部屋に入った途端、机の上に山積みになった四角や丸の箱の数々が目に飛び込んできて、ルキアはその形のいい眉を勢いよく跳ね上げた。
「これはこれは、六番隊副隊長は随分とおもてのようで」
 一気に不機嫌になっていくルキアの刺々しい言葉に、「何毒吐いてんだよ」と恋次は溜息を吐く。
「別に?毒なんて吐いておらぬぞ。失礼なことを言うな」
 昨年は尸魂界で知る者の少なかった現世のイベント、「バレンタインデー」というのは、今年は「死神通信」で紹介された所為か、ほぼ全ての死神が知っていた。
 流魂街の店でも商人たちが腕をふるって現世の甘いチョコレート菓子を作っては販売している。
 ここ最近、大きな事件もなく平和が続いている尸魂界では、皆が浮かれてこの桃色なイベントに酔いしれている。日頃、想いを秘めていた好きな人へ、公明正大に愛を告白できるチャンスなのだ。女性たちは愛しい人との未来を夢見て胸をときめかせ、男たちは密かに好意を持っている少女からもらえないかとそわそわしている。
 そんな、瀞霊廷内がお祭り気分の中、不機嫌な女性死神が約一名。
 そのたった一人の女性が、恋次の目の前で不機嫌そうに腕を組み恋次を睨みつけている。
「随分貰ったではないか、私も主人として鼻が高いぞ、下僕」
「はいはい、喜んでいただけて嬉しいですよ」
 机の上のカラフルな箱を、ルキアの目に入らないようにと後ろの棚にしまいながら恋次は言った。その様子に、ルキアは、今度は微かに眉を顰める。
「如何するのだ、それは」
「まあ中開けて誰から貰ったのか名前覚えといて、あとで礼でも言うさ」
 肩を竦めて恋次は言う。
 恋次は未だ恋人なし―――護廷十三隊の女性たちの間では、恋次の事に関してそういった噂が流れていた。実際、恋次に表立って付き合っている女性はいない。
 裏立って(?)付き合っている女性は目の前にいるけれども。
「そうか、可愛い娘でもいたのなら付き合ってみては如何だ」
 そんな風に毒づく恋人は、言った後に一瞬、誰も気付かない瞬きするほどの一瞬、口にした自分の言葉に心底後悔した顔をするから、それをきちんと見ている恋次は腹を立てることもなく「そうだな」と何食わぬ顔で笑って見せる。
「お前がそう言うならそうしてみようかな」
 途端、泣きそうになっている表情に、本人は気付いてないのだろう。俯いてしまったお姫さまに、その消沈振りは気付かない振りで「ま、そんな暇ねえな」と恋次は冗談に紛らわせてしまう。
「俺はお前の我儘に付き合うので一杯一杯だ」
「……ふん、お前の甲斐性無しを私の所為にするな」
 ほっとした表情を悟られないように精一杯の虚勢を張って、ルキアは憎々しげにそんなことを言う。
「で?何の用だよルキア」
 さり気なく水を向けると、ルキアは急にそわそわし出した。視線は背後の棚の、色とりどりの箱に目が行っている。豪華な包装のそれらの箱、女性たちの期待と恋次への愛がつまったその色鮮やかな箱の数々に、ルキアは気後れしているようだ。
「―――兄様と」
 ルキアの言葉を待って無言の恋次に、ようやく決心がついたのだろう、ルキアはまるで喧嘩を売るような鋭い目で恋次を睨み、
「浮竹隊長と小椿殿と檜佐木先輩と一護に渡すちょこれーとが余ったからお前にもやる」
 一息でそう言い切った後、ずい、と恋次に小さな箱を押し付けた。
「喰え」
「ありがとよ」
 嬉しそうに、大事そうに手の中に収める恋次に、ルキアは頬を染めて「いいか、余ったからだぞ、勘違いするなよ?」と念を押す。
「はいはい」
「本当だからな、そのにやけた笑いはやめろ、腹が立つ!」
 真赤になって怒るルキアをいなして、恋次はそっとリボンを解く。中から現れた、去年と同じ手作りのチョコレートに幸せそうに微笑んだ。
「……去年よりも上達してるな。寝不足でもなさそうだし」
「え?」
「こっちの話。ありがとな、大事に食うぜ」
「だから余ったんだ、お前だけに渡したんじゃないぞ!」
「勿論解ってるよ、お前は俺のことなんてなんとも思ってないからな」
「そ……んなこと、は……」
「まあ、従者とは思ってもらえてるけどな。朽木隊長よりも浮竹隊長よりも小椿よりも檜佐木先輩よりも一護よりも、俺は下にいるって事は充分弁えてるから安心しろ」
「そ、うか、弁えているか」
 重畳、と微笑むルキアの表情は引き攣っている。嬉しさのあまり調子に乗って、ちょっと苛めすぎたかな、と恋次がやや反省した時に、決死の形相のルキアの顔が目前に迫って、思わず恋次は仰け反った。
 がしっと顔を両手で掴まれる。
 そのまま、首を捻じ切られるかと本気で思った瞬間。
 唇が―――触れた。
 驚きに目を見開く恋次とは対照的に、硬く目を瞑るルキアは、長い長い時間―――二十秒ほど口付けた後、勢いよく恋次を突き飛ばした。
 その勢いのままに背後の棚に背中をぶつけた恋次は、呆然と目の前のルキアを見つめる。
「―――私はっ、下僕のことはっ、一番大切に、大事に、思ってるし!大事な下僕は、他の誰にも渡す気はないんだからなっ!!」
 怒鳴るようにそう言って、ルキアは「どうだ、私は主人の鑑だろうっ」と挑むように恋次を睨みつけた。
 勿論睨むその行為は照れ隠し―――まさかそんな手段を用いるとは思っていなかった恋次は、珍しく茫然としている。
「―――はい、光栄です」
「よしっ!」
 弥生の十四日はお前がちょこれーとのお返しするんだからな、と人差し指を突きつけてルキアは言う。自分が仕出かした今の行為に、自分でパニックに陥ってるのだろう、喧嘩腰の口調と態度が抜けていない。
「勿論倍返しが礼儀だぞ、解ったか下僕!」
「了解」
 驚きが通り過ぎれば、あとは嬉しさがこみ上げるだけで―――恋次の顔に幸せそうな笑みが浮かぶ。このルキアに対する笑顔を見れば、背後のチョコレートをくれた女性たちは、一瞬で恋次との未来の甘い夢を見ることをあきらめたことだろう。
 ルキアへの愛しさがあふれた、優しい笑顔。
 その笑顔が、次の瞬間、何かを企む笑顔に変わった事は―――幸いにして、照れてそっぽを向いていたルキアの目には入らなかった。
「倍返し、させていただきましょう?」
 お前も成長したようだし。
 口付けの倍返しは何処までなんだろうな、と小さく呟く恋次の声は聞こえなかったのか、「何だ?」と首を傾げるルキアに向かって、恋次は「来月のお楽しみ」と心からの笑顔でそう答えた。