小悪魔バンビーナ


十六歳から十八歳という一生の間の短い期間、高校一年から三年までのそのたった三年の間に、こうも人は変わるというのだろうか。
 いや、三年間なら変わる人間もいるだろう。それは案外多いのかもしれない。自分でさえ、中学時代を知っている奴らからは「変わった」と言われるのだから。
 だが変わるにしても、たった一月やそこらで、こうまで劇的に変わる人間がいるのだろうか。――少なくとも自分は知らない。
 目の前の幼馴染以外には。
「――なあに?」
 考えに耽っている時は、いつもならば敢えて見ることを避けている視線も、つい心のままに見入ってしまう。無意識に凝視していた自分を当の相手に指摘され、琥一は慌てて視線を逸らし何気なさを装って、カップを持ち上げ冷め始めている黒い液体を口に含んだ。砂糖もミルクも入っていないコーヒーが、渇いた喉に流れ込む。
 そんな琥一の心の中を見透かしたように、花織はちらりと琥一を見遣り小さく笑った。声に出さずに形の良い唇が笑みの形を作り、それを隠すように手元のカップを引き寄せ琥珀色の紅茶を口に含む。
 そんな笑い方を、花織はこの一ヶ月で身に付けた。
 そう、最近誰もが花織を指して言う――特に男たち顕著に。
 鈴宮花織は変わった、と。
 どう変わったとは口にはしない。「変わったよな」と、それはまるで花織を見かけた時の挨拶のように、男たちの間で交わされる。
 ある男は意味ありげに。
 ある男は嬉しそうに。
 ある男は崇拝するように。
 男たちは変わった花織を、変わり続けて行く花織を目で追った。唯でさえローズクイーンの称号を手にした直後だ、人目を引いているのは間違いない。
 そしてそんな男たちの中で、琥一はと言えば――
 困惑。
 その一言だ。
 何がきっかけで花織が変わってしまったのかはわからない。気付いた時には既に変化は始まっていた。
 例えば、服の趣味が変わった。
 以前ならファイヤーパターンのトレーナーにデニムのミニスカート、というようなビビッド系の出で立ちだったのが、今目の前にいる花織の恰好は、黒のスパイダープリントチュニックに丈の短い黒のデニムジャケット、黒のミニスカートといったやたら肌の露出が多いセクシー系だ。
 花織が僅かに身をかがめれば、華奢な癖に意外とある胸のその谷間が目に入る。
 下を見れば、黒いストッキングに包まれた細い足が、否応なく視界に入る。
 ――何考えてんだコイツは。
 変化が極端すぎる。
 今まで可憐で清楚で天使のような美少女と男たちの胸をときめかせていた花織は、今では小悪魔的な色気を伴った美少女として男たちを煽っている。
 その言葉と言動で。
 口調が変わった。所作が変わった。
 喜怒哀楽を素直に顔に出していた花織は、今では意味深な微笑みと、そして無言で相手の目をじっと見つめて瞳を潤ませるという技を身に付けた。
 少女と大人の女のアンバランスさ。その際どいバランスが、花織の魅力を更に引き立たせる。
 実際、一緒に歩いていても振り返る男たちは多い。賞賛や感嘆、それにあからさまな欲望の混じった数多の男たちの視線を無視して、女王様は颯爽と歩く。
 買い物の度に、街に出る度に自分を誘うのは、恐らくそういった男たちに声をかけられるのが面倒だからなのだろう、と琥一は思う。実際、花織の横にいる琥一の姿を見て男たちは花織に声をかけるのを諦める。体格が良く眼つきの悪い、いかにもな外見の琥一は花織にとって便利な周囲の牽制役なのだろう。
 今日もこうして水族館などという自分に合わない場所に来ているのは、この六月に出来たばかりの水中トンネルを花織が見たがったからだ。見に行きたいの、一緒に来て? と電話越しに囁かれたら、色々複雑な気分はあるが琥一には頷くことしか出来ない。
 変わる前の花織と、変わった花織。
 けれどどちらも花織なことは間違いない。
 顔の造作は全く一緒なのに、如何して仕草や言葉一つでこんなに印象が変わるのか――女は魔性だ、という使い古された言葉が嫌に実感された。
 そんなことを考えていると、無意識にまた花織を凝視していたのだろう、自分を呼ぶ花織の声に琥一は我に返る。
「もう、本当にどうしたの? ――もしかして私の顔に何か付いてる?」
 ほんの少し呆れたように言った後、花織はからかうように琥一にそう言いながら、例の如く潤んだ瞳でじっと琥一の目を見詰めて笑う。
 気まずさと照れくささと、多少のプライドから「ああ、生クリーム付いてんぞ」と適当な嘘を吐くと、え、と花織は首を傾げた。
 それから、自分じゃわからないよと花織は言い――「琥一くん、取って?」と目を瞑った。
 やや上向きな顔。目を閉じて。つまりそれはまるで――キスをねだるような。
 どくん、と心臓の鼓動が一つやけに大きく響いたのが自分でもわかった。
 一瞬、ここが水族館の中の、人の入りの多い喫茶店なのも忘れそうになる。
「――――――――ほらよ」
 我を忘れそうになった自分をなんとか取り返し、付いてもいないクリームを拭う振りして琥一は花織の頬を乱暴に擦った。滑らかな頬――白い、綺麗な。
「ありがと」
 花織は笑う。
 その笑みは以前の花織の、蕾が開くような初々しい笑顔とは違い、咲き誇る華の艶のある笑顔だと琥一は思い、内心盛大な溜息を吐いた。
 



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