「あそこにいるの、ルキアちゃんじゃねえの?」
仕事が終わって一角や弓親と一杯飲んだ帰り道、恋次は一角が指さした方向、川向こうの柳の木の下に、ルキアと瀟洒な着物に身を包んだ青年が佇んでいるのを見た。
「ほんとだ。いつにも増して綺麗だね。さすが朽木家のお姫様だ。」
弓親が、珍しく感心したように呟く。
ルキアは精巧に彫り上げられた人形のように完璧な造りの顔に、端正で上品な笑みを浮かべている。白い肌が、夜目にぼんやりと浮かんで見えた。
青年がルキアの頬に不埒な手を伸ばそうとするのを、ルキアは軽やかにかわし、寸前で避けた。ルキアのことだから怒って鉄拳の一発でも見舞うかと思ったが、二人の雰囲気は楽しげなままで、まるでじゃれあっているようだ。
胸にじくりと黒い嫉妬が湧き起こるのを自覚して恋次は目を逸らし、一角と弓親を促して足早にその場を離れた。
「恋次。偶然だな。」
次の日、恋次は仕事中に道端でばったりルキアに出くわした。ルキアは同じ隊の清音とかいう女と一緒で、どうやら虚と一戦交えた帰りのようだ。所々に返り血を浴びたまま、屈託なく笑いかけてくる。じゃあお先に、と清音が立ち去った後、恋次は憮然とした表情でルキアに向き合った。
「てめえ、昨日何やってた。」
「何の話だ?」
「夜遅くに、男と遊んでたじゃねえか。次の日に虚退治があるってのに、仕事でミスしたらどうする気だ。」
「なんだ、盗み見とは趣味が悪いな。」
ルキアは溜息をついた。
「あれは遊んでいたのではないよ。家の用事だ。早い話が、見合いをしていたんだ。」
「見合い。会うってことは、受ける気があるのか。」
恋次の声が硬くなる。
「そうではない。だが、朽木家の縁者が持ってきた話だ。兄様の立場もあるし、会いもしないで断るというわけにも行かぬ。ああいうのは一度丁寧に応対しておいてから、お相手は素晴らしい方で私などには勿体ない、と言って断るのが一番手っ取り早くて角も立たないのだ。」
興醒めした顔で、ルキアが言う。
「それにしちゃ、楽しげだったじゃねえかよ。」
恋次はなおも言い募る。
「何だ、お前。焼き餅を焼いているのか?」
ルキアがからかうように口の端をつり上げ、恋次は横を向いて舌打ちをした。
「恋次。貴様に見合いの話が来ているがどうする。」
翌日、隊長室で唐突に白哉から声を掛けられ、恋次は驚いた。
「い、いえ、俺は別に今のところそういうつもりは・・・」
「言い交わした女でもいるのか。」
「いや、そういうわけでもないですが。」
「ならば取りあえず会っておけ。縁は異なもの、どうするかは会ってから決めればよいことだ。これは隊長の私を正式に通した話だから、無礼な応対は許さぬぞ。先方は貴族の令嬢だ。心せよ。」
これでは提案ではなくて命令だ。話は終わったと言わんばかりの白哉に、恋次は曖昧にうなずくことしかできず、そのまま日取りと場所を書いた紙を押しつけられた。
白哉から指示された見合いの当日。
「阿散井副隊長がお見えです。」
案内の声と共に、思い詰めたような表情の恋次が、白哉の待つ部屋に通された。正装した白哉は、死覇装のままの恋次の姿を見咎めて眉をひそめた。
「随分と時刻に遅れた上にその格好か。まあ良い。先方は、隣室で待っておられる。」
白哉は次の間に続く襖の方へ目を向けた。
しかし、恋次はそのまま正座して畳に手をついた。隣室の女性に聞こえるように、よく通る低い声で話し始める。
「阿散井恋次です。今日は折角来て貰ったが、俺には、心に決めた女がいる。まだ何の約束があるわけじゃない。それどころか、俺は自分の気持ちをちゃんと伝えてすらいねえ。でも、俺はそいつじゃなきゃだめなんです。こんなところまで来てこんなことを言うなんてどれだけ無礼かわかっちゃいるが、何食わぬ顔をして貴女と見合いするなんてやっぱり俺にはできなかった。今日は帰らせて貰います。貴女にはお詫びの言いようもありません。本当に申し訳なかった。」
恋次は襖の向こうに向かって深く一礼し、続いて白哉にも頭を下げて、風のように素早く身を翻して立ち去って行った。
白哉は恋次の背を見送り、ほう、と軽く溜息をつく。
「やれやれ、折角ここまでお膳立てをしてやったというのに。このような機会、二度はないぞ。」
「全く、どこまでも間の悪い男です。」
隣室の女性が立ち上がる気配がした。
くすくすと笑いながらそろりと襖を開けて出てきた、その美しい令嬢は。
朽木ルキア、だった。
帰宅した恋次は、今日の不首尾を気まずく振り返っていた。相手の女性にはとんでもないことをしてしまったし、隊長の面目も潰してしまった。どうして自分は、今日の言葉を、もっと早くに言えなかったのだろう。
「わたしだ。入っていいか?」
玄関先にルキアの声がした。おそらく、白哉に命じられて今日のことを問い質しに来たのだろう。
「勝手にしろ。」
機嫌の悪い声で返事をする。
「では、入らせて貰うぞ。」
部屋に入ってきたルキアに、恋次は思わず見とれた。
華美ではないが素材も織りも一目で上質なものとわかる、色白な肌によく映た桃色の着物。それに併せて織り上げられたであろう暗紫の帯。
黒髪は若々しい形にあっさりと結い上げられ、一つだけ刺された簪から下がる金の細かな鎖が、その髪の艶やかさを際だたせる。その髪の下には、雪のように白くほっそりとした項が惜しげもなく露わになっている。
珍しく薄化粧を施しているのか、目元の影と、普段より紅く濡れたような唇に視線が引き寄せられる。清楚なのに、艶めかしい。凛とした高貴な雰囲気と、物憂く儚げな美しさが絶妙のバランスで同居している。美しい人。優雅な人。
すらりとした立ち姿が一幅の絵のようで、いつまでも見つめていたくなる。
しかしそんな姿にも関わらず、ルキアは今にも涙を零しそうな顔をしていた。
「な、何だっ。どうした、てめえ。何があった。」
恋次はうろたえて声を上げる。
「手酷く振られた。」
崩れるようにしゃがみこんだルキアに、恋次は一瞬息が止まるような思いを味わい、躊躇い、それからそっとその肩を抱いた。
「誰がそんなことしやがった。てめえみたいないい女を振っちまった大マヌケはどこのどいつだよ? すげえ後悔するぜ、そいつ。」
胸にぎりぎりと疼く苦い痛みを必死で押さえつけ、強いて軽い調子の声を作りながら、恋次はルキアの小さな頭を撫でて懸命に宥めようとする。
どこまでも優しくて馬鹿な男だ。
「それが・・・・・・。兄様にお願いして無理に整えていただいた見合いの席でな。相手の男は散々遅刻した挙げ句、やっと来たかと思ったら、他に好きな女がいると喚いて、私の顔を見ることすらせずに帰って行ったのだ。どうだ、大した侮辱だろう?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「そんな馬鹿なっ。」
「馬鹿はお前だ!」
ルキアは恋次の頭を力一杯張り飛ばした。
「なあ、ルキア・・・」
暫くして目の前に飛び散った火花がやっと消えると、恋次は頭をさすりながら、情けない声を出す。
「見合いの話、まだ有効か?」
「破談だ。当たり前だろ、あれだけ思い切り兄様の顔を潰したのだから。命があるだけ有り難いと思え。」
「俺とてめえで、何で今更見合いなんだよ、紛らわしい!」
「だって、お前がみっともなく焼き餅を焼いてたから。それにこうでもしないと、」
ルキアは言葉を切り、皮肉っぽい笑みを浮かべて恋次の瞳を覗き込んだ。
「お前は永久に何も言わないのではないかと心配になったのでな。」
ふて腐れて横を向き、壁に凭れて黙ってしまった恋次の膝に、ルキアはするりと滑り込んだ。恋次は戸惑いながらも、おずおずとその体に手を回す。ルキアは心地良さそうに恋次の胸に顔を埋めた。
「なあ、恋次。私にとって一番落ち着くのはこの場所だ。いつかここに帰ってくるために苦労して数多の縁談を断り続けているというのに、お前が拗ねてどうする。」
宥めるような優しい声音に導かれ、恋次はそろそろとルキアを深く抱き込み、回した腕に力を込めた。
先ほどまでの混乱した感情が嘘のように凪いでゆき、暖かな想いがさざ波のように満ちてくる。
「俺はもう二度と見合いなんてしねえぞ。俺はいつかちゃんと気持ちを伝えて、てめえと恋愛結婚するって決めてんだからな!」
全く、頼りない男だ。
ルキアの黒髪に頬を寄せながら勢いよく妙な宣言をした恋次を、ルキアは苦笑しながら抱きしめ返した。
お見合いの作法をてんで知らないのでヘンなことになっています。少なくとも当日まで肝心の相手を知らないなんてあり得ない・・・のですが、どうせ恋次は白哉にはあっさり騙されるだろうということで。駄作を読んでいただいてありがとうございました。
なまぴょん