この部屋に来るのは何度目だろう。
もう何度と数えられないくらいに頻繁に来ているから、すっかりこの家は私の中では第二の部屋みたいなものだ。第二の家、ではなくて第二の部屋、というのは、この家は朽木の家に比べれば本当に小さくて、はっきり言えばこの家の間取り全部を合わせても、私の自室一部屋の広さには敵わない。まあこの家が狭すぎるのではなくて、私の部屋が規格外に広すぎるのだけれども。
「恋次、何か食べたい」
部屋の真中の机に頬杖を付いて、目の前の恋次の背中に言ってみる。さっきからずっと、部屋の中はさらさらという筆の走る音だけが聞こえていて、私は疾うに退屈していた。何でも明日中に提出しなくてはいけない書類らしい。六番隊副隊長はとてもご多忙のようだ。
「何か用意しろ。甘いものを所望する」
特に空腹を感じている訳ではなかったが、背中を見飽きた私は恋次にこっちを向いてほしくてそう言った。幼馴染のこの男は、私の言う我儘は悪態を吐きつつも大抵の事は叶えてくれる―――それは幼い頃から承知している。
今この我儘も、恋次は「しょうがねえなあ、そんなに食うと太るぞお前」と女性には聞き捨てならない暴言を吐きつつも、筆を置いて立ち上がった。
「桔梗屋の餡蜜と末廣亭の蕨餅、どっちだ?」
「餡蜜は昨日食べた故、今日は蕨餅だ。お茶も淹れろよ」
「あのなあ」
「私は客だぞ?客はもてなすのが礼儀だろう」
じろりと睨みつけると、恋次は肩を竦めて台所に消えていく。
こうして恋次の部屋に来て何度目か……緊張に声を掠らせながら「お前の部屋に行ってもいいか?」と尋ねたのは虚圏での事件が終わってすぐのこと。何度も言おうとして言えなくて、何度も何度も口にしようとしては諦めて、20回目にしてようやく口に出来たこの言葉に、恋次はあっさりと「構わねえけど?」と答えてこの家に招かれた。
……その時は全く何もなく。
いや、別に何かを望んでいたわけでは勿論ない。ない、ないけど……多少、その、想像していた事はあったのだけれど、恋次は全く普段と変わりなく、普通に話してその日は終わり。
次こそは、と意気込んだ私は……いや意気込んでなどいないぞ、うん。「お前の部屋に行くぞ」と宣言し押しかけた私に、「なんか食うか?」と出されたものは、
きゅうり。
唖然とする私に、「お前、好物だったろ?」と真顔で言う恋次の頭をぶっ飛ばした怒りを今でも覚えている。
きゅうり。
キュウリ。
胡瓜!!!
いやきゅうりが悪いわけではない、悪いのは恋次だ。この緑色の野菜をかじりながら、一体どうやって男女の桃色な雰囲気に持って行けると……いや、別に私はそんな事、変なことは何も思っていないけど。でも、そんな雰囲気になったら、べつに拒むつもりもなく……いや、そんな事考えていなかったけれども!でも!
……きゅうりはあんまりだ。
私の怒りが伝わったのか、それ以来恋次は無難に、餡蜜や白玉や和菓子を私の為に用意している。いつ行っても必ずあるから、いつ来てもいいように常備してくれているのだろう。
少しは気にしてくれているのかな。
でも、如何して何度この部屋に来ても、恋次は態度を変えないのだろう。もしかしたら私は全く恋次に女として見てもらえていないのだろうか。確かに幼児体型だし、胸だって他の女性に比べたら……多少、多少見劣りがするのは自覚してるし。
「ほら」
机の上に出された蕨餅とお茶(湯呑みも私専用のが恋次の家にある)に、私は物思いから我に返った。
「俺も一休みすっかな」
目の前に座る恋次は、私のことをどう思っているんだろうか。
幼馴染?
隊長の妹?
「何だよ、食わねーのかよ」
「ふん、座り心地が悪くて足が痛むのだ。この座布団は薄すぎる」
そう言った私に、恋次は「やわになったなあ、お前」と笑った。
「戌吊じゃこんな座布団なんてなかったじゃねえか。板張りの上で寝てたくせに何言ってやがる」
「今では私は朽木家の令嬢だぞ、こんな薄い座布団に座ってられるか。―――そうだ、恋次。お前、私の座布団になれ」
「ああ?」
呆れる恋次の声を無視して、私は恋次の膝の上に腰を下ろした。途端、恋次の香りに包まれる。
この香りに包まれるのはあの時―――双極で、抱き止められたとき以来だ。
暖かくて幸せで―――私が唯一安心できる場所。
「何なんだ、ったくこのお嬢さまは」
降りろと言わない恋次に、私はぴんと閃いた。
これだ……!!
「恋次、蕨餅」
「あ?」
「食べさせろ」
「…………」
「はやくしろ、莫迦者」
「お前、自分で食えねえのかよ」
「朽木家の者は、自分で箸は持たぬのだ」
口からでまかせだが、貴族の常識だ、と私は真顔で恋次に言う。
「はいはい」
諦めたのか、恋次は蕨餅を私の口へと運ぶ。
ぱくん、と口にした蕨餅は普段以上に甘かった。
「恋次、お茶」
「はいはいお嬢さま」
自然に、恋次の腕の中にいる。
恋次に触れて。
恋次に甘えられる。
顔は無表情を装っているけど、私の心臓はずっとどきどきしている。
どうしよう。
恋次が好きで好きでたまらない。
……恋次は私をどう思っているんだろう。
ただの我儘な女としか見ていないのかな。
「れん……」
開いた唇に何か触れた。
あったかくてやわらかい……
「う」
「餡がくっついてるぞ」
「うわああああああああああ!!!!」
し、舌が、舌が、恋次の舌がっ!!!
「な、なななな何っ」
「いや、餡がくっついてたから」
「な、なんで舌、何で舌でっ」
「両手塞がってるし」
確かに、恋次の右手は箸を持ちつつ私を支えていて、左手には蕨餅の入った小鉢を持っていて。
「う、あ、あ」
「どうした?」
恋次は全く普段と変わりない。意識する私がおかしいのだろうか?でもこれって普通は、その、普通じゃないような?
「変な奴」
ほら、と蕨餅を口に運ばれて、私は反射的に口を開ける。
混乱して頭が真白で、だから目の前の恋次が、なんだか笑いを堪えているように見えたのは―――気のせいだったのかもしれない。
ルキ恋祭り投稿の「お姫さまと下僕」関連です。
手玉に取ってる恋次が書きたくて一気に書いたものです。
作中、最初は「ピンクな雰囲気」と書いたのですが、何となく合わない気がして「桃色な雰囲気」という表現にしたところ、越後屋さんに受けたのでちょっと嬉しかったり。
某場所に投下しました、見てくださった方はいるかな?
2007.2.1 司城さくら