一人校舎裏に現れた琥一は、大きな樹の前にどかっと座り、そのまま太い幹に背中を預けた。
 この場所はかつてこの学院の卒業生、葉月珪も昼寝に利用していた人のあまり来ない秘密の穴場なのだが、勿論琥一はそんな事を知る由もない。
 人の声やざわめきが遠くに聞こえる。それは何の音もしないよりもこの場所の静かさを際立たせていた。この場所が他から切り離されているようなそんな感覚。それを幸いと琥一は瞼を閉じる。途端、身体が睡眠を欲して倦怠感に襲われた。
 昨夜、琥一は殆ど眠る事が出来なかった。
 日曜だった昨日、から誘われ二人でプラネタリウムに行った。それから食事をして、の家まで送る途中――「悪魔」の怒涛の攻撃があったのだ。
 帰る道すがら、交わす言葉の合間合間に、は琥一に無邪気に触れる。
 髪に、頬に、耳に、唇に、首に、腕に、指に、身体に。
 その細い指で、からかうように試すように、何度も何度も。
 好きな相手に煽られるように触れられ、何も感じない男などいる筈がない。煽った責任を取れと腕を引き抱きしめようとしたの口から出た言葉は「信じてる」だ。本人に自覚がないのが手に負えない。
 おかげで琥一は殆ど一睡もできないまま朝を迎えたのだ。
 目をつぶればの細い指の感触がありありと蘇る。つつくように、撫でるように、細い指は自覚なく琥一を翻弄する。無邪気で無垢な笑顔、自分の胸ほどにしか届かない細く華奢な身体。時折から腕を組んで身体を寄せるその時に、否応なく触れてしまうの胸のやわらかさ。
 それらの記憶が琥一を眠らせることを許さない。
 今こうしていても昨夜のそのの感触が、触れられた肌によみがえる。耳には可愛らしい声、微かに薫るフローラル系の甘い香り。
「――くそ」
 誰ともなしに呟いてみる。罵る相手は自分自身にだろうか。何故ここまで煽られて自分は何もしないのか。を組み伏せることなど片手で十分なはずだ。
 無自覚とはいえそこまで煽るには十分責任がある。男を甘く見ているのかもしれない。それに対する罰、警告の為にも、自分は我慢する必要はない筈だ。
 それでも琥一は何もしなかった。――出来なかったと言ってもいい。
 自分の行為での怯える顔が見たくなかったのだ。その後、自分にあの花のような笑顔を向けてくれなくなることが恐ろしいのだ。
「小学生のガキか、俺は」
 琥一の女の経験は同じ年代で比べれば格段に多い。中学から名前が知れていた所為で、最初は興味本位に、次第に精悍な姿に魅かれ――琥一に近付く女は多かった。琥一自身も拒む理由はなく、性欲の捌け口として近寄る女を適当に使った。性欲を感じるのは当たり前のことだし、それを処理するのも自然のことだ。
 その琥一が、の「信じてる」の一言で身動きが取れなくなっていた。
 手を伸ばせばいつでも簡単に花を手折る事が出来る。
 けれどそれをすれば花はもう二度と自分の為にその可憐な姿を見せることはない。
 のその、無邪気に触れる行為には意味があるのか。それは好意の表れなのか。
 は誰にでもその笑顔を向ける。
 他の男と並んで帰る後ろ姿を目で追ったこともある。
 自分はただの幼馴染なのか。
 それ故に何の危険もないと思われているのか。
 答えなど在る筈もなく、かくして琥一はただ悶々とするしかなく。
 せめてと想像の中でを抱いて自らを慰める。
 ――細い腰を抱き寄せて、有無を言わせずに腕の中に閉じ込め。
 細い身体を抱きしめて、唇を塞いで声を奪う。
 服の上からその胸に触れ、スカートの中に手を入れ、滑らかな肌を掌に感じ。
 薄い下着越しにの秘所に触れ、指を差し入れ、くちゅくちゅと指を沈めて可愛らしい声で啼かせ――
「ケダモノ」
 不意に声がして琥一は飛び起きた。知らぬ間にうとうとしていたと気付く前に、自分を見下ろす小柄な姿を仰ぎ見る。そこには華奢なよりも更に小柄な、中学生に見える猫の目のような瞳の大きな少女がいた。
 表情の乏しい顔の中で、真直ぐと琥一を見る瞳が不思議な力を持っている。
「何だお前」
 寝起きの頭は一秒後、その少女の名前を弾き出した。宇賀神みよ。の横でよく見かける少女だ。との会話の中にもよく出てくる、花椿カレンと共にの一番の友人。
 その宇賀神みよは表情を変えずに小さな唇を動かし再び「ケダモノ」と呟いた。
「バンビで変な想像している。ケダモノ」
 淡々と告げられた言葉に琥一は絶句するしかない。確かに今琥一の頭の中では、宇賀神みよが糾弾するような妄想が広がっていたのだから。
「でも、それを実行する気はない」
 何かを読み上げるように言葉を発する宇賀神みよに、珍しく唖然としている琥一を気にすることなく宇賀神みよは「バンビにも問題はある。この場合、我慢している方が奇跡」と呟いた。
「だから、特別」
「……だから何なんだお前」
 琥一の言葉には何も答えず、宇賀神みよはすぅと目を細めた。その大きな瞳にしか読みとれない何かを見極めるように。
「バンビの気持ちはケダモノだけに向いている」
「ケダモノ?」
「あなた」
 そこで宇賀神みよは琥一に興味を失ったように立ち上がった。呆気にとられる琥一を置いてすたすたと去っていく。その背中を見送って、琥一は「……何だありゃ」と呟いた。
「琥一君? どこ?」
 宇賀神みよと入れ替わるように聞こえた声に、琥一は思わず笑みを浮かべる。声を聞いただけでこれだ、本当にどこの小学生だ俺は、と内心自嘲の笑みを浮かべながら。
「おう」
 応えた声で場所がわかったのだろう、が小走りにやって来た。軽く息が上がっている。樹の幹に持たれる琥一に気付いた瞬間、嬉しそうに笑ったその笑顔に目を奪われる。
「教室にいないから探しちゃった。どうしたの?」
「別に。天気がいいからな、すこし寝てただけだ」
 お前こそどうした、と尋ねると、は「宇賀神さんがね、」と小さく首を傾げた。
「朝校門で会った時に、今日の昼休みここで琥一君が待ってるって言ったの。行った方がいいって」
「……何だそりゃ」
「わからないけど……琥一君がいるなら、それでいいし」
 へへ、と照れるようには笑い琥一の横に腰を下ろした。そのままこてんと琥一の肩に頭を乗せる。
「――宇賀神によると俺のこの状態は奇跡らしいぜ?」
「奇跡?」
 きょとんと眼を丸くするを見て、琥一はくくっと喉の奥で笑う。
「で、俺はケダモノだそうだ」
「ケダモノ!?」
 今度は唖然とするに、琥一は声を上げて笑いだした。 
 触れる、肩と。鼻先をくすぐるの髪と。手を伸ばせば届く距離。
「――ああ、待ってやる」
 ――琥一君が待ってるって言ったの。
 宇賀神みよの言葉をなぞるように、琥一はそう言った。
 の準備が整うまで。自分を受け入れるその時が来るまで待ってやる。
 それまではこの無邪気な悪魔に翻弄されるまま振り回されるまま、小学生のガキのような恋愛で我慢しよう。
「? 来たでしょう?」
「まだまだだな」
「――何のこと?」
「手前で考えろ」
 琥一の言葉には「わかんないよ」と頬を膨らませた。本当に解ってはいないだろう、わかっていればこんな風に自分にくっついてくる筈がない。こんなに無防備に、こんなに無邪気に。
「ま、いつか解るだろ。さすがのお前でもな」
「……何か貶されてる気がする」
 ますます膨れるの頭を、琥一はがしがしとやや乱暴に撫でながら「気の所為だろ」とにやりと笑って見せた。









GS3コウ2発目ですー。みよちゃん好き。
まだ探り探り書いてるのでこう、思い切った裏描写にまで行きません(笑)
基本裏描写が好きなので(うわあ)固まり次第書くんじゃないかと…!
でもお預け状態のコウも好きなんですけどねvうふふ。

2010.7.25  司城さくら