夕方まで降り続いた雪は夜の帳が降りる頃に止み、厚い雲が去って空には円い月が姿を見せた。久々の雪はかなりの深さに降り積み、空気は澄んで凍るように冷たい。
―――こんな日は早く帰って炬燵で丸くなるに限る。
家路を急ぐ恋次の目の端を、ふと見慣れた姿が掠めた。
「ルキア? どうしてこんな所に。」
ルキアは十三番隊でも朽木邸でもなく、人気のない林の方に向かっているようだ。そちらの方角には何もないはずだが。恋次が首を傾げている間にも、ルキアは恋次の視界を子兎のように駆け抜け、林の中に消えていった。
「あいつ、何処に行く気だよ。」
恋次は思わず、ルキアの後を追って走り始めた。
月明かりを頼りに雪の上に微かに残された浅い小さな足跡を辿るが、それはどこまでも続いていく。
木立が群生しているため瞬歩を使うこともできず、30分以上も走り続けた頃、突然林が途切れ、目の前に真っ白な雪原が広がった。
こんな所に、こんな場所が。ちっとも知らなかった。
「遅かったな、恋次。」
驚いていると、空から声が振ってきた。慌てて頭上を仰ぐと、そのあたりで一番高い木の天辺に近い枝に腰を掛けたルキアが、恋次を笑顔で見下ろしていた。
「こら、気づいてたんなら止まれ。」
恋次はルキアの傍まで駆け上がり、その隣に腰を下ろした。ルキアを寒さから庇うように肩を抱く。
「こんな所まで何しに来たんだよ。風邪、引いちまうぞ。」
「どうだ。ここからの眺めは見事だろう。」
返事の代わりにルキアは、目の前の雪原に向かって手を広げた。
雪に洗われて澄んだ空気の中、深い闇色の空に満月の光が煌々と冴え渡っている。月光が広い野原を覆う白雪に反射して、大地全体もぼんやりと白い光を放っているようだ。幻想的で夢のような、音のない風景。
「あー、いい景色だけどよ。寒いからもう帰ろうぜ。雪なら俺の家で炬燵に入って眺めりゃいいだろ。何か暖かいもの、食わせてやるから。」
恋次は子供の頃から寒さが苦手だ。雪や氷を見るとはしゃぎ回るルキアをよそに、なるべく家の中に閉じこもっていたものだ。
「全く、お前は情趣を解さない奴だ。」
ルキアはみるみる頬を膨らませた。
「そうだな。朽木の屋敷で兄様と、庭を眺めながら雪見酒というのも風情があるな。雨乾堂で浮竹隊長と汁粉でも食べながら雪を愛でるのも良いな。よし、明日はそうしよう。」
「てめえ、俺のこと無視してないか?」
「お前のような奴とは、雪見などと洒落たことはできぬ。せいぜい雪遊びだな!」
ルキアはいきなり恋次の袂を引っ張って木から飛び降りた。突然のことに体勢を崩した恋次は地面に激突しかけ、すれすれでやっと身を翻して着地した。
「何しやがる!」
叫んだときには、ルキアはもう数歩先を走っていた。
「そら、捕まえてみろ、面白眉毛!」
ルキアは雪に足を取られることもなく、身軽に雪原を駆け回る。
「てめえっ。」
月光に照らされた白い雪原の上をルキアの死覇装が翻る様は、黒い蝶がひらひらと舞うようだ。
恋次はルキアを捕まえようと駆け出したが、小さな身体はからかうようにするりと腕を抜けていく。しかも妙な鬼道でも使っているのか、時々雪柱が立ったり、雪煙が上がったりして恋次の動きを妨害する。
恋次は次第にむきになり、そのうち真剣になった。
―――ルキア―――
追いかけても、追いかけてもこの手に捉えることができない。それが何だか、ルキアと自分との関係を思わせて切ない。彼女にとって、きっと自分はただの幼馴染みでしかないのだろうから。
どのくらい鬼ごっこが繰り返されただろうか。雪まみれになりながら何度目かに飛び込んだ雪煙の中で、恋次は突然腕の中に柔らかいものを感じた。
「う、うわっ。」
雪煙の向こうに身をかわしていると思ったルキアが、何故か雪煙の真ん中に佇んでいたのだ。
ルキアにぶつかった恋次は勢い余ってその場にルキアと共に転がり、慌てて受け身を取って自分が下になった。
「馬鹿野郎、いきなり止まるな! 危ねえじゃねえか!」
寝転んだまま腕の中のルキアをにらみつけた途端、顔の近さに気恥ずかしくなり、横を向く。
「お前がちっとも私を捕まえられぬからではないか。鬼事にはもう飽きた。」
ルキアは詰まらなそうに言って、あっさりと恋次の腕を抜けた。
「さて、死覇装がびしょ濡れになってしまったな。」
「てめえがこんなところで鬼ごっこなんかやるからだろうが! 急いで俺ん家に帰って、早く風呂に入れ。もう有無は言わせねえぞ。」
ひゅうと風が吹き渡り、二人はぞくりと身を震わせた。
「馬鹿者、お前の家まで帰っていたら、それこそ本当に凍り付いてしまうぞ。実は、すぐそこの岩陰に小さな温泉が湧いているんだ。私はそこに入ろうと思うのだが。死覇装はその間に鬼道を応用して乾かせばよい。お前はどうする?」
「どうするって・・・。てめえがこんなところで一人で風呂に入っているのを放っておくわけにも行かねえだろ。待ってるから、早く入ってこい。」
「待っていたらお前が風邪を引く。子供の時のように一緒に入ればいいだろう。背中合わせになっていればいいだけのことだ。その間にお前の死覇装も乾かしてやるから。」
「その鬼道で身体も乾かせばいいじゃねえか。」
「所詮、まがい物の炎だ。水分を飛ばすことはできても、身体を温めることはできぬ。」
話している間にも二人の身体は冷え続け、次第に歯の根も合わなくなってきた。ルキアの言うようにするしかなさそうだ。
ルキアの案内した場所は木に囲まれた岩場になっており、その中心あたりに直径2メートル程の小さな温泉が湧き出していた。
(こんなちっちゃいとこに二人で入るのかよ・・・。)
恋次は狼狽したが、既に骨の髄まで凍り付きそうなほど冷え切っており、今更止めるとも言えない。
ルキアが鬼道で大きな火の玉を作り出すと、まずルキアが後ろを向いている間に恋次が衣服を脱いで周りの木の枝に掛け、温泉に入った。
「こちらを向くなよ。」
ルキアは恋次が湯の中でこちらに背中を向けているのを確認すると、同じように衣類を脱いで木に掛け、恋次に続いて湯に入った。
ちゃぷん、と水音がする。
緩やかに広がってくる波紋が、恋次の心を揺らす。
ルキアはきっと、濡れないように髪を上げているだろう。
今、後ろを向いたら。
手を伸ばせばすぐ届く距離に、雪よりも白く滑らかな、項と背中を見ることができるだろう。
(だめだ、だめだ・・・見ちまったら、止まらなくなる・・・)
恋次は必死の思いで欲望を抑えつけ、振り返るまいと目の前の岩にしがみついた。ただでさえ熱い湯に浸かっているため、どんどん頭に血が上り、ぼうっとしてくる。
互いの息づかいさえ聞こえる距離。一糸纏わぬ姿で、二人きり。
ルキアは何も言わない。
恋次は何も言えない。
しばらくして、再びちゃぷんと水音がした。ルキアが温泉を出る気配がして、やがて衣服を身につけるかさこそという音が聞こえてきた。
ほっとしたようながっかりしたような。
緊張の糸がぷつりと切れ、すっかり頭に血が上っていた恋次は、そのままずるずると湯の中に沈み込んでいった。
・・・・・・頭がひんやりとして心地よい。
ゆっくり瞼を開けると、ルキアが心配そうに覗き込んでいた。
「お前、のぼせて倒れてしまったのだぞ。そんなに熱かったか?」
ルキアは雪で冷やした手ぬぐいを恋次の額に乗せてくれていた。
「あ、もう大丈夫だ・・・。」
言いかけたところで恋次は自分が死覇装を身につけていることに気づいた。無論、下帯もきちんと。恋次は飛び起きた。
「・・・てめえ、俺に服着せたのか?」
「ああ、そうしないと風邪を引くだろう。」
恋次の顔が再び火照った。
自分の身体に自信がないわけではない。筋肉質で引き締まった恋次の体躯を目標とする後輩は大勢いる。普段ならばいっそ見せたいくらいだが、よりによってこんな状況でルキアに裸体を見られたことは堪らなく恥ずかしかった。
「・・・見たのかよ。」
「別に、わざわざ見てはいないぞ。目に入っただけだ。」
「・・・触ったのかよ。」
「触らねば着せられまい。」
「・・・う・・・。」
「のぼせて倒れたのだから、仕方ないではないか。」
真っ赤になって俯いた恋次を見て、ルキアはあきれたように言った。
恋次はそれでもこの状況が恥ずかしくて顔を上げられない。
ルキアにとっては、子供の頃に見慣れた幼馴染みの裸を目にするなど何でもないことなのだろう。それが余計に悔しい。
ルキアは溜息をついた。
「私に身体を見られたことが、それほど恥ずかしいか。わかった。ならば、お前も同じ事をするがいい。そうすればお互い様だろう。」
ルキアは立ち上がり、自分の死覇装に手を掛けた。するり、と迷うことなく帯を解く。
呆然とする恋次の前に、明るい満月を背景にして、あっさりと全てを脱ぎ捨てたルキアの華奢なシルエットが浮かび上がった。
「ば、馬鹿、いきなり何しやがるっ。」
恋次は必死で目を逸らせた。
「さあ、早く着せろ。寒いぞ。」
横柄な口調でルキアは言った。湯上がりでほんのり上気していたその頬が、みるみるうちに青ざめていく。恋次は慌てて、命じられるままにルキアの前に跪いた。
ルキアの輝くような白い裸身を布で大切に包んでいく。すんなりした足に、細い腰に、形の良い臍に、柔らかそうなふくらみに、目を留めぬよう触れぬよう、全力で己を抑制しながら。
困惑して視線を上げると、挑発的な光を湛えた深い紫色の瞳が恋次を見つめていた。恋次はじっとその瞳を見つめ返した。
ルキアに死覇装を着せ終わると、恋次は深く息をついた。
心が決まった。
「ご苦労。帰るぞ。」
歩き出そうとしたルキアを、恋次がふいに抱き上げる。壊れやすい宝物を扱うように丁寧に、しかし決して逃さぬようにしっかりと。
「おい、何をする。放せ。」
逞しい腕の中から、ルキアは些か驚いて恋次の精悍な顔を見上げた。
「雪道を歩くと足が冷える。それに、俺のせいでてめえが風邪を引いたら困るからな。俺ん家でもう一回、風呂に入っていけ。その後、またてめえを見せて貰う。見るだけじゃねえ・・・・・・・・・抱く。てめえが好きだ、ルキア。」
恋次は静かに、しかしきっぱりとした口調で告げ、ひたむきな眼差しをルキアに注いだ。
その眼差しの強さに、激しさに、ルキアの心は震え。口をきくこともできなかった。
帰宅後、自分も温まろうと風呂に入った恋次は、その後のことを想像し、再びのぼせ上がって、素っ裸のまま風呂場で伸びてしまい。結局またもやルキアに身体を拭かれ、下着から何から着せて貰った挙げ句、介抱されることになった。
「俺、もう、お婿に行けねえ・・・。」
「心配するな。私が貰ってやる。」
任せておけ。
恥ずかしさの余りすっぽりと布団に潜り込んで縮こまってしまった恋次を、ルキアはご機嫌な笑顔で励ましてやった。
盛り上がるお祭りに楽しくなって、ついまた駄作を送りつけてしまいました。
幼馴染みと見せかけて、恋次を誘惑するルキアさん。
ぐったりしている恋次に、このあといろいろいたずらするといいと思います(笑)。
「ルキ恋」というと、恋次をヘタレさせることしか思いつかず、皆様のようにかっこいい恋次が書けません。ヘタレた恋次は好きなのですが、ちょっと扱いが酷かったかも。
読んでいただいて、ありがとうございました。
なまぴょん