「おーっす元気か猫男!」
 あからさまな嫌がらせ目的のその来訪に、恋次は手にした書類から目を上げて厭そうな視線を向けた。
「にゃんの用ですか檜佐木先輩」
「決まってんだろ、冷やかしだよ冷やかし」
 恋次の机の前にある来客用の椅子に勝手に腰掛けながら、修兵はにやにやと笑った。その笑顔に恋次の顔は更に厭そうな表情を浮かべる。
「お前の猫ッぷりを笑いに来てやったぞ」
「あのにゃあ、あんた人の不幸をにゃんだと思って」
「うわははははは!気持ち悪ぃ!野郎が『にゃ』とか言いやがって、うわー寒ッ!」
「……(怒)」
「いらっしゃいませ、檜佐木副隊長」
 とん、と机にお茶を置いて理吉が笑う。それへは「お、悪ぃな」と人の良い笑顔を向け、檜佐木は「笑いすぎて喉乾いたぜ」と早速手を伸ばした。
「……ん?」
「どうしました?」
「いや、何か美味ぇな、このお茶」
「そうでしょう?隊長の味覚に合うように、いい茶葉使ってるんですよ。隊員たちにも評判は良くて。もう一杯いかがですか?」
「ああ、貰えるか」
「どうぞどうぞ」
 にこにこと会話を交わす修兵と理吉の横で、恋次は二人を無視して書類に目を通している。その恋次に気がついて、修兵は自分がここに来た目的を思い出した。
「で、どうだ猫男。周りの反応は」
「…………」
「こら手前先輩を無視する気か?ああ?」
「……先輩にゃら先輩らしく後輩を心配したらどうにゃんですか」
「お!『先輩』と『心配』、韻を踏むなんてやるじゃねえか」
「…………」
「お前、後輩ってのはな、先輩にいじられる運命なんだよ。後輩をいびらなくいて何が先輩か!」
「……ホントにいい性格してますにゃ」
「で、嬢ちゃんの方はどうなんだよ?あの最強兵器は」
「最強兵器言うにゃ!」
「いやあ、可愛いよな、ついつい俺の理性も飛びそうだぜ」
「ルキアに手を出したらいくら先輩でも殺すにゃ!」
「でもよ、お前いつまでその猫語が続くかわかんねーだろ?その間何もナニが出来なかったら嬢ちゃんも欲求不満になるだろーが」
「にゃりませんっ!っつかにゃんですかそのセクハラ!!」
「大丈夫、指だけでイかすから。まともに嬢ちゃんとヤったら俺もお前みてえに猫男まっしぐらだからな。猫語話して周囲の奴らの失笑買いたくねーからな、みっともねえ」
「黙れ歩く性欲魔人!ルキアの半径100m以内に近寄るにゃ!それにさりげにゃくみっともねえ言いやがったにゃ、ちくしょー!!」
「さー、さっさと帰って猫と遊ぼうかな。首輪買ってな、鎖で繋いでよ?で、身体中触りまくってにゃんにゃん言わせてやろう。ちっこい猫だからな、抵抗しても押さえつければ簡単だし」
「て、手前……っ!!」
「何怒ってんだよ?猫の話だろーが、猫の」
 大人の会話に、初心な理吉は顔を赤くして困ったように余所を向いてる。その理吉に向かって「なあ?」と笑いかけると、修兵は立ち上がった。昼休みもそろそろ終わる時刻だ。
「じゃーな猫男。昼休みまで仕事とはご苦労なこって。まあ仕方ねーか、外に出られねーもんな、恥ずかしくてよ」
「ルキアに近付いたら殺すにゃ!!」
「はいはい、嬢ちゃんには近付かねーよ、猫には餌やりに行くけどな。俺のうまか棒とか俺のカルピスとか」
「この下ネタ野郎!!ルキアには絶対近づけさせ」
 怒鳴る恋次の言葉の途中で修兵は扉を閉めた。扉に遮られた向こうで恋次が何かを喚いている。にゃーにゃー怒鳴るその声が面白くて、修兵は更に笑い転げた。
「さて、後輩苛めも堪能したし、そろそろ仕事に戻るかな」
 満足げに呟いて、修兵は九番隊隊舎へと鼻歌を歌いながら帰っていった。
 ……その後に待ち受ける不幸を知らず。





 突然の六番隊副隊長の来訪に、応対した九番隊のその隊員は首を傾げながら副隊長室へと案内した。日頃の気さくな六番隊副隊長が、今日は何も一言も口にせず、手に何故か水筒を抱えて「檜佐木副隊長に会いたい」と書かれたメモを見せた時は、正直、自分の隊の副隊長と重大な諍いがあったのかとも思ったが、そうでもないらしい。
 副隊長室の扉を叩いても、中からは何の返事もない。戸惑っていると六番隊副隊長が身体を押し退けて勝手に執務室へと入っていった。
「……どうしたのかな?」
 無言の副隊長たちに首を傾げつつ、そろそろ副隊長会議の時間なんだけどな、と時間を気にする九番隊隊員だった。





「失礼するにゃ」
 その声に、机の上に突っ伏していた修兵の肩がびくっと震えた。次いで、凄い勢いで顔を上げる修兵へ、恋次はにやりと笑いかけた。
「今日、にゃぜか六番隊の隊員ほぼ全員が突然Cウィルスに感染したにゃ。それでだにゃ、その原因を調べたらにゃ、うちの給水塔にウィルスが投げ込まれているのがわかったにゃ」
「…………」
「その水を使った茶を飲んだ隊員は全員感染。ただにゃ、あと一人、うちの茶を飲んだ奴がいたにゃ」
 勝ち誇った笑顔で、恋次は言う。
「……感染してますにゃ?」
「……ち、畜生!!にゃんで俺が……!!」
「にゃはははははは!!!ざまぁ見るにゃ、人を笑い物にした罰にゃ!!自業自得にゃ!!」
「くそう手前恋次覚えてろにゃ!!畜生ふざけんにゃ!!にゃんで俺がこんにゃ奇天烈なもんに感染しにゃくちゃいけねーんだ!!」
「似合ってますにゃ先輩。」
「うるせえ黙れヘタレ野郎!大体にゃにしに来やがった!!」
「そりゃあ先輩の見舞いに決まってるじゃにゃいですか。猫語をはにゃす先輩が心配で心配で」
「くそ……っ!!」
「先輩、阿散井くん……!?」
 突然乱入した第三者の声に、恋次と修兵はばっと背後の扉を振り返った。そこに立ち尽くす顔色の悪い線の細い同僚の姿を見つけ、二人は同時に「勝手に入ってくるにゃ!!」と罵声を浴びせた。
「にゃ!?にゃって一体、何……それ……」
 副隊長会議に向かう途中、恋次の姿を見かけたイヅルは一緒に行こうと恋次の後を追いかけ、九番隊に入った恋次と檜佐木修兵と共に会議室へと向かおうと誘うことにしたイヅルは、最初の衝撃が過ぎた後、当然の事ながら。
「な、なにそれ君達……!」
 爆笑した。
 イヅルのキャラクターからは想像できないほど。
 身を二つに折って爆笑している。痙攣しているように、呼吸すらも儘ならず、イヅルは涙を流して大笑いしていた。
「な、なに、酷い、聞くに堪えない、『にゃ』って、『にゃ』って……恥ずかしい、なんだいそれ……!!」
 笑い続けるイヅルを冷たく見据え、恋次は「先輩」と話しかける。
「今ここに、水筒があるにゃ」
「そうだにゃ、水筒だにゃ」
「中には先程回収した、給水等の水があるにゃ」
「分析するために回収したんだにゃ」
「そうにゃ、そして分析は終了した今、この余った水は廃棄が決まってるにゃ」
「そうだにゃ、廃棄が妥当だにゃ」
「という訳でだにゃ、廃棄したいと思うにゃ」
「お主も悪よにょう」
「お代官さま程では御座いませんにゃ」
 にゅふふふ、と目を見交わして二人は笑うと、次の瞬間、恋次はイヅルの背後に回りこみ後ろから羽交い絞めにした。「え!?」と驚くイヅルの目の前に、小さな杯に水を満たした修兵の笑顔がある。
「笑いすぎて喉が渇いたにゃ?」
「え?え?」
「さ、遠慮にゃく飲め。美味いぞ、特製の水だからにゃ!」
「な、なんですかそのあからさまに怪しい話の持って行き方!」
「うるせえ飲みやがれテメエ!口開けろ口ぃ!!さっさとするにゃ!!」
 身の危険を感じて、口を貝のように閉ざすイヅルの鼻を容赦なく修兵は掴んで空気の供給を止める。程なく、耐え切れずに口を開いたイヅルの口内へ修兵は杯の水を流し込んだ。
「う……わ!」
 反射的に飲み込んでしまい、イヅルは咳き込んだ。時既に遅く、透明な液体はするりとイヅルの胃の中へと落ちていく。
「な、なんですか、今の!?なに飲ませたんですか今!?」
「水だにゃ」
「ああ、水だにゃ」
 蒼褪めるイヅルを見遣り、二人はにやりと笑いあった。







「遅いぞ!会議に遅刻するとは何事だ!」
 一番隊副隊長、雀部の叱責に、恋次と修兵とイヅルは無言で頭を下げた。
 副隊長会議が始まって既に30分。揃って遅刻したこの三人に、生真面目な雀部は眼鏡を光らせきつく睨みつける。
「いくら尸魂界が平穏になったからと言って、隊の見本となる君たちがそんな風に弛んでいては困る。この件は君たちの隊長に報告するからそのつもりで」
 三人は無言で頭を下げる。
「遅れた理由を言いなさい。議事録に記入しなくてはならない」
 厳しく言葉を投げ掛ける雀部を見つめ、それでも三人は何も喋らない。業を煮やした雀部がもう一度口を開こうとしたその時、三人は口を揃えていった。
「「「……気分が悪くにゃって休んでおりましたにゃ」」」
「……………」
 茫然とするその場の副隊長たち。
 次いで。
 予想通り。
 哀しいほど、三人が想像した通りに。


    爆   笑   。
 

「な、何だ君たち……!?」
「気持ち悪ぃなあんたたち」
「な、何で檜佐木君と吉良君まで……!?」
「どうしちゃったの……?先輩、吉良君、何があったの?」
「な、なんじゃお前ら!!」
「……気持ち悪いわ、何なの一体」
「檜佐木、イヅル……あんたたち恋次と何したのよ?え、もしかしてあんたたちってそういう関係なの?爛れてるわね……」
「なになにそれー!!やちるも!やちるもなりたーい!!ずるいよ三人だけで遊んじゃってさあ!!」
「…………」


 方々から浴びせられる嘲笑に、三人はもう一度「すみませんでしたにゃ」と頭を下げる。その言葉に再び起こる笑いの渦に、三人は無言で部屋を出て行った。止めることも出来ずに笑い続ける副隊長達の前に、再び三人は現れる。
 手に、それぞれ盆と茶器を持って。
「遅くにゃってしまって本当に申し訳御座いませんにゃ」
「お詫びの印と言ってはにゃんですが」
「美味しいお茶が手に入りましたので、皆様に振舞わせていただきたいですにゃ」
「みにゃさまの喉も乾いたと思いますし」
「茶葉はうちの隊長のお墨付きの高級茶葉ですにゃ」
「お茶を淹れるのは、僕昔から得意にゃのできっと美味しいと思いますにゃ」
 そして「どうぞですにゃ」と三人が配った美しい緑のお茶を、副隊長たちは笑いすぎて乾ききった喉を潤すために一息で飲み干し……
 




 一時間後。





 副隊長会議は阿鼻叫喚の坩堝と化した。