の顔は更に赤くなっている。
「おいコラ。今こいつを何て呼びやがった」
 眼光鋭く睨みつける琥一に、二人組は顔を見合わせる。「ああ?」と声を上げ、二人同時に、はっきりと、琥一が聞き間違えようもなく、その呼称を口にした。

「「花織チャン。」」

 無言で胸倉を掴む琥一に、花織は驚いたようにその腕を掴んだ。「どうしたの、琥一くん!」と慌てて全体重をかける――小さな花織では、全体重をかけても琥一の動きは止められないのだが。
「大丈夫大丈夫、けけけっ」
「おうおう、一丁前に餅焼いてんのか! ぐはははっ」
 げらげら笑う余多校二人組に、「手前ら……」と琥一の拳が上がる。再び花織が慌てて「だめだったらだめ! 琥一くん、怒るよ!」と花織の滅多にない本気の怒り声が聞こえてしぶしぶと琥一は拳を収める。
「だめだよ、もう。仲良くしないと!」
「……てか何でお前がそいつらの肩を持つ」
「え? だって」
 苛々と花織を見下ろす琥一を、きょとんと花織は見上げている。そしてその問いに答えたのは、花織ではなく目の前の二人組だった。
「俺ら花織チャンのお友達だもんなー」
「花織チャンのメル友だもんなー」
「何だとおおおおっ!?」
「え、何? 何驚いてるの? どうしたの?」
「いつだ! いつアドレス渡しやがった! っつーかメールのやり取りしてんのかこいつらと!」
「うん、してるよ? こないだ交換したの。あの時、公園で」
 けろりと答える花織に、琥一は頭痛を堪えるように手で額を押さえた。実際琥一は激しく頭痛がしている。比喩ではなくガンガンと。
「……ケータイ貸せ」
「え?」
「そんなアドレスは消す。貸せ」
「おうおう、横暴だな琥一君よう!」
「余裕ねえな琥一ィ」
 腹を抱えて笑う二人を無視して、琥一は花織に「出せ」と手を出す。それに向かって花織は「やだ」と突っぱねた。
「お前……」
「嫌。だって子供の頃の琥一くんのこと、加藤君も小針君もたくさん教えてくれるんだもん」
「な、」
 思わず絶句する。
 瞬時に脳裏に甦る――知られたくない過去。それを。
「小学生の時、消火器悪戯して怒られた話とか、空手教室の話とか……私の知らない琥一くんの話、してくれるんだもん。琥一くん、子供の頃の話あまりしてくれないじゃない」
「あのな、」
「今と未来が大切っていったけど、過去なんてどうでもいいって言ったけど、でも琥一くんが小さい頃どんな子だったか知りたいんだもん、琥一くんのこと全部知りたいんだもん!」
 携帯電話を庇いながらきっと見上げる花織に、先程とは逆の意味で琥一は絶句する。

「俺らにも花織チャンみたいな子がいたらねえ」
「もうちょっと真っ当な道を歩けたかもしれねえなあ」

 余多門高校の二人は固まるしかない琥一に「じゃあなー」と手を挙げ、けけけっと笑いながら肩を揺らして歩いて行った。