目を開けると、窓から差し込む朝の光が穏やかに部屋の中へ差し込んでいる。
自分を抱きしめる腕の暖かさと強さに、だからこんなに安心して眠れたのだとルキアは思う。
恋次の腕の中で、包まれるように。
「起きたか」
「ん」
ぎゅ、と抱きしめると、髪に恋次の唇が触れたのが解った。
「いつから起きてた?」
「一時間前」
「そんなに?起こせ、莫迦」
ずっと無防備な寝顔を見られていたのかと思うと不安になる。妙な事を言ったりしてないだろうか。
「いや、勿体無くてよ。起こしたらお仕舞いじゃねーか、この体勢」
身体を重ねた事はあっても、同じ寝台で朝を迎える事は今までなかった―――そう気付いてルキアは小さく笑う。
まるで子供のようだ。
「身体は如何だ?風邪引いてねえか」
「ん?ああ、大丈夫だ。―――そろそろ起きるか」
するりと恋次の腕の中から抜け出し、起き上がろうとしたルキアの腕を恋次が掴んだ。そのまままた布団に引き戻される。
「わ!……こら、ちょっと……朝から何をしてる、うわっ」
「いや、ずっと寝顔見てるうちに……悪ぃな」
「悪いと思うならするな、莫迦!朝だぞ、ちょっと待てったら!明るい……っ」
ルキアの言葉に耳を貸さず、恋次はルキアを抱きしめその肌に唇で触れる。
「ば、莫迦!明るいったら!恥ずかしいっ!やだ見るな!」
ルキアの抵抗も、本気では嫌がっていないと解る所為だろう、恋次は愛撫を止める事無く唇でルキアの抗議を塞いで、ルキアの動きを止めてしまう。
眩しい朝の光の中、羞恥の想いもすぐに恋次の与える刺激に流され、ルキアは恋次に翻弄される。
「―――莫迦っ!」
耳元でルキアが怒鳴りつけたのは、全て事が終わってから。
「今日は兄様にお会いして浮竹隊長にお会いして―――色々やることがあったのにっ」
「悪ぃ」
「全然そんな事思ってないくせにっ」
「いや本当に悪いって思ってるって」
「もういいっ。さっさと風呂入って来い、莫迦恋次!」
「一緒に……」
言いかけて返って来たルキアの目付きのあまりの鋭さに、恋次は何も言えずすごすごと一人風呂場へと向かう。
その恋次の後姿を眺め、風呂場の扉が開き、そして閉まる音がしてから、ルキアは寝台から起き出し―――恋次の伝令神機を手に取った。
もう一度風呂場を伺い、恋次の様子を確認してから、ひとつ息を吸うと、ルキアは伝令神機の蓋を開く。
ルキアの視界から外れた途端、恋次のその表情は一変し―――その面に浮かぶのは、冷たい無表情に変わる。
この後、ルキアがどのような行動を取るのかはまだわからない……けれど、恋次は自分の採る道を決めていた。
ルキアがこのまま何も言わずに普通の生活に戻る道を選ぶにしろ、男の罪を曝け出す道を選ぶにしろ。
自分の採る道は―――決めた。
男を殺す。
他の誰かに、この件を知られる前に―――殺す。
朽木家を慮り、何もなかった事として日々を送るのだとしたら―――再びルキアが襲われるとも限らない。そして、その男とすれ違う日常を―――耐えていかなくてはならない、一生。
男の罪を明らかにすれば、ルキアは周囲から好奇の目を向けられるだろう―――同情と証した好奇の目で。そして何度も事情を聞かれ―――あの、思い出したくもないだろう出来事を何度も口にしなければならなくなる。
どちらも―――許す事など出来る訳がない。
ルキアは護る―――必ず、この手で護る。
誰かがこの件を耳にする前に―――ルキアが誰かにこの件を明らかにする前に―――男を殺す。
恐らく自分は罪に問われるだろう。
周りから見れば、突然理由もなく斬りかかることになるのだから。
そう、理由は言わない。
何故男を殺したのか、その理由は決して口にしない。
男を殺して自分が罪に問われ……この件は闇に葬る。
この殺意は、ルキアに気付かれてはならない。
「出たぞ」
部屋を覗くと、ルキアはまだ布団の中に潜り込んだままだった。
「どうした?」
「いや。何でもない」
上体を起こし、身に纏うものを探しながらルキアはいまだ何も身に纏っていない恋次を見上げ「こら、何か着ろ!風邪を引くだろう」と赤くなった。
「何赤くなってんだよ?」
「うるさい!それより私の着物!」
「いいじゃねーか、そのまま風呂場行けば。ほら」
「ばっ……」
ひょい、と抱き上げられルキアの顔は更に赤くなる。きっと触れたのなら火が出るほどの熱さだろう。
「離せ莫迦!下ろせ莫迦!」
「今下ろすと丸見えだぞ」
「……っ!」
「いや、さっき全部見たけど」
「………っっ!!」
恋次の首に回された両腕に力が込められた。
「ぐえ」
「いいか、風呂場の前に来たら私を下ろして、その時は目を瞑るのだぞ、わかったな!」
「へいへい」
言われた通り目を瞑って風呂場の前で下ろすと、ルキアは急いで中に入ったようだ。扉の閉まる大きな音が目の前でする。
「……恋次」
「あ?」
「この後……付き合って欲しい場所がある」
硝子戸の向こうに、背中を見せているルキアの姿があった。
「どうするか―――決めた。でも、ひとりでは―――やっぱり怖い。一緒に来てくれないか」
声が微かに震えている……けれど、その意志は強く。
「ああ」
「……ありがとう」
ルキアの姿が、浴室に消える。
恋次は拳を握り締めた。
前を歩くルキアは、何も言わない。
緊張しているのだろう、若しくは震える身体を必死に押さえているのか。その表情は硬く、青白い。
何処へ、と恋次は聞かなかった。
ただルキアの後ろを護るように歩く。
やがて道が見慣れたものとなり、ルキアの行く先が六番隊だと気付いて―――恋次の表情が変わる。
―――六番隊の男か。
自分の部下―――なのか。
ルキアを襲い、そしてそいつは―――何食わぬ顔でここで自分と隊長と顔を合わせていたというのか。
殺気が溢れそうになり、恋次は唇を噛み締めた。
前を歩くルキアに、気付かれてはならない。
六番隊隊舎に着いた。
その隊舎に入り、ルキアは廊下を歩く。緊張した面持ちで左右を見渡している―――その男の姿を探しているのだろう。今の時間は、ほぼ全ての死神たちは自分の所属する班の部屋で打ち合わせをしているはずだ。
扉を開け、中を見遣るルキアに、六番隊の隊員達は不思議そうな顔をし、会釈をする。そして背後の恋次に気付き、一様に皆納得したような表情を浮かべ、己の職務に戻る。恋次が付いているということで、自分たちには知らされていない仕事の一環だと思ったのだろう。
三つ目の部屋を開けた時―――何気なく顔を上げた男の動きが、ルキアの姿を見て凍りついた。
その、ルキアを凝視し、恋次を見詰めるその男の瞳に浮かぶ紛れもない怯え、恐怖の色に、恋次は瞬時に理解した。
―――こいつか!
右手が―――柄に伸びる。
無表情で斬魄刀を引き抜こうとした恋次の手を、暖かな手が止めた。
やわらかく―――有無を言わせず。
「駄目だ、恋次」
首を振るルキアの背後で、机が倒れる大きな音が響く―――唖然とする同僚達の視線を気にする余裕もなく、男が窓から逃げ出すのが見えた。
形振り構わず男は必死に逃げ出していく―――恋次の殺気をまともに浴び、顔面を蒼白にしながら。
「手前―――!」
「大丈夫だ―――奴は逃げられない」
静かにルキアが言った次の瞬間、隊舎の庭を走る男の両脇に、不意に人影が現れた。そして前後にまた二人―――男を取り囲むように。
そして、また。
小柄な体躯―――白い羽織を身に纏った一人の女性が、男の前に立ち塞がる。
その出現を予測していたのだろう、頭を下げるルキアに、隠密機動総司令官、刑軍統括軍団長の名を持つ砕蜂は頷く。
無表情な刑軍の男達に四方を固められ青くなり震える男の顔に、あの時の強者の、弱者を踏みにじるあの愉悦に醜く歪んだ顔はない―――憐れなまでに、怯え、震えたその顔。
男の後を追い、窓から庭へと飛び降りたルキアと恋次の前で、男は―――震えていた。
ルキアが男に視線を向けた。真正面から男の目を見る。
視線が人を攻撃する物理的な力を持っていたならば、一瞬で切り裂いていただろう強さで男を睨みつけていた恋次は、ルキアの、斬魄刀を抑える為に自分に触れている手が微かに震えている事に気が付いた。
それでも、そんな様子は表情に出さず、あくまで平静に、ルキアは男に対峙する。
「―――私は穢れても汚されても堕ちてもいない。お前のした事は、自身を穢し汚し、お前自身の手で自ら堕ちた、それだけのことだ」
真直ぐに、強い意志を込めてルキアは男の目を射抜く。
罪を、暴く。
男の犯した卑劣な行為を―――男に自覚させるために。
「私は、お前如きの存在で何一つ変わることはない」
取るに足らない―――卑小な存在。
そう真正面から己を評価され―――男は項垂れた。
自らの手で自分自身の過去、現在、未来の全てを踏みにじり貶めた男を冷たく見据え、部下に向かって「連れて行け!」と短く、男への嫌悪を隠そうとせずに砕蜂は命じた。
その命令は即座に実行され、男は悲鳴を上げる間もなく、一瞬でこの場から消え去った。
この場に残ったのは、砕蜂と恋次とルキア―――ただ三人のみ。
「あの男の身柄は刑軍の監視下に置く。今後、奴の犯した罪の重さに相当する罰が奴自身に下るだろう」
淡々とそう告げる砕蜂の言葉に、恋次はあの男が自分の手の届かない場所に行った事に唇を咬む。
何故、ルキアは止めたのか。
あの男―――今、呼吸をしていることが許せない。
殺すつもりだった。
一瞬で、刹那に。
ルキアが止めなければ―――あの男は今、身体が二つに分かれ奴自身の血で地面を染めていただろう。
ルキアの手は、斬魄刀を引き抜こうとした恋次の右手に触れたままだ。
感情の見せない砕蜂が、そんなルキアを見て、僅かに表情を和らげる。
「―――お主の行為に感謝する。よくぞ告発してくれた。その行動に敬意を表する―――また、この件に関して一切の秘密を守る事を私の名に於いて誓おう」
ちらりと傍らの恋次に視線を走らせ、砕蜂は無言で恋次に命じる。
支え、護れと。
そしてその小柄な身体は、部下の後を追ってその場から消え去った。
「…………すまなかったな」
恋次の手の上に載せた手を離して、ルキアは言った。
「お前が風呂に入っている間に、刑軍へ……連絡した。まさか、砕蜂殿自ら出向いてくださるとは思わなかったが……」
ルキアは恋次の、いまだ斬魄刀にかけた手を見つめ、もう一度恋次の手に触れた。そっと恋次の手を斬魄刀から引き離す。
「お前を犯罪者にするわけにはいかないのだ。……お前は、私の傍にいてもらわねばならん」
恋次の想いは判っていた。……恋次ならば、絶対にあの男を斬るだろうという事は。
そして、恐らく他人に事が知れる前に男を斬るつもりだという事も。
起きてすぐに自分を抱いたのは、身体を重ねるのはこれで最後になるとの覚悟だったのだろう。
抱かれながら気付いていた。恋次はそうして自分を護るつもりなのだと。
男を斬る事、それが自分を傷つけたものに対しての報復行為だと、そしてそれが自分への愛情のためだと、また恋次自身の独占慾からくる利己的なもののためだとも解っていた。
「自分のものを傷つけられた」怒り。
……他の者は、それをどう思うだろう。人を所有物と見なしていると、怒る者もいるだろうか。
けれど―――とルキアは思う。
自分は嬉しいと、そう思う。
自分の全てが、恋次に受け入れられていると。
愛されているのだと―――護られているのだと、思えるから。
だから、ルキアは恋次を止めた。
傍にいて欲しいから―――恋次があの男を斬り捨てれば、その背後にどんな事情があろうとも罪は問われるだろう。
恋次が刑軍に拘束されるのを阻止するために、だからルキアは恋次を止めた。
それも、―――利己的なものなのだろう。
傍にいて欲しいから。
傍に……いたいから。
「―――殺すつもりだった」
「ああ」
「あの野郎が今生きてる事が堪らねえ」
「ああ。―――でも」
恋次を抱きしめ、その胸に顔を埋めルキアは言う。
「私はそれよりも、お前が私の傍から離れる方が―――堪らないよ」
あの男の与えた傷は、まだ完全には塞がっていない。
これからも夜中に飛び起きる事があるだろう。あの時のことを思い出し、恐怖に震えることもあるだろう。
けれど、その時には……必ず横に恋次がいる。
必ず恋次が―――抱きしめてくれるだろう。
「私の傍にいるだろう?」
過去は変えられない。
起きてしまった事実は消す事ができない。
それでも。
それでも―――やり直せる。
幼いときから、共に想い出を作り上げてきた。
喜びも哀しみも、全て二人で作り上げてきたこの記憶。
数え切れないほどの想い出。
幾つもの記憶を重ねて、今、二人はここに居る。
出来る筈。
もう一度最初から。
何故なら、―――共に歩く未来を望んでいるのだから。
「私のそばにいるだろう?永遠」
ふたりに終わりはないと信じているから。
「お前のそばにいる。永遠」
抱きしめる暖かさと、抱きしめられる暖かさ。
変わらない想い。
揺るぎない想い。
それを確かめ合って―――二人は抱き合う。
倖せだと―――心から想いながら。
end
ええと、お待たせしましたー(びくびく)司城ですこんばんは!
ようやくアップできました、更新されているかと何度も足を運んでくださった方、本当にすみませんでした…。
今回の話は、「HOUSE HOLD」の前田さんからのリクエストです。
リクをいただいたのは確かLIBIDO第一弾を更新した後でした。メールでの会話で、「私の書くのはルキアが襲われそうになって恋次がギリギリで助ける話が多い」と言うような事を私が書いた気がします…(このやり取りをした携帯電話は機種変更をしてしまったため行方不明…家の中のどっかにあるんですけど)LIBIDOの「絲遊」でそんなシーンを書いていたのでこんな話になったと思うのですが。
その時に前田さんから、実際そういう事件に巻き込まれた女性の彼氏は、心の何処かで女性を責めるという話を聞きまして…「隙を見せたお前が悪い」とかですね。むかっ!
それで前田さんから、「ルキアがその犯罪の被害者になって、悩みながらも乗り越えていく二人の話」「恋次の愛情は揺るがない話」をリクエストいただきました。…確か四月に。遅っ!!遅すぎだよ私っ!半年以上掛かってるじゃないか…
作中、話の展開上ルキアは「汚れた」「穢された」と言ってますが、私はそうは思いません。そんなことはないと思うっ。愚劣なのはそういうことをする男であって、被害にあった人はそんな風に自分を責める事はないと思います!そんな女性に「お前が隙を見せるから」なんていう恋人はこっちから捨ててやれ。かーッ!!
という訳で、普段から散々お世話になってます前田さんへのプレゼント用に書き始めたのですが、長い…長いよこれ…こんな長いの送りつけたらちょっとした嫌がらせだわ!いや送りつけたけど!!(笑)9ページ分、メールでテキストファイル添付で送りつけました…私だったら激怒してます、「嫌がらせか!?」って(笑)
心広く許してくださった前田さんに感謝。
余談ですが、最後の二人の台詞、「永遠」は「ずっと」と読んでください。
ルビ振れたらいいのになあ。
それでは、どんなご感想をもたれたか不安ですが…最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝!
2006.12.19 司城さくら