ルキアが部屋に戻ってきたとき,恋次はソファに横になって規則正しい寝息を立てていた.久しぶりに会えたと思ったらこれか,と,ルキアはため息を一つ.ソファの背もたれに身体を向けて寝こけている恋次の顔を上から覗き込んだ.

 「こら,起きぬか,莫迦まゆげ」

 頬を指でつついてみるが,「ん…」と唸るだけで目を覚ましそうにない.このところ忙しかったようだから仕方ないか,とあきらめて,持ってきた硝子のコップを2つ,テーブルの上に静かに並べた.コップの中で透明な液体がたぷんと揺れる.

 しゃがみこんで,さてどうしたものかと無防備に寝姿をさらしている恋次を見つめる.何か上にかけるものを…と思って立ち上がりかけたそのとき,恋次が寝返りをうって,右手と右足がソファの下へと投げ出された.無造作に放り出された脚が肌蹴た着物の裾からのぞく.「まったく,こいつは…」と裾の乱れを直そうとして,ルキアは一瞬どきりとした.

 太い脚.

 視線をつ,と上にずらす.

 硬い筋肉で覆われた腹.
 厚い胸.
 がっしりとした腕.
 骨ばった大きな手.
 喉仏が出張る首.
 精悍な顔.

 (……私を片手で担いだり,瞬歩やあの重そうな斬魄刀を使って戦えるわけだ)

 いつのまに,これ程大きくなったのだろう.
 幼いころは,身長だって大して変わらなかったのに.

 ふと,学生のときに味わった,自分ひとりが置いていかれるような気持ちに襲われて,胸が苦しくなる.

 私は,あのころから何も変わらぬまま.
 ちっとも成長できずにいる.
 今だって,ただこれだけのことで不安でいっぱいだ.

 ソファに腰をかけ,恋次の上にそっと体を横たえる.
 薄い布を通して,恋次の熱が伝わってくる.
 この温かさだけは,昔から少しも変わらない.

 そういえば,小動物は体温が高いとか言うな,などと考えているうちに,目つきが悪く低くうなり声をあげる割りに,気を許した相手にはしっぽをぱたぱた振る赤毛の雑種犬が頭に浮かんできて,ルキアはくすりと笑む.

 胸に頬を当てると,「う…ん……,その鯛焼き,俺んだぞ…」と恋次が寝言をつぶやいた.その内容に,ルキアは思わず噴出してしまう.

 「……いつの間にか図体ばかりでかくなりおって……」

 それでも,一つ一つが切なくて愛おしい.

 西に沈む太陽の光が硝子のコップに反射してきらきら光る.コップに映る自分の顔は仄かに赤い.

 「……これは,きっと夕暮れのせいだから,な」

 ルキアは恋次の鼓動を感じながら,ゆっくりと瞼を閉じた.


 ─────


 わずかな肌寒さを感じて,恋次は目を開けた.
 あたりはすでに夕闇に包まれて,物の輪郭があやふやにしか見えなくなっている.窓の外を見ると,太陽はとっくに沈み,わずかに西の空が薄墨色を宿すのみ.

 「ふぁ…….……寝ちまってたのか」

 起き上がろうとして,ようやく自分の置かれた状況を把握した.自分の体の上に,こう,なんとも言いがたい嬉しい体勢でルキアが眠りこけていた.うつ伏せの状態で無防備に体を自分に密着させたまま,ルキアの肩が規則正しく上下している.

 「こら,起きろよ,お嬢さん」

 頭をなでてみるが,「ん…」と声を漏らしただけで再び静かになった.これはしばらくは起きそうにない.久しぶりに会えたってのに寝ちまって悪かったな,と反省する.

 再び寝転んで,さてどうしようかと無防備に寝姿をさらしているルキアの背に手をやる.同じ姿勢を続けていたせいですっかり身体の筋肉が固まってしまっている.ルキアを起こさないように脚をそぅっと伸ばそうとしたそのとき,ルキアが小さく呻いた.起こしてしまったか,と思ったら,身体の下に重ねていた腕を広げてぎゅっとしがみついてくる.「おい,寝ぼけてんのか?」と言おうとして,腹の辺りから伝わってきた感触に恋次は一瞬動揺した.

 控えめで柔らかな2つの圧力.

 視線を所在無くさまよわせる.

 うっすらと開いた桜色の唇.
 黒髪の間からのぞく項
 細く長い指.
 薄い肩.
 滑らかな稜線を描く腰.
 白い脚.

 (……いつもの死覇装姿じゃこんなにはっきりわからねぇよな)

 いつのまに,こんなに女っぽくなったんだろう.
 ガキのころは一緒に泥にまみれて走り回っていたのに.

 ふと,ルキアと別れたときに味わった己の無力感と,ルキアのことを見守ることのできなかった歳月の重さに苛まれる.

 俺は,あのときよりも強くなれたのか?
 意思は希望であって現実とは別物.
 この前だって,護りたいのに結局血まみれになってぶっ倒れてただけだった.

 天井を仰いで,ルキアの背中をそっと撫ぜる.
 薄い布を通して,ルキアの熱が伝わってくる.
 この温かさだけは,昔から少しも変わらない.

 そういえば,小動物は体温が高いって言うな,などと考えているうちに,凛とすまして誰も寄せ付けない割りに,気を許した相手には甘えてぺろぺろじゃれかかってくる黒い血統書猫が頭に浮かんできて,恋次はふっと笑む.

 髪を一房掬い上げると,「莫迦恋次,それは私のたい焼きだ……」とルキアが寝言をつぶやいた.その内容に,「夢の中でまで莫迦呼ばわりかよ」と突っ込みつつも,「もしかして同じ夢見てんのか?」と口元が緩んでしまう.

 「……いつの間にか見かけばっかり色っぽくなりやがって」

 それでも,その存在すべてが大切で愛おしい.

 天頂に上る月の光が硝子のコップに差し込んできらきら踊る.コップに映りこむ星の光が銀色に瞬き,眠る少女の瞼の下を思わせた.

 「……こんな姿をさらすの,俺の前だけにしろよ」

 恋次はルキアの鼓動を感じながら,ゆっくりと瞼を閉じた.




 





カンナさまとその作品「温もり」に捧げます.


 カンナさまの絵を見て思わず指が動いてしまいましたv
 雰囲気を壊していないことを願います…….



RegenTropfen   御陵茶葉