痛み

授業が終わった瞬間、小さな黒い人影が飛ぶように廊下を走り抜けていった。

校舎を飛び出して、人気のない校庭の片隅にまで来て、ようやく歩調を緩めた。 僅かに息を切らせながらそこにあった長椅子に腰掛け、足を引き寄せて抱え込むと、突っ伏して肩を震わせた。 声は出さない。 出してしまったら余計に惨めになる。

ポツポツと雨が降り出した。 その穏やかな刺激にも顔を上げて立ち去ろうとはしなかった。 やがて、打擲するかのような本降りになる。 周りはすっかり暗くなり、ようやく寒さに震えて顔を上げた。 目の前に降りしきっている雨を眺める。

「落ち着いたか?」

不意に後ろから声が掛かった。 驚いて振り返ると、恋次がいた。 大きな傘を差している。 そう言えば、ルキアは全く濡れていなかった。
拗ねたようにまた前を向くルキア。

「いつからいた?」
「雨が降る頃。」
「なんでいる?」
「お前がここに居たから。」
「なぜ放っておかない?」
「放っておいて欲しかったのか? ならそうする。」

それには答えなかった。 放っておいて欲しいけれど、放っておいて欲しくない。 答えられる訳がなかった。
恋次は持っていた傘をルキアに差し出す。

「何?」
「放っておいてやるから、この傘は持ってろ。 いくら何でもこの雨じゃ風邪をひく。」

ルキアは差し出された傘を見つめた。

「お前はどうするのだ?」
「寮まで走って帰る。 この距離だ。 それほど遠かねえし。 それに直ぐに風呂に入りゃ風邪も引かねぇだろ。」

いつまでも傘を見つめたまま手に取ろうとしないルキアに業を煮やし、『ほらよ』とルキアの手に傘を握らせて恋次は走り去ろうとした。 とっさに、ルキアは握らされた傘を離して恋次の手を握った。

「行かないで。 もう少しでいいからここに居てくれ。」
「じゃあ、傘持っていいか? これじゃ二人とも濡れちまう。」

傘を差し直すと、恋次はルキアの側に寄り添って腰掛けた。 空いている手でルキアの小さな肩を抱き寄せる。

「すまぬ。 じつは・・・」
「聞かねぇよ。」
「え?」
「俺に言い訳しなくていい。 無理に話す必要はねえ。」
「恋次?」

寒さに震えながら恋次を見上げるルキアをしっかりと抱きしめた。

「俺達は、たった二人だけ残った家族だろ。 家族に遠慮はいらねえ。 やりたいようにしろ。 泣きたきゃ泣け。 怒りたきゃ怒れ。 黙っていたけりゃ黙ってろ。 でもな、一人で堪えるな。 傷付けられて痛いのはお前だけじゃない。 俺も痛いんだ。」

ルキアは初めて泣きじゃくった。 堰を切ったように、降り続いている雨に負けないくらい。 大声を上げて泣いた。
恋次は何も言わず、何も聞かずにただ好きなだけ泣かせてやった。

「・・・・・ありがとう。」

暫くして、ようやく泣きやんだ。 恋次から離れると今度は恥ずかしそうに俯いた。

「痛い時には、薬がいるよな。 そら、ちゃんと喰っとけ。」

シャラっと軽い音のする小さな袋をルキアの手に握らせた。 金平糖。 どんな泣き顔も微笑みに変える魔法の薬。

「おまえもな。」

寮へ帰る道すがら、二人の魔法は切れる事がなかった。

(2007年 ルキ恋祭りに寄せて)










再び参加させていただける場を頂戴し、有難うございます。
院生時代の二人にこんなことがあったらいいな、と言う偏愛的願望をのせて。



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