「病める時も、健やかなる時も、共に歩き共に在ることを誓います。―――死が二人を別つまで」


　いつもそばにいて。
　いつもそばにいる。


　それが願い。
　それが誓いの言葉。


　
　ふたりは両の手の指を絡ませ、視線を絡ませ、
　金の光に包まれながら、吐息を絡ませ、唇を重ねた。








「―――ああ、いいなあ……」
　私はたった今読み終わった「いかないで、いつまでだってそばにいて」を机の上に置くと、ほうと溜息をついた。
　この本の中の主人公が、ようやく巡り逢えた運命の相手と初めて口付けを交わした場面。
　何度見ても溜息が出てしまう。
　見つめ合い、愛し合う二人が自然に交わす口付け。
　女の子だったら、誰だって好きな人と―――いつか、触れ合う日を夢見てる。
　好きな人と。
「……いいなあ」
　自分の唇に触れてみる。
　どんな感じなんだろう？
　好きな人が触れる唇は、どんな感情を私にもたらすんだろう？
　好きな人の唇は、一体どんな感触なのだろう？
　そう考えた私は、一昨日触れた恋次の舌の暖かさを思い出して一気に顔が赤くなった。
　そう、一昨日。
　恋次は私の唇に触れた。
　……でも、それは口付けなどという甘いものではなくて。
　ただ単に私の唇に餡が付いていて、両手が塞がっていた恋次が仕方ないから舌で舐め取っただけと言う全く色気も何もない理由だったのだけど。
　それでも私はもう何がなんだか判らなくなって、ひとりで赤くなっていたのだけど、そんな風に慌てているのは私だけで恋次は全く普段と変わらなかったから、恋次は別に特別な感情など持っていないことは私でも良くわかった。
　―――やっぱり恋次は私の事なんてなんとも思っていないんだ。
　ただの幼馴染。
　でも私は違う、恋次の事が大好きで―――大好きで。本当に大好き。一緒にいるとどきどきする。恋次のそばにいるとまるで自分が小さな子供に戻ってしまうようだ。何も出来ない。何も考えられない。
　あの腕に抱きしめられたい、と思う。
　いつでも一緒にいたいと思う。
　あの声で私の名前を呼んでほしい。
　ルキア、って言って笑ってほしい。
　でも恋次は―――私を兄様の妹、としか見ていないのかもしれない。どんな我儘だって大抵聞いてくれるし。困らせようと無理難題をふっかけても、恋次は平気な顔で私の言った難題をあっさりと解決してしまう。
　そうされればされる度、恋次は私のことを何とも思っていないと―――隊長である兄様の義妹だから、こんなに何でも聞いてくれるんだと知って悲しくなる。
　普通なら怒るような事も、恋次は文句は言うけど結局怒らずに、私の望む通りに動くから。
　恋次は私を、上司の妹としか見ていない。
　けど。
　でも。
　私はそれでも恋次のそばにいたかった。
　私は恋次を独占したかった。
　他の誰にも渡したくない。　

　だから―――。













「はあ？」
「もう耳が遠くなったのか？ではそろそろ補聴器の準備を始めたほうがいいぞ、恋次」
　六番隊の副隊長執務室で例の如く書類整理をしている恋次は、私の言葉に筆を止め、手元の書類に落としていた視線を上げてようやく私を見た。
　私がここに来て初めてまともに顔を見たわけだから、いかに恋次が私を仕事の邪魔に思っているかがわかる。わかってはいるけど、私はずっと気付かない振りしてここに居座っていたのだ。
　次にいつ一緒の日が休みになるかはわからない。
　昨日計画したのを実行するには、勤務終了後のこの、二人きりの執務室はまさに打って付け。
　私は机に向かう恋次の横に立ち、思いっきり冷たい視線で恋次を見下ろしている。
「驚きで耳が機能しなくなったんだよ。なんだって？俺の聞き違いか？俺にはその、俺がお前に」
「口付けしろ、と言っている」
　硬直する恋次を見据えながら、全くの無表情で言えた自分を私は内心で褒めていた。
「―――はああ？」
　呆れた、という見本のような恋次の顔。
「何言ってんだお前」
「十三番隊の同僚達は皆、接吻を経験済みらしい。どうやら私一人が未経験なようなのだ。これは由々しき事態だ。私が、朽木家の一員であるこの私が！他の者達が体験した事を体験していないとは―――何たる屈辱。許すことなど出来ぬ」
　恋次は相変わらず呆れた顔をしている。すこし強引だったか、と後悔しつつ、私はもう引き返せないところに足を踏み入れているのだ。このまま突っ走るしかない。
「そういう訳だ。しろ」
「――――はあああ」
　海より深い溜息を吐いて、恋次は額に手を当てた。
　私は不機嫌そうに、睨みつけるように恋次を見下ろしながら、心の中では祈っている。
　こんなやり方が不純だなんてこと、わかってる。
　こんな事をしても、何の意味もないなんてことも、わかってる。
　けど。
　でも。
　私は恋次に口付けて欲しかったんだ。
　恋次が他の誰かとする前に。
　初めては私にして欲しい。
「あのなあ、何でそんな理由で」
「そんな、だと！朽木家の者はどんな事でも人より秀でていなければならぬのだ！同じ年頃の者が経験している事を経験していないなど、そんなみっともない事を享受していられるか！」
「で、何で俺なんだよ」
「そ、それはだな―――ええと」
　だってお前としたいから。
　なんて言える筈もない。と言うより、こんな言葉が恋次の口から出るなんて、本当に恋次は私のことを全く何とも思っていないという事がはっきりして私は落ち込んだ。
「―――お前が一番後腐れがないからだ。適当な者と口付けて、そいつが誤解したら敵わぬ」
「へー」　
　―――私はただ単に―――そう、理由を無理矢理つけてるけれど。
　私はただ、恋次と、口付けたいだけなんだ。
　あの時、唇に触れた恋次の舌、その時から私の身体の中で、今まで知らなかった感覚が―――燃えるような痺れるような、制御できない感覚が―――目覚めてしまったんだ。
　触れたい。
　触れられたい。
　大好きな恋次に触れたい、触れられたい。
　キスしたい。
　抱きしめて欲しい。
　好きだよって言って欲しい。
　―――それは無理だろうけど、恋次にとって私はただの幼馴染、上司の義妹でしかないから。
「つべこべ言うな。これは命令だぞ、恋次。お前、兄様に言われてるだろう？私の命には背くなと」
　自分で言っていて酷い言葉だと思う。
　でも、恋次。
　私はお前が好きなんだ。
　お前を私だけのものにしたいんだ。
「いいか、もし背けば―――」
　言い終わる前に腕を引かれて、景色が流れたと思ったら、私は椅子に座る恋次の腕の中にいて。
　吃驚して見開いた目に、恋次の顔が大きく映って。
　唇に、感触。
　やわらかくて、暖かくて。
　あ、と反射的に声を上げた次の瞬間に、唇を割って入ってくる暖かいものに仰天した。
　な、なんだこれは。
「んんん……っ」
　恋次の腕を叩いて離すように伝えたけど、恋次は離すどころか更に力を入れて、更に奥まで舌を入れてきて……って、舌！？舌、舌が何で入ってるんだ！？口付けって唇を触れるだけじゃないのか！？だって口を付けるから口付けだろう、これじゃ「付ける」なんて表現じゃないぞ！なんでこんな事になってるんだ！？
　息、息が出来ない！
「んん！！」
　顔を振って恋次を振り切ろうとしたら、ようやく恋次が気付いて唇が離れた。身体は抱きしめられたままだったけれど、私はとにかく空気を吸い込んで呼吸をした。二度三度と繰り返してようやく肺が満足したと思ったら、またも恋次の唇が私に触れて。
「んんん――っ！！」
　抗議の声は、自分でも何故かわからないけど、徐々に小さくなっていった。
　恋次の舌が私の舌に優しく絡みつく。
　力の抜けた身体を支えながら、恋次は私の舌を、優しく容赦なく追い求め捕捉する。
　熱くなる身体に比例して、頭がぼうとなって、もう何がなんだか判らなくて……でも、幸せで。
　恋次が触れている、私に。
「……これでいいか？」
　唇がようやく離れた時には、私の顔には余裕なんて全くなくて、真赤になった顔は自覚していて。
　うん、と頷くしか出来ない私に、恋次はにやりと笑って見せた。
　本当に、普通と変わりない。
　全然、特別なんて思ってない。
　言われたからした、命じられたからした、そんな……感じ。
　唇が触れていたときの幸福感は今では既になく、心は逆に哀しみで一杯だ。
　如何して恋次は私の事を好きになってくれないんだろう。
　人の心を自由に出来たらいいのに。
　恋次が私を好きになるように、操れたらいいのに。
　こんな惨めになるなら、……しない方が良かった。
　今更気付いた。命じて口付けたって、そんなものは全然あの本の通りの「口付け」じゃない。
　こんなの、違うんだ。
　哀しくなりながら、私は恋次に「……お前、随分慣れてるみたいだが」と言ってみた。
　口付けがあんな風に激しいものだなんて私はたった今まで知らなかった。
　でも、何で恋次は知っているんだろう？
　私の疑問に、恋次は事も無げに「まあな」と言った。
「初めてじゃねえし」
「…………え？」
「百戦錬磨の人に教えてもらったからな。上手いだろ、俺」
「教えて……もらった？」
「そりゃあもう、ものすげえもてる人なんだけどよ。だからあの人が俺にしてきた時は吃驚したぜ。でも上手かったよな、確かに」
「……そうか。初めてじゃないのか、お前は」
　……誰と。
　一体いつ、誰と。
　恋次にこの激しい口付けを与えたのは誰だったんだろう。
　教えたって、どういうことだろう。年上の人？十一番隊の人？大人の女性？松本殿みたいな、綺麗な人？
　髪の長い、豊満な女性が恋次の頬を両手で挟んで、くすくすと笑いながら恋次に口付ける。ゆっくりと舌を入れ、覆い被さるように何度も口付ける―――そんな画像が頭に浮かんで、私は唇を噛み締めた。
　泣きそうに歪む顔を見られたくなくて、私は床を見る。床の木目を必死に数えて、零れそうになる涙を必死で堪えた。
「そうか、お前の初めてのその人はきっと……」
「檜佐木先輩」
「そう、きっと檜佐木……って、ひ、檜佐木！？」
「飲み会で先輩が酔ってよ、隣にいた俺に『女を虜にする技を教えてやらあ！！』って言ってな、無理矢理」
　一種の強姦だぜ強姦、と恋次は顔を歪めて見せた。
「周りの連中全員酔っ払ってたからな。面白がって俺を押さえつけてよ、抵抗する俺にぶちゅーっと」
「ぶ」
「しばらくショックで放心したな、あん時はよ」
「そ、そうか」
「なんか嬉しそうだな、お前」
「いや？別に？」
　自然に緩んでしまう笑みは、でも恋次の「まあ先輩より前に済ませておいてよかったぜ、最初が男だなんて哀しすぎるからな」という言葉に気分は一気に逆戻り。
「じゃあ、やっぱり誰かと」
「あ？まあな」
「……誰？」
「別に関係ないだろーが。知ってどうするんだよ」
「ふん、お前と接吻する物好きな奴の顔を見てみたいと思っただけだ」
　精一杯虚勢を張って私は言う。
　ああ、でも、知らない方がいいのかもしれない。
　そんなことを知ったら、私は嫉妬で気が狂う。
　その人が護廷十三隊にいたのなら……いや、いるのだろう。中央霊術院に入るまでは、私たちはずっと一緒にいたのだし、他の誰かとそんな事はしてなかったと断言できる。
　だから、私といつも一緒にいることがなくなった……中央霊術院に入ってから、現在までの間。
　中央霊術院に入ったものは皆、護廷十三隊に入る。
　恋次の初めての人は、この護廷十三隊にいるんだ。
　どんな人なんだろう？
　同僚？後輩？先輩？何番隊の人？もしかして今でも―――付き合っているのか？
「ま、いーか。知りたいなら教えてやるよ。別に知られてもかまわねーから。あのな、」
「いい！やっぱり聞きたくないっ」
「遠慮すんなって。あのな、そいつは」
「聞かないって言ってるだろうが、莫迦者！！」
「お前」
　絶叫した後の言葉に、「え？」と動きが止まった。
「お前。俺の初体験」
「え？だって私の前に檜佐木殿と」
「いや、戌吊の頃」
　頭は真白。
　私と、
　戌吊で？
「―――なんだと！私は知らぬぞ！？」
「お前寝てたし」
「――――ね、寝てただと！？」
「ま、そういう訳だ。だから安心しろ」
「べ、別に安心とか関係ないぞっ」
「だから泣くなよ？」
「泣いてないっ！何故私が泣く必要があるのだ、戯け！」
　余裕の恋次に、私は自分の心が見透かされているような気がして、動揺しながら食って掛かったのだけれど。
　戌吊？
　そんな昔に？
　どうして恋次は寝てる私に―――口付けたんだろう？
　興味から？
　何となく？
　それとも―――少しでも私の事が、好きだった……から？
　肝心なそのことを恋次は何も言わずに、ただ笑っているだけだった。
　だから、もしかしたらこれは―――嘘なのかもしれない。
　私を混乱させるための嘘なのかもしれない。
　初めての誰かの名前を言いたくなかった故の、嘘なのかもしれない。
　でも、本当だったら？
　少しでも、私のことを好きだと思ってくれていたら？


　


　また、結局恋次の心が―――わからなくなってしまった。

　弄ばれるルキア（笑）
　勿論ルキアの考えは全部わかった上で、恋次はルキアに意地悪してます。
　前回ルキアの唇に舌で触れて、ルキアにキスを意識させるように仕向けて、お姫さまからアクション起こすのを待ってた下僕恋次。
　ルキアの一喜一憂を見るのが楽しくて仕方ないらしいです。それだけルキアが自分の事を好きなんだとわかって。
　もちろん恋次はルキアの事を、ルキアが自分の恋心に気付く前からずっと好きだったので、ルキアがこうして「恋次好き好き」状態なのを見るのがとても幸せで嬉しくて、ついつい意地悪してしまうようです。
　


２００７．２．１　　　司城さくら