「隊長、これにハンコお願いしますにゃ」
 その恋次の言葉に、吹き出しそうになるのを必死で堪えて、けれど耐えられずに笑い顔になったのを自覚して、理吉は慌てて下を向いた。
 そんな理吉の行動は、周囲の反応に敏感になっている恋次には全く意味を為さず、普段からあまり温和とは言えない、はっきり言えば悪人面の恋次の顔は更に凶悪さを帯びて理吉をぎろりと睨み付ける。その、子供が見たら泣き出すこと間違いない顔で恋次は言う。
「にゃんだよ理吉?言いたい事があるにゃら言いやがれこの野郎」
「いっいえ別に何も」
「ああ?じゃあにゃんで下向いて笑ってるんだコラ。手前の机ににゃにか笑えるもんがあるっていうんだにゃ、見せてみろにゃ」
「理吉に八つ当たりするな恋次」
 こちらはどんな事が目の前で起きてもまるで平静な、六番隊隊長の静かな声が恋次にかけられた。その上司の言葉に、恋次は舌打ちしてふんと理吉から視線を逸らす。理吉はほっとしたように身体の力を抜き、再び笑いを噛み殺した。
 恋次がCウィルスに感染して2日経つ。昨日感染した恋次は、上司との軽い(?)スキンシップの後、自身の現状のあまりの衝撃に真白になり自我を崩壊させかけたが、診察を終えた恋人の「私のせいだにゃ」という悲しそうな一言に一気に覚醒し、「そんなことねーよ、お前のせいじゃねぇ、変な事考えるな」と優しく抱き寄せた。しかし実際には「そんにゃことねーよ、お前のせいじゃねぇ、変にゃ事考えるにゃ」と変換されていたので、せっかくのいい雰囲気もぶち壊され、恋次の腕の中の恋人もたまらず笑い転げ、恋次は憮然としたのだが。
 その時にその場にいた上司に、恋次はこの症状が収まるまでの休暇を願い出た。こんな状態で人前に出る事など考えられず、周りも不気味がるだろうから、この希望は当然すんなり通るだろうと思っていた恋次の思惑とは裏腹に、かえってきた上司の返事は「否」だった。
「そんな理由で仕事を休むなど許さぬ」
「そんにゃ理由って、隊長!!俺に恥を晒せっつーんですかにゃっ!!」
「天罰だ」
「にゅにゅ……っ」
「ルキアを穢した報いだ。休む事は許さぬ」
「……っ」
 心配そうに見上げる腕の中の恋人に(その状態が更に上司の怒りの火に油……どころかガソリンを注いでいることに気付いてはいたが)安心させるように微笑みかけ、心の内で「ま、喋らなきゃいいことだしな」と諦めの溜め息を吐く恋次に、
「一言も喋らないつもりだろうがそうはいかぬぞ」
 という氷のような言葉が恋次を貫いた。
「仕事を疎かにする事は許さぬ。普段通りの仕事をせよ」
 あからさまな白哉の嫌がらせに、恋次は唸り声を上げたが、それすらも「うにゅにゅにゅにゅ」という声にしかならなかった。
 そして現在、時刻は午後の14時。既に恋次の猫語については、六番隊全員の知る所となっていた。ご丁寧に今朝、予定もなかったのに白哉は六番隊全員参加の集会を開いたのだ。集会時は恋次が進行役を務めるのは恒例の事で、哀れ恋次はその場で全員に己の身に起きた不幸を自ら暴露する事となった。
「あの、少しお休みしませんか?オレ、何か茶菓子買って来ますから」
 その場の空気に居たたまれなくなった理吉が取りなすようにそう提案すると、恋次はひとつ深呼吸をしてから頷いた。確かに今のは八つ当たりだと反省したのだ。
「……悪かったにゃ、理吉」
「いえ、オレも失礼な態度をとってしまって……すみません恋次さん」
「いや、お前は悪くねーよ。……じゃ、買い出し頼んでいいか、にやん」
「もちろん」
「俺は鯛焼きを4個にゃ。隊長はどうするにゃ?」
 声をかけたが白哉の返事はない。傍目には無表情に書類を眺めているように見えるだろうが、この時彼は脳内で緋真の猫語を想像しているだけだった。それは先日来、白哉の脳裏を支配している猫な妻の姿だった。緋真が草葉の陰でどう思っているかは全くわからないけれど。
 返事のない白哉に、恋次と理吉は顔を見合わせ、もういちど恋次は「隊長?」と声をかける。
「隊長?隊長はどうするにゃ」
 その問いかけにようやく気付いて白哉は顔を上げた。いつもの如く無表情で、恋次を見る。

「にゃんだ、恋次」

 雷が身体を貫通したかのような衝撃。
 剣八が子供の頭を撫でているのを目撃したような衝撃。
 マユリが罠にかかった動物を介抱し森へ放してやったのを目撃したような衝撃。
 卯ノ花隊長が笑顔で揺さぶりをかけるのを目撃してしまった衝撃!(これだけは実際によくあることなのだが、これは何度見ても恐ろしい)

「た、隊長?今にゃんて」
「い、今隊長、猫語使いませんでしたか?」
 茫然と白哉を見守る二人の前で、白哉は不機嫌そうに眉を顰めた。その動じない態度に、恋次と理吉は再び顔を見合わせ笑う。
「にゃはははは、まさかにゃ。隊長がそんにゃ事言うわけにゃいにゃん」
「そうですよね、あー吃驚した。恋次さんの猫語が耳に残ってたのかな」
「さっきからにゃにを言ってるのだ、くだらぬにゃ」


「……………………………………………………」


 時が止まる。
 音も止まる。
 

「た、隊長!!!にゃんで感染してるにゃ!!」
「ど、どうしたんですか隊長!!!」
 白哉は何も言わずに立ち上がった。ただ無言で斬魄刀を引き抜き、一気に恋次の喉元に突きつけた!
「貴様……」
「にゃにするんですか隊長っ!」
「貴様だにゃ。逆恨みにゃどでこんにゃことをするとは……そんにゃ男はこの尸魂界にはいらにゅ」
「俺じゃにゃいですよ!理吉!理吉、隊長を落ち着かせるにゃ!!」
 喉もとの斬魄刀で身動きできない恋次は、視線だけを理吉に動かして必死に懇願した。未だ衝撃から立ち直っていなかった理吉は、はっと我に返り、白哉と恋次の間に身を滑り込ませる。
「隊長、恋次さんがそんにゃことする筈にゃいじゃにゃいですか、ってうにゃあああ!!にゃんでオレまで!?」
 再び衝撃。
「ほら隊長、理吉が感染してるじゃにゃいですか!これは誰かの陰謀ですにゃ!」
「煩い、お前以外考えられにゅ。よくもこんにゃことを……」
「恋次さん、恋次さん、どうしたらいいんですか、にゃん!」
「……ちょっと隊長、何処行く気ですにゃ」
「私は暫く休む故、後の事はお前が指揮を取るにゃ」
「きったねえ!!俺にはこんにゃことで仕事休むにゃって言ったじゃにゃいですか!!」
「黙れ、此処では私が法にゃ」
「帰しませんにゃ!!絶対帰さにゃいからな!!!」
 帰ろうとする白哉を背後から羽交い絞めにして、恋次は必死で引き止めた。白哉は「にゃにをするはにゃせ!」と凄まじい霊圧を噴出させたが、恋次も負けずに「ひとりだけ逃げることはいくら隊長でもゆるさにゃいにゃ!!」と睨み返す。
 三人は気付いていなかった。
 その喧騒の中、ルキアが満面の笑顔で「恋次、兄様!症状が治まりました!!」と六番隊隊長室に飛び込んで来ていたことを。
 その猫語な男達を、茫然と入口で見ていたことを。
「…………そ、そんな……そんなこと…………っ!!」
 目を見開き、その大きな瞳からぽろぽろと透明な涙が零れ落ちる。
 はっとルキアに気付いた三人は、その涙に一瞬口を閉じる。故に、小さなルキアの声は、三人全員の耳にはっきりと届いていた。
「そんな、恋次と兄様がそんな関係だったなんて……!!男性同士愛し合う場合もあるとは知っていたけど、まさか恋次と兄様が……っ」
「「違うにゃああああああああ!!!」」 
 恋次と白哉の、魂からの叫び声が六番隊の中に響き渡った……のだが、その絶叫は目立つことはなかった。
 何故なら、六番隊のあちこちから、「にゃんだこれは―――っ!!」という、一斉にCウィルスに感染したほぼ全ての隊員たちの絶叫が響き渡っていたからなのだった。



 猫語。
 それは逆らいがたい誘惑の力を持つ。
 六番隊の中にひとり、ある男がいる。
 その男はある同僚の女性を、心の底から愛していた。
 彼女の猫語な姿を見たかった。どうしても。
 けれど、「飲んでくれないか」などと言える関係にはなっていない。
 遠くからただひっそりと見つめる毎日だったのだから。
 それでも、どうしても彼女の「にゃ」と言う姿を見たかった。
 愛は、人を時に暴挙に走らせる。
 ―――男のした行動は。
 六番隊の給水塔に、多量のCウィルスを投げ込んだことだった。
 誰がしたかわからぬよう。
 誰もが感染するよう。
 お茶好きの白哉の口に合うよう六番隊のお茶は最高級故に、昼食時に必ず六番隊全員が口にする、その無料のお茶にCウィルスが入り込むように。
 そして彼の念願は叶い―――。






 六番隊は、全員がCウィルスに感染した。








 それから3日間、六番隊の誰もが言葉を口にすることはなかった。
 しかし、初日の六番隊全員の絶叫を聞いていた他の隊の隊員からその六番隊に起きた悲劇はしっかりと他の者に伝えられ……六番隊は暫くの間、「猫屋敷」と呼ばれたという。




 

 




猫語に感染したのは私じゃねえのか!?と思うほど、一気に書いたおまけ編1。
拍手で「兄様の猫語を見たい」と書いて下さった方がいたのでそれに便乗させていただきました。
兄様の「にゃんだ恋次」、使わせていただきました!ありがとうございますv


2007.3.8 日記UP
2007.3.9 ノベル収納