ルキアが大切すぎて、恋次は触れることも、想いを告げることすらできない。
 四十数年ぶりに取り戻した、気の置けない幼馴染みとしての場所。ルキアが当たり前のように傍にいて、当たり前のように笑いかけてくる。その場所の心地よさと、それを失うことへの恐怖が、恋次の足を絡めて動けなくする。

 純情すぎるのも考えものだな。昔に返ったようでいて、時折昔は決してなかったぎこちない態度を見せる恋次の内心に、ルキアはとうに気づいており、微苦笑を漏らす。
 ルキアは恋次が好きだし、恋次の気持ちを受け入れたいとも思う。
 しかしルキアからは言わない。促すこともしない。
 ルキアは養女とはいえ、四大貴族である朽木家の姫君であり、恋次の上司である白哉が手中の珠とする義妹だ。二人が今以上の関係に踏み込むとしたら、壁にぶつかるのはルキアではなくて恋次だ。そして恋次ばかりがどれほど苦労することになるかは目に見えている。
 だからルキアは、恋次に十分考える時間を与えたい。崩玉騒動の時のように大事件の勢いを借りるのではなく、何が本当に大切なのか、何を選び取るべきなのか、恋次がじっくりと自身の心を見極めるまで。その結果恋次がこれ以上踏み込んで来ないかもしれないとしたら、今のままの関係でいる方が、恋次が傷つかなくて済む。


 井上織姫が虚圏に攫われ、現世に滞留していた死神達は急遽尸魂界に帰還させられた。

 このまま尸魂界でじっとしているわけにはいかない。どんな手を使っても、井上を助けに虚圏へ行かねば。ルキアには何の迷いもない。
「私が受けたのはお前達を連れ戻せという命だけだ。連れ戻した後どうしろという命までは受けてはいない。好きにするがいい。」
 白哉の口から意外な言葉を聞き、現世行きの手筈を教えられ、ご丁寧に砂埃避けのマントの包みまで渡されて、ルキアは夜更け過ぎに朽木家の門を飛び出した。

 ほどなく、暗がりの中に恋次の霊圧を感じた。
「・・・そんなところで何をしている。」
 恋次は目立たぬよう、道の端の一段低くなったところで、大きな木に凭れて立っていた。ルキアは歩を緩め、恋次に近づいた。普段と違い、ルキアの目線の方が少しだけ上にある。
「てめえ、一人で虚圏に行く気かよ。どうして俺を誘わねえ。」
 不機嫌な低い声が囁く。
「お前も行くつもりなのか。」
「当たり前だ。」
「お前はやめておけ。私にとって、現世の奴らは友達であり仲間であり、命の恩人でもある。それに私は、尸魂界にこの混乱をもたらす元凶となった身だし、ただの平隊員だ。今更命令違反だろうが何だろうが、兄様さえ許して下さるのなら、私には失うものなど何もない。」
 ルキアは諭すように恋次に語りかける。
「でもお前は違うだろ、副隊長殿。ただでさえ、一度造反した身なのだ。これ以上命令違反を犯してどうする。考え直せ。」

「・・・・・・現世の奴らは俺にとっても大事な仲間だ。総隊長の命令がどうあれ、この俺が仲間の危機を放っとけるわけがないだろうが。それに、破面共の実力も早く見ておきてえしな。」
 嘘だ。そんなのはただの口実だ。
(馬鹿野郎。副隊長の地位が何だってんだ。俺にとって本当に失くしたくないものなんてただ一つきりだ。てめえを放さないと誓ったのに、ルキア。どうしててめえは一人で行こうとする。)
 自分への配慮だとわかってはいる。けれど、一護達のためにはどんな無茶でもするルキアが、自分とは冷静に距離を保とうとすることへの哀しみと、この期に及んでも素直な気持ちを言えず、くだらない嘘をついてしまう自分自身の情けなさに、恋次は苛立つ。きちんと伝えてもいないこの気持ちを理解しろというのは理不尽だと自分でも思うが、偽りの理由を告げる己の口調に腹立ちが含まれるのを止めることができない。

 ルキアは軽いため息をついて静かに恋次の間近に歩み寄り、恋次の目を正面からしばし覗き込んだ。自分の鎖で自分を縛り付ているその苦しげな瞳の色に、恋次の真意を間違えずに読み取る。
(――そうか。お前の気持ちはもう決まっていたのだな。私を選ぶことにより背負わねばならないしがらみだとか面倒だとかは、お前には問題ではないというのだな。ただお前は、私が離れていくことを懼れ、不安に思い、いつまで経っても本当の気持ちを言葉にできない意気地無しだというだけで。)

「ああ、そうだったのか。お前がこの短期間の間に、それほど現世の奴らと親しくなっていたとは知らなかった。お前が仲間思いなのは知っているのに、失礼なことを言ってしまったな。」
ルキアは恋次の腹立ちに気圧された風もなく、むしろおっとりと答えた。しかしそのおっとりした口調にそぐわないルキアの真っ直ぐな眼差しに射られて、嘘つきの恋次は思わず目線を外す。

「どうした。お前はいつも相手をきちんと見て話をする奴なのに。ちゃんと私の目を、見ろ。」
 ふいに白くほっそりとした両腕が伸びてきて、恋次の頬を包み込むように触れ、ルキアの方を向かせた。少しひんやりとしたその掌と細い指の感触に捉われて、恋次は身動きが取れなくなる。
ルキアは暗闇の中で僅かに妖艶な笑みを浮かべた。初めて見る表情。体中を震えが走り抜けるほどに美しい。
 揺らめく光を湛えた深い菫色の瞳がゆっくりと近づいてきて、ああ俺は吸い込まれると恋次が思った瞬間、柔らかくて甘やかなものが唇に軽く押しつけられ、熱い舌がチロリと唇の狭間をなぞっていった。
 
 私はお前が好きだよ。優しくて、幾分か面白がっているような声が聞こえた、気がした。

 恋次が我に返ったとき、ルキアはもう大分前方に進んでいた。
「・・・・・・てめえっ、何しやがるっ。」
「何って、ただのまじないだ。行く手に幸運があるように、とな。」
 どんな態度を取ったらいいのかわからないまま、弱々しく抗議する恋次を尻目に、振り返ったルキアは涼しい顔で微笑する。
「急ぐぞ。」
 あっという間に歩みが速度を増した。

 前を行く小さな背中を、恋次は慌てて追いかける。
 この手を伸ばせば、星に届くのだろうか。
 これから過酷な戦いに向かうというのに、喜びが溢れそうになる心を落ち着かせようと、精一杯の努力をしながら。







 生まれて初めて書いてみたものです。なので、いろいろともう、お許し下さい。一心不乱に逃走中!!どうも失礼いたしました。



なまぴょん