冷静というよりは静寂が彼の体を包み込み
浮世の全てから彼は隔絶されていた。


ルキアの処刑は滞りなく行われた。
目を痛ませる強い光と炎熱は
ルキアの華奢な体を一瞬で微塵に粉砕した。
ただ小さな小指だけが逝き遅れて
炎の吐き出す灼熱の風に吹き飛ばされ
双極の崖下に広がる荒野へ落ちていった。

恋次は、ピクリとも動かず
ルキアの欠片が落ちていくのを見ていた。
その彼の上に
焼かれた霊体の残骸である、薄紫の灰が
頼りない雲のように降り落ちては、時折、
風に煽られ舞いあがった。

「莫迦な恋次…」

昨夜のルキアの言霊が
己の耳に繰り返されるは
自らが望んで、そうしているのか
彼女が今も恋人に囁いているのか
夢のように過ぎていった夜の情景と共に
それは幾度もサヤサヤと。

処刑の儀式が終わると
恋次は双極の膝元の地へ降りていった。
ほどなくして
不思議な程すんなりと
恋人の小指を見つけ、拾い上げて
そのまま午後の仕事に戻った。

ふと冷酷な夜の気配が窓から滑り込み、
恋次の肌を、ひんやりと撫ぜた。
仕事は殆ど終えてしまって
それでもボンヤリと
書き終えた書類の山を前にしたまま
既に何時間も経っていた。

「莫迦な恋次。極囚の女を抱いても何の慰みにもならぬ…。
  つまらない過去を作るな。なあ?副隊長殿」

ルキアの皮肉は、恋次を諭す為のものに駆使されていた。
お前は輝かしい場所に在るのだから。
私は罪人であり、関わることを避けるべき者なのだから、と。

「見苦しい傷にしかならぬ」

そんなルキアの想いなど
恋次には幼子の懇願にしか映らない。

「もう見るな」

涙声で心を押し殺し

「さあ、もう行ってくれ。私に触れてはならぬ。手を放せ…恋次」

恋次、と最後に放った名前の、
悲痛な響きの中にも情愛が深く息づいていることを
その場にいてその声を聞いたものならば
誰しも悟れるほど、それは甘い痛みに満ちていた。

恋次は、己の命はルキアと出会う為に在ったのではないかと、
今では思っている。
戌吊で出会う為に現世において死に至り
共に在る為にこの冥界で生きぬいてきた。


「ふざけんな。俺の命を握ってやがるくせに」

恋次の言葉にルキアは伏せていた眼差しをあげた。

「俺はお前が思うほど前向きな男じゃねぇんだよ」

ルキアの襟首を、乱暴に掴みあげ
自分へと引き寄せた。
地球が月を我侭な引力で決して放さぬように
恋次の力は容赦なかった。
飢えた牙をちらつかせ、赤く光る恋次の瞳は
ルキアを圧倒し有無を言わせなかった。

「ガキん時、俺の命を繋いだのはテメェだ。

 テメェを守る為に俺はこの世界で生き抜くことを観念した。

 でなければ、なんで、こんなクソみてぇな世界に執着するかよ。

 どんな光がある?

 …ルキア。

 俺には、まっとうな意識なんて、はなから有りゃしねんだよ。

 お前がいなけりゃ、このクソつまんねぇ世界ごとに喧嘩売って

 とっくにのたれ死にしてんだよ。

 俺の死神としての将来を心配してくだすって、ありがてーよ、まったく。

 けどな、俺の…俺がここで生きてく理由の方は、どうなんだ?

 俺の心を持って逝くお前を、なあ、どうやって

 どうやって引き止めればいいんだ

 どうすれば届くんだ

 なんで逝っちまうんだ、ルキア

 あの時お前をさらっていれば

 お前を奪っていれば

 俺は、俺の命を失くさずにすんだのか」

恋次の声が掠れて聞き取れなくなった。
込みあがる嗚咽を飲み下そうとして
恋次は唇をかみ締め、何も喋れなくなった。
ルキアは恋次の髪を梳き
白く小さな小指に絡む、赤い髪の幾筋かを眺めた。

「私の命、それ自体がお前の命か?」

「テメェの命の次に、俺だ」

ルキアの口角が僅かに上がった。
恋の次に自分の命か、
まったくお前の名の意味するところは、それなのか。

「呆れて物も言えぬ」

そう呟くルキアの声には慈悲の柔らかさが含まれていて
恋次はそれで全て許されたような気がした。
ルキアが観念したように、恋次の首に腕を回す。
恋次は確信を得て
ルキアの囚人服を脱がし始めた。
真白の衣は花嫁衣裳の薄絹のように冷たく、
熱に浮かされ始めた二人の肌にそれは優しかった。

ルキアは一粒二粒と
絶え間なく涙を零した。
恋次に抱かれながら
もう早々と
走馬灯を流れ見ていた。
幼い恋次の
あれやこれやを。
さては明日、処刑される際には、
もう走馬灯を見ることは無いだろう、とルキアは思った。
魂の行く末は、夢見るかも知れぬが、と。













恋次はルキアの小指を再び眺めた。
白い小指に、柔らかく口付ける。
ルキア、と昨晩何度も睦言の中で繰り返し呼んだ名前を再び呟いた。
すると、小指がピクリと動いた気がしたので
恋次はじっと、それを凝視した。
期待に似た想いを孕みながら。
すると、なめらかな肌の上に、
糸のように細く赤い傷が走っていることに気付いた。

「恋次」

傷だと思ったソレは、己の髪の幾筋かで
ルキアの小指にひっそりと絡んでいた。
ルキアの声が聞こえたのと、
小指が戯れるようにスルスルと恋次の髪を絡め取ったのは、
ほぼ同時であった。

小指はいつの間にか華奢な手となり、ほっそりとした腕が連なり、
恋次が顔を上げた時には、目前にルキアが佇んでいた。
恋次に手を取られながら、じっとコチラを見ている。
ルキアの姿は完全体ではなかった。
火葬の最中のように、所々が焼け落ちていた。
紫の瞳は片方しか無かった。
それでも、恋次は、その姿を愛しげに眺めた。












新しい風が生まれて、朝の靄を払う頃。
机に臥して動かない恋次の霊体があった。
そこに魂は、もう宿ってはいない。