メールの着信を知らせる音楽にケータイを取り出して確認すると、恐らくそうだろうと思っていた通りそれはマキからのメールだった。早速メールを開くと、たった一行「今日、空いてる?」、それだけの文章にマキらしいと苦笑する。
「空いてる」
負けずに素気ないメールを送ると、すぐに返事が来た。
「いつもの場所、部屋は503」
「すぐ行く」
メールを返して、俺はケータイを閉じた。
よく考えてみれば、マキと知り合ってまだ間もない。夏の暑い日、向こうから声をかけてきたのが出逢ったきっかけだ。
『この辺りでお酒のおいしいお店、知らない?』
それがマキの最初の一言だった。ミニのタイトスカートに、盛り上がった形のよい胸がはっきりとわかるノースリーブの白いシャツ。細いチェーンのベルトを二重に巻いて、すらりとした足の爪先は、ヒールの高いミュールに包まれていた。
一見して頭が良いとわかる、知的な美人。
それが俺の、マキへの第一印象だ。
そのままなんとなく一緒に店に行き食事をして、ごく自然に二人はホテルへと向かっていた。
事の終わったベッドの中で、マキは最初から俺に目をつけていたと言った。最初からこうなる事が目的だったと。クールな美人にそう言われ、俺は満更でもない気分だった。
それから何度となく会い、そのたびにセックスをした。その一見冷たそうな美貌から想像できないほど、マキはセックスに、快楽に貪欲で、興味を持った事は片っ端から手を出していく。今までオーソドックスなセックスしか経験した事のない俺は、マキとの刺激的な関係に我ながら驚くほど溺れていった。
外でのセックスも体験した。満員電車の中で互いに触れた時は興奮し、周りを忘れてマキの中に挿れたくなる自分を抑えるのが大変だった。マキを縛る事もしたし、マキにヒールで踏まれた時はそれだけでイキそうになった。
今日はどんな事をしようか。
すっかりマキに魅せられている俺は、いつも二人が使うホテルの503号室に急いだ。
ホテルといってもそこはいわゆる普通のシティホテルではなく、俺達のように身体を合わせるのが目的な男女が過ごす場所だ。
俺は既に見慣れた入り口から真直ぐマキの待つ503号室に向かう。
ノックをすると直ぐにマキがドアを開けた。驚いた事に、制服―――何処かの学校のような制服を着ている。
「おいおい、何だその格好」
「ふふふ、結構似合うでしょう?」
部屋の中央でマキはくるりと廻って見せた。ひらりと短いスカートが翻って、形のいい足が際どい所まで露わになる。
「私もまだまだいけると思うけど。どう?」
「いけるどころか―――まんまジョシコーセーだぜ。驚いた」
年齢にしてはきめ細かな白い肌、張りのある美しい身体のマキは、その制服を着ている限り、とても大学生には見えなかった。化粧をいつもより薄くしているせいもあって、誰が見ても本物の女子高生だと思うだろう。
「で?今日はコスプレか?」
「そう。でもそれだけじゃつまらないから……イメクラね。設定は『女子高生を金で買った男』。どう?」
「ふーん」
「これはもう使わないから、破くなり何なりお好きなように」
「無理矢理ってのもいいな」
「ちゃんとやってくれなきゃ燃えないわ。頼んだわよ、台詞はアドリブでね」
「へーへー」
「じゃ、お風呂どうぞ。私はもうシャワー浴びちゃったわ」
「ああ」
奥の風呂場で身体を洗いながら、俺はこの後のお楽しみに胸が弾む。俺とマキはいつも変わった趣向で身体を重ねる。今日で何度目だろうか、その度に違うセックスは、別の女としているようでいつも新鮮だ。
迅速に身体を洗った俺は、早々に風呂場を後にした。備え付けのガウンに身を包んで、マキの待つベッドに向かう。
「待たせたな」
声をかけると、マキは「あの……」と小さな声を出した。
「ごめんなさい、やっぱり私……」
「あぁ?」
「出来ません、ごめんなさい」
それはマキらしくなく、初心な少女のように震えながら言葉をたどたどしく発する。
もう芝居は始まっているらしい。
「何言ってんだ、金だってもう払ってんじゃねーか。ふざけた事言ってんじゃねえぞ?」
「ごめんなさい、お金はお返しします。出来ません、私には…無理だったんです」
「ざけんなよ?」
低い声にマキの身体はびくっと跳ねた。迫真の演技だ。それでこそそそられる。
「こっちはもうその気なんだよ、ここまで来といて『出来ません』なんざ冗談じゃねえ。ほら、脱げよ」
「や……っ!」
本気で抵抗し始めた。俺の中で、今まで感じた事の無い破壊的な感情が沸きあがる。俺はマキの制服の襟元を掴むと、遠慮なく引き裂いた。ビリビリ、と大きな音がこだまする。
「………っ!いや、いやあっ!」
「うるせえ、黙れ」
軽く頬を叩くと、マキは怯えたように動かなくなった。それでも抵抗するように固く閉じた身体を、無理矢理押さえつける。
「やめて、やめて……」
懇願する様子に、俺は本当にその気になって、後はもう何も喋らずにマキの身体を征服していった。
「……どう?よかったでしょ」
事の後、マキは猫のように身体を伸ばして俺を見て笑った。
「ああ、えらい興奮した。マキの演技が迫真だったからかな」
「あなたの演技も上手かったわよ?ありがと、楽しかったわ」
俺は時計を見る。そろそろ行かなきゃならない時間だ。
「俺は行くけど、マキはどうする?」
「あら、予定があるの?」
「ああ、会社の送別会」
「その短い空き時間にヤリに来るなんてね。呆れた性欲だわ」
「お互い様だろ。で、どうするんだよ?」
「私はもう少し……。眠ってから行くわ。ここは払うから、気にしないでどうぞ」
「じゃあな、また」
「ええ、また」
9月に入って、それでも陽射しは夏の勢いを持ったままだ。
あれから新しいプロジェクトの一員になって、忙しいままマキに連絡も出来ずに日が経っている。マキも忙しいのか、携帯には何の連絡も入ってこなかった。
「……君」
突然課長に呼ばれて顔を上げた。やけに気難しい顔をしている。
何か失敗をしたかと焦ったが、そんな記憶は無い。
「はい、なんですか?」
「社長がお呼びだ。社長室へ来るように、との事だ」
はあ、と返事をして俺は立ち上がる。社長?今まで直接離したことなんて無い。それが一体なんだって?大抜擢でもされるのか?
第2応接室に向かうため廊下に出ると、課長も後ろをついてくる。
そのまま共に社長室に入ってくると、課長は鍵を閉めた。
なんなんだ?
社長室には、当然ながら社長がいる。それに専務、部長。
ここは大手の会社じゃないが、それなりの数の役員がいる。その役員すべてがそろっている。
落ち着かないまま、促されてソファに座る。上質の皮の手触りも、とても堪能する余裕などなかった。
「今朝、営業課の佐々木君が、入り口で学生からこれを渡された」
専務がそう言って茶色い封筒を取り出した。うちの社名が入った封筒だ。A4サイズの封筒。俺もいつも持ち歩いているから間違いようが無い。
「中に入っていたのはこれだ。見覚えはあるかね?」
何の変哲も無い、真っ黒な四角い……ビデオテープ。見覚えがあるも無いも、日本に住んでいる人間は、赤ん坊でもない限りみんな知っているだろう。俺は曖昧に首を振って返答を避けた。
「これを渡した学生は、うちの社の封筒だからとわざわざ届けてくれたようだ。受取った佐々木君は、誰の物か調べるためにこれを再生した」
専務はテレビに近付くと、ビデオデッキにその黒いテープを入れた。再生を押す。
ちらちらしたノイズの後、唐突に画面が現れた。
「な……っ!」
見慣れた部屋。
『ごめんなさい、やっぱり私……』
聞きなれた声。
『ああ?』
紛れもない自分の声。
『出来ません、ごめんなさい』
『何言ってんだ、金だってもう払ってんじゃねーか。ふざけた事言ってんじゃねえぞ?』
『ごめんなさい、お金はお返しします。出来ません、私には…無理だったんです』
『ざけんなよ?こっちはもうその気なんだよ、ここまで来といて『出来ません』なんざ冗談じゃねえ。ほら、脱げよ』
『いやあっ!』
引き裂かれる制服。そのまま押し倒す。抵抗する身体を押さえつけ、……映像は続く。
「な、なんだ、これ……?」
「なんだじゃないだろう、これは君だね?」
「いや、でも……」
混乱。何故これがビデオになっている?何故これがここにある?
「つまり君は、金で女子高生を買って、しかも無理矢理性交渉をし、尚且つそれをビデオに撮っていたという訳だ」
「ち、違います!それはマキが……」
「マキ?誰だね、それは」
「そのビデオに映ってる女です!そいつがビデオを撮ってたんだ、それしか考えられない!」
「馬鹿かね、君は。どこの少女がそんな事をするんだ」
「俺は何もしていません!これはマキが言い出したことなんです、俺は何もしていないっ!」
焦燥にかられて絶叫したが、誰も信じていないのはその目を見れば明らかだ。
蔑みきった目。塵でも見るような視線。
「……警察には知らせん、こんな事が社外に漏れたら一大事だ」
社長は立ち上がって、初めて言葉を発した。
「とりあえず部署へ戻れ。処分は追って知らせる」
俺はただ呆然とするしかなかった。
机に戻った俺は、既にこの事が社内中に広まっている事を知った。
自分を見つめる視線。かといって俺と目が合うと、汚い物を見たようにさっと視線をそらす。
何故、何故、何故。
混乱したままの俺の身体に、携帯の振動が伝わってきた。
無意識に携帯電話を取り出して画面を見る。
……マキ!
「もしもしっ!」
『おはよ、元気?』
「ふざけんな!一体なんだ、あのビデオはっ!!」
『あら、もう知ったのね。良かった、ちょっと心配だったのよね、上までちゃんと行くか』
電話から聞こえる声は、いつものマキの声だ。楽しげに、少し皮肉気な。
「お前一体何が目的だ?!」
『ん?まだ解からないの?……これが目的。あんたを破滅させる事』
あっさりと言われて俺は絶句する。
「……何でだよ?俺が何したっていうんだよ?」
『んー、そうねえ。……私、セックスの下手な男って許せないのよねえ。だから、かな』
くすくすと笑う声。それを俺は呆然と突っ立ったまま聞く。
「ふざけんな!くそ、後悔させてやるぞ、絶対許さねえ!」
『いいけどー、具体的に何する気?』
再び笑い声。今度は明らかに嘲笑。
『あなた、私の何を知ってる?住所?名前?私の何を知ってるの?私を見つける事が出来るならどうぞ見つけてみてよ』
何も知らない。
マキと言う名前、携帯番号。ただそれだけしか知らない。
『じゃあね、もう二度と会う事はないけど。もう少しセックス上手になんなさいよね』
それきり電話は沈黙したまま、俺は指が白くなるほど強く電話を掴んで立ち尽くしていた。
「……何?」
「んー?総仕上げ、ってやつ」
千鶴はぱちんと電話を折りたたむとくすりと笑った。鈴はちらりとそれを見ると、
「……いい加減にしておきなさいよ、何も自分の身体を使う事無いじゃない」
「別にー?嫌いじゃないもの、セックスは」
けろっと答える千鶴に、鈴は小さく溜息をついて読みかけの本を閉じた。
「で?結局なんでわざわざそいつの社会的信用を落としたの?あんたに関係の無い人間でしょうに」
「……たつき」
「ま、あんたが切れるったらそれしかないわよね。その男、たつきに何したのよ?」
「たつきを車で撥ねた」
「……夏の?インハイの日の?」
「そう。あいつ、携帯で話してたんだってよ?それでたつきが見えなかったって。ふざけんじゃないわ」
たつき自身から聞いた話だ。腕を包帯で吊っているたつきを見たとき、悔しくて仕方が無かった。何故私はその場にいなかったのだろう。その場にいたのなら、そいつを二度と車に乗れないような身体にしてやったのに。
そして、たつきの家に行ったとき、たつきを見舞っている男に偶然会った。会社の封筒を小脇に抱え、図々しくもたつきの前に顔を出した男。
その時から始まった事だ。
封筒の会社名から会社の所在地を割り出し、その前で張って、男を探し出した。
夏休み中だったから、毎日出掛ける事も造作なかった。
学生に見られないように服装に気をつけ、携帯電話も闇ルートで手に入れて、名前も偽名で。
すべて、罠を仕掛けるために。
そして奴は見事に罠にかかった。
「たつきを傷つける奴は絶対に許さない」
言い切る千鶴に、鈴は何も言わない。
止めないのは、その想いの強さを知っているから。
何の見返りも必要としていない、ただ一方的な愛情。相手にそれを知られる事なく、千鶴はたつきを想う。
救われないのはあんたも同じよ、と心で告げる。
けれども、千鶴ならばこういうだろう。
「私はそれで構わない」
と。
何の気負いも無く。
心のままに。
それが千鶴の真実だから。
だから鈴は何も言わないのだ。
「……それにしても、何よ『マキ』って。どっから出した名前?」
「ふふふ。千の鶴と来たらそりゃあ万の亀、でしょう」
「……寒いわよ」
「そお?結構気に入ってたんだけど」
千鶴は笑うと、窓際の織姫とたつきに目を向ける。
日の光を浴びて明るく笑う二人がいる。
千鶴は小さく微笑むと、鈴の閉じた本を広げて読み始めた。
お色気初、恋ルキ以外!
当初から書く予定の話しでした。
14巻でたつきをはねた人物についてチラッと出てましたが、その時既に書き始めてたんだよー(笑)
犯人像は違っちゃいましたけど、大目に見てくださいな(笑)
2004.12.4 司城さくら