「よぉ,元気ねぇな.どうしたんだよ」

 先輩でもあり同僚でもあり悪友でもあるその人物に廊下ですれ違いざまに呼び止められて,恋次は露骨に嫌な表情を顔に浮かべた.どこからそんなに情報を仕入れてくるのか,耳ざといこの人ならわざわざ本人から答えを聞くまでもなく色々なことを知っているのだろうに.そう,色々なことを.

 「……別に何でもないっすよ」

 ことさら何でもないことのようにさらっと返事をするものの,修兵からは好奇心にあふれた表情が消えることはない.

 「そんな風には見えないぜ?誰かと喧嘩でもしたか」
 「そんな根も葉もないこと」


 俺,忙しいんス,と言って肩に乗せられた腕を振り払いながら先を急ごうとする.そんな恋次の様子に,修兵はため息をついてわざとらしく大声をだした.

 「そういえば,嬢ちゃん,今日からしばらく現世だってな」

 恋次の足がぴくりと止まる.振り返った顔には「え?」と問い返すような驚きの表情が浮かんでいた.それを見て,修兵は当初の予想が外れていたことに初めて気づく.

 「なんだよ….お前,それでふさいでたんじゃなかったのかよ.まさか,それすらも教えてもらえなかったとか」
 「……そりゃ,俺はあいつの行動をすべて把握してるわけでも,あいつが逐一報告にくるわけでもないですからね」


 まるで,不貞腐れてる子供のようだな,と,修兵は思う.しかし,子供と違うのは,本人がそのことを自覚しているところだろう.そんな行動をとってしまう自分に対して,なおさら腹を立てているのがわかる.そんな後輩に,修兵は事態を動かすための新たな話を吹き込んでみる.

 「現世といやぁ,何て名だったっけか,死神代行の坊やがいるよな.現世にいる間,嬢ちゃんはそいつのところに厄介になってたらしいじゃねえか」
 「別にあいつがどこにいようが,誰といようが,何をしようが,俺には関係ないことですから」
 「何,無関心決め込んでんだよ.押してだめだったから引いてみようってか?放置プレイなんて,お前には五百年早ぇよ」
 「勝手に人の心理分析しないでください!仕事の邪魔ですから!」
 「おーこわ.そんなにカリカリされちゃ,言いたいことも言えなくなるのも無理ないな」


 お言葉通り退散するわ,とからかうように手をひらひらさせながら修兵はくるりと来た道を戻っていった.

 「………くそっ!」

 悪態をつきながら力任せに閉めたドアは,悲鳴のような音を上げて室内と騒々しい外界とを切り離した.風圧で舞った室内の書類を忌々しげに睨み付け,舌打ちをしながら床に屈みこむ.一枚一枚,順番を確かめながら重ねていくと,背後ですっと扉が開く気配がした.

 「如何した.騒々しい」

 部屋の向こうから,涼やかな声が降る.

 「別に…何でもありません.すぐに片付けます」

 恋次は顔をあげずに,散乱した紙を集める作業を続けた.
 本来なら無礼な行為であることは重々承知しているものの,あの夜から,白哉の顔をまともに見ることができない.


 他隊と合同の大規模な実地訓練が行われた夜.いつも身に着けている黒い死覇装の代わりに,衣紋の抜きも艶かしく,薄緋の小紋に身を包み.隊首室で「白哉様」とつぶやきながら,これまで自分が見たこともないような満ち足りた表情で,眠る白哉をその胸に抱きしめるルキアの姿を見てからは.

 
 
 「おい」
 「五月蝿い」
 「まだ何も話してねーだろ」
 「これから話そうというのだろう.五月蝿い」


 取り付く島もない.
 いきなり現れたこの小さな死神は,来るなり「3日程世話になる」と一方的に告げて,部屋の壁に寄りかかって座り込んだ.制服のスカートから伸びる足を三角に曲げて,伝令神機を出したりしまったり,出したら出したで画面をじっと見つめて眉をしかめている.やってきたときにはまだ明るかった陽の光もすでに傾き始め,西の空には虹のようなグラデーションが浮かび上がる.
 開けた窓からその様子を見て明かりを灯した部屋の主は,常にある眉間のしわをより深くして,部屋に居座るお客様をにらみつけた.


 「テメー,ここに来るなりなんだよ.さっきからふてくされやがって」
 「ここで待機しろと言われておるのだ.我慢しろ」
 「だから,なんで俺の部屋で待機なんだよ」
 「文句があるならば,そう指令を出している瀞霊廷,ひいては全指揮権を持たれている山本総隊長に言えばよい」


 責任のありかを,はるか上にまで放り投げて,ルキアは無視を決め込む.そう答える間も,ルキアは伝令神機を手の中でもてあそび続けている.

 「何しかめっ面してんだよ」
 「貴様に言われたくはない」


 みもふたもないとはこのことか.どうやら相当ご機嫌がよろしくないらしい.
 正攻法で聞き出すのは無理のようなので,切り口を少し変えてみる.


 「そういや,恋次や白哉は元気か?」

 それまでぼうっとしているようにも見えたルキアが,肩をわずかに震わせた.そのはずみで思わず落としかけた手の中の伝令神機を慌てて握り締める.
 なんてわかりやすいんだ,こいつは,と,一護はぶっと噴出しそうになるのをなんとか堪えた.


 「…知らぬ」
 「何で知らねぇんだよ.喧嘩でもしたか?」
 「貴様には関係ない」
 「原因はしらねーけど,仮にも兄妹なんだろ?」


 鎌をかける意味もあったが,やはり,この兄妹のわだかまりが解けたかどうかも気になるところである.あの気難しいというか,頑固というか,自分の父親の1%ほどでも分けてやりたいくらい言葉少なな兄貴に対して,やはり頑固で気を張って一人で抱え込もうとする妹.長年の誤解が解けてやっと兄妹らしく接することができるようになったとしても,コミュニケーションがうまく取れているかはまだまだ謎だ.
 だが,一護の考えをよそに,ルキアは目を丸くして,気の抜けた声を出した.


 「な,なんだ,白哉兄様のことか」

 やはりこいつはわかりやすい.

 「んじゃ,喧嘩の相手は恋次の方か」
 「喧嘩などしていないと言っておろう」
 「喧嘩じゃなかったら,何があったんだよ」
 「何もない.下種の勘ぐりも大概にしろ」


 そうは言うものの,ルキアに心当たりはなくもない.恋次はあの晩から様子がおかしくなった.もの問いたげにこちらの顔ををじぃっと見ては,「何だ」と問うと「何でもねぇ」とそっぽを向く.

 恋次にあの夜のことを説明するべきか,否か.

 さらにそわそわと視線をさまよわせながら伝令神機に指をかけたり下ろしたりを繰り返す.
 その様子をいらいらしたように見つめていた一護は,椅子から立ちあがってルキアの正面でかがみこんだ.


 「伝令神機貸せ」

 ルキアの手からひょいと持ち上げ,ボタンの配置と液晶画面を確認する.ルキアはあわてて起き上がって,一護に詰め寄った.

 「何をする気だ」
 「恋次を呼ぶ」
 「やめろっ」
 「そんなのでうちにいられると迷惑なんだよ」


 ルキアに奪い返されないように高く掲げながら,適当にそれらしきボタンを押す.

 「あー,なんか使い方わかんねーけど,携帯とおんなじ感じだろ?これ,メモリーか?恋次は…と」
 「勝手に見るな!」


 
 
 ルキアとまともに話す機会のないまま,すでに1週間.伝令神機をみつめては,ため息をつきながらそれを机の上に戻す動作を,数え切れないくらい繰り返し続けていた.

 ルキアに限って,朽木隊長と,妙なことになることはまずない.それは理性では理解できる.だが,あのときのルキアの穏やかな表情と声が頭に焼きついて離れない.自分以外の者に向けられた,聖母のような微笑.福音を告げるような柔らかな声.
 白哉のことは,どんなときにも冷静に物事を見つめ,感情に決して流されない心理的な強さ,そして戦闘における強さ,そのどちらに対しても素直に尊敬の念を抱いている.今はまだ白哉は自分にとって’超えるべき対象’であり,それはつまり,まだ白哉にはかなわないと暗に思ってしまっていることの現れだろう.
 それだけに,自覚している以上にショックが大きい.


 ルキアは,今,現世に派遣されている.きっと一護にも会っているのだろう.
 ルキアにとって,一護は特別な存在だ.自分が手を離したせいで永遠に失われたかと思われた,ルキアの幸せそうな笑顔を取り戻した存在.何でも言い合える対等な存在.
 あいつにもあんな顔を見せたことがあるのだろうか,


 あいつに限ったことじゃない.
 俺の知らない間のルキア.
 俺の知らないルキア.


 いくら頭で割り切れていても,このもやもやとわきだしてくる感情を抑えられない.

 「あーっくそっ!!餓鬼じゃあるまいし!」

 仕事になりゃしねぇ!

 ガリガリと頭を掻いて,再び伝令神機に手を伸ばしたそのとき.伝令神機がブルブルと震えて,着信を知らせてきた.

 発信元は,例の姫君.

 向こうから,こんなタイミングでかかってくるとは思ってもみなかった.早鐘を打つ心臓を落ち着かせながら,心して受話ボタンを押す.

 「……なんだ?仕事中だぞ」

 久しぶりのまともな会話に,口調がぶっきらぼうなものになってしまう.もう少しマシな言葉をかけられればいいのにと,頭の中で舌打ちをする.
 しかし,伝令神機から聞こえてきたのは,よく響くアルトではなく,何か争うような物音だった.


 「もしもし?ルキアか?」
 『……これでどうだ?』


 問い直してみるも,返事はない.代わりに,訝しむような口調でよく知った男の声がそれに応えた.

 (…なんで一護の声がルキアの伝令神機から聞こえてくるんだ?)

 その思考は,続いて響いてきた持ち主の叫びに破られる.

 『やめろ,一護!触るな!!』

 音の響きからして,今,伝令神機を持っているのは一護らしい.バタバタという物音にルキアの叫ぶ声が小さく混じっていた.

 「おい,一護?ルキア?お前ら何してんだ?」

 恋次がいくら話しかけても,その声は言い争う声にかき消され,本人達には届いていないらしい.まともな応答は返らず,受話器の向こうから伝わる混沌とした状況に不安と苛立ちが募っていく.

 『恋次?ちょっと待ってくれ.……これくらいやらなきゃ,どうにもならないだろ』
 『貴様には関わりのないことだ!いい加減にしろ!!』
 『いーや,やめねぇ.俺の部屋に上がり込んで好き勝手しやがって』
 『くっ……放せ!放さぬか!!』
 『ちょ,暴れんなよ.本当はこうしたかったんだろ?』
 『た,たわけ!そんなはずあるわけなかろう!!』


 一体,なんなんだ.
 何が起こってるんだ.
 これじゃまるで……….


 『意地張るのもたいがいにしとけ』
 『五月蝿い!!』


 再び,室内で争う物音.激しく乱れる息遣い.

 『ひっぱんなって……うわっ!!』
 『きゃぁあっ!!』


 ルキアの悲鳴に続き,何か重いものが床に倒れこむような音,その直後,堅いものがぶつかったようなガツンという鈍い音をたてて,通話はぷつんと途切れた.

 伝令神機から,むなしく,つー…つー…という音が響く.
 恋次の身体から,すぅっと血の気が引いていく.


 「失礼します,恋次さん」

 部屋の戸をノックして書類を抱えて入室した理吉は,すぐに恋次の異変に気がついた.

 「……恋次さん?どうかされたんですか?」

 伝令神機を手にしたまま呆然と立ち尽くす恋次.
 とりあえず書類を机の上に静かにおいて,伝令神機を見つめたまま微動だにしない恋次の腕を揺さぶる.その途端,恋次ははっと我に返って,猛烈な勢いで伝令神機を操作して通信を試みる.耳に押し当てた伝令神機を壊れそうなほど握り締めながら,指で机をせわしなく叩いている.
 大切な連絡でもするのかと,そのまま退出しようとした理吉はいきなり腕を掴まれて「うわっ」という悲鳴を挙げた.


 「れ,恋次さん?」
 「………理吉….ちょっと抜ける.すぐに戻る」


 それだけを言い残して忽然と瞬歩で姿をかき消した上司を,理吉は唖然と見送った.

 
 
 一護に掴みかかり,取り戻そうと懸命に手を伸ばしていた伝令神機が,派手な音を立てて床に転がったのを見て,ルキアは「ああっ!」と悲鳴をあげた.転んだはずみで足の上に覆いかぶさっていた一護を蹴り飛ばし,伝令神機に飛びついて画面をのぞきこむ.

 画面は真っ黒.

 バッテリーの装着状態を確認して電源を入れても,少しの反応も示さない.アンテナ部分につけていたチャッピーの飾りは,顔面に傷が入り片耳が根元の部分でぽっきりと折れていた.ルキアの体が震えだす.

 「い〜ち〜ご〜!貴様……!」
 「わ,悪かったって.壊すつもりはなかったんだ」


 ふるふると唇を震わせながら迫るルキアの迫力に,一護は床に座り込んだままずるずると後ずさる.

 「後で浦原さんのとこにもってってやるから」
 「たわけ!それだけではない!……チャッピーの耳まで折りおって…!!」
 「そんなもん,また向こうで買やいいじゃねーか」
 「売り物ではないのだぞ?何度も何度も足を運んで,ようやく手に入れた品だったのに……!」


 壁際まで追い詰められた一護にルキアが飛び掛り,馬乗りになって首を締め上げた.一護の前に,壊れた伝令神機とチャッピーをびしっとかざす.

 「この責任,どうとってくれる!」
 「責任て……」
 「こんなにしおって!」
 「そ,そんなこというけどよ,もとはといえばテメーが暴れるのが悪いんだろうが」


 胸倉を掴んでいたルキアの腕を振り払いながら,今度は一護がルキアをにらみつける.

 「私のせいだと言いたいのか!」
 「テメーが俺の部屋でうだうだやってんのがそもそもの原因だろ!?」
 「なんだと!?」


 喧々囂々と交わされる,終わりの見えない不毛な言い争い.
 それを破ったのは,一護の部屋に響いた,静かで怒りに満ちた低い声.


 「テメーら,何やってやがんだ?」

 すぐそばから伝わるその怒気.その霊圧.その姿.
 額がくっつきそうなほどの勢いで言い争っていた二人は,そろって窓から現れたその人物に視線を向けた.一人は驚きをもって.一人は安堵の表情を浮かべて.


 「恋次!なんで貴様がここに……」
 「ふぅ.ようやく来やがったか」
 「二人で,何やってやがったんだって聞いてんだよ」


 まったくかみ合わぬ三人の言葉.
 窓からひらりと部屋に入り込んだ恋次は,まるでルキアが一護を押し倒したような形になっているこの状況を見て,その鋭い目をさらに細めた.
 恋次の登場に,初めは驚いていたルキアも落ち着きを取り戻して挑むように睨み返した.


 「……妙な勘繰りは,お前の得意とするところだろう?」
 「なんだと?」


 ルキアは鼻でふふんと笑いながら立ち上がり,恋次の前に立ちはだかる.

 「じゃあ,伝令神機の電源切って何してたんだよ?」
 「切ったのではない.壊れたのだ」


 「嘘だと思うなら起動させてみろ」と,先ほど一護の手から滑り降りて壊れてしまったその機械を恋次の手の中に放り投げる.一度は受け取ったものの,それに大して興味もないように片手でもてあそび,「必要ねぇ」と再びルキアの手に押し返した.

 「そもそも,かける気があるのなら,なぜもっと早くかけぬのだ.よりによってこんなときに」
 「いつかけようが,俺の自由だろ?それとも今かけたらマズかったのか?」
 「伝令神機が繋がらぬくらいで,ご自分の仕事を放り出して駆けつけるような莫迦がいるとは思わぬからな」
 「テメーには『前科』があんだろが!俺と隊長が来なけりゃ,テメーは訳のわからねぇもん身体の中に埋め込まれたまま死神の力を失うところだったんだぞ!心配して何が悪い?」
 「あ,あのときとはまったく状況が違うだろう」
 「はたからみてる分には,違いなんてわかるわけねぇだろ」


 「ほい,そこまで」

 一気に二人の会話の蚊帳の外になっていた一護が,口論に夢中になる恋次の背後に回りこみ,ふいをついて膝かっくんの要領で恋次のバランスを崩した.

 「なっ!?」
 「一護!?」


 床に尻をついた恋次の肩をぽんぽんと叩くと,今度は猫の子を抱きかかえるようにしてルキアのわき下に腕を差し入れる.呆気に取られたルキアが暴れだす前に,座り込んだ恋次の足の上にそっとその身体をおろした.

 「それじゃ,俺は散歩に行ってくっから.その間にとっとと話つけろよ」
 「なっ…一護,待て!」
 「おいこら!」


 扉はぱたんという音をたててあっけなく閉まり,二人を小さな部屋に閉じ込めた.
 開け放された窓の向こうからは,夜風が吹き込むとともに,屋台のラッパ,家路を急ぐ子供らの声,自転車の車輪の音が聞こえてくる.やがてそれも収まって,目覚まし時計の針の音が時の経過を静かに告げる.お互いの呼吸すら聞こえるほどの静寂の中,二人は気まずそうに顔をそらしたまましばらく押し黙っていたが,やがてルキアがその口をひらいた.


 「恋次」
 「なんだ?」


 呼びかけてもこちらを向こうとしない恋次の顔を両手ではさみ,ルキアは無理やり自分の側に向けさせた.久しぶりに間近で見る赤い瞳をしっかりと目で捉えながら,諭すように話しかける.

 「貴様が何を誤解しているのかはしらんが,いい加減,機嫌を直したらどうだ」
 「誤解なんてしてねぇよ」


 揺らぎなくつきつけられるルキアの視線に,恋次の顔が僅かに顔が赤らむ.

 「そうか?ではなぜ,貴様はこうしてここに息せき切って駆けつけてきたのだ?なにか思い当たることがあったからではないのか」
 「そんな大層なことじゃねぇよ.俺は,ただ…」
 「ただ?」


 ───     だからだよ.
 その一言を言い出すことができない.
 言えば,自分が幼稚で浅ましい嫉妬をしていることを知られてしまう.格好のつかない自分を,一番知られたくない相手の前で認めてしまうことになる.
 目を伏せて黙りこくる恋次を見て,ルキアは先を促した.


 「貴様が気にしているのは,あの演習があった夜のことだろう」

 あの後から露骨に様子がおかしくなったからな,と言葉を続ける.恋次はそれに答えず,視線を上げてわずかに眉をひそませた.その様子を見て,ルキアは図星だと直感する.

 「私と兄様の間に,何かあったなどと勘ぐってるわけではなかろう?何がひっかかっておるのだ?」

 恋次が白哉のことを尊敬していることは十分伝わってくる.だからこそ,単純な誤解や勘違いが原因とはルキアには思われない.

 「私には言えない事なのか?」

 恋次の肩に手を置いて,顔を覗き込んで上目遣いに恋次の様子をうかがう.恋次は盛大に眉をしかめて渋面を作ると,かみ締めていた唇をようやく解放し,あきらめたようにその理由をルキアに告げた.

 「今までに,見たことねぇような顔,してたからだよ」

 隊長には,他の奴には,あんな表情を見せるのか.
 俺も知らないルキアの顔.


 「今まで見たことがない,とは,たとえばどんな?」

 こころなしか,うきうきしたような口調で問いかけるルキアにわずかに不満を抱きながら,思わずはき捨てるように答えてしまう.

 「テメーがテメーじゃないような,やたら大人びた表情だよ」

 まさか,声をかけるのがためらわれるほどの美しさ,慈悲をたれる聖母のようだった,などとは口が裂けても言えはしない.そんなことをすれば,すべての言葉を言い切る前に,自分の歯がすべて浮き上がってしまうだろう.

 「そうか,大人びた,か」

 「この私でも───のように,見えたのか」と,ルキアは意味ありげにふふっと笑う.誰かの名前をつぶやいたようだったが,それは恋次には聞き取ることができなかった.
 「嫉妬するなんて幼い」と笑われるよりはずっとよいが,しかし,自分の理解を超えた反応に不安がつのる.顔に不満そうな表情が浮かんだのか,ルキアが少し困ったような顔をして頭を下げた.


 「すまぬ,少し嬉しくてな」
 「なんだってんだよ」
 「お前には言えぬ.私の,……私たちの大切な秘密なのだ」
 「別にお前と隊長の間の秘密を聞きだす気なんてねぇよ」
 「………ふふっ,はははは」
 「…何がおかしいんだ?」


 ルキアは恋次の両肩に手をかけて,ゆっくりを顔を横に振った.

 「私たちといっても,相手は兄様ではない」
 「んじゃ,誰となんだよ」
 「だから,秘密だ.あの夜,私が着ていた着物の持ち主との間のな」


 すねた子供のように「意味がまったくわからねぇよ」と一人ごちた恋次がかわいくて,ルキアは思わず恋次をその胸に抱きしめる.

 「お,おい,ルキア!?」
 「そもそも,私があの夜と同じように……このようにお前を抱きしめていれば,私が今どんな顔をしているかなど,お前にわかるわけがなかろう」
 「う………」


 だが,ルキアの声に楽しむような音色が含まれているのを聞くと,少なくともあの晩のような表情でないことだけは確かだとは思う.
 ゆっくり身体を離したルキアは,目にいたずらな光を宿らせ,頬を少し上気させて恋次に言葉をかけた.


 「お前ともあの晩の白哉兄様と同じように接する日も来ると,期待してはおるのだがな」
 「期待?いつのことだよ」
 「まぁ,お前次第だな」
 「はぁ?ますますわかんねぇ,何の謎解きだ?」


 ルキアは自分の頬を恋次の頬に重ねて,耳に熱い吐息をふきかけながらつぶやいた.

 「お前が私に,自分の伴侶になってくれと頭を下げに来る,その日だよ」
 「!?……ル…!」


 身体をこわばらせた恋次を抱きしめながら,ルキアはそっと瞼を伏せる.

 ルキアの脳裏に,自分の義兄と向かい合う,あの薄緋の小紋を着た小柄な女性の姿が浮かびあがる.
 兄からの言葉を聞き,兄と静かに抱擁を交わすその表情はどのようなものだったのだろうか.少なくとも,今の自分のように,幸せに満ちたものだったに違いない.










御陵さんのサイト「Regen Tropfen」10,000hitお礼フリーSSを頂いてまいりました!
色んなリクエストに答えていらっしゃる力作。
都合でカットされた部分も、後日アップしてくださるようなので(ね?御陵さん?)楽しみです!