「……どうしてです.どうしてお前はわかってくれぬのです」
「……」
女の,悲痛な声があたりに満ちる.
少女とも呼べる幼い顔立ちと華奢な身体.しかし,その目には,外見の幼さに似つかわしくない決意と激しさが溢れている.否,幼さゆえの純真さか.
「……わたくしならいつでもこの家を出る覚悟はできております」
「……」
男は,何もしゃべらない.
先ほどから何かに思い悩むように,眉根を寄せたままうつむいている.
「わたくしもお兄様には感謝しております.……しかし,お前がいなくては,わたくしはもう生きてゆけぬのです」
女はそこで言葉を切って,男からの返事を待つ.しかし,相変わらず何も答えぬ男の態度に焦れるようなそぶりを見せ始める.
「今,そちらへ行きます」
女の小柄な身体が跳ねて,男の頑丈な胸の中へと収まる.
「あぁ,恋次……」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「……おい.少しは何か言え」
いきなり女の声色と口調が変わった.それにあわせて,男の,ただでさえよくない顔つきがさらに険悪なものになる.
「どうして俺がガキの小芝居に付き合わなきゃならねぇんだ」
「仕方なかろう.私達が義骸を預けている間にチャッピー達が約束してしまったのだから」
ルキアはベッドの上に放り出された二冊の台本を指差す.一冊は何度も何度も読み返したのだろう,わずかに薄汚れ,読むときにできる紙の皺,台詞があるページに折り目の跡がついている.そしてもう一冊はほぼ手付かずのまま,配られたときと同じだけのきれいさを保っている.
二人揃って死神の姿に戻って虚退治をしている間.
義骸に入っていたチャッピーとギンノスケは,同じく一護の身体に入ったコンと共に学校にいた.間の悪いことに,そこで10月に行われる文化祭の話が出てしまったのだ.
「文化祭って,何だピョン…ではなくて,何ですの?」
チャッピーは目を丸くして一護のクラスメイトたちに問い直す.
「文化祭っていうのはね,学校が学内外の人で溢れるのをこれ幸いと,意中の人を連れ込んで色んなプレイを……がふっ」
千鶴の発言が危ういほうに行きかけたのを,たつきがいつも通りの激しいツッコミ(?)で食い止める.
「文化祭ってのはね,合唱とか展示とか模擬店とかライブとか,まぁとにかく色んなことやってみんなで楽しもうっていうお祭のこと」
「夏休みの間に話し合ってたんだけど,私らは演劇やろうってことになって」
「別にクラスとかは関係ないからさ,特にまだ参加するものきまってないなら一緒にどうかなってみんなで話してたんだ」
「どういうつながりかよく知らないけど,黒崎の知り合いみたいだし」
夏休み,一護たちがいない間に二つ返事でOKしていたコンに視線が集中する.コン自身は「女の子とのラブシーン」「神々の谷間との遭遇」を妄想,もとい期待して参加するという後先考えない行動だったわけだが.
コンは冷や汗を浮かべながら二人を見つめて小声で尋ねる.
「おい,どうすんだよ?」
あまり目立ったことをしてしまえばルキアたちに迷惑がかかる.何かルキア達の評判を落とさないような,うまく断る理由を考えないと……と,チャッピーはギンノスケに目配せした.そういうのはお前の得意分野だろうと視線が語っている.
「面白そうだな,それ.俺達も参加しようニャア…じゃなくて,しようぜ,ルキア」
「なっ!?」
チャッピーは目を白黒させてギンノスケをにらみつけるが,ギンノスケはなんのその.涼しい顔をしている.
ギンノスケの思考としては,計算高いようでいて実は単純明快.
仮に恋次が嫌がったとしよう.こちらの確率の方が高いわけだが,そうなれば自分が恋次の代わりに芝居にでることになる.つまり,ルキアもそして恋次すらも公認で,練習でも本番でもルキアといちゃいちゃvできるわけだ.もしかしたら,あーんなことやこーんなことまでできるかもしれない.
逆に,恋次がやっぱりやるということになれば,口ではいくらぶつぶつ言っていたとしても,ルキアと堂々といちゃいちゃvできるのだ.普段はとても言えない言葉,できない行動まで「芝居」という理由で正当化される.しかも,ルキアに言い寄ってこようとする学校の煩い蝿たちも牽制できるというものだ.参加を言い出した自分のポイントが上がることは間違いない.
すなわち,どっちに転んでもギンノスケに損はないのだ.
ニヤニヤ笑うギンノスケを引っ張って,チャッピーは小声でドスをきかせる.
「お前,何を考えているんだピョン?」
「まぁまぁ.いまひとつクラスになじめていないルキア様がクラスに溶け込むチャンスだニャア.共同作業をするうちに,ルキア様の優しい心遣いと温和な性格がみんなに理解されるに違いないニャア」
ルキアの話を出されるとチャッピーは弱い.心がグラリと傾き始める.
「そ,そんな,ルキア様たちは任務でこちらにいらしているんだピョン.わざわざこんな下賎のものたちと仲良くなる必要なんてないピョン」
「何言ってるんだニャア.どんなときでも,周囲と協調できないと一番の働きなんてできないニャア.それに,舞台に上がればルキア様の可憐さと美しさは学校中で話題になって,あわよくば,全校生徒どころか教師までルキア様の前に跪かせることができるかもしれないニャア」
わが主,ルキア様が学校の女王として君臨する図.チャッピーの頭の中にそんなワンダーワールドがほわ〜んと描かれる.
もちろんそんなこと現実になるわけがないのだが,基礎知識が朽木家仕様にカスタマイズされている上,ルキア第一主義,もとから一般常識がずれてしまっているチャッピーにはその区別がつかない.
そんなこんなで丸め込まれたチャッピーも,結局演劇にでることを承諾してしまった.話を聞いたルキアは最初は驚いたものの,次第にその気になっていき,逆に恋次はどんどんと気分が沈んでいった.
そして,昨日受け取った台本を読むうちに,憂鬱はピークを迎えた.この内容はあり得ない.
(『今から台本に組み込むから,重要な役は割り振れない』んじゃなかったのかよ!)
ギンノスケとチャッピーは,ご丁寧にも裏方ではなく舞台に上がることを希望したらしい.
台本を読み,「見ろ,恋次!私達にもこんなに見せ場があるぞ!脚本を書いてくれた本匠と国枝に感謝だな!」と,俄然,テンションを上げたルキアは,今日いきなり電話をよこして恋次を一護の家に呼びつけ,ついて早々,立ち稽古を始めたのだった.順序がぐちゃぐちゃだ.
「大体,なんで俺がテメーのことを『お嬢様』なんてよばなきゃなんねぇんだ?」
「そういうストーリーなのだから仕方なかろう」
「それに何なんだ,この台本は.15か16の餓鬼が書くような内容じゃねぇよ」
16歳など,自分達から見ればほとんど世間を知らない子供ではないか.
「何を言っておる.現世では女性は16歳になれば結婚できるのだぞ」
「また変な知識ばっかりつけやがって.あぁ,そうか.餓鬼だからこそこんな台詞を恥ずかしげもなく書けるんだな」
「そんな子供のささやかな祭にも付き合えぬとは,つくづく器の小さい男だな」
「忘れてるかもしれねぇけどな,俺達は仕事で現世にきてんだ.そんな祭につきあってられるか」
反論しかけたルキアを制して,恋次は更に言い募る.
「この話は仕舞だ」
「本当にやりたくないのか?」
「当たり前だ」
ルキアがしょぼんと肩を落とす.少しきつく言い過ぎたかと心配になるが,ここでほだされては元の木阿弥.心を鬼にしてルキアに背を向ける.
「…どうしてもお前が嫌だというのなら,芝居に出ることを承諾したお前のソウルキャンディ……ギンノスケに代わりを務めてもらうしかないな」
「は?」
手にいそいそとグローブをはめて,ルキアは何事かと振り返った恋次の顎に強烈な一発を入れた.義骸から飛び出した「本体」を完全無視し,恋次の所持していたギンノスケを口に押し込むと,恋次の顔かたちをしたギンノスケが,目を輝かせながら,がばっと起き上がる.
「ギンノスケ,話は聞いておったか?」
「もちろんですニャア,ルキア様」
「あの通り,恋次では話にならんのだ.お前が相手をしてくれるな?」
「俺でよければ何なりと.どんなことでもいたしますニャア」
「おいおいおいおい」
いきなり義骸から押し出されたショックで頭がフラフラになりながらも,ちゃっかりルキアの両手を取って顔を緩ませているギンノスケをルキアから引き剥がす.いくら自分の顔かたちをしていても,自分と別人には違いない.
「何をする,恋次」
「てめ,いい加減にしろよ」
「それはこっちの台詞だ.やりたくないのなら無理にしろとは言わぬ.だが,それならせめて邪魔をするな」
「ふざけんな」
「……縛道の一,塞」
ルキアの声が冷ややかに響く.それと同時に,恋次の身体をみえない何かが拘束し,妙な方向に固まったまま,まったく身動きがとれなくなってしまう.
「さぁ,練習を再開しよう.ギンノスケ,頼む」
「わかりましたニャア」
「あっ,おい,くそっ」
もがく恋次を尻目に,ルキアは一護のベッドの上に,ギンノスケは壁近くにそれぞれ立って,台本を片手に勝手に稽古に入る.
ルキアは足を肩幅に開き,両手を大げさなほど胸の前にかざしながら台詞をのたまう.どんだけ熱いれてんだ,こいつは.
「……どうしてです.どうしてお前はわかってくれぬのです」
「それは,私も同じこと.……私は旦那様の,あなたのお兄様に雇われる身.あなたと結ばれる道理がございません」
おもわず恋次は白哉の顔を思い浮かべてしまい,ぶーっと吹いてしまう.自分の声でそんな台詞を吐かれてはたまらない.実際に聞いてみると想像以上の破壊力だ.
「……わたくしならいつでもこの家を出る覚悟はできております」
「お嬢様!ご両親亡き後,旦那様はあなた様の健やかな成長のみを願ってここまで導いてくださったのではないですか」
「わたくしもお兄様には感謝しております.……しかし,お前がいなくては,わたくしはもう生きてゆけぬのです」
一度台詞を切って,窓の桟に手をかけるような仕草をみせる.
「今,そちらへ行きます」
「いけません,お嬢様のおみ足が汚れます」
「構いませぬ」
ルキアはベッドからぴょこんと飛び降りると,倒れてもがく恋次の横を無情にも通り過ぎ,ギンノスケの胸に飛び込む.
「あぁ,恋次……」
「お嬢様……」
ルキアの背中に手を回しながら,一瞬浮かんだギンノスケのニヤニヤ笑いを恋次は見逃さなかった.
(あ の ヤ ロ ー !!)
背中を向けているため恋次の表情がいっそう険しくなったことにも気がつかず,ルキアの演技にさらに熱が入る.
「このまま,二人でどこかへ行けたらどんなにいいでしょう」
「それは……叶わぬ夢でございます」
「ではせめて,お前の気持ちをわたくしに教えて」
「そのようなこと……」
「わたくしはお前を愛しています.この世の何にもかえがたいほど.例え何が起ころうとも,例えこの身が朽ちようとも,わたくしの想いは永遠に変わりませぬ」
「お嬢様……私は一生あなたのお側でお仕えいたします.影となり付き従い,あなたに禍を成すすべてのものからお護りいたしましょう」
確か,台本によるとこの後は…….
恋次はうろ覚えの台本のページを繰る.
「恋次……」
「ルキア様……」
首と背中に回される手.
近づく顔.
この後は…….
「うおぉああぁぁっっ!!!」
すさまじい気合とともに,恋次の身体にかけられた縛道がはじけ飛ぶ.
「ご主人!?」
「恋次!?」
恋次は猛然と走り出し,唖然と見つめるギンノスケに体当たりする.その勢いで恋次の本体が義骸の中に納まり,口からソウルキャンディがぽんと飛び出した.
はぁはぁと肩で息をする恋次を複雑な表情で見つめるルキア.
振り返って,ルキアをキッとにらみつける恋次.
「いったいどうしたというのだ」と言おうとしたルキアの唇を,恋次は無言のままふさぐ.1分前までの騒ぎとは正反対の静寂.
酸素を求めて離れようとする唇を執拗に追い続ける.息苦しさが限界に達し,抵抗する力が弱まったところで,恋次はようやくルキアの身体を解放した.酸欠で一瞬ふらついたルキアを支えて,恋次は最後の一言を添える.
「私の気持ち,おわかりいただけたでしょうか,お嬢様」
「恋次……」
顔を真っ赤にさせてルキアは…….
「……接吻は,フリだけでいいのだが」
「は?」
なんだか,期待していたのとは違う言葉がでてきた.
「だから,顔を近づけてそれっぽく見せれば,本当にする必要はないのだと.台本を読まなかったのか?」
「あ,いや,その…」
少なくともギンノスケに途中で止めるような素振りなんてまったくなかった.放っておけば本当にキスしていたに違いない.まったくこいつは,どうしてこう…….
「しかし,結局お前も,本当のところはやってみたかったのだな」
「いや,そんなこと一言も……」
「よし,それではもう一度始めからだ」
「あ,おい,ルキアさーん?」
「さぁ,やるぞ,恋次!」
「…………ダメだ,もう覆せねぇ……」
結局.
ギンノスケの思惑通りに運んでしまった今回の一件.
しかし,完璧に思えたギンノスケの計画にも落とし穴が一点.
「恋次,文化祭のことだがな」
「なんだよ」
「兄様にお話ししたら『その日は私も『偶然』隊務がない.現世に出向いてお前の芝居,鑑賞しよう』とおっしゃってくださったのだ!」
「!!」
「恋次,頑張ろうな!」
「……俺,芝居が終わるまで生きてられるかな……」
「ん?何か言ったか?」
「イエ,別に…」
そして予想通り,幕が下りると同時に桜の花びらが舞い散って,学生たちの歓声を誘ったとか誘わなかったとか(笑).
コミックで見た限り,ギンノスケはもっとずる賢くて,恋次尊敬してなさそうだった(笑)けど,ちょっといい奴に,チャッピーはルキアと兄様以外に容赦なさそうだったけど,ちょっとおバカでギンノスケには敵わないように書いてみました.
文化祭の出し物に演劇とかライブとか書いたけど,今の高校の文化祭はもっとはっちゃけてるのかなー.
最後に,「Sie spielen leidenschaftlich」は「彼女の熱演,彼の熱演」くらいに捉えてください.なお,「spielen」にはお遊び,なんて意味も含まれています.
Regen Tropfen 御陵茶葉