昨日も。
 一昨日も。
 その前も。
 その前の日も。
「……つまらぬ」
 腹立ち紛れにそう呟いても、目の前の男は聞こえない振りで筆を走らせている。
 私はつかつかと歩き、男の横に立つ。
 それでも男は無視と決め込んでいる。
「つまらぬつまらぬつまらぬ!!いい加減仕事など止めてしまえこの莫迦ッ!!」
 絶叫してやった。
「どわあっ!」
 飛び上がる恋次の目の前から書類の束をかき集めると、ぽいと後ろの机に放り投げた。ばさばさと紙の派手な音がする。
「何しやがる!」
「いい加減にしろこの莫迦!他人の仕事まで背負い込むな!お前の時間がなくなるだろうが!!」
「仕方ねえだろう、月末なんだから皆忙しいんだよ!」
「だからって何故お前が人の分まで仕事をしているのだ!!」
 私がここにいるのに。
 昨日も、一昨日も、その前も、その前の日も。
 仕事が終わって私は此処に来てるのに、この莫迦はずっと仕事仕事だ。
 少しぐらい。
 ……構ってくれたって。
「元々お前の容量は少ないのだ、その無駄にでかい身体に反比例してな」
「あのなあルキア」
「お前が他人の仕事をしても、間違いだらけで余計迷惑だぞ。止めておけ、その方が相手のためになる」
 はあ、と溜息を付いて恋次は立ち上がった。
「送る」
「…………別に、送ってもらいたいんじゃない」
 暗に「邪魔だ」と言う恋次の言葉に、私はしゅんとなる心を隠して居丈高に言葉を返す。
「私は主として下僕であるお前の身体を心配している」
「それは大変申し訳ございません、ご主人様」
 大仰に頭を下げる恋次。
 その口元に浮かんでいる笑みから、本気で怒ってはいないと見て取って私はほっとする。
 恋次は、仕事を続けるよりも少し私を相手にした方がかえって今後の仕事がはかどると思ったのだろう、筆を置いて椅子に背中を預け、私を見た。
「ではお言葉に甘えて休みます故、何か面白い話でもしていただけませんか」
「……普通、下僕がするものだろう、そういうのは」
「じゃ、仕事に戻ります」
「待て!ええと、ええと」
 面白い話、面白い話……今日はいい天気だったな?って面白くない。今日は…なんかあったっけ?ううん、今日は10月31日…あ、そうだ。
「今日は何の日か知ってるか?」
「世界勤倹デー」
「……ハロウィンだ」
「ふうん?」
 恋次の目が、机の上の書類に向き始めた。だめだってば!
「この日はな、子供たちが魔女やおばけの扮装して、色んな家を練り歩いて」
 必死で恋次の気を引こうと私は話す。現世の風習。古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭。それを取り入れたキリスト教のお祭り。
「とりっくぉぁとりーと…お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、って言って廻るんだ」
 そうだ。
 そうしよう、もうこの仕事莫迦から仕事を取り上げるには、莫迦なことをするしか方法が無い。
「だから、お菓子をくれなくちゃ悪戯するぞ!!」
「な、なんだそりゃ」
「何か食べさせろ!甘いもの!」
「執務室にんなもんあるか!!」
「じゃあ……」
 この数日の鬱憤を込めて。
 私よりも仕事を優先した下僕に恨みを込めて。
「悪戯するぞ!!」
「な、なんだ!?」
 目を丸くする恋次に向き合うように飛び乗って、私は恋次の膝の上で無表情に、
 恋次の身体をくすぐり始めた。
「こら、莫迦、お前、何す…っ!!こらやめろって、マジで!うわ、ちょっと待て!」
 こちょこちょこちょこちょ。
「こらルキア!まじでやめろって、うひゃひゃひゃひゃ」
 こちょこちょこちょこちょ。
「やめろって、俺くすぐりには弱いんだって、ちょ、マジで!止めて!止めてください!」
 こちょこちょこちょこちょ。
「俺が悪かった!ホントにすみません!もうしません、お姫さま第一にします!仕事しません!」
 こちょこちょこちょこちょ。
「苦し…っうわあああ!!」
「きゃあああっ!?」
 身体が浮く。
 ふわりとした感覚の後、がくんという衝撃。
 でも思ったよりも痛くなかったのは、恋次が咄嗟に抱きしめて痛みをやわらげてくれたから。
「痛え……」
 椅子ごとひっくり返った恋次の胸に抱かれて、私は硬直している。
 み、みっちゃく、密着しすぎ、わ、私の、身体が恋次の腕の中に、完全に、すっぽりと、う、わあ。
「な、なんだ貴様、私まで巻き添えにしおって!」
「お前が妙なことするからじゃねえか!」
「ふん、お前本当に副隊長か?この程度で倒れるとは情けない。はやく退け、早く離せ無礼者!」
 あわあわとする内心を押し隠して言い捨てると、恋次の腕の力が弱まった。これ幸いと抜け出そうとした身体が、くるんと回転する。
「な、なんだっ!」
 恋次の顔が至近距離。
 吐息を感じるほど、大接近。
 大好きな顔が目の前にある。
 一瞬で顔が赤くなるのを自覚した。
「な、なんだ?文句があるのか?」
 見下ろす恋次に、できるだけ怖い顔をして見せる。でも顔が赤くなっているの、ばれてないだろうか。
 あ、怒ったことにすればいいんだ。
「何をする、離せ莫迦!」
「Trick or Treat?」
 私よりもよっぽど流暢にそう発音すると、恋次は上から私を見下ろしにやりと笑った。
「は?」
「Trick or Treat、って言ってんだよ。お前が教えてくれたんだろ?お前ばっかりハロウィン楽しみやがって」
「いや、楽しんでなんか」
「Trick or Treat?」
「そ、そんなこと言ったって、菓子なぞ持っているわけが無いだろう!」
「Trick or Treat?」
「だから持ってない!ふざけるな、早く退け!」
「持ってないなら悪戯するぞ?」
「い、悪戯っ!?」
「こちょこちょなんて子供だましなもんじゃねーぞ、もう恥ずかしくって今日のことをお前が思い出すたびにきゃあああと叫んで家の庭走り回るくらいの悪戯するぞ?」
「なっ……!」
 そ、そんなのは嫌だ。
「Trick or Treat?」
「だ、だって、何もない……っ!」
 半泣きで見上げる私に、恋次は「ヒント1」と言う。
「それは甘いものです」
「だから持ってないって……」
「ヒント2。物ではありません」
「物じゃない?」
「ヒント3。それは行為です」
「行為?」
「ヒント4」
 恋次の唇が、かすかに私の唇に触れる。
「……甘いだろ?」
「……う」
 もしかして。
「Trick or Treat?」
「ま、まさかお前、私から?」
「くれないんなら悪戯するぞ」
 恋次の顔が、ものすごく楽しそうな笑みを浮かべている。両脇に付いた手を、ワザとらしくわきわきとにぎったり開いたりして見せる。
「いや、それは」
「Trick or Treat?」
「でも、あの」
「Trick or Treat?」
「だって、私……」
 恋次の手が、私の腰に張り付いた!
 う、動いてるんだが!いや、何でそんな動きをしているんだ!?
「Trick or Treat?」
 最終通告だぞ、と恋次の目が笑ってる。
「と、とりーと……」
 私は観念して、恋次の頬に両手を添えて……








 結局、恋次はこの後仕事はせずに、上機嫌に私を家まで送っていった。
 隣で歩く私は恥ずかしくてまともに恋次の顔を見ることが出来ずに、それを知られるのも恥ずかしくて、恋次の言葉にずっと殊更不機嫌そうに応えていたけど、恋次は気にする様子もない。
 そんな恋次の隣で、ちょっとだけ「悪戯」でもよかったかな、と思った私の心は勿論内緒。