「ったあ……」
 思わず声に出てしまったあたしの言葉に、隣から織姫の心配そうな顔が覗き込んでいる。その顔に向かって「ああ、大丈夫大丈夫。軽く捻っただけだから」と安心させる様に笑って見せた。
「でも、たつきちゃん」
「なに何たつき、足捻ったって? 何だったらあたしがさすってあげふぅっ!」
「黙れセクハラ女」
 条件反射で思わず千鶴に入れた蹴りは正に捻ったその足だった為に、あたしは「いったあ!」と今度は紛れもない悲鳴を上げて蹲った。
「くっ……ふふふ、これであんたは動けないわね……これぞ肉を切らせて骨を断つ」
「うるさいなあ、あたしに触手動かすようになるなんてあんたもよっぽど欲求不満だね」
 呆れた視線を千鶴に向けると、千鶴はいやに艶然と笑った。同じ年だというのに、この色気の違いはなんだろう。そして何故その色気をあたしに向けるのか。無駄だろうに。
 ところが千鶴はとんでもないことを流し眼をくれながらあたしに言った。
「いやあ、実はもともとあんた弩ストライクなのよ。ちょっと乱暴なのはいただけないけど、ほら、今ならあんた動けないし」
「気持ち悪いこというな、馬鹿」
「ふふふ、綺麗な肌……」
 投げ出していた足を人差指でツイ、と触られてあたしは全身に鳥肌が立った。
「ちょっ、千鶴あんた何すっ」
「あーら敏感ね? 調教し甲斐があるわあ……」
 うっとりとした眼鏡の奥の目が何故だか冗談に見えなくてあたしは本気で震え上がった。動けない足を引き摺ってじりじりと千鶴から遠ざかる。
「うふふふ、逃げても無駄よ? ほーらほーら」
「ぎゃああああああふざけんな馬鹿! 触んな! ばっ、揉むな、やめろってちょっとあんたいい加減にっ」
 千鶴に圧し掛かられて、あたしは最後は半ば本気で悲鳴を上げた。むにむに、と胸を触られて真赤になる。
「……素晴らしい」
「うるさい離れろ馬鹿!」
「たつきちゃん、制服汚れちゃうよ。千鶴ちゃんもたつきちゃんからかわないでよぅ」
 だめでしょー、と頬を膨らませる織姫に、千鶴は「いやあん私の本命はヒメだからっ! たつきのはちょっとした出来心だからっ! だから大丈夫、安心してね?」と両手を組ませて織姫を潤んだ瞳で見つめる。
 本気でこの女は危ない。
「何やってんだお前ら」
 呆れた声は聞き慣れた声。上から降って来る一護の声に、あたしは慌てて乱れたスカートを抑えた。そのあたしの上で千鶴が険呑な眼つきで一護を睨みつけている。
「煩い邪魔あっち行け」
「怪我したのか」
 千鶴の冷たい言葉を無視して一護はあたしを見下ろしながら言った。そんなこと聞く前に助け起こせ。
「大丈夫よ。それより千鶴をどかせてよ」
「あたしに触ったら黒崎は包〇だって言いふらしてやる。しかも真性の」
「ざ……っけんなよ!」
「あら図星?」
「な訳ねえだろうが! いいから退け! たつきが潰れてんじゃねえか!」
 怒り狂う一護に千鶴は「はいはい、あー、童貞は洒落も通じないからいやだわー」と馬鹿にしきった顔でそう言い、あたしの上からようやく退いた。はあと溜息を吐きながら立ち上がる。
「いてっ」
「大丈夫か?」
 顔を歪ませたあたしに、一護が眉を寄せて言った。
「何したんだよ」
「うるさいなあ。ちょっと捻っただけだってば」
「空手やってるくせにどんくせえ」
「……何あんた喧嘩売ってる?」
 目を細めて睨みつけると一護は肩を竦めた。それから、ほらと手を伸ばす。
「何よ」
「鞄。送ってってやる」
 あまりにも自然にそう言うものだから。
 ――思わず、頷きそうになってしまった。
 危うい所で織姫と千鶴の存在に気が付いて、あたしはぶんぶんと首を振る。
「大丈夫。一人で帰れるし」
「はあ? 足引き摺ってんじゃねーか」
「こんなもんちょっと置いとけば治るわよ。大したことないんだし。大丈夫だからほら、さっさと帰んな」
 しっしっ、と手を振ると一護は「あーそーかよ」とちょっと怒ったように言って、すたすたと正門に向かって歩いていった。派手なオレンジの頭が遠ざかる。ちょっと罪悪感を感じながらその背中を見送ると、背後で織姫の「あーあ」というあたしを責めるような声がした。
「ばかだなあたつきちゃん。こんなチャンス無駄にして」
「…………はあ?」
 振り返るあたしの視界に、腕を組んで頬を膨らませる織姫がいた。
「こういうときはガッとイッキに行くの!」
「……はい?」
「『送ってやろうか?』って言われたら当然『うん!』。それで足が痛いのにかこつけて肩を貸してもらって人気のない所まで送ってもらったら力任せに暗がりに連れ込んで押し倒さなくちゃ!」
「…………………」
「ってたつきちゃんが言ったんじゃない。駄目だよ、言ったことはちゃんと実践しなくちゃ」
 めっ、と人差指を立てて凄まれた。
 確かに言った。今の織姫と同じことを随分前に織姫に言った。一護がらみで言った。言ったけど。
「――無理ですごめんなさい。」
「ええ―――っ」
 ぶー、と織姫がむくれた。
「たつきちゃんは自分のことになると弱気なんだからあ……」
 ガッとイッキに行かなくちゃあ、とぶつぶつ言いながら織姫は千鶴を促して歩き出した。すたすたと歩く織姫にあたしも千鶴も唖然とする。
「ちょ……ヒメ? たつきが」
「いいのいいの。たつきちゃんは一人で帰るから」
「いや、さすがにそれは無理でしょ? ほら、たつき、足引き摺ってるし」
「千鶴ちゃんテニス部あるでしょ? 私も手芸部出なくちゃ」
「部活よりたつき……」
「たつきちゃんは大丈夫なの。一人で帰れるの。じゃあねたつきちゃん、またあした!」
 問答無用でぐいぐい千鶴を引張って行く織姫を呆然としながらあたしは見送った。え? 何で? あたし、織姫を怒らせた?
 気落ちしながらあたしは足を引き摺って校門に向かった。さっきまでそう大したことないと思っていた足の痛みが、何故だか急に増した気がする。ずるずると引き摺る足が重い。
 家まで遠いな、大丈夫かな。
 何で織姫はあんな態度とったのかな。
 やっぱり――まだ、一護のことが好きなのかな。
 一護とあたしのこと、――やっぱり認めてくれてないのかな。
「おい」
 俯いていたあたしはその声に顔を上げた。途端、ぎょっとしたような一護の顔が目に入った。
「な、何だよ。何でそんな顔してんだ」
「え」
「泣きたいくらい痛ぇなら意地張るな、馬鹿」
 ほら、と一護が手を差し伸べる。そこでようやくあたしは此処に一護がいることに驚いた。さっきさっさと帰ったのに。
「何であんたがここにいるの」
「はあ?」
「だって、さっき帰ったじゃない。何でまだここにいるの」
 そう言ったら一護はものすごい不機嫌そうな――というより不機嫌な顔になった。眉間のしわが普段よりも更に深い。あのなあ、と苛立たしげに、吐き出すように一護は言った。
「お前置いて帰れる訳ねえだろ」
「………………………うん」
 織姫が「ほらね?」と笑ってる。
「たつきちゃんは大丈夫でしょ? 黒崎くんが待ってるんだから」
 ああ――やっぱり織姫は一護のこと解ってる。
 ごめんね。――それと、ありがとう。
「さっきはごめん」
「あ?」
「――何か恥ずかしくて。あたし、そういうキャラじゃないから。心配してくれたのに、ごめん」
 伸ばしてくれた手を取る。あたしが体重をかけても、全然影響がない強い腕。
「……まあ、いいけどよ」
 足の負担を避けるために、素直に腕を組んだあたしに、一護は視線を外してそう言った。視界に入る耳がちょっと赤いのは指摘しないことにする。きっとあたしも同じだから。
 足の痛みが軽くなる。本当に都合のいいあたしの神経。
 ガッコウ帰りに腕組んで歩くなんてホントあたしのキャラじゃない。傍から見ればきっと完全無欠のバカップルだ。
 ああ、でも。……まあ、いいか。
 ちょっと嬉しいから。
 ちょっと楽しいから。
 すごく、幸せだから。
「言っとくけどな」
 一護が妙に真剣な声でそう言った。あたしの顔を覗きこんで心配そうに。酷く真面目な声にあたしは「なに」とちょっと不安になる。
「あんま本匠に近付くなよ?」
「――は?」
「あいつは危ない」
 俺だって触ってないのに、とぶつぶつと小さく続いた言葉は聞かなかったことにする。聞かなかったことにした代わりにぎゅっと一護と組んだ腕に力を込めた。身体が密着するように。一護の腕にあたるのは、つまり。
 動揺する一護を気付かない振りであたしは「まあ、気を付ける」と答えを返して、ゆっくり歩く。
 暗がりに連れ込んで押し倒すことはまだ無理だけど。
 まあ、これがあたしの精一杯、ってことで。









拍手でリクエストいただきました一たつです。
ありがとうございましたーv
ちなみに「『送ってやろうか?』って言われたら当然『うん!』。それで足が痛いのにかこつけて肩を貸してもらって人気のない所まで送ってもらったら力任せに暗がりに連れ込んで押し倒さなくちゃ!」とたつきちゃんは公式で言ってます。1巻だったかな?
きっと他人には勧められても自分では実行できないたつきちゃん。

2010.11.20 司城さくら