「入るぞ」
 その言葉と同時に開かれた執務室の扉に目を向けると、予想通り例の如く一見不機嫌そうな幼馴染の顔を見つけて、恋次は書類を書く手を止めた。この幼馴染がこの部屋に来ると、仕事が完全に止まってしまうことは過去の経験から既に充分に身を持って知っている。幼馴染を目の前にそのまま仕事をしようとしても、この幼馴染が不機嫌になるだけとわかっている。
「何だよ」
「用がなくては来るなと言うのか」
「まあ普通はそうだな。俺は勤務中だ」
 恋次の言葉にルキアはふんと視線を逸らせると、「だが生憎私はお前に用があるのだ、不本意だがな」と冷たく言った。
「開けろ」
 ぽいと机の上に乱暴に投げ出された小さな包みに、恋次は胡乱そうな視線を向け、次いでその胡乱そうな視線をルキアへと向けた。何だよこれは、と視線で問いかける恋次に、ルキアは「いいからさっさと開けろ、莫迦者」と冷ややかに言った。その傍若無人さにこれ見よがしに溜息を吐きながら、恋次は綺麗に飾られた包装紙を取り除き、現れた上品な深い赤色の箱の蓋を開けてみる。
「……何だこりゃ」
「食え」
「食えるのか!?」
 手元の深紅の箱に詰められた10個の物体を、恋次は呆然と見下ろした。10個はそれぞれ形の違う、辛うじて「丸に近い」と言えるような歪な形の、直径3cmほどの謎の物体、謎の物質だった。色はこげ茶色。その物体の周りには同色の粉が振りかけられている。黄粉に似ているが色がまるで違う。もっと濃い茶色の粉。
「何だよこれ」
「知らん。いいからさっさと食え」
「何だかわかんねーものを食わせる気か手前は!?」
 冷ややかな視線と無言の圧力に、恋次は再び溜息を吐きつつ、「わかったよ、食うよ」と肩を竦めてから蓋をした。
「……何故蓋をする」
「いや、明日にでも食おうかと」
「今すぐだ」
「いや、何かほら、今食って腹壊したらこの後の仕事に支障が出」
「 食 べ ろ 」
 有無を言わさぬその物言いに、「すぐに食べなきゃならねー理由があんのかよ!」と突っ込むと、ルキアは一瞬驚いたような、しまったとでも言いたげな表情を浮かべた。
 だがその表情も瞬時で消え、あとにはいつもの無表情があるばかりだ。
「……この菓子は浮竹隊長に頂いたのだ。何でも現世の菓子だとか。この後私は隊舎に戻る故、浮竹隊長にこの菓子の礼と感想を言わねばならぬ。明日では遅い。今すぐ食え」
「だから手前で食えばいいじゃねーか!」
「四の五の煩いぞ、下僕。いいから黙って食べろ。感想も言えよ、浮竹隊長にお伝えするのだからな」
「ったく何なんだよ……現世の菓子だあ?大体こんな不揃いの菓子を販売して金取ってるってのがそもそも在り得ねー……」
 そこでふと恋次は何かに気付いたように言葉を切った。さり気なく卓上の暦に視線を走らせる。如月の十四。そしてもう一度、箱の中の物に視線を戻す。
 歪な形の現世の菓子。
 とても販売されているとは思えないほどの。
 まるで不器用な誰かの手作りのような。
「……成程な」
「え?」
「いや、じゃあ食うかな。浮竹隊長が勧めるんだからな、きっと美味いよな」
 ひとつ摘んで口の中に放り込む。かりっと奥歯で咬むと、途端に口の中に広がる甘い味。
「……如何だ?」
 恋次にしか気付かないだろう。
 無表情なその顔に、微かに僅かに密かに揺れる不安の色。
「……美味い」
「……本当か」
「ああ、まあ見てくれはアレだけどな。味は最高。今まで食った菓子の中でダントツ。最上級。鯛焼きより美味え」
 そしてまた―――恋次にしか気付かないだろう。
 小さく安堵した溜息と、何処となく照れたような目の色、薄く薄く……杯に一滴垂らした紅色の絵具ほどの、薄く染まった頬の色。
「この周りの甘いものだけじゃなくて、中に入ってる……こりゃなんだ、わかんねーけど美味い」
「『まかだみあなっつ』、というのだ。現世の木の実だ。『ちょこれーと』の味に良く合う」
「へー、詳しいなルキア。食ってもいねーのに」
「…………と、浮竹隊長が仰っていた」
 あくまでも無表情に、あくまでも冷たくルキアは言う。
「そうか、わかった、美味いのだな。では浮竹隊長にそう伝えよう」
「もっと食いたいって言っとけ。俺はまた食いたいぞ」
「……ま、まあそう言っておこう」
 無表情の仮面が僅かに壊れ、ルキアの顔に嬉しさが映る。
 よく見ればルキアのその目は少し赤く、時折噛み殺している欠伸と、その二つが指し示すのは、恐らく昨日は睡眠不足。もしかしたら徹夜だったのかもしれない。
 不器用者がこんな手の込んだものを作ろうとすればそれも当然。
 けれど恋次は意地っ張りで照れ屋なルキアに付き合って、何も気付かない振りをする。
「ところでお前、まだ時間はいいのか。浮竹隊長と約束があるのか?」
「……暫くは大丈夫だ。浮竹隊長とも、時間の決め事は特にない」
 そうかそうか、と恋次は立ち上がってルキアに近付くとひょいとその身体を抱き上げた。思いがけないその恋次の行動に、ルキアは「うわっ」と小さく悲鳴を上げる。
「ちょっと一休みだ、付き合え」
「付き合えって……」
 軽々とルキアを持ち上げて恋次が向かったのは、執務室に隣接する小さな部屋―――その小さな部屋にあるものは、恋次の身体に合わせた大きな寝台がたった一つ。
 その寝台の上に放り投げられて、ルキアは狼狽しながら近付く恋次から身を遠ざける。けれど背中はすぐに壁に当たって、目の前には恋次が退路を塞いで逃げ道はない。
「な、何する気だ貴様!」
「この部屋でやることっていったらひとつしかないだろーが」
「なっ……!こ、ここが何処だかわかってるのか!?」
「俺の執務室。鍵かけたから誰も来ねぇし」
「ひ、昼間だぞ、そんな事していいと思ってるのか貴様!」
「昼にするから気持ちいいんじゃねーか」
「き、気持ちいいっ!?」
「何だお前したことねーのか」
「ある訳ないだろうが!!」
「へー、俺なんかしょっちゅうだけどな。昨日も此処でしたし」
 途端、ルキアの顔に驚愕の表情が浮かんだ。え、と目を見開いて目の前の恋次を見上げる。
「昨日、此処……で?」
「ああ、気持ち良かったぞ」
 寝台のシーツが、ルキアの手に握り締められて皺になる。その恋次の言葉にルキアが打ちのめされた次の瞬間、「やっぱ昼寝は最高だよな」という言葉に一気に脱力した。
「ひ、昼寝……そうか、昼寝か……」
「あ?何だと思ってたんだよお前」
「え?ひ、昼寝だと思っていたぞ、当たり前だろう莫迦者。昼寝だ昼寝!それ以外に何があると言うのだ、莫迦な事を言うな莫迦者……うわっ」
「という訳で一時間ほど付き合え」
 押し倒すように寝台にルキアを引き倒すと、そのまま抱きしめて拘束する。「莫迦者、離せ莫迦っ」と腕の中で暴れるルキアを、抱きしめる腕に力を込めて力尽くで大人しくさせると、「さ、寝よーぜ」とルキアの髪に顔を埋めた。
「う……」
 固まるルキアの身体を腕の中にしっかりと包み込んで恋次は目を閉じる。やがて静かな部屋と恋次の腕の暖かさに、ルキアの緊張したような浅い呼吸が徐々にゆっくりと深く、静かなものに変わっていく。
 完全に寝息に変わったルキアを見下ろして、恋次は「こんな状況で寝れちまうところがお前らしいよ」と苦笑する。
 寝不足なルキアを寝かせるためにこうしたとはいえ、まさか本当にこんなにすぐに、腕の中で眠りに堕ちるとは思わなかった。
 自分が甘く見られているのか、それとも完全に信じられているのか。
 寝ている間に何かされるとは全く思っていないのだろうか、このお姫様は?
 やはりお姫様はどんなに取り繕っても、まだまだ根本は子供のようだ。
 寝顔は昔のままのあどけない表情に、「チョコレート美味かったぜ、ありがとな」と呟いて額に口付ける。
 さて弥生の十四、自分は何をルキアにあげようか。
 ルキアの寝顔を見つめ、恋次は腕の中の恋人にもう一度口付けた。










チョコレートにはマカダミアナッツ。(私的意見)
バレンタイン用の話ですが遅れました…まあいつもの事です。はっはっはっ!



2007.2.17   司城 さくら



初の舞の雪華さんからこの話のイラストを頂きましたv
イラストは こちら  v