深いコトは考えぬ

浅いコトもよく解らぬ

この音色を聴いてごらん

胸の琴線を震わすは

あの人の爪と牙か

あの人の微笑する口付けか

命の次に色恋か

色恋の次に命か

恋が命か

命が恋か

恋を燃すため命があるか?

この胸内に流るる血潮が奏で

お前に とくと きかせるだろうよ




  ELEMENTS









「…恋次、……夜そっちに行けば闇に食べられる、って、先生達が」

世界から打ち捨てられた幼子達の拠所は、

それ自体が捨てられた玩具のように古びていて

孤児達を守るには、ひどく頼りない風情を辺りに撒き散らしていた。

ギシ、ギシと、死期の近さを思わせる老齢な音を響かせ、

生きていく先の道の恐ろしさを、いやおうなく

子守唄の代わりに夜毎、子供達に聴かせていた。

「しぃ…。静かにしてな。他の奴らが目を覚ます」


廊下の突き当たりの階段下に

子供二人がようやく入れる空間がある。

スルリと恋次が先に入り、手招きしてルキアを誘う。

恋次が手招く先には、いつも楽しい事が両手を広げ

ルキアを迎えてくれる、と、決まっている。

バラリバラリと残酷な音をたてて堕ちていく流星群。

罪の滴る月、その溜息から、透明な毒が蒸留し立ち昇る様。

禁色の羽鳥達に喰い千切られる花々の断片の断末。

しゃらしゃらと崩れ逝く虹の砂が生む惨劇。

淡水色の空に浮かぶ朧雲の、その隙間に隠れる鬼の影。

ルキアは恋次の視線や指し示す指先の向こうに

地球が碧い絹にくるまれて夢見がちに漂い廻るのを見た。

いつでも恋次が、ルキアの前に世界を運んでくる。

「螺旋だ。星も風も海も空も螺旋を描く。生き物も」

恋次の後に続いてルキアがその空間に入ると、

氷のように、ひっそりと正方形の窓がポツリと

そこに嵌め込まれていた。

差し込む月と星の波に照らされた恋次の顔を見ると、

その視線は窓の外の、孤独な一本の外灯をじっと見つめていた。

外灯の周りに、大きな羽根を広げた、うっすらと青味を帯びた白い蛾が

ザワザワと二匹、はためいていた。

「らせん?」

「よく見てな。あいつら、螺旋状に昇っていくから」

ルキアは耳の近くに、恋次の息遣いを暖かく感じながら

くるくると外灯の周りを舞って、上へ上へと飛んでいく二匹の蛾を眺めた。

「あ」

ルキアが声を上げるより早く、

チリリと音をたてて一匹の蛾の羽が白熱灯の熱にほころんだ。

きっと近くで見ていたなら

焦げた匂いがするに違いないとルキアは思った。

「まだ続きがある」

恋次が言う通り、

二匹目の蛾が同じくして熱に身をやいた。

先に羽が破れた蛾は、しばらくバタバタと白熱灯に

その体を叩き付けていたものの、

ついにパタリとアスファルトの上に墜ちた。

その骸に二匹目の蛾もサワと重なって

命が二つ、どこかへ消えたとルキアにも解った。

「死んじゃったよ、恋次」

「羽虫ってのは、あんな風に自分から明るい処へ向かって飛んでいくんだ」

「死んじゃった」

「ああ」

「触れなければいいのに」

「触れたいんだろ」

「死んでも?」

「そうなんじゃねぇの?」

「熱いのに。痛いのに。羽もボロボロ」

「それでも、触りたいんだろ」

その身を滅ぼしても求める光の先に、

羽虫たちはどんな夢を夢見るのだろう。どんな望みを?どんな幸福を。

彼らにとって、命は二の次なのだろうか?

命より大切なもの?

そんなもの、この世にあるだろうか。

ルキアは、息で窓硝子を曇らせても気付かないくらいに

二つの骸について思考を廻らせた。

けれど幼い彼女に解ることは一つも無いのだった。

そこで恋次がひとつ、あくびをする。

そろそろ夜も重く濃い色を落とし、死の棺を運び始めた。

今夜の棺には、青白くて大きな羽の、蛾の命が二つ。

「恋次、眠い?」

「うん…、ああ、眠いんだけどよ、
寝ようとすると、眠れないんだ。だから、いつも眠い。眠いんだけど、寝れねぇ」

ルキアは恋次の喋り方を言葉遊びみたいだと笑った。

それから、つと正座をつくると恋次の体を引き寄せ、

自分の膝枕を半ば強引に、幼馴染の寝床にしてしまった。

「恋次、わたし、こもりうた知ってるんだ」

わ、うわ、と、先に抵抗をしたものの、

ルキアの唐突な言に恋次は拍子抜けてしまって、抗う力を、すいと失くした。

ルキアの痩せた足は、それでも少女特有の儚げな感触を恋次に伝えて、

どくん、と恋次の胸の奥が血を流した。

ルキアが何か歌っているのに、

自分の胸の奥から押し寄せる得体の知れない音の方が大きくて、

恋次はそれを聞かれまいと咳払いをした。





待てど 暮らせど 来ぬ人を

宵待草のやるせなさ

今宵は月も出ぬそうな



ルキアの幼い声で謳う恋歌は、夜をクスリと笑わせた。

それをきっかけに、ズルリズルリと死神が黒い深みから手をのばし

恋次の意識をひとときの死へ導く。

「恋次?」

恋次の意識は無明の場所へ安らかに連れ去られた。

その恋次の抜殻を抱いて、

ルキアは自分が羽織っていた上着を恋次にかけてやると、

母のように

姉のように

かたわれのように微笑んだ。