時刻はとうに真夜中を過ぎていたが、一向に訪れる気配のない睡魔を待ち侘びることを諦め、ルキアは布団から起き上がると窓のカーテンを開けた。
 小さな―――けれど、今まで住んでいた家に比べれば充分な広さの、清潔な部屋。初めて持った自分だけの部屋が、この真央霊術院の寮であるこの部屋だった。
 入学してから、もう1ヶ月になる。
 今までの生活とは全てが変わった。生きる事だけに必死だった一ヶ月前。今は決まった時間に起きて、ほとんどの時間を勉強に費やす。衣食住の保障された生活。
 ガラス越しの風景が何となく気に入らなくて、ルキアは窓を開け放した。窓の外に大きな枝が見える。その枝の隙間から、真円の月が覗いていた。
 部屋の明かりを落としたまま、ルキアは頭上の月をぼんやりと眺める。
 太陽の支配する昼間の生活には大分慣れた。けれども、月の支配する夜の生活はというと―――ルキアはいまだ慣れずにいる。
 いつも隣にあった気配がない。たったそれだけの事で、ルキアは眠る事が出来なくなっている。以前は眠れる時にすぐに寝て、起きる時は瞬間的に起きた。それが今では、横になっても眠れない。夜明け近くにようやくうとうとする程度で、つまりルキアは立派な不眠症になっていたのだ。
 ―――今日もどうやら、眠りの神は私を見捨てていくらしい。
 とりあえず明日は日曜日で学院も休みだ。眠れなくてもそれほど支障はない。月を眺めながらルキアがそんな事を考えていると、目の前の樹がざわざわと揺れた。
 風もないのに、と訝しく思うより前に、黒い大きな塊が窓から飛び込んできてルキアは息を呑んだ。驚きに身体が硬直する。そのルキアの前で、黒い塊は床の上で動いていた。ようやくそれが人だという事に気がついて、ルキアは「何者だ!」と叫んだ―――つもりだったが、実際には「な」と声を発した時点で大きな手で口を塞がれ、後の「にものだ」の部分は外に漏れずに何者かの手の中で消えていく。
 混乱したまま手足をばたつかせると、耳元で「騒ぐな、人が来るだろーが!」と囁かれてルキアは一気に脱力した。
 力の抜けたルキアに、もう騒ぐ事はないだろうと安心したのか、ルキアの口を押さえつけていた力が解ける。
「―――この、莫迦っ!」
 容赦なく鳩尾に拳を叩き込むと、思いがけずクリーンヒットしたようで、しばらく男は悶絶していた。それへ冷たい一瞥を与えると、「で、こんな真夜中に一体何の用だ、恋次?」と怒りを込めた低い声で尋ねた。
「いや、別に用はないんだけどよ」
 殴られた腹をさすりながら、呑気に恋次は答えた。「女子寮の前通ったからよ、挨拶しに」
「莫迦だ莫迦だと思っていたが、本当に莫迦だな。突然飛び込んできて、別の女性の部屋だったらどうするつもりだ。入学1ヶ月にして退学になる気か」
「俺がお前の気配を間違えるかよ」
 得意げに胸を張られてルキアは黙り込んだ。つい今しがた、自分は恋次の気配だと気付かずに怯えていたのを思い出す。
「ふん、鈍くて悪かったな」
 少し傷ついてルキアはそっぽを向いた。
「用が無いならさっさと帰れ。私はこんな事がばれて、お前と一緒に退学になる気はさらさら無いぞ」
「そんな冷てえ事言うなって。お前と俺との仲じゃねえか」
 へらへらと笑う恋次の姿を見て、ルキアの形のいい眉が訝しげにひそめられた。
「何だか普段のお前と違う気がするのだが。妙な匂いもするし、お前一体今まで何をしていた?」
「ん?ちょっとな、酒を」
「酒!?」
「一組の奴らとよ、入学記念っつー事で」
 1ヶ月も経ってて入学記念もねえよなあ、ただ呑む口実だってえの、と恋次は笑った。
「で、俺は独りで寂しそーにしているお前のところに来てやったって訳だ」
「余計なお世話だ!!」
 カッとしてルキアは叫んだ。一月経ってもいまだ自分がクラスに馴染めていないことは解っている。けれども恋次に同情される覚えは無い。
「帰れ」
 怒りをこらえてそう言うと、恋次は「厭だね」と踏ん反り返った。
「いいからさっさと部屋に戻って寝てろ!」
 手近にあった枕を投げつけると、恋次は難なく避けて、そのままルキアの手を掴んで引き寄せた。
 すっぽりと恋次の胸の中におさまって、身動きが取れない。ルキアの顔は一瞬で赤くなった。
「なななな何をするっ!!」
「部屋に戻ったって眠れねーんだよ」
 ぎゅっとルキアを抱きしめて恋次は呟いた。
「何だかわかんねーけど、眠れねえんだ。独りになってからずっと、だぜ」
「恋次……」
「独りで寂しいのは俺の方だ。ったく餓鬼みてえに……何考えてんだか、俺は」
 そのまま恋次はルキアを抱き上げると、布団の上に押し倒してルキアの上に覆いかぶさった。
「れんっ……」
 驚きに身をすくませるルキアを抱きしめながら、恋次は「ルキア……」と呟いて、ルキアに体重を乗せてくる。
「やめろ、離せ!」
 涙の滲んだ目で睨んでも、恋次はルキアの胸に顔を埋めていてその表情は見えない。
「いい加減にしろ、恋次!!」
 両手の拳を思いっ切り叩きつけても恋次には全く効かない。恋次はルキアに覆いかぶさったままびくともしなかった。
「やめろと言ってるだろう!!」
 悔しくて怖くて、震える声でそう言った時、ルキアは気がついた。
 ――――寝て、いる。
 恋次はルキアを抱きしめたまま、完全に眠っていた。くー、くー、という平和な寝息がルキアの耳に入る。
 両手で恋次の顔を押しのけようとするが、全く起きる気配は無い。
「重い重い重い―――っ!退けと言ってるだろう、この莫迦っ!!」
『何だかわかんねーけど、眠れねえんだ。独りになってからずっと』
「―――私はお前の抱き枕かッ!」
 渾身の力で殴りつけると、恋次は「ルキア…」と呟いて、ルキアの上からごろんと隣に転がると、今度はルキアを抱え込んで再び寝息をたて始めた。
 窒息する危険は避けられたが、身動き取れない事実は変わらない。
「―――まあ、良い。お前が私を枕代わりにするというのなら、私だってお前を利用してやるからな」
 恋次の隣にいるだけで、何故だか安心してしまっている自分がいる。
「私だってお前を睡眠薬代わりにしてやる」
 そう呟いて恋次の頬を引っ張ると、「んー」と間抜けな返事が聞こえた。
 その声にくすくす笑うと、1ヶ月ぶりに訪れた優しい眠気に身を委ねながら、ルキアはゆっくりと夢の世界へと落ちていった。










甘いですか!?私は甘く書けましたか!?

いちゃいちゃしてますねー、そんな二人は大好きなのですが、恋次がルキアを襲う(違)シーンは書いてて何だか楽しかったです。
やばいです。
健全サイトなんだけどなあ…。


この続きも考えてあるので、次のアップはそれかなあ。
シリアスのもあるし、うー、どっちにしよう。
ま、気分の乗った方からにします。


2004.8.26  司城さくら