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 いつも一緒に居る人とは、何処か似てくるものなのよ。
 そうかしら。……そんな事はあり得ないわ。だって全く別の者なのよ?
 でもね、雰囲気とか……外見も似てくるものなの、何年も一緒に居るとね。
 姉さんが言うなら……そうかもしれないわね。それに……
 どうしたの、アリス?
 ずっと一緒に居れば似てくるなら――私もいつか、姉さんのようになれるかもしれない、のね。




 そこで目が覚めた。
 ああ、と溜息を吐きながら両目を手で覆う。
 唐突に目覚めてしまった故の倦怠感と、夢の余韻に重くなりながら。
 最近は見ることの少なくなった姉さんの夢。私のコンプレックス。
 ずっとそばに居て姉のようになれるのならば、皆が姉の傍に居たがるだろう。それほど何もかもが完璧な姉。
 そして私は姉のようになりたかった。
 いつからか諦めてしまったけれど。
 姉の居る世界――二度と戻れない現実世界。
 この世界を選んだ事に後悔がないと言えば嘘になるが、それでもここ最近は姉を思い出すことは少なくなっていた。この世界に順応し、毎日慌ただしく騒がしく時を過ごす――今日もその一日が始まる。
 夢の余韻を振り切るように一度大きく伸びをし――腕に触れた柔らかな感触に首を傾げ、寝台の横の壁に取り付けられた小さな鏡に目を向ける。
 そして私は――絶叫した。




「アリスっ!? どうしましたアリス!? 何があったんですか、無事ですかっ!?」
 瞬時に駆けつける、既にきっちりといつもの目に痛い赤いチェックのスーツを着たペーター=ホワイトが部屋へと飛び込んできた。その手にピンクの銃を握り締めて。
「アリス……っ? ああ、無事ですか、吃驚しました……如何しましたか? 怖い夢を見ましたか、愛しい人」
「どっ……如何したもこうしたもないわよっ! あんたこの私の頭を見て何とも思わないの!?」
 ペーターが私を見た。私、というよりも私の顔のやや上方を。
「素敵です……とても可愛いです。よく似合っていますよ、アリス」
 ペーターの目がとろけるように細くなる。危険はないと納得した所為か、手の中の銃は大きな懐中時計へと姿を変えた。
 そのうっとりしたペーターを、私はきっと睨みつける。
「あんた……人の事雑菌雑菌言っておきながら、あんたの方が雑菌持ってたんじゃないの! 何よこの現象っ!?」
「僕は綺麗好きのウサギさんですよ? 雑菌なんて持ってません。あなたと違って」
「私だって持ってないわよ失礼ね!!!」
 ペーターがくすりと笑いながら寝台の横に立つ。「大丈夫、落ち着いて下さいアリス」と耳元に囁かれて私はびくっと身を震わせた。
「玩具ですよ。触ってみてください」
 ペーターの手が私の手を取って頭を触れさせる。その手に触れたのは細いカチューシャ……それに繋がったふわふわとした感触。
「大体そんな菌がある訳ないじゃないですか。寝惚けていたんですね、そんなあなたも可愛いですよ……ああ、それとも」
 ペーターの手が私の髪をかき上げてうなじに触れる。そこにある筈の紅い痕を私は知っている。
「昨夜は――少し激しすぎて疲れましたか?」
 耳元で囁かれて鳥肌が立つ。嫌悪ではなくその真逆の感覚で。
 そして脳裏にフィードバックする昨夜の。
「でも、僕にしがみつくあなたはとても……」
「言わなくていいのよそんな事はっ!」
 夜の行為の記憶の反芻を朝の光の中で聞くほど居たたまれない事はない。ぎゃーと叫んで耳を(うさぎ耳じゃない本当の耳を)両手で塞いだ私に、ペーターは残念そうに「ああ、こっちが本当の耳になればいいのに」と淋しそうに呟いた。
「カチューシャも興醒めですよね。もっとリアルに作らせなくては。安心してください、今度はもっと本物みたいに――」
「ってあんたが付けたのね変態ウサギっ!!」
 躊躇なく眼前のウサギ男の顔面に平手を叩きつける。高い音と共に正真正銘のウサギ男の顔は勢いよく横に振れた。





「ちょっと取りなさいよ、これ!」
 ぐいぐいと引っ張るがウサギ耳のカチューシャはどんな魔法を使ったのか私の頭から外れない。四苦八苦しているとペーターはしれっと「それ、自然にだったらあと5時間帯は取れませんよ?」と忠告した。
「自然に……ってことはあんたならすぐに取れるって訳ね?」
「その通りです」
 にこにこと微笑むウサギの横面をもう一度張り飛ばしたい欲求をなんとか宥めて、私はにっこりとペーターを見る。
「外してくれるかしら、ペーター?」
「僕がそんなことする訳ないじゃないですか?」
 ペーターもにっこりと微笑み返す。
「だってこんなに可愛いのに」
「私にこういう趣味はないのっ!」
 今日はビバルディのお茶会があるのだ。この頭を理由に欠席したいがそんな事をしたらビバルディは罪もない兵士さんたちの首をはねまくるのは目に見えているので、何が何でも出席しなくてはならない。
「早く外しなさい、ペーター!」
「厭ですよ、折角お揃いなのに」
 ペーターが寝台の上に膝を付く。ぎしりとマットが沈む。覆い被さるように私を見下ろしながら、ペーターは「それとも」と甘く――低く囁いた。
 目の前の赤い瞳がいつもよりも深い色に光る。
 口調は優しく、でもその瞳に浮かぶのは何処か危険な色。
「僕とお揃いは厭ですか? 僕がお願いしても?」
「…………………あんただって私がお揃いにしてって言ったら厭でしょ」
 論点がずれているのは解っている。ペーターの耳はカチューシャとは違う。本物なのだ、取り外せるものじゃない。
「良いですよ?」
 あっさりとペーターは言う。
「あなたがどうしてもというのなら構いません。切りますか?」
 魔法のようにペーターは内ポケットからナイフを取り出した。躊躇いなく白い耳の付け根に当てる。
 以前にもあった、同じ出来事。
 そしてその時とペーターの行動は変わらない。
 躊躇うことなく、――私の希望通りにしようと、躊躇なく。
「ちょ……っ! わかった、付けるから! お揃いにするから! 厭じゃないから! だからやめなさい、そんなことするの!」
 慌てて私はペーターの手を掴んで引き止める。恐ろしい事に既にペーターはナイフを走らせていたようで、綺麗な純白の毛が赤く染まっている。
「嬉しいです、アリス」
 再び、とろけるような声がする。
「愛してますよ、アリス」
 ペーターの唇が私に触れる。何度も交わした、これからも何度も交わす事になる口付け。
「……って、ちょっとあんた……っ」
「だってあなたがあんまり可愛いから」
 仕方ないですよね、とウサギが囁く。くすくすと笑いながら。
 手袋をはめたままの手が私の胸に触れる。昨日の余韻が身体を駆け抜ける。
「―――――仕方なくないわよ色惚けウサギっ!!」
 今度は拳でウサギ男の顔面を殴る。容赦なく体重を乗せたその拳に「今日も素晴らしい破壊力です、アリス……v」とペーターは吹き飛びながらそう言った。





「で、今に至る訳じゃな」
「目障りでしょう? ごめんなさい……」
 子供ならばまだしも、私くらいの女がこんなうさぎ耳をつけて現れれば、常識ある大人の者なら眉を潜めるだろう。しかもビバルディは女王なのだ。その女王陛下の前にこんなふざけた格好で現れるなど非常識なことこの上ない。
「いや? 愛らしいぞ、アリス。このまま部屋に持ち帰りたい程じゃ」
「…………………」
 ビバルディに常識はなかった。
 頬を染めて私を見るその眼つきは、彼女が自分の部屋にあるぬいぐるみたちを見る眼つきに似ている。恐らく私はぬいぐるみたちと同列なのだろう。
「どうじゃ? あの変態宰相の部屋など出てわらわの部屋に来ぬか。そうしたら毎日、うさぎ耳と言わず猫耳もネズミ耳も何でも付けてあげるよ?」
「いや、私が付けたくて付けてるんじゃないし」
「それにアリスが僕の部屋から出て行く事なんてあり得ないですよ。いい加減諦めてくれませんか陛下」
「……わらわは貴様をこの席に招待した覚えはないのだがな、ペーター=ホワイト」
 綺麗な切れ長の目がペーターを睨みつける。けれどもいつもの如く宰相閣下は何処吹く風で「僕とアリスは一心同体なんです」と私を背後から抱きしめた。
 ……ウザい。
 私は人前でいちゃつく性癖はない。向こうの世界でそんなカップルを目にすることはままあったが、そんなカップルには酷く冷たい視線を送っていたのだ、私は。
「あんまりくっつかないでよ、鬱陶しいから」
「ひ、酷ッ……!」
 ペーターの耳がびくっと直立した。ふるふる震えている。不覚にもちょっと可愛い。
「……ふむ」
 そんな私たちを見詰めてビバルディが納得したとでもいうように頷いた。そんなビバルディを私は不思議そうに眺める。
 何を納得する事があったのだろう、今の一幕で。
 そう尋ねると、ビバルディは薄い陶器の、赤い薔薇が描かれたティーカップを口に運び「いや、な」と事も無げに、聞き捨てならない一言を呟いた。
「お前はこ奴に似てきたな」
「はあっ!?」
 ぶっと口の中の紅茶を吐き出してしまった。レディにあるまじきその行為に恥じ入る余裕もなく、私はごほごほと咳き込む。その背中をペーターが「ああっ、大丈夫ですかアリス!?」とさすった。
「あ……あんまりじゃないビバルディ! あまりにもあんまりだわ、よりによってペーターに似てる!? 私が!?」
「今のお前のあしらい方など、ペーター=ホワイトが言い寄る小娘共に素気無くする時の態度にそっくりじゃ」
「わ……っ、私はペーターと違って誰かれ構わずあんな態度を取る訳では……っ」
「僕だけなんですね、アリス! つまり僕はあなたにとって特別だと……!」
 嬉しいですぅぅぅ! と縋りついてくるペーターを腕を精一杯伸ばして遠ざける。普通、こんな「特別」は喜ばない物だけれど、ペーターは「普通」じゃない。
「あなたが本当の自分を見せるのは僕だけになんですねっ! 光栄です、大好きです、愛してますアリス……!」
 ……本当にウゼえ。
「似てないわ。取り消して、ビバルディ」
「……まあ、そういう事にしてあげよう」
 本当は他にも似ているところはあるのだがな、とビバルディは微笑んだ。
 聞けばきっと答えてくれたろうが、多分ビバルディが何を考えているのかわかったから、敢えて私は聞かなかった。
 そんなこと、他人の口から言われたらもう――きっと私は立ち直れない。
「――紅茶、淹れてあげるわ」
「……ふふ。懐柔されてあげるよ、アリス」
 ビバルディの赤い唇が笑みの形を作る。
 とりあえず誰にも言わずにいてくれる事を内心で安堵しながら、私はビバルディのカップに熱い紅茶を注ぎ入れた。







 横になると、ペーターは嬉しそうにぴったりと私の横に忍び込む。宰相閣下のベッドは四人が楽に眠れるほど広いというのに。
「今日も愛してます。明日はもっと愛してます」
 毎夜繰り返されるお休みの挨拶。
 うさぎ耳はまだ私の頭に付いたままだ。
「これ、取ってくれないかしら。恥ずかしくて歩けないわ」
「なら尚の事外せません」
 嬉しそうにペーターは言う。
「これをしている間は、外出しないんですよね? 僕としてはその方が嬉しいですから――あなたを閉じ込めておけるのなら」
 笑顔に潜む微かな残忍さも、既に驚く事はない。
 これがペーターなのだから。――そうと知りながら恋に落ちた。
 本当に自分の恋愛感覚に眩暈がする。
「私は浮気なんてしないわよ」
「あなたが僕以外の人の目に触れるのは嫌なんです」
 一転――ペーターは縋るように、いや実際私に縋り付きながらそう言う。
「あなたを見るのは僕だけでいい。誰の目にも触れさせない。このまま此処に閉じ込めてしまえばいいのに……」
 行き過ぎた独占欲――それすらも。
 嬉しいと感じてしまう私は末期だ。
「――そんな事したら嫌いになるわよ?」
「ええ、わかってます。だから我慢しているんです――でも」
 ずっとは無理でも、少しの間だけでも……それなら、いいですよね?
 低い、懇願するその声に、私はふうと溜息を吐く。
「……いいわよ。これが取れるまで何処にも行かない」
 そう言った途端にペーターの耳がぴょんと直立した。嬉しそうに私の名前を呼んで、私はペーターに抱きしめられる。
 私も甘い。
 以前の私なら、こんな馬鹿な事など了承しなかった。
 それでも――
「ねえ、今でも女の人に言い寄られるの?」
「え?」
 ペーターの眼鏡の向こうの赤い目が驚きに見開かれる。しまった、と思った時にはもう手遅れだ。
「大丈夫ですよ、アリス。僕はあなた一筋です。他の女なんか近付いてきた時点で殺します」
「……いや、それだけで殺しちゃうのはやめようよ……」
 っていうかどんな場合でも殺しちゃだめだって。
 何度も何度もペーターに言っている所為で、最近はペーターも誰かを殺す事はなくなってきた……と思う。いや、ペーターは私には嘘をつかないから、言葉通り殺してはいないだろう。
「ああ、夢のようです……あなたがやきもちを焼いてくれるなんて」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、別にやきもちなんか」
 言いながら、これが全く無意味だという事に気が付いた。ペーターは相変わらず私の言う事なんて聞いてないし、何より実際、私の言葉には信憑性なんてものは欠片もなかったんだから。
「愛してます、アリス。僕にはあなただけです。あなたさえいてくれたら他に何も要らない……」
「だから素でそういう事言うのやめなさいよ……」
「あなたにしか言いません。だからいいでしょう……?」
 ペーターの唇が近付く。柔らかく押し付けられ、やがて私の横にあった身体はいつの間にか私の上へ、覆い被さるように。
 胸に顔を埋められ、寝間着の下に柔らかく忍び込むペーターのひんやりした手に、僅かに抗おうとして直ぐに止めた。
『お前はこ奴に似てきたな』
 ビバルディの、ちょっとだけ意地悪そうな笑い声が思い出される。
 お茶会の席で、ビバルディがペーターに言い寄る女性の話を持ち出した瞬間、私が反射的に浮かべてしまった表情を見たのは真正面にいたビバルディだけ。ペーターは私の背中に居て見えなかった筈だ。
 ――あんな顔なんて。
 ペーターを誰かが見ていることへの不安と不満。
 誰の目にも触れさせたくない、なんて。
 そんな気持ちがわかってしまう程。
「――私はこんな、ウザい女じゃなかった筈なのに」
「アリスはウザくなんてないですよ?」
 不思議そうに覗き込むウサギ男の耳を軽く引っ張る。その勢いで、ペーターの顔が私の顔の位置まで戻って来た。
「ウザいわ。あんたの所為よ。ずっと一緒に居たから似てきちゃったじゃない」
 ペーターが何かを言う前にその唇を塞ぐ。
 初めて、私からペーターへ。
 あなたが私以外に何も要らないというように。
 私もあなた以外何も要らないの。 
「アリス」
 離した唇に、ペーターは最初きょとんとして――やがて、最上級に幸せそうな顔をして――
 ペーター=ホワイトは私を抱きしめた。
 










初アリス創作は、大好きな大好きなペーター=ホワイトで。
なんだか色々詰め込みすぎなのは、初めて故の勇み足(笑)

ペーターの病みっぷりがたまらなく好きです。
私、本当にヤンデレが好きなんだと痛感した瞬間でした。



2009.12.15  司城さくら