通常勤務の時間を過ぎた護廷十三隊の敷地内はひどく閑散としている。
 元々、一から十三まで数える隊舎を有する敷地はかなり広く、また隣り合う隊舎の間隔も相当広く取られている所為もあって、俯瞰して見ればその護廷十三隊の土地は相当のものになる。端同士の一番隊から十三番隊まで行こうとすれば、死神以外の普通の瀞霊廷の住人ならば、軽く一時間は掛かるだろう。
 その広い敷地も昼間は多くの隊員が通り行き広さを感じさせないが、夜も更けたこの時間になれば、通りを歩く人の姿は殆どない。隊舎には緊急時の為に泊まりの隊員もいるが、それらの隊員は隊舎に居るのが規定なので、通りに出ることはない。必然、敷地内の通りには誰も居らず、まるで――
「ゴーストタウンみたい」
 尸魂界ではそぐわないその外来語を言葉をこっそりと呟いた四番隊の隊章を付けた小柄な髪の長い少女は、慌てて神妙に顔を伏せ、ともすれば大きく踏み出してしまう足を意識して小さく踏み出しながら一人夜の道を歩いていた。




「――あたしが?」
 それはちょっと無謀なのでは――そう思った心の内を見透かしたように、目の前の、際どい位置まで襟元を開いた黒い着物の金髪美人――松本乱菊がたつきの両手をがしっと掴んだ。
「適役なのよ。――お願いできないかしら?」
「いや、だってあたしじゃあ……」
「あなたしかいないの。あなた以上の人なんて見つからないわ。お願い、勿論あなた一人に押し付けないし、ちゃんとフォローはするから」
「はあ……」
 以前に空座高校でも見たことのある、突然たつきの前に現れた金髪美人が、「尸魂界」と呼ばれるこの世界とは別の世界の住人で、「死神」と呼ばれる人だと今ではたつきは知っている。――直接言葉を交わしたのは今日が初めてだったが。
 学校帰り、いつものように一護と並んで歩いている時に、突然目の前の空間が歪んで――そこから突然現れた金髪の女性は一護を見て「あら」と呟いた。にっこりと微笑んで、「久し振りー」と笑う。
「ん? なに? その子が黒崎のお姫さま?」
 お姫さま、という自分とは真逆の単語が自分に向けられたものだとたつきが解るまで、5秒ほど時間が必要だった。その5秒の間に一護が「違うってなんだよお姫さまって信じらんねーこいつがそんな柄かってか別に俺はたまたま家が近くて一緒に帰ってるだけでガキの頃からしてることだし他意はないし」と機関銃のように話している。最も速過ぎて何を言っているのかたつきには聞き取れなかったが。
「なーに言ってんの、不測事態に反応した身体が全てを物語ってるわよーん」
 うふふふ、と含み笑う乱菊の言葉に、一護は自分がたつきを庇うように乱菊の前に立っている事に気がついた。空間の歪みに気付いた瞬間、何も考えずにたつきを庇うように動いた身体――自分の身体の陰に隠すように、無意識にたつきの身体に触れていた手。
「お姫さまを庇う王子さまねー?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
 色々言いたい事はありながら、言いたいことがありすぎて何も言えない一護を無視して、乱菊は「初めまして」とたつきに向かって微笑んだ。
「護廷十三隊十番隊副隊長、松本乱菊。――今日はあなたにお願いがあって来たの、有沢たつきさん」
「はあ?」
 声を上げたのは一護――たつきはただ、呆然と立ち尽くすだけだった。




 落ち着いて話せる場所をと一護の部屋へと移動し、「お願い」を乱菊が口にしたのは、一護に持ってこさせたオレンジジュースを一息で飲み干してからだった。
「――今ね、瀞霊廷に――っていうか護廷十三隊に、ちょっと困った事態が起きていてね」
 一護おかわり、とグラスを一護に向け乱菊は言った。尸魂界にはないオレンジジュースがお気に召したようだ。
「この一月の間、信じられない莫迦がねー……」
 曰く――
 護廷十三隊の中で、事件が起きている。
 それが表立ったのは、つい昨日の事だった。それまでに三人、きっちりと週に一人――女性隊員が被害にあっていた。この一月の間その事件が発覚しなかったのは、被害にあった最初の三人の隊員たちが泣き寝入りしていた所為らしい。
「全く――許し難い下劣な奴よ」
 吐き捨てるように乱菊が言った。その瞬間は今までの明るさが消え、副隊長という地位に相応しい壮絶な迫力がその面に現れていた。それでも美しさを損なわない所が、美人の美人たる所以なのだろう。
 四人の隊員たちは、皆同じ被害にあっていた。
 仕事で遅くなった帰り道、突然背後から口を塞がれ――草叢に引き摺り込まれ、――写真を撮られるという。
「写真を撮るだけ――なんて言えないわ。無理矢理撮られるのよ、口を塞がれて、手を縛られて」
 着衣を脱がされることはない。危害を加えられることはない。けれどとても「ただ、写真を撮られただけ」等と言える筈もない――恐怖と屈辱は変わらないのだから。力尽くで、女を思うままに従わせる最低の行為。
「狙われてるのは四番隊の下士隊員なの。四番隊――って言ってもあなたにはわからないわよね。回復系の術に長けた隊員たちが居るのが特徴――つまり、攻撃力は他の隊の隊員たちよりは劣るわ。勿論四番隊の上位隊員は攻撃力もあるけれど――下士隊員は、」
 その後は言わずに乱菊はストローを口に含んだ。
「砕蜂隊長が――って、知らないわよね、護廷十三隊二番隊隊長なんだけど、その砕蜂隊長がもう、かなり怒っていてね。元々潔癖な方だから、力尽くで、しかも抵抗力のない四番隊の下士隊員だけを狙うって言う二重三重に卑怯なこの犯人が許せないみたいなの。勿論私も腹が立ってるし――こいつを捕まえたいの。協力してくれないかしら、有沢たつきさん」
「駄目だ」
 即座に言い放ったのは一護だった。たつきが声を出すよりも早く、乱菊が「協力し」と口にした時点で言葉を挟んでいる。反射的にと言ってもいい速さだ。
「こいつは尸魂界に関係ない。駄目だ、他の、どっかの隊の奴がやればいいだろ」
「他の隊の女性隊員はもうみんな面が割れてるのよ。顔を知られてなくて可愛くて格闘能力がある人っていったら、そんな条件揃ってるのってあなたしか思い浮かばないの。聞けばあの四楓院夜一と浦原喜助直々に稽古してもらってるっていう、そのあなたを見込んでなの……お願いできないかしら」
 乱菊は深々と頭を下げた。胸の谷間がなまめかしい。思わずそこに視線が行ってしまう一護の背後で、たつきの表情がぴくりと引き攣った。
「いや、頭下げられても」
「一護が心配するのもわかるわ、大事な彼女だっていうのもわかってる。でも本当に困ってるの――何とかしないと、あの人が」
 ぶるっと身体を震わせて乱菊は呟いた。顔色も心なしか蒼褪めている。けれど、怯える乱菊の様子に一護は気付けず――それはつまり乱菊の口にした「大事な彼女」の一言に動揺したからに他ならない。
「別に彼女じゃねえし! 大体、こいつで痴漢が釣れる訳ないだろ、こんな女らしくない性格で男みたいな体型の、」
 あ、と一瞬で我に返った一護が光の速さで背後を振り返る。
 果たしてそこには、この世のものとは思えないほどの――阿修羅像もかくやという形相の、たつきが居た。
「いや、違……っ」
 一護にしてみれば心にもない言葉を連ねたのは、そんな囮をたつきにさせたくない一心それ故だったのだ。たつきは囮役には不足だ、というのを必死でアピールしたかっただけなのだが。
「やります」
 きっぱりと言い切ったたつきに、一護が反論する前に「きゃあありがとうたつきちゃん!」と乱菊が歓声を上げた。そのテンションでたつきをぎゅっと胸に抱きしめる。
「ありがとう本当に助かったたつきちゃんが頷いてくれなかったらあたしあの人にどんな仕打ちをされる所だったか想像するだけで泣きそうっ!」
 一息で言い切るその言葉に、乱菊の激しい安堵が現れている。いつのまにか「たつきちゃん」と呼ばれていることと、顔が埋まっているその柔らかい感触に目を白黒させていると、乱菊は「じゃあ善は急げってことで」とたつきの手を引いて立ち上がらせた。
「最長十日くらいになると思うけど……向こうに行ってもらって大丈夫?」
「はい、幸い明日から試験休みですし……家には織姫の家に泊まるって言っておきます」
「いや、だから駄目だって」
 と制止した一護を、たつきは氷点下の視線で――半目で見下ろした。
 怒っている。過去最高に怒ってる。見たこともないほど怒っている。
「た、たつき」
「行きましょう乱菊さん」
 殊更、一護を無視してたつきは笑顔を浮かべる――引き止める一護の手は、省みられることなく空気を掴んだだけだった。







 家には携帯電話で連絡を入れ――普段から親の信頼が厚いたつきには、突然の外泊もあっさりと許可が出る。
 織姫にも事情を話し口裏合わせを頼むと「わかった、気をつけてね。痴漢、けちょんけちょんにしてやってね!」とエールを貰った。
 そのまま浦原商店に向かう。既に何度も通った店の入り口をくぐると、すっかり顔馴染みになった浦原喜助が「こんにちは」と迎えてくれた。
「話は聞いてますよ。頑張ってくださいね」
 尸魂界へ生身の人間が行くには、浦原商店にある装置を使っていかなければならない。以前は一護と石田と茶渡が使用するのをただ見送った。その同じ装置の前に立ち、たつきはこっそりと息を吐く。
 その緊張に気付いたのだろう、「大丈夫よ」と乱菊が微笑む。
 浦原の「いってらっしゃーい」という陽気な声に見送られ、上下左右のわからない不安定な場所を通り抜け、着いた先は、
 尸魂界――死神たちの住まう場所。






「ここが?」
「そう、尸魂界――瀞霊廷。ようこそ、有沢たつきさん」
 見える場所に居る全ての人々が、今たつきが着ているものと同じ、黒い着物を身に着けている。
 昔の日本のような、そんな風景。
 珍しそうに周囲を眺めるたつきを促し、乱菊は足を進めた。その乱菊に向かって、四方から挨拶の声が掛かる。男も女も――年上も年下も。乱菊の人気は随分と高いらしい。
 ――そりゃ、この容姿にこの体型じゃ……しかも性格もいいし。
 心の内に呟いた言葉からつい先刻耳にした一護の言葉を思い出し、たつきの胸が小さく痛んだ。
 女らしくない性格、男みたいな体型。――それは自覚している。それを一護に言われたのがこんなにきついとは。
 彼女じゃない。
 そうとも言った。
 自分が一度死んだあの時―― 一護の手で死神になって、その時に約束した。
 ――帰ってきてから言って。そうしたらあたしもちゃんと言う。
 一護の想い、自分の想い――けれど、一護が帰ってきて数週間、まるであの時の言葉はなかったように一護は何も言わない。いや、死神と尸魂界、瀞霊廷、破面、そういった世界の事はもう一度説明してくれた。
 けれど、あの時の二人の約束……あの時の出来事は何もなかったように一護は触れない。
 宙に浮いた二人の関係。――彼女じゃない、という一護の言葉。
 ああ、つまりそういうことなのかな――と思う。
「ここが四番隊よ。これからたつきちゃんは四番隊の新人隊員になってもらうから、ちょっと――挨拶、しないと」
 乱菊の口調が微妙に強張ったのを感じてたつきは首を傾げた。こんな乱菊の様子をさっきも見ている。一護の部屋で、「あの人」と口にした時の乱菊の怯えと、今の乱菊の緊張は同じものだ。
「……乱菊さん? どうしたんですか?」
「えっ? え、何が?」
「何か……怖がってません?」
「まさか如何してあたしが怯えるなんてあるわけないわそんな事があの人の耳に入ったらどうするのたつきちゃん変なこと言わないで!」
「……はあ」
 あからさまに挙動不審になった乱菊をたつきは不思議そうな顔で見詰め、ぎくしゃくと手足を運ぶ乱菊の後を付いて広い隊舎を歩く。
 すれ違う隊員たちは華奢な身体の者が多い。顔付きも柔和な者が多くて、確かに闘いとは無縁の者が多そうだ。ここでも乱菊は隊員たちに声を掛けられ、微かに引き攣った笑顔のまま乱菊は挨拶を受ける。やがて一番上の階の一番奥、大きな木の扉の前で乱菊の歩みは止まった。そのまま取っ手に手をかけると思いきや、暫く無言で扉の前に立っている。
「……乱菊さん?」
「ちょっと待って、心の準備が」
「準備?」
「……行くわよ」
 きっと顔を上げて乱菊は扉を叩いた。きっちり間隔を揃えて3度。
「どうぞ」
 柔らかな声がする。失礼します、という緊張を孕んだ乱菊の後に続いて部屋に入ったたつきは、広い室内の窓際に置いてある大きな机に座る女性を目にして強張った身体の緊張を解いた。
 乱菊の事前の様子から、一体どんな怖ろしい人物が居るのだろうと身構えていたたつきの目に映ったのは、拍子抜けするほど穏やかな女性だった。長い髪を独特の形で結わき、手にしていた書類から上げた目は優しそうに乱菊とたつきを見ている。花に例えるならばなんだろう…百合か芍薬か。
 その、花のように優しげな人が優雅に立ち上がった。
「有沢たつきさん、ですね。――はじめまして、四番隊隊長をしております、卯ノ花烈と申します」
 ぽうと見惚れるたつきの前で、卯ノ花は上品に微笑んだ。





 机の上の電話のようなもので卯ノ花はお茶を三人分用意するよう伝えると、すぐに隊長室の扉が開いた。入室したのはたつきは知る由もないが四番隊の副隊長である、虎徹勇音だった。大柄な身体を縮こませるようにして、たつき達にお茶を配る。そうしてたつきがお茶を口にしてしばらくしてから、卯ノ花は「既に松本副隊長からお聞きと思いますが――」と切り出した。
「我が四番隊の女性隊員ばかりを狙う、卑劣な犯罪が起きています。抗うことのできない女性ばかりを狙うその卑怯な犯人を、如何しても捕まえたいのです」
 乱菊とは違う種類の、けれどカテゴリは同じ「美人」の卯ノ花の美しい顔が心痛の所為か哀しげに曇った。その卯ノ花の前で、乱菊は神妙に背筋を伸ばし話に聞き入っている。
「今までの捜査でわかった事は、犯人は勤務が終わった四番隊の下士を、帰宅途中に襲っています。人気のないところに連れ込み、写真を撮る。一言も言葉を発さず、ただ無言で写真を撮り続けるのだそうです。数時間にわたって撮り続けられた隊員もおりました。どれだけ怖かったでしょう――」
 ふ、と卯ノ花の言葉が止まった。その瞬間、何故か乱菊が緊張したのがたつきには解った。
 首を傾げるたつきの前で、卯ノ花は気を静めた後に再び口を開き話し続ける。
「ですので、犯人を捕まえるには、顔の知られていない格闘技術の高い、可愛らしい女性が必要なのです。そしてその条件に合うのが貴女――有沢さん、なのです」
 お茶を茶卓に置き、卯ノ花は深々と頭を下げた。
「如何か、お力を貸して下さい」
 自分よりも年上の、上品な女性に頭を下げられたつきは慌てて立ちあがった。「顔を上げてください」と困ったように卯ノ花に言う。
「勿論、私で出来る事でしたら協力させていただきます。あの、でも――私で囮になれるかどうか」
 自分が女性らしい、可愛いといった言葉に無縁なのは解っている。犯人を捕らえるための格闘技術は問題ないだろうが、それも犯人が自分に引っ掛かってくれなければ意味がない。そしてその自信はたつきには全くなかった。
「私、可愛くないですし――」
「何を仰ってるの? そんなに可愛らしいのに」
 不思議そうに卯ノ花はたつきを見つめる。その真直ぐな視線にたじろいで、たつきは頬を染めて俯いた。
「そんなこと、言われたことないです」
「まあ、黒崎さんも情けない事」
 何故そこで一護の名前が出たのかたつきには解らなかったが、この話題――自分が可愛いかどうかについてはこれ以上掘り下げたくはなかったので、敢えてその部分には触れなかった。
「では、承知していただけると?」
「あ、はい。――私でよろしければ」
「ありがとう――助かります。勿論貴女の警護もきちんとさせていただきます。――松本副隊長、有沢さんのここでの生活の補助と警護をお任せしてよろしいですか?」
「はいっ!」
 最敬礼、と言っていい角度で頭を下げた後、乱菊はぴっと背筋を伸ばした。
「有沢たつき嬢の全ての支援をさせていただきます!」
「頼みましたよ。――それと、そうね……有沢さんと行動を共にするには、」
 暫く思案した後、卯ノ花は再び机の上の受話器を取り上げると「山田七席を此処へ」と短く告げた。するとやはり程なく隊長室の扉が叩かれる。
「山田七席、参りました」
「お入りなさい」
 開いた扉から入室したのは、小柄な少年だった。気の弱そうなその少年は、乱菊と同じように緊張した面持ちで直立している。
「先日来、賊が我が四番隊の女性隊員のみを狙い卑劣な行為を行っています」
 この件に関しては四番隊の隊員にも極秘事項だったのだろう、山田という少年は、え、と目を見張った。
「その賊を捕縛するため、こちらの方が協力してくださる事になりました。有沢たつきさんです。現世の、黒崎さんのご学友です」
 名前を紹介され、たつきは少年に向かい頭を下げた。少年も頭を下げ「山田花太郎です」と挨拶を返す。
「今日この後から、四番隊の新人と言う事で、有沢さんをあなた付きに致します。よろしいですね?」
「はいっ!」
 異を唱えず質問もせず、花太郎は頷き頭を下げた。再び最敬礼だ。
「有沢さん、これから暫くこの山田七席の仕事に同行していただいてよろしいでしょうか。山田七席の手伝いをする新人隊員という形をとらせていただきます。ああ、実際にお仕事をする必要はありませんよ?」
 にこりと微笑まれ、たつきは安堵の微笑みを返した。何事にも大雑把な自分は、如何考えても繊細な救護の仕事には向いてない。力仕事は結構いけると思うのだが、囮と言う立場上、大人しくしているのがいいだろう。
「山田七席、この場での話は他言無用です」
「はい、了解いたしました!」
 声を張り上げる花太郎に卯ノ花は頷き、再びたつきへと視線を向ける。
「犯人に手加減は無用です。貴女が怪我をする事が一番私たちがしてはならないことですから。躊躇なく攻撃してくださって構いません」
 ごくりと咽喉を鳴らす音が左右から聞こえた。乱菊と花太郎だ。
「骨の一本二本、手足の一本二本へし折って頂いて構いません。肋骨全て粉砕してくださっても構いませんわ。人相がわからなくなるほど叩きのめしていただいても問題ありません。口さえ動けば罪状認否は出来ますし、それに大丈夫、どんな怪我でも私が完治させますから」
 優しげに卯ノ花が笑う。百合の花のように上品に、穏やかに、淑やかに。
「そして完治した後で私自ら審議いたしましょう。その罪に相応しい罰を繰り返し繰り返し与えましょう。丁寧にゆっくりと――自らの罪を心底悔い、その罪に向き合わせるためにも、いっそ死んだ方が楽と思う程まで完全に」
 ひい、と乱菊が小さな悲鳴を上げた。花太郎に至っては声を出す事も出来ずにただ震えている。
「――お願いいたしますね、有沢さん」
 優雅に頭を下げる卯ノ花に、何故乱菊があそこまで何かを――つまりは卯ノ花を恐れていたのか、たつきにも解った気がした。






 四番隊の隊長室を辞去した後、明らかに乱菊はほっとしたようだった。緊張感が解けあからさまに笑顔が甦る。「あー緊張したー」と誰にともなく呟いて、たつきを四番隊の一室に案内した。
「山田はちょっと執務室で待ってて。用意が出来たらそっちに行くから」
「はい」
「くれぐれも言っとくけど、たつきちゃんの事は他言無用よ。わかったわね?」
「はい、松本さん」
 気弱そうな少年はぺこりと頭を下げ、廊下を歩いていく。今のやり取りが誰にも見られていないことを周囲を見渡して確認し、乱菊はぱたりと扉を閉めた。
「さて、お化粧お化粧」
「化粧?」
 戸惑うたつきの手を引いて、乱菊は鏡の前へとたつきを座らせた。どうやらこの為に最初から用意されていた部屋らしい。
「はい、こっち向いてー」
「いや、そんな化粧なんてあたしには似合わないし」
「何言ってんの、はい黙ってこっち向く―」
 協力すると言った以上、要求された事には従うつもりはあった。けれど化粧など今まで自分はした事がなく、その「おんなのこ」的なその行為には気後れする。
 自分とは全く対極の位置にあるものだからだ。
 自分が影で「男女」と一部に陰口を叩かれている事は知っている。「女らしくない」「男みたいな女」「がさつ」「乱暴者」と影で言われている事も知っている。だから尚更、自分を着飾る事や少女らしい事全てを遠ざけていた。自分には似合わないとわかっていたから。自分が女らしく装ったところで、滑稽にしかならないことはわかっていたから。
 似合わないことをして嗤われるのは嫌だ。
 小学生の頃一度だけ身に付けたレースの付いた長いスカート。「男が女のカッコしてらあ」と同じクラスだった少年にあからさまに哂われたあの日から、二度と女の子らしい格好はしないと決めた。
 鏡の中の無様な自分を見たくなくて、化粧をされている間中たつきはずっと目を瞑っていた。顔を撫でるやわらかな刷毛の感触と仄かに薫る化粧品の香りに落ち着かない。
 くい、と顎を持ち上げられて唇に口紅を重ねられるのがわかる。仕上がりを想像してたつきは暗鬱な気分になったが、「出来上がり。目を開けて?」という乱菊の言葉に仕方なく眼を開けた。
 目の前の鏡に、自分によく似た少女がいる。
 自分とよく似た……「少女」。何処から見ても少年ぽさはない、誰が見ても「女の子」な、自分とよく似た顔。
「これ……あたし?」
「そうよ? 素材が良いからお化粧って言う程何もしてないけどね」
 まだ少女のたつきに相応しく、濃い化粧はされていない。肌がきれいだから白粉も本当はいらないんだけどせっかくだから、という乱菊の言葉を耳にしながら、たつきは呆然と鏡の中の自分を見る。
 ナチュラルに整えられた化粧の中で、唯一装っているとわかるのが、少女らしいピンク色に染まった唇だった。あとはほぼ何の手も加えていない。けれど劇的に変化している鏡の中の自分。
 内心、憧れ続けていた――「少女」である自分。
「仕上げはこれ」
 乱菊が戸棚の中から取り出したのは、腰までもある黒く長い髪の鬘だった。真直ぐに伸びた髪はぱつんと切りそろえられて、何処か日本人形を思わせる。
 それを頭に付けてもらいながら、たつきは「やっぱり……」と小さく呟いた。
「女の人は、長い髪ですよね」
 敢えて伸ばさないようにしていた。これもたつきのコンプレックスの表れだ。
 長い髪は似合わない。
 だって自分は女らしくないから。
「そんなことないわよ? ――ただね、短い髪はその人の意思の強さを表すの」
 ほつれている髪を櫛で整えながら、乱菊は優しく言った。人の機微に聡い乱菊には、たつきの複雑な胸中がわかるのだろう。
「短い髪は意思の強さだわ。男に媚びない強い女性。――長い髪は一種の男への従属の表れなのよ」
 長い髪は女性らしさ。
 それを好む男がいかに世には溢れているか。
「それを振り切る女性は強いわ。自分の意思を持っている事だもの。男に媚びないかっこよさ。――だから、今回はそれを隠すために長い髪になってもらうの。ごめんね、たつきちゃん」
 囮となるべき自分が、意思の強さを匂わせてはならない。確かにたつきの髪はあまりにも短く、短さが意思の強さを物語るならばその意思の強さが伝わってしまうだろう。強さを感じさせないことが囮には重要で、だからそれを隠すのは当然だ。
「女は長い髪。――そう思ってる莫迦な男が多いのはもう何千年も昔からの事だから仕方ないわ。だから気にしないで良いのよ。たつきちゃんはたつきちゃんらしく、それで良いの」
 髪を伸ばすのもいい。短いままでもいい。そんな外見は関係ない。
「乱菊さんは何で髪を伸ばしているんですか?」
 ふと疑問に思いたつきは聞いてみた。意思の強さならば間違いなく乱菊は相当強い。
 流れる光の滝のような見事な金髪、それを一房手にして乱菊はふふっと笑う。
「男を操るにはこれも強力な武器なのよ」
 たつきの脳裏に、乱菊の手玉に取られる男性たちが目に浮かぶ。その胸元を強調した着物の着方も長い髪も徒っぽい流し眼も、乱菊にとってそれは自分を知る故に装備している武器なのだろう。
 確かに只でさえ美しいこの人にこんな装備をされたなら、大抵の男性たちは乱菊のいいように操られてしまう。
 そう言えば一護も操られていたっけな、と思いだしてたつきは笑いだした。
「あとね、卯ノ花隊長……あの人はもう媚びとか従属とか武器とか全く関係ないから。四楓院夜一もね。あの二人は本当に好きなようにしてるだけだから」
 その境地に早く達したいわね、と小さく溜息をつく乱菊に、頷くしかないたつきだった。






 そうしてたつきは四番隊で働き始めた。
 七席の山田花太郎付きの新人という触れ込みで、花太郎の後について負傷した隊員たちと接した。ぼろが出ては困るので、たつきは極力喋らないようにしながら花太郎に言われるまま薬を取り出したり包帯を巻いたりしている。空手道場に通っているたつきには包帯を巻くのは道場で怪我した練習生によくしている事なので、その程度の手伝いは出来た。
 何を話しかけられても困ったように微笑むだけのたつきは、接する者たちから「大人しくて可愛いお嬢さん」と思われたようだ。護挺十三隊に所属する女性たちは男性と同等の力を持つ、つまり「か弱い」と表現するには少々覇気がありすぎる女性ばかりだった為に、小柄で細く華奢で髪の長い、男性と言葉を交わすことさえ恥ずかしがり目を伏せる(と周囲の男性には見えた)大和撫子の新人隊員は、最初の一日目で既に男性隊員たちの間で「深層の令嬢」として話題になっていた。それまでの経歴がまるで不明な事も、大貴族の令嬢なのでは、という根も葉もない噂を信じさせる原因にもなり、三日目には、男性隊員たちの間で、噂されるその内容をたつき自身が聞いたならば爆笑して呼吸困難になること間違いないような、「一体誰のことそれ?」という「恥ずかしがりやで無垢で純真な正真正銘のお嬢様」が出来上がっていた。
 帰宅は敢えて毎日深夜近くにするようにした。相手は暫く相手の動向を見るだろうから、人気のない道を選び、毎日同じ道を同じ時刻に通って帰る。五回目になるその道を歩きながら、たつきはもしかしたら長期戦かな、と考える。
 その時、ぱしりという微かな音がした。
 普段ならば、周囲に意識を集中していなければ聞こえないだろう微かな音。小さな木の枝を踏む、風の音に紛れそうなほど小さな音。
 それに気付かない振りをして、たつきは俯きながら歩く。胸に包みを抱え、無防備に、夜の闇に不安そうに。ごく普通の無力な少女を装って。
 人の気配がする。間違いなくこちらを窺っている。前方に、5メートル先のあの茂みの中に。
 茂みの横を通り過ぎる。
 突然、背後から激しく樹々を揺らす音がした。振り返るたつきの視界に、黒い影が覆い被さって来る。両手を横に広げ、抱きしめるように――つまり捕獲するように。
 怯える振りでわざと棒立ちになったたつきの口を男が塞ぐ。
 荒い呼吸の音。乱暴に掴まれた腕。男は背後からたつきを羽交い絞めにして、叢に引き摺りこもうとする。
 本当ならばもう少し待とうと思っていた。男が撮影をする為に何処かに隠してあるだろう写真機を手にするその瞬間まで。そうすれば完全に一連の犯行がこの男の仕業だと立証される。今のこの時点ではそれが立証できない。どうとでもいい訳が出来てしまう。
 けれど、見知らぬ男に触れられている現状にどうしても我慢が出来なかった。全身に寒気がする。知らない男の体温が自分に伝わるのが耐えられない。身震いするほどの嫌悪感。
 反撃に転じようとした、その時。
 男の身体が鈍い音と共に崩れ落ちた。自分の身体を拘束していた腕が力なく解けていく。素早く距離を置き間合いを取ると、見慣れたオレンジ色の髪が夜の闇に揺れている。
「ざけんな手前この! 死ね! 死ね!」
 容赦なく足元に倒れている死覇装の男に蹴りを入れ踏みつける幼馴染に唖然としながら、たつきは目の前で激昂しているの一護に「ちょっと」と声をかけた。
「何であんたが此処に居るの」
「お前もお前だ!!」
 激昂の矛先が突如自分に向けられ、たつきは思わず首を竦めた。今まで見たこともない程一護が怒っている。
「何でさっさと蹴り飛ばさねえんだ! お前ならそれ位軽いだろ!? 捕まる前に気配で気付いてただろうが!!」
「いや、だって……ちゃんと証拠を、」
「お前がんなこと気にすんな!! なんだあれか、じゃあこの変態に写真撮られるまで黙ってされるがままのつもりだったのか!?」
「誰もそんな事言ってないだろ!? 大体何で一護が此処に居るのよ!」
「それはー、一護がたつきちゃんのこと心配で心配でいてもたってもいられなかったからでーす」
 朗らかな声と共に乱菊が現れた。一護の足元で苦しげな声を上げている男に容赦なく本気の蹴りを入れると、男は気絶したのか静かになる。
「ありがとうたつきちゃん。証拠もちゃんと見付けたからね」
 その叢にあったわ、と写真機を手に微笑む乱菊にほっと安堵の笑みを向ける。「何とか役に立てました?」と笑うたつきに「ざけんな!!」と再び一護が怒りだす。
「ちょっと何怒って……」
「大切に大切にしていたたつきちゃんを、勝手に他の男が触っちゃったから怒ってるの。ごめんねたつきちゃん、ごめんね一護?」
 乱菊の言葉に普段ならば「違ぇよ!」と否定する一護だったが、今は怒りの為か何も言わない。恐ろしい程に怒り狂っている。
「私は砕蜂隊長に報告と、これを卯ノ花隊長に引き渡しに行ってくるから、一護、たつきちゃん部屋まで送って行ってね? 明日、二人にお礼はきちんとするから」
 一護は返事をしない。怒り狂う一護を前に狼狽するたつきに乱菊がすっと近付くと、「大丈夫」と耳打ちした。
「一護が怒ってるのはたつきちゃんにじゃないから。自分の不甲斐なさに怒ってるのよ。大丈夫、今日でちゃんと収まるところに収まるわ。一護はもう逃げられないから」
「え? 何が……」
「じゃあね、頼んだわよ一護!」
 嫌そうに足元で気絶する男の襟首を掴み、乱菊が男を引き摺って行く。二番隊に辿り着くまでには相当な擦り傷が男の身体に出来ていそうだが、それも卯ノ花隊長に引き渡される事を考えれば傷の内にも入らないだろう。
 乱菊の姿が消えてからも暫く一護は無言だった。たつきから視線を反らして立っている。まだその姿に怒りが見えて、たつきは「ええと……ごめんね?」と声をかけた。
「心配させたみたいだけど……でも、大丈夫だったのに。あんなのにあたしが負ける訳」
「何であんなのに触らせるんだよ!!」
 たつきの言葉を遮る一護の鋭い声に、「……いや、好きで触らせた訳じゃ」とたつきは口籠る。
 そのたつきの口元を、突然ぐいぐいと一護は死覇装の袖で拭い始めた。強くこすられてたつきは「痛っ!」と声を上げる。それでも一護はたつきの口元を強くこすり続ける。
「だから一体何なのよ! ちょっと痛いってば、痛いって一護!」
 睨むようにたつきを見ていた一護は、「何であんなのに触らせんだよ……」と呟いた。
 あ、とたつきは気付く。
 一護が消そうとしていたのは、あの男が触れた感触だ。たつきの口を塞いだあの男の目には見えない痕跡。
「お前に触っていいのは俺だけだ」
「…………………………いつからそんな事に」
「ずっと前からだよ!」
 噛みつくように一護が言う。たつきはただ唖然とするしかない。
「たつきが好きだ。ずっと好きだ。たつきだけ好きだ。今までもこれからもたつきだけが好きだ!」
 囁くように言われたなら、素直に頷く事が出来たかもしれない。けれど一護は怒っていた。まるで大嫌いだと言われているかのような口調でそんな事を言われれば、素直に頷ける筈もない。
「だってあんた何も言わなかったじゃない! 帰って来てからだって何も!」
「何もって何だよ!? ちゃんと言っただろうが! 俺の事も尸魂界の事も全部!!」
「言ってないだろ!? 約束したのに言ってないじゃないか!! 帰ってきたらちゃんと言うって約束したのに!!」
 ようやく一護はたつきとの齟齬に気付いたようだ。はっと息を飲む音がたつきの耳に入った。「まさか」とうろたえる一護の姿がある。
「記憶……残ってるのか」
 無言で睨みつけるたつきに、あの時浦原に頼んでいた事――たつきの記憶を消してくれと頼んだ事が、為されていないと一護は知った。「あの野郎……」と毒吐く一護に、「あんたは」と怒りを押し殺したたつきの声が重なった。
「あんたはあたしの記憶を消して、それをいいことに何もなかった事にするつもりだったの」
 そこで一護がぐっと詰まった。何かを言おうと口を開き、何も言えずに閉じ……数度繰り返したのち、結局「……ごめん」と小さく言った。
「……巻き込みたくなかった」
「まだ言ってんの」
 深い溜息をたつきは吐く。
 一護がたつきを死神化させたのは仕方がなかったと思っている。一度自分は死んだのだ。一護のおかげで生きている。けれど一護は自分の所為でたつきが死んだと思っているのだ。自分が巻き込んだ所為で、と。
「ずっと思ってるさ。お前は巻き込みたくない。こんな世界に」
 生命の危険。
 世界の重圧。
 一護がそれらの事から一番遠く離したいのはたつきだけだというのに。
「けれど、俺が巻き込んだ。俺の所為でお前は一度死んで……」
 ぐ、と何かが咽喉に詰まったように一護の言葉が途切れた。その時の事を思い出したのだろう――世界が崩壊したあの絶望の瞬間を。
「……だから、俺は本当はお前の傍に居る資格なんてないんだ」
 好きだなんて。
 傍に居て欲しいなんて。
 言う資格など自分にはない。
 けれど、誰かがたつきに触れる事を許す事が出来ないのも事実で。
 あの男がたつきに触れるのを見て我を忘れた。
 たつきに触れていいのは自分だけだと思った。
 誰にも触らせたくはなかった。
「――あんた、言ってる事が滅茶苦茶だよ。正反対の事言ってる」
 苛立ちを含んだたつきの声に、一護は無言で頷いた。支離滅裂なのは自分が一番よくわかっている。自分はたつきの傍に居る資格がないと言いながら、たつきに自分の傍に居ろと言っているのだ。
「ごめん……」
「謝んな。あたしの聞きたいのはそんな言葉じゃない」
 戸惑う一護に、たつきは俯いた。きゅっと一護の死覇装の袖を掴む。
「……さっきの、もう一回言って」
「さ、さっきの?」
「あたしが……って」
「……いや、それは、あれは何というか勢いに任せて」
「―――――― い き お い ?」
 巨大な低気圧の様相を呈したたつきの声に、一護は慌てて「違う違う勢いじゃない!」と首を振る。
 何度か深呼吸した後、目を瞑り一護はたつきに袖を掴まれたままの直立姿勢で、「たつきが好きだ」と緊張にかすれた声で呟いた。
「たつきが好きだ。ずっと好きだ。たつきだけが好きだ。今までもこれからも。たつきだけをずっと好きだ」
 それに対しての返答はない。ただ、たつきは俯いて黙っている。随分と長い沈黙に一護が不安になり始めた頃、聞き逃しそうなほど小さな声でたつきは言った。
「――あたしが触られたのは口だけじゃないだろ」
「え?」
「一護がちゃんと消してよ。あいつが触った場所の感触」
 たつきの手が解ける。一護の死覇装の袖から手を離して、ぎゅっと一護にしがみついた。
 たつきが何を望んでいるか、今自分が何をすべきか、一護は正確に読みとった。
 小さなたつきの身体を抱きしめる。たつきの記憶の上からあの男の体温を消して自分の体温を移す。強く込め過ぎた力は恐らくたつきの身体に痛みを与えているだろう。けれどたつきは何も言わずに、一護の背中に手をまわしてしがみつく。
「好きだよ、一護」
「―――――うん」
「ごめんね、あんなのに触られて」
「もう二度と誰にも触らせんなよ」
「わかった。誰にも触らせない」
「組み手の時もだぞ?」
「それは無理だろ……」
 呆れて顔を上げるたつきに、一護は眉を寄せた。不機嫌そうなその表情にたつきが何かを言おうとする前に、一護の手がたつきの背中にある髪の端を引っ張った。するりと鬘が取れる。
「こんなのお前じゃない」
「――長い髪が厭なのか?」
「お前の髪なら長くても短くてもいい。でもこれはお前の髪じゃないから」
 月光の下に現れたたつきの髪を、一護は不器用に、けれど丁寧に指で梳いた。それだけで自分がどれだけ一護に大切に思われているかわかる。ただ髪を梳く、それだけで。
「――帰るか」
「うん。……一護、いつからこっちに居たの」
「初日からだよ。ずっと隠れて見てた」
「暇だな……」
「心配してたんだよ!」
 くすっとたつきは笑う。不貞腐れたように歩く一護の手をとって歩き出した。指は絡めて――ごく自然に。
「お詫びに、今日あたしの部屋に泊めてやるよ」
「え――ええっ!?」
「寝させないよ、一護?」
 なっ、と絶句する一護にたつきは堪えかねたように笑い続ける。
 かくして、突然転がり込んだ大幸運に、初めて故に朧気な手順や順番や作法やあれやこれやと妄想する一護を待っていたのは、「お帰りたつきちゃーん!」という既に酒色に染まった声だった。
「約束通り! 任務完了の暁には! 朝まで酒盛りよーっ!……って、何、一護もいるの」
「……えー……」
「何よ一護。何想像してたの? この助平」
「てめ、たつき……っ! 純真な青少年をからかいやがったな!」
「純真? 何処に居るのそんなの? 純真な青少年は変な想像しない!」
「覚えてろよ……」
「何二人で話通じ合ってるの? 乱菊つまんな―い! あ、そうそう、もうすぐ恋次と朽木も来るから」
 覚悟しておきなさ―い、と能天気な声に重なるように扉を開く音と「おーっす」という聞き慣れた声と共に赤い髪の男と、その後ろから小柄な少女が顔を出す。
「よう一護。ストーカーしてたのばれたのか」
「ストーカー言うな! 全然違う!」
「ストーカー?」
「あのなルキア、こいつずっと有沢の事隠れて見てたんだぜ? 変装して一日中。笑える!」
「うるせえ!」
「まあとりあえず……お邪魔する」
「ほんとに邪魔だっての」
 毒づく一護の手に盃が押し付けられる。「ほらほらお祝い!」と乱菊の手の酒瓶から酒が勢いよく注がれた。
「お祝いぃ? 何の」
 不貞腐れながら盃に口をつける一護に「たつきちゃんに告白したお祝い」と乱菊にけろりと言われて一護は酒を噴きだした。
「な、な、何で」
「お姉さんは何でもお見通し―」
「はあ? まだ言ってなかったのかよ手前? どんだけ初心なんだ小学生か?」
「ほう、私も何処ぞの誰かにはっきり言ってもらうのに100年ほど待ったような気がするが」
「あー、ほら呑めルキア! 祝いだ祝いだ!」
「ふむ。おめでとう、有沢」
「ええと、……ありがとう? ん? 何か変?」
「変ではないぞ。良かったな、有沢。これからも一護を支えてくれ」
「うん。ありがとう朽木さん」
「ほら一護、たつきちゃんに何て言ったか言ってご覧?」
「言うかっ!!」
「じゃあ私が言っちゃおっかな―。『お前に触っていいのは俺だけだ!』」
「随分……直接的だな一護……」
「これだから童貞は嫌だよなー、がっついてんな―、俺は違うけどな!」
「何であんたが知ってんだよ!? さては聞いてたな!? 実は隠れて聞いてたんだろっ!?」
「えーなんのことー? 『たつきが好きだ、ずっと好きだ、』」
「ぎゃああああああああああああやめろふざけんな!!!!」




 激昂する一護を見ながらたつきは笑う。
 とりあえず、明日は瀞霊廷を一護に案内してもらおう。
 その時には恋人同士のように手を繋いで。
 いつもと同じように喧嘩をしながら、でもきっといつもの二人とは違う。
 楽しみな明日の為にもお酒はほどほどにしておこう。
 寝させないから、というのは前言撤回……程々の頃愛で眠ってもらわないと明日に触る。
 聞けばどうやらこの数日は恋次の家に転がり込んでいたらしい。恋次の家は此処から少し離れているようだから、今日はこの部屋に一護が泊まればいい。
 勿論その時は、たつきに付き合う為に隣に部屋を借りているの乱菊さんの部屋にお邪魔するつもりでいる。
 まだしばらくは、周囲に笑われようと幼い関係で構わない。
 手を繋いで一緒に出かけて、そんな小学生みたいなデートで十分だ。
 一護はどうかわからないけど……まあ、何もなかった事にしようとした罰だと思ってもらおう。そう心の内に呟いて、たつきはぺろりと盃の中の酒を舐めた。





 

 




お酒は二十歳になってから。



たつきちゃんがSSに来てから卯ノ花さんに会ったところまで、間違って全消ししてしまい真白になりました…
書き直しましたよ。


2010.1.14  司城 さくら