Doll 〜Ancora un Pinocchio〜
「ああ、ぼく、いつまでも操り人形でいるの、いやになっちゃった!」じぶんの頭をたたきながらピノッキオはさけびました。「ぼくだって人間になっていい時分です」
(『ピノッキオの冒険』 岩波少年文庫 カルロ・コッローディ作 杉浦明平訳 より引用)
× × ×
『本当にまあ、可愛らしい』
そのとき、今まで着たことどころか間近で見ることすらなかったほどの高価な着物に包まれながら、私の耳は世話係の女の言葉を聞いていた。
それは、朽木家に拾われてまだ間もない頃。
『白哉様もきっとお喜びでしょう』
『ええまあ本当に、お美しくて、可愛らしくていらっしゃる』
何の感慨も無く、外に吹く風の音と同じようにそれらの言葉を聞いていた私の耳に、その一言は届いた。
『ええ、本当にまるで、―――のような――』
ああ、なるほど。
なるほど、確かに。
そのとき、ひどく得心したのを覚えている。
※ ※ ※
―――朽木家に養われることとなり、その後すぐさま十三番隊の隊員となってから、数ヶ月。その間に卒業試験や入隊試験を経て正式に五番隊の隊員となった恋次とは、めったに顔を合わせることもなく、たまにすれ違うか遠方にただその姿を臨む程度のものだった。
十三番隊の隊員であるにもかかわらず、何故かしばしば私は白哉兄様に連れられ瀞霊廷内を歩いていた。あるときは荷物持ちとして、またあるときは業務補助として。
そんな私に、十三番隊の同僚は勿論のこと、本来そういった業務を担うはずの六番隊の上級席官なども、当然良い顔をするはずもなく。
何処にいても、何をしても、うす寒く、目には見えないちりちりとした細かい荊の棘のようなものが全身に刺さっているような、そんな気持ちを拭い去ることはできなかった。
ただ浮竹隊長や海燕殿たちといるときにだけは、ほんの少しの温もりを感じることができた。しかしそれもまた、一般隊員たちの険のある視線を感じたり、家に戻れば瞬く間に霧消してしまうようなものではあったのだが。
そんな日々が続く中で、私は次第に自分自身をそういった状況に順応させていく術を身に着け始めていた。
余計なことを考えるな。
無駄な感情を抱くな。
ただひたすら、命じられた任務を、死神としての責務を果たせ。
朽木家の恥とならぬよう。
十三番隊のお荷物とならぬよう。
何度も何度も、自分に言い聞かせる。
己が死神として在れるように。
機械のように。
そして――――
私は、あの、世話係の女が漏らした言葉を何度も思い出す。
『本当にまるで、―――のような――』
そう、そのように。
…もう、最早顔をまともに見ることも無いのかもしれない。
干からびた心でぼんやりと、今は随分と遠くなってしまった『彼』を想う。
そんな折だった。
偶然の生んだ、邂逅。
…後日聞いた話では、どうやら偶然とばかりは言い難かったのだけれど。
五番隊と六番隊の合同訓練。兄様に付き従っていた私は、訓練自体には参加することなく、かといって十三番隊の仕事も与えられず、演習場の外のちょっとした公園のような場所で待機しているよう命じられていた。
待機と言われても控えている必要や意味などはほとんど無く、ただぼんやりとその場で時を過ごす。
ふいに、後方からかさり、と葉摺れの音がした。
「うー、痛ってえ。クソ、あの野郎目一杯殴りやがって…」
…幻かと、思った。
あまりにも考えて続けていたから、ついには幻覚となって目の前に現れたのかと。
そちらへと目を向けると、先方も目を丸くしてこちらを見ている。
きっと私達二人は今、双子のように同じ表情をしているに違いない。
「……ルキア」
「……恋次」
互いの名を呼び合うことで、幻ではないことを確認する。
「…どしたよ、お前」
「白哉兄様の、付き添いで」
「ああ……そっか」
「お前は」
「演習サボり。…なわけねぇだろ。ちょいと六番隊の奴に一発くらって、こっちで休んでろってよ。大したことねぇって言ったんだが、雛森や吉良の奴がとにかく休んどけってうるさくて―――」
恋次の言葉が、途中で宙に浮く。
「……まさか、あいつら。……演習前から、妙だとは思ったんだ。ろくにサポートもしねえで結界から俺の事放り出すし」
「何の話だ?」
「いや、なんでもねぇ。ちょっとな。………ありがたーい友情の話」
それきり口をつぐむ恋次に、私もそれ以上は問いかねて黙り込む。
次に口を開いたのは、恋次だった。
「まー元気そうじゃねぇか。どうせ旨いもんたらふく食ってんだろ?」
「まあな。お陰様で衣食住には不自由しない」
何の気無しに言った『お陰様で』の言葉を聞いた恋次が、少し表情を歪めたような気がしたのは、気のせいだったか。
「当ったりめぇだ。天下の朽木家のお嬢様が、そんな不自由なんざしてられるかっての。んなこと言ったらばちが当たるぜ」
からかうような声に、こちらもほんの少し笑み崩れてみせる。
「ふふ、まったくだ」
…それからしばしの間、私達の間にはただ沈黙だけが下りていた。
言いたいことは、話したいことは山ほどある。
あの朽木家の広く冷たい部屋で、どれほど豪奢な羽根布団に包まれていても、いつも夜には凍えそうな思いばかりしていること。兄様のこと。十三番隊での自分の立場。毎日乾いていく心。
…どれもこれも、言えるわけがなかった。
言うべき言葉を探しあぐねているとき、ふいにあの台詞を思い出した。
朽木家に引き取られて間もない頃に聞いた、あの世話係の女の言葉。
気が付けば、それが正しいことなのかどうかの判断さえ省いて、私は口を開いてしまっていた。
「私は―――、」
視線を逸らしていた恋次が、こちらの方に向き直る。
「人形、なのだ」
朽木家に拾われてすぐ、耳にしたあの言葉。
あれは全く、私の立場そのものを端的に表していたのではなかったか。
『本当にまるで、お人形のような―――』
「ただこの形さえあればよい。『私』が『私』であることなぞ、考える必要も意味も無い」
兄様の奥方に良く似た、この姿。
お美しく、心優しく、兄様に心から愛されていたという、緋真殿。
私の価値は、この『器』にのみ、在る。
「『私』自身の価値など、どこにも無いのだ」
―――言いながら、己自身の浅ましさに気が遠くなりそうだった。
甘えている。
恋次ならば、聞いてくれると。
期待している。
恋次ならば、私の望むものを与えてくれるのではないかと。
そんなことを考えていたから、恋次が自分の顔の前に手を伸ばしたことにもほんの一瞬気が付かなかった。
ふと目の前の気配に顔を上げた、瞬間。
ばっちいいいいいん!
目と目の間に、火花が飛んだ。
中指を力一杯弾く、いわゆる「でこぴん」というものをくらったのだと気付くのに、半瞬かかった。
「な………っ!何をする恋次!」
眉間の痛みで、目に涙が滲んでくる。涙目で抗議する私を、恋次が睨み返した。
「ぶわぁーーーーか!」
思いっきり「タメ」を含んで放たれたその言葉に、私は怒りで頭の中を白くさせた。
「なっ、ばっ、馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
「馬鹿だから馬鹿っつってんだよ、てめーはまったくよ」
心底呆れ果てたように、恋次が言葉を続ける。
「こんなクソ偉そうで口が悪くて手の早い、タチの悪ぃお人形なんざあってたまるかってんだ」
「何ぃぃぃぃっ!」
激昂して拳を握り締めた私に、恋次の手が伸びた。
私の肘がそっと掴まれ、くい、と引き寄せられる。
そのまま、私の体がとさり、と恋次の胸に落ちた。
「…人形なんかじゃねぇよ」
両手を体に回され、抱きしめられたのだと認識するのに、ほんの少し時間がかかった。
「お前は、人形なんかじゃねぇ」
ゆっくりと、言い聞かせるように。
それから恋次は私を繋ぎとめている両の手の一方を放し、私の頭に乗せた。その手がさらさらと、私の髪を滑っていく。頭の上に乗せては滑らせ、乗せては滑らせ。
幾度かそうやってゆっくりとした動作で私の髪をなでると、今度はその手を、私の片頬に添える。そっと引き寄せられ、瞼の上に唇が落ちてくる。思わず目を閉じると、今度は己の唇に柔らかな感触が触れた。
腕に、髪に、頬に、瞼に、唇に。
恋次が触れるその場所から、私の中へと温もりが広がっていく。
その温もりに、私は、自分が生きていると感じる。
お前は私に、こころをくれる。
お前は私に、いのちをくれる。
お前は私に、すべてをくれる。
愛おしいと思う心を。熱く燃える命を。私が私であるという、その意味と価値の全てを。
…気付けば私の頬には、一筋の温かな涙がつたっていた。
× × ×
―――物語は、繰り返される。
少年から、少女へと。
青い髪の妖精から、紅い髪の死神へと。
それはそれは不可思議な、コントラストを描きながら。
これは、こころといのちを与えられた、もう一つの人形のおはなし。
〈ちょっと補足説明〉
副題「Ancora un Pinocchio」は、イタリア語で「もうひとつのピノキオ」の意味です。(多分間違ってはいないと思います…が…違ってたらどうしよう)
でもって最後の、「物語は、繰り返される〜」のくだりは、ピノキオを人間にしたのは女神という話もあるんですが、物語によっては「青い妖精」もしくは「青い髪の妖精」という記述もあり、それに基づくものです。分かりにくくって申し訳ありません。
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