「桜井琥一ってさ」
 突然耳に入った橋本の言葉に、花織は口を閉じた。何故ここに琥一の名前が出るのかわからず、怒りで燃えあがった目の中に、戸惑うような不安の色が混じる。
「すぐ激昂するよね。君関連のことだと特に。まるで保護者だよね、君が泣かされると決まって出てくる。――そんな桜井琥一が、君のこんな写真を見て、それを撮ったのが僕だと知ったら、あの桜井琥一がどんな行動に出るか――勿論賢明で聡明な、ローズクィーンの称号を持つ君なら解るよね?」
 もし琥一が知ったのなら。この写真の存在と、この写真を撮った存在、その名前を知ったなら。
「怒るだろうね、それはもう激しく、前後の見境なんてなくなる程。桜井琉夏も怒るだろうけど、あいつはきっと冷静に怒る。冷静に僕を追い詰める。けれど桜井琥一は、一直線だよね――真直ぐ僕の元に来る。真直ぐ僕の元に来て、僕を殴るだろうね、何度も何度も何度も何度も。僕は桜井琥一みたいに大きな身体は持ってないから、きっとすごい大怪我だね。最悪死ぬ所まで行くかもしれない。そうしたら、桜井琥一は当然――捕まるよね。少年院行きだよ。中学からの素行の悪さが功を奏して、って言っていいのかわからないけどさ、まあ情状酌量なんてないだろうね。僕に多少の非は向けられても、桜井琥一が僕にする報復は過剰だ。――つまりこの写真が外に出たら、桜井琥一の未来は真黒に塗りつぶされるって事だね。君を護る為にね。君の所為でね」
 橋本の抑揚のない声で続けられる言葉の羅列は、花織の瞳から怒りを奪い再び怯えへと塗り替えた。けれど今度の怯えは、自分の為ではなく琥一の為のもの――橋本の語った言葉は間違いなく真実を突いている。この写真を撮ったのが橋本と知った瞬間、琥一は怒りのままに橋本に拳を振り上げる。
 ――一緒に。
 居たいのだ。一緒に居たい。共に卒業したい。いつでも会いたい。傍にいたい。傍にいて欲しい。
「やめて――そんなこと」
「君がこの写真を秘密にしてほしいなら、相応のことをしなくてはいけないと思うんだよ。たとえば僕がさっき言ったようなことを、ただ黙って受け入れるとかね。たったそれだけで、僕は秘密を守るよ」
 ドアに向かっていた足先を一八〇度回転させる。再び橋本と向き合った花織は、人形のようにぎくしゃくと元の椅子に腰かけた。
 蒼褪めたまま、前に立つ橋本の姿を仰ぎ見る。
「僕は秘密を。君は桜井琥一を。――君が僕に従順なら僕は秘密を守り続けるし、君は桜井琥一を守り続けることができる」
 ゆっくりと橋本は手を伸ばす。反射的に避けようとする花織の頬に手を乗せ、撫でるようにその手を動かす。嫌悪感に震えが走る。それでも花織は必死に耐えた。
「大丈夫だよ。僕はセックスに興味はないから。あんな短絡的なものに興味はないよ。僕はただ、君に触って――君に触れて、君に……それだけで……」
 頬に乗せられた手はゆっくりと首へと動き、恐怖に速くなる花織の鼓動を確かめるようになぞり、ジャケットの下へと滑りこんでいく。
 ブラウス越しに触れられた橋本の手の感触が、生々しく花織の胸に体温を移す。
「僕だけが、君を――」
 しゅるりとリボンが解かれる音がする。十一月を過ぎた空気は冷たく、肌蹴られた胸に冷気を浴びせる。
 床に投げ捨てられた赤いリボンを見つめながら、花織は一筋涙を溢した。